奇跡を信じて・・・・
お互い座ったまま何も話さず黙っていた。
どちらも相手が何かを言うのを待っているように、目線を下げていた。
「あのさ・・・」そう言ったカオルに
「はい!」と慌てて大きな声が出た。
「そんなに大きな声で返事しなくていいよ・・・」
「あ、、、うん」
「健吾は?」緊張して声がうわずった。
「もう寝たんじゃないかな?」
「そっか・・・また酔っ払ってた?」
「うん・・・・また酔っ払ってた」
また沈黙が流れた。健吾は向田さんのことを言ったのだろうか・・・
そんなことが頭を過ぎった。
「携帯・・・変えたんだ・・だから繋がらなかったの?」
カオルはそう言いながら枕もとの携帯を見た。
「うん・・・」
「俺の留守電聞いてくれた?」
「電話して、、てやつでしょ。ごめん電話しなくて」
「いや、それじゃない。その後の・・もしかして聞いてないの?」
「だってなんだか決心が鈍ると思って、、電源入れるの怖くて・・・
でも仕事でも使うから、、、それで新しい携帯買ったの・・・」
「うっそ。ありえねぇ・・・」
「なに入れたの?」
「なんだか、、いまさらって感じのこと」
「そうなんだ・・・」
また沈黙が流れた。
「あの・・・今日健吾からなにか聞いた?」
「なにかって?特には」
「いや、、別に・・・ならいいの・・・」
「まゆの彼氏のこと?」
(聞いてるじゃん!)そう思いながら黙っていた。
けど、そのことでカオルが怒って文句のひとつでも言ってくれれば
もっと気が楽になると思った。
「カオルが言ってた子はどうなった?上手くいってる?」
別に皮肉じゃなく、言われたから言う訳じゃなく、本当にどうなのかなと思って聞いた。
「そのことで留守電に入れたんだ・・・」
「どんなこと?」
「あれさ、嘘だったんだよ。俺、馬鹿だよなぁ・・・
さっき健吾に言ったら「お前アホか!」って言われた。本当にアホだよな。
あんな嘘のせいでこんなことになっちゃって」
「嘘?」一瞬なにを言ってるのか分らなかった。
「そんな子いなかったんだよ・・・
俺、向田って人が出張の時、まゆを誘ってたって健吾からきいて・・
本当は正月にそのことで話したかったけど、聞けなくてさ・・・」
本当にいまさらだ・・・・・
あの時、そんなこと言わないでいてくれたら、きっと帰らなかったかもしれない。
あのまま眠っていたら、そのまま・・・・
そう考えたけれど、どっちにしろ理由はそれだけじゃなかった。
カオルの実家のことも、将来同居ってことも、こっちに来ることも、
それに・・・疲れたカオルの側にいてあげられないことも・・・
「それだけじゃないの。だから、そんなに気にしないで」
そう言って下を向いたカオルの顔を側に行って覗き込んだ。
「他になにがあったの?」
その顔を見て、涙が出そうになった。
「いまさらだよ・・・ もうそんなこと言っても、あたし十分すぎるほど
カオルのこと裏切ってるんだもん。向田さんのこと聞いて嫌いになったでしょ?
