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凶のおみくじ

長い出張が終わり、正月休みが目前となっていた。

残り一日は最後にみんなで挨拶があるということだったので、出勤になり

軽く上司の話が終わると他の部署の人たちは早々に帰っていった。


でも商品課だけは、みんな年明けの仕事をもう初めていた。

商品課は他の部署より、残業も多く出張が多いので

長期の休みの時は、少し長く休むんだと健吾が教えてくれた。


「で。お前いつ東京行くの?」

「うん・・・一応明日から4日までって思ってる・・・チケットそれで取った」

「そっか。でも休み6日までだろ?なんで4日?」そう言って健吾はまた書類に目をやった。


「よく言うよ・・・自分の担当のメーカーと打ち合わせが5日の日しか無いのに、

 スキー行くの誰ですかね?仕方無いから変わりに帰ってくるんじゃない!」


「あ!そうだっけ。そう怒るなって、すぐまた東京に出張あるじゃ〜ん。

 優しいパートナーでラッキーだと思ってるって!カオルによろしくな!」

そう言って笑ってごまかした。


内心、ちょっと気が重かった。

できることならこの前の向田さんとのクリスマスの日のことを相談に乗って

もらいたいような気になった。

けれど、同じ部署でいつも顔をあわせてる健吾にそんなことを知られるのは

向田さんも嫌なんじゃないかと思い、何も言わずにいた。


ちょうど健吾が席を離れた時、向田さんが後ろに来て

「まゆちゃん。お正月は東京でしょ?これ、渡しておくね」となにか紙を渡された。


「はい・・・・?」そう言って紙を開くと携帯のアドレスが書いてあった。


「戻りはギリギリ?」


「あ・・一応、一件早く仕事始めのメーカーさんがいるので、

 打ち合わせがあるんです。だから少し早く戻ります。4日の夜に・・・・」


「そっか。じゃ、5日に逢えるかな?電話でもいいしメールでもいいから

 連絡して。あと、まゆちゃんのアドレスも送ってくれる?待ってるね」

そう言って自分の席に戻っていった。


心の中で(アイター!)と叫んだ。

どっちつかずの自分が嫌になった。



その日の夜、メールを送るべきか散々悩んだ。

けど、たぶん5日には連絡をしなくてはならないんだと思い、

短い文章でメールを送った。


<まゆです。アドレス送っておきます。>



1時間後に返信がきた。


<アドレスありがとう。5日は食事に行こうか?お腹空かしておいてね。

 じゃ、彼氏と仲良くね。―直樹―>



(わ!いつの間にか名前が<直樹>になってる・・・・)

携帯を持ったまま後ろに倒れた。



明日・・・ちゃんとカオルに普通の顔で逢えるのだろうか・・・

不安なまま眠った。



いつもの東京行きとは全然違う、思い気分で羽田に着いた。

もう休みになっているカオルが到着ロビーの前に見えた。

笑顔で手を振っているカオルに、ちゃんと普通の笑顔になっているか心配だった。


「しばらくぶり!どう?仕事慣れた?」そういって荷物を持ってくれた。

「うん・・・ 結構ね」

「そっか、今日ラビ達来るんだ。早くいこ!」

「え?そうなの?」

「うん。温泉予約いっぱいでさ、、、取れなかったのよぉ〜」


すっかり温泉のことなど忘れていた。

あの日からそんなに長い時間は経っていないのに・・・


家に着き、荷物を二階に運び整理しているとカオルが上がってきた。



「疲れただろ?ラビ達来るまで少し寝ていいぞ。なんか少し痩せたし・・」


そう言って心配そうな顔をした。

その顔を見た瞬間、いままでのことが一気に頭の中に広がり涙が出た。


「わゎ・・・な・・なに!!どうした?ちょっ!なんで泣いてんの?

 俺なに言った?なんか悪いこと言った?」

慌ててカオルが側に来た。


(ううん・・・)と首を振ることしかできなかった。


「まゆ・・・お前きっと疲れてんだよ?健吾も言ってたも。

 すっげぇ頑張ってるって。ちょっと寝な。

 そんな顔でラビに逢ったらビックリされるよ」


慌てながらベットに横にされ布団をかけてくれた。


「なんなら側にいようか?」

その言葉にどんどん涙が出て止まらなかった。


「いや、わかった!泣かないで!側にいるから。な?少し寝なよ」

そう言って隣で心配そうな顔をしてこっちを見ていた。


そのまま目を瞑って、眠りについた。

思えば・・・ここ数日まともに眠っていないような気がした。

眠りは浅く、ちょっとした物音で目を覚ましていた。

冷蔵庫がブルンと音をさせるたびに目がさめ、また眠りに落ちるまで

かなり時間がかかっていた。


いつの間にか眠ってしまったのか、下に人の声が聞こえて目が覚めた。

ラビとヒデの声がした。


「今、まゆ寝てるんだ。仕事キツイみたいでなんか痩せちゃってさ。

 俺に逢ってボロボロ泣き出すし・・・ やっぱ疲れてるんだなぁ・・・」

そんなカオルの声が聞こえ、また泣きそうになった。


階段をあがってくる音が聞こえ、今、起きたフリをした。


「化粧直してから行くね。もう起きてるから。大丈夫」

「そっか。じゃ下で待ってるから」

そう言ってカオルが降りていった。


軽く化粧を直し、下に降りていった。


「ごめん、出迎えもしないで寝てて〜」そう言ってラビの顔を見た。


「ちょっと・・・大丈夫?まゆ何キロ痩せた?」ラビが体を触りながら言った。


「あー・・・5キロくらい?出張ダイエット・・・」


「癌じゃねーよな?」ヒデが笑った。


「たぶん・・・?」そう言って一緒に笑った・・・


けど、そんなに驚かれるほど

痩せていