揺れる心
翌日の打ち合わせは思ったよりも時間がかからずに終わった。
「ふぅ・・・。思ったよりもスムーズにいったな〜」
どちらかというと苦手なメーカーさんだったこともあり、本当は休みを返上してでも
健吾にやらせたかった所だけど、運良く苦手な担当さんもお休みだったので
お互い2番手同士の打ち合わせは簡単に終わった。
時計を見ると11時少し前だったこともあり、
まだ少しだけ正月気分の街を車で走った。
(向田さんの家に行くのどうしよう・・・)
行ってちゃんと「もう二人で逢うことはしません」ときちんと言わないと
ダメなのに、言えないような気持ちもあった。
どちらしにてもまだ時間が早いし、たまにゆっくり買い物でもしようと
デパートに車を停めた。
いろいろ買い物をして、ここ最近の暗い気分が少しだけ晴れた。
もう帰ろうかと出口を探していると、
ふと見たバーバリーのショップにネクタイが並んでいるのが見えた。
(そういえば・・・向田さんにクリスマスのお返ししてないなぁ・・・)
そんなことを思って、フラリと中に入ってみた。
「いらっしゃいませプレゼントですか?」
「はぁ・・」
「お歳はおいくつですか?その方は」
「えーと36歳です」
「じゃあこんな感じでどうでしょう?」
そう差し出された物は茶色の小さい柄が散りばめられていて、
なんだかオジサン臭くとても地味に見えた。
(違うってば。そうじゃないんだよな〜)
横のクリーム色のチェック柄を手にとり眺めていた。
「そちらも素敵ですが、ちょっと色が派手かと・・・」
「いいえ。いいんです。これでお願いします」
そう言ってそのネクタイを渡した。
世間で36歳はもう地味なネクタイをする歳なんだなと感じたが、
でも向田さんにはこのネクタイが似合うと思った。
ちょっと腑に落ちない顔をして店員がそれを受け取り包装をしてくれた。
(でもなぁ・・・・いつ渡そうかなぁ・・・家に行くのはなぁ・・・)
そう考えながら店を出るとちょうどタイミング良く
向田さんからのメールを受信した。
<もう終わった?悪いんだけど煙草買ってきてくれるかな?ごめんね。
車は俺の後ろに停めるといいよ>
(わっ・・パシリかよ!)
煙草を買い、頼まれたから持っていかないとなぁ・・
そう思いながら向田さんの家に
向い言われた通りの場所に車を停めてマンションに入った。
「あ。ごめんね。おつかいなんか頼んで。入って」とドアを開けて顔を出した。
「いえ。あ、、これどーぞ。あたしは、、ここで失礼します」
「どうして?お茶くらい飲んでいきなよ。せっかくその為に休み取ったんだから」
そう言われてしまうと、その場で帰るのは失礼な気がして、
ほんの少しのつもりでお邪魔することにした。
「じゃ、ちょっとだけお邪魔します・・・
あ、これ煙草。2個で良かったですか?」
「うん。ありがと。何個でもいいよ」と棚に置いた。
そこにはカートンの箱があった。
「煙草あったんですか?あれ・・・」そう指差すと、
「そうでも言わないと来ない気だったでしょ?帰ろうと思ってなかった?」
「なんだか行動とか考えてること、全部見透かされてる感じですねぇ」
「うん。なんとなくわかるんだ。まゆちゃん特にわかりやすいしね。
とりあえず座ってよ」そう言ってキッチンに消えていった。
カップを2つ持って歩いてきた向田さんに、
「あのコレ、遅くなりましたけどクリスマスのプレゼントです」と
さっきのネクタイを渡した。
「これ東京で買ったの?」
「いえ、さっき買いました。ちょっと買い物いったんで」
「そう。なら受け取ろうかな。彼氏と一緒に選んだならやめとこうと思ったけど、
開けていい?」
「はい・・・・」
(彼氏)と言われると、ちょっと胸が痛んだ。
「俺の好きなブランド知ってたんだ?」
「あ・・・はい。いつもそこのだなって思ってたんで。変ですか?それ」
「ううん!すごくいいね。ありがと。後、煙草の銘柄も言ってないけど、
きっとまゆちゃんは覚えてるって思ってたんだ」
ストーカーのように向田さんのことを知ってると思われたようで恥ずかしくなった。
いつも飲むお茶も、販売機で買う珈琲も、好きなガムも、
なんとなく知っていた。たぶんそれくらいいつも自然に見ていた。
「今日はどこ行こうか?」
「あ・・・・ どこって・・・」
「明日も休みだしね。それともDVDでも借りてこようか?