こんなにすぐ彼氏作って、軽いったらないよね」
そう言ってわざと明るく笑った。
「俺のこと嫌いになった?だから?」
「そんなこと、、無い。大好きだった。でも、やっぱり決心がつかなかったの。
カオルの実家行って、お母さん怖くて・・・だから自信がどんどん無くなって、
将来一緒になんか住む自信無くて・・でも、もう決まってるってカオル言うし、
嫌だって言ったら嫌われるし、、、、」
涙が溢れて言葉が詰まった。
いまさらだ・・・ 今こんな文句言ったってもうどうしようも無いのに・・・
でも、カオルのことが嫌いと思ったことは一度も無かった。
もっと他のことが大きくて、自分のことだけを考えたからなのに・・・
「なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ・・・
なんで一人で考えるんだよ・・・家のこと言わなかった俺も悪いけど、
もっとなんとかできたかもしれないだろ?母さん説得とかできたじゃん。
そんなこと言われても嫌いになんてならないよ」
「だっ・・・て・・」もう言葉が出なかった。
そのまま部屋にはあたしが泣いている声しか響いていなかった。
カオルはただ黙っていた。
きっとあたし達は変に相手のことを思うフリをして、自分が格好悪く
なるのを避けたから、こんなことになったんだ。
「俺さ・・・健吾から「まゆを取られるぞ」って言われて、、、
仕事のこととか分かっていたけど、アイツから離せばナントカなるかなって・・・
それで無理言ってコッチにこさせようとしていたんだ。最初から5年も憧れているって
言われて、嫌な予感していたし・・・」
カオルは何も気にしていないと思っていたのに、こんなに心配をさせていたことを
聞かされて、自分だけが悩んでいるような顔をしていたことを反省した。
疲れた顔をしていた本当の理由はあたしのことかもしれない・・・・
大事なことを聞けずに、嫌なことから顔を背けた罰だ。
「もうダメなのか?俺達」
もう今となっては向田さんを裏切ることはできない・・・
カオルに戻ることはもうできない。
返事を待つカオルにそう言わなければならないのに、その一言でもう会えないと
思うとなかなか口が開かない。
戻りたいけど、、、辛いときにすべてを受け入れてくれた向田さんを
このままにする訳にはいかない。
「ごめんなさい・・・」
「そうなんだ・・・ 」
しばらく沈黙が続いた。
涙を拭いて最後くらい笑顔で別れようと思った。
沈黙が長かったぶん、やっと涙が止まった。
「まゆ・・・」
「ん?」
「もう一度だけ抱いていい?」
「無理!」
「あまりに返事が早くてビックリした・・・」
そう言ってカオルは笑った。
「あたしもこんな雰囲気でそんなこと言うからビックリした・・・」
同じく小さく笑った。
「じゃあ、一度だけ抱きしめていい?」
その顔を見て、黙ってカオルの側にいきゆっくりと抱きついた。
自分の中で
(これが最後になるなら、最後にカオルに抱きしめられる感覚を忘れないでおこう・・・)
そう思いながらギュッと抱きついた。
カオルも優しく抱きしめてくれた。
そのまましばらくお互い黙っていた。
頭の中で (さよなら・・・・・)と呟いた。
溢れそうになる涙をグッと我慢しながら。
「カオル・・・・ごめんね。大好きだった」
「ん・・・俺も。大好きだった・・・・今も好き・・・」
お互い初めて相手のことを「好き」と言葉で伝えたのが最後の日だなんて・・・
やっぱり涙がこぼれた。
「もっと俺がしっかりしてたら、よかったな」
そう言ったカオルの声がちょっと泣いているように感じた。
黙って首をふった。声を出すことはできなかった。
「まゆ・・・」そう言って体を離し「キスしていい?一回だけ」
そう言って返事をする前にキスをした。
やっぱりカオルの頬が濡れているような気がした。
でもあたしの涙かもしれない・・・・
唇が触るくらいの軽いキスをした後、もう一度抱きしめ、
「あ〜ぁ・・・あれが最後なら、もう一回くらいしておけばよかったな〜」
明るく笑わせようとして言った。
「キスできたから、上手くいけば一回くらいできると思ってるでしょ?ダメだよ!」
そう言ってその冗談に乗ってあげた。
「わかった?残念!」
大きく深呼吸してから体を離した。
カオルを見てできるだけ頑張って笑った。
「ありがと。最後にちゃんと話できてよかった。カオルならすぐ彼女できるよ。
あたしよりちょっと落ちると思うけど」
「うん。そうだな。俺モテるからな。まゆよりイイ女見つけるわ。いっぱいいそうだし」
「うん。見つかるよ・・・ すぐに・・・」
「でも・・・別れたら連絡して。もう一回くらいしたいから」
「ばっかじゃないの?」
お互い笑いながら、いつまでも話をしていた。
なんとなく帰るタイミングを逃したカオルに、
「じゃ。またね・・・って言いたいけど、それは無いから・・・・
元気でね。今日はありがと」そう言った。
「うん。じゃあまたな・・・・じゃないか。元気でな。
今日は悪かったな、遅くに・・・じゃ行くわ」
「うん・・・」
そう言ってドアを出るカオルを見送った。
本当はロビーまで行きたかったけど、泣きそうだからそこで見送った。
パタン・・・・・とドアが閉まった途端、涙が次々と流れた。
向田さんのことは好きなのに、なんでこんなに涙が出るのだろう・・・
こんなに辛い別れをしたのは初めてだった。
いつまでたっても涙が止まることは無かった。
自分が決めきれずに、カオルにまで辛い思いをさせてことを心底後悔した。
きっと・・本当は向田さんよりカオルを好きだと自分で気づいていた・・
あたしは自分に突きつけられた現実が重すぎて向田さんに逃げたんだ。
確かに憧れていた人だけど、心から自分を見せられるのはカオルだけだと分かっていた。
けど、今、カオルを追いかけていくことが、どうしてもできなかった。
昔の彼女に裏切られたと言っていた向田さんを、あたしまで裏切ることはできない・・・
そして、カオルが思うようにすべてを捨てて飛び込む勇気がまだ無い。
そんな自分ではこれから何度となくカオルを悲しませてしまう。
それならば・・・
カオルには幸せになって欲しい。
こんな逃げてばかりの自分よりも、もっと相応しい人と。
結局、その日眠れないまま朝を迎えた。
一度寝てしまうと目が腫れると思い、そのまま支度をした。
おかげで次の日の仕事は散々だった。
それでも健吾はなにも言わずにフォローに徹していてくれるのを見て、
きっとカオルと話をしたことを知ってるんだと思った。
散々な東京出張を追え、北海道に戻った。
一度荷物を置いてから会社に行きたいと言って家まで送ってもらった。
家に入るとテーブルの上に向田さんの手紙があった・・・
「おかえり。材料は買っておくから、真っ直ぐ家に行ってください。
帰るのを楽しみにしています 直樹」
きっと東京に行った日に書いてくれたんだな・・・
現実に戻ってきたような気がした。
トランクを簡単にしまい、着替えて部屋を出ようとした時、
ふと昔の携帯が目に入った。
電源を入れてカオルの最後のメッセージを聞いた。
「まゆ?カオルだけど・・あの・・・会社の子の話は嘘です。
ごめん。好きなのはまゆだけだから。連絡待ってる・・」
(もっと早く聞いていたら少しは変わったのかな・・・・)
そう思いながら携帯の画面を黙って見た。
メールが一件きていた。
開くとそれもカオルからだった。
日付があの最後に逢った日の、たぶん別れてすぐくらいの時間だった。
<大好きです。別れたら連絡ください。もう一回ヤリたいから(ハ^∇^ル)>
そのメールを見て、ちょっと笑った。
最後の顔文字が憎らしくて・・・・
これから家を出たら、この携帯は解約しよう・・・・
そう思いながら最後に一通だけカオルに返信をした。
<何千、何万というネットをしている人の中でカオルに会えたことは奇跡に
近いと思うから・・・ またいつか会えるような気がします。
その時、お互いフリーなら一回くらい付き合うね。いままでありがとう>
よくよく考えれば、物凄い奇跡に近いことだとあらためて感じた。
一番初めにチャットをしたあの日、あの時間、あのサイト・・・・
いろんな偶然の中でカオルに会えた。
なんとなく・・・・また会えるような気がした。
それは出張で健吾がカオルに会うからついていく・・そんなことじゃなく、
まったく予期せぬ偶然の中会えるような・・・
携帯をバックにしまい、会社に行く前に携帯ショップに寄った。
これで本当に終わりなんだな・・・
「解約したいのですが・・」そう言って順番を待った。
自分の番になり、カウンターに座り携帯を出した。
「はい。こちらですね」そう受付のお姉さんが携帯を持った瞬間にメールを受信した。
「今、メールきましたけど・・・ご覧になりますよね」
「あ・・すいません」そう言って携帯を受け取り画面を開いた。
カオルからのメールだった。
相変わらずタイトルを書かないメールを開いてみた。
<俺はミラクルを起こす男だよ?きっと会えると思うから、
それまで女を磨くように。今度会ったら絶対逃がさない。
なんたって俺達は奇跡の出会いだから!>
あと数分遅かったら受信できなかったそのメールを見て
(本当にミラクルな男だな・・・)
そう笑いながら携帯を閉じ、お姉さんに渡した。
解約を終え外に出て大きく深呼吸をした。
限りなく奇跡に近いその約束を期待してみようかな・・・
それが現実になったら・・・・
その時は・・・・
きっともう逃げないだろうな・・・・
<FIN>