たまにゆっくりそんなことしてみたいなーて。でも一人じゃ借りにいくのも
面倒臭くってね。一緒に見てくれない?まゆちゃんの好きなのでいいから」
「うーん・・・・でも・・・」
「彼氏から電話がくるとか?俺はいいよ。別に隣で話ても」
そう言いながら上着を着ていた。
「あ、いや、それは無いですけど」
「じゃあいいじゃない。帰りにどこかで買い物してなにか作ろうか?
俺、料理上手なんだよ?ご馳走するよ!さ、いこ」
向田さんはニコニコとニットキャップをかぶり玄関に歩いていった。
慌てて向田さんを追いかけ玄関に行った。
車の場所を入れ替え、向田さんの車で近くのビデオショップに行った。
「好きなの選んで」と言われ、棚を見てどれにしようか選んだ。
(一緒に見るなら恋愛モノはダメだよなぁ〜きっとラブシーンで
どんな顔をしていいか困っちゃうしぃ・・・)
散々迷いながらいろいろ選んでいたが、結局選びきれずに譲ることにした。
「あの、向田さんが選んでください。あたしなんでも見ますから。
どんなのが好きなのかわからないし・・・」
「そうだなぁ・・・・」
そういって適当に2本選びカウンターに消えていった。
居なくなったのを確認してから本体の抜けたケースを見ると、
バリバリな恋愛モノだった!
それもかなりハードそうで挿絵の写真があきらかにベットシーンだった。
(うっわぁ・・)そう思いながらケースを置いた。
それから近くのスーパーに行き並んでカートを押しながら買い物をした。
普段着の向田さんはやはり歳よりかなり若く見え、全然歳の差は感じなかった。
あれこれと言いながら買い物をしているうちに、ふと
(これがいつもならなぁ・・・・)そんなことを一瞬思った。
「あれ〜まゆじゃない!どうしたの?こんな所で」
その声に振りかえると直子がいて瞬時に血の気が引いた。
隣に歩いてきて、あたしの隣にいた向田さんを見た。
一瞬帽子のせいで誰かわからなかったようだが、
じっくり顔を見てその人が誰かを認識したようだった。
「わっ・・・」と言った後に慌てて頭を下げていた。
それ以上話すこと無く、
「じゃ・・・また会社でね」と小声で言い一緒にいた彼氏と走っていった。
「これで仕事はじめにはもう噂になっちゃうね〜」
「マズいんじゃないですか・・・それって」
「別に〜うちの会社は社内恋愛多いでしょ。問題無いんじゃない?」
そう言いながらカートを押して歩いていった。
なにがどう良いのかわからないまま後ろをついていった。
家に着き、一緒にキッチンに並び料理をする向田さんを見ていると、
とても手際が良く、あたしより上手なのではないかと思った。
「一人が長いとなんでもできるようになっちゃってね」
そう言って手際よく料理を作っていった。
(これは、、もはや「なんでも」って域を跳び越していると思うし・・)
包丁の使い方から味付けまで何からなにまで下手に
手伝うと邪魔じゃないかと思うくらいの上手さだった。
「じゃ、先に食べちゃおうか?あとからゆっくりDVD見ようよ」
そう言ってワインを持ってきて二人分グラスに注いだ。
「あ。でも車なので、あたしはいいです」
「どーせそんなに飲まないでしょ?大丈夫だよ」
なんだかやっぱりこの人になにか言われると、それに従わないといけない
気がしていわれた通りにグラスを口に運んだ。
どの料理もプロ並みだと思った。
この人はなんでもできるなぁ・・・
失敗することなんか無いんじゃないかとさえ思った。
洗い物を一緒に終え、「じゃここに来て」そう言われて座った。
軽いおつまみとさっきと違うワインをテーブルに置いてDVDのリモコンを押した。
軽く一杯しか飲んでいないのに、どことなく酔ってるような気がした。
それが緊張なのか酔いなのかわからなかった。
「もう今日は運転できないんじゃない?」
「いえ、大丈夫です」
「でも、俺は無理かなぁ・・・」TVを見たままワインを飲んだ。
「あ、いえ、送ってもらわなくても大丈夫ですから」
「いや、車・・・俺が動かさないとまゆちゃんの車でないよ?
でも、今日はもう無理かな〜て。酔ってるから。ベロベロに」
「全然、普通じゃないですか!それに数メートルだし!」
「いいじゃない?どーせ俺達、一晩過ごした仲なんだから〜」
「だって、、なにも無かったじゃないですか!」
この前のことを思い出すだけで顔が赤くなった。
「そう?本当はなにかあったんだよ?俺、服脱がせるのも、
着せるのも上手なんだ」
「えぇっ! そうなんですか?」
「嘘だよ。さすがにあそこまでキチンと着せることはできないよ」
そう言って大笑いをした。
からかわれて、どんな顔をしていいかわからなかった。
「まぁ、映画終わってから車動かすよ。安心して」
向田さんの選んだ映画は思いのほか面白かった。
でも、内容が二人の男性の間でどちらにいこうか悩む女性の話で、
見ていて(なんだかなぁ・・・)と思った。
激しいラブシーンが画面の中に延々と続き、さすがに最初は
そ知らぬ顔をして見ていたが、あまりに長く部屋に響く女優の声に
まいったなぁ・・・・と思っていた。
「なんだかAVに近いな、ここまで長いと」そう言いながらも
向田さんは結構楽しそうに見ていた。
なんと答えていいかわからず「そうですね」とだけ答えた。
(向田さんも、、そんなの見るのかなぁ?なんかちょっと意外かも)
澄ました顔をして画面を見る向田さんをチラチラと見ていたが、
別に鼻の下を伸ばす訳でも無く、ニヤニヤとする訳では無く・・・
なんとなく初めてカオルと泊まったホテルでのAVのTVのことを
思い出し、慌てた顔が浮かび少しだけ笑いそうになった。
映画も終わり、時計を見ると11時になっていた。
(そろそろ帰ろうかなぁ・・・ 車のキー借りて動かそうかなぁ・・・)
「今、帰ろうと思ってたでしょ?」
「そろそろ遅いですからね」
「もうちょっと話しない?」そう言ってグラスを渡された。
「話すのはいいけど、もうお酒はいいです。帰れなくなるから」
そう言ってグラスをテーブルに置いた。
「東京どうだった?楽しかったかい?」
手放しで楽しかったと言えるような休みでは無かったと思った。
忘れていたことを思い出し、ちょっと暗い気分になった。
「少しでも俺のこと思い出してくれたことあった?」
「そうですね・・・やっぱり彼の顔見て悪いなって思いました」
「少しでも考えたってことは、ちょっとは気になってくれたんだ?」
真っ直ぐに目を見られ、そのままなにも言えなかった。
別に責められている訳でもないのに、居たたまれない気分になった。
「あんまり楽しくなかったみたいだね」そう言って煙草に火をつけた。
「そうですね・・・ いろいろあったから。いつものようには
楽しめなかったような気もします」
向田さんの煙草の箱をいじりながら、ちょっと笑った。
「その<いろいろ>ってとこは聞いてもいい?それとも聞かないほうがいい?」
「聞いてほしいような、聞いてほしくないような・・・・
でも上手く言えないです。なんだか・・・」
指でパタパタと倒していた箱が勢いよくテーブルの下に飛んでいった。
「いいよ。上手く言えるまで聞いてあげるから」そう言って箱を拾い手渡してくれた。
「いいえ。なんだか彼の悪口になってしまいそうなのでやめておきます」
「そっか。じゃあもう聞かないよ」
煙草を灰皿にギュッと押し付けて消した。
そう言ってくれたのは、ありがたかった。
たぶん愚痴に近いことを言ってしまいそうだったし、
その話に対して優しくされると、向田さんに逃げたくなりそうだった。
「じゃ、そろそろ帰ります。今日はごちそうさまでした」
「そっか。じゃ、行こうか。車動かすよ」
ダウンを着こんで玄関に歩いていく向田さんの後姿を見ながら、
ほんの少しだけ、このままここにいたかった自分がいた。
玄関で靴を履き、ドアに手をかけた向田さんが振り返り
「本当に帰りたい?そんな顔してないけど?」と顔を覗き込んだ。
「本当によくわかるんですね・・」
「今日ここに泊まったら、もう二度と彼氏には逢ってほしくないな。
でも、まだそこまで気持ちは固まっていないんでしょ?
今日は帰ったほうがいいね・・・・ってそう言ってほしかったでしょ?俺の口から」
「なんだか向田さんには敵いませんね・・・」
「俺はジワジワいくよ〜」そう言って笑った。
車を動かしてもらい、自分の車に乗りエンジンをかけた。
ピンとした寒さが体を冷やした。
自分の車を停め直し出てくる向田さんを待ち窓を開けて挨拶をした。
「それじゃ、あさって会社で」
「ゆっくり休むんだよ。明日も暇ならおいで。家にいるから」
「いいえ、やめときます。なんだか胃が痛くなりそうだから」
「じゃ、気をつけて」そう言って手を振った。
窓を閉め、軽く頭を下げ車を出した。
一人になり、自分で自分の首をどんどん締めていると感じた。
どちらかをきちんと選ばなければ・・・・
どちらも自分には勿体ないほど素敵な人なのに。
不安と焦りが入り混じった気分で体がジンジンした。
家に戻り、力の抜けた体をソファーに落とした。
いくら考えても答えはでなかった。
ベットの横のカオルの写真を見ながら、さっきのことを考えていた。
きっと向田さんが
「今日は泊まっていきなさい」とあの玄関で言われたら、
あたしは今ごろ向田さんの家のにいたかもしれない。
あたしは軽い女なんだなと思った。
昨日、カオルに良い顔をし、今日は向田さんに良い顔をする。
そんな自分が嫌いになった。
誰かに「この人にしなさい」と決めて欲しいとすら思った。
自分の考えの無さにため息しか出ない・・・
この一ヶ月あまりの間に思ってもいなかったことが多くありすぎた。
どうして、もっとタイミングのいい感覚で物事が進まないのだろう。
もっと前にさかのぼるのならば、
カオルに逢う前に向田さんとこんな風になっていたなら、きっとあたしは
それほどチャットをしなかったかもしれない。
もしやっていたとしても・・・カオルに会うことは無かっただろうな。
そんな架空の話を考える暇なんか無いのに、
そんなことを考えてその場に黙って座っていた。
携帯が鳴り、画面の文字に「向田 直樹」の文字が光った。
「もしもし?」
「あ。俺だけど。無事に家に着いたかい?」
「はい。大丈夫です。今日はありがとうございました」
「いーえ。こちらこそ付き合ってもらってありがとね」
「あの・・向田さん」
「なに?」
「あ・・いえ・・なんでもないです。その、、おやすみなさい」
「うん。おやすみ。後・・・明日、暇ならおいで、待ってるから。じゃーね」
余計なことを言わずそれだけ言って向田さんの電話は切れた。
(本当にジワジワくるな・・・この人・・・・)
その日、いくら目を瞑ってもなかなか眠りに落ちることは無かった。
いつまでも頭の中にカオルと向田さんが浮び、
どちらとも決められないまま夜がふけていった。
約束したのに、さすがに今日はパソコンの電源は入れられなかった。
もう年末からずーとメールのチェックすらしていない。
あれほど毎日、TVをつけなくてもパソコンはつけていたのに・・・
暗闇からパソコンを黙ってみていた。
初めの頃が懐かしくなった・・・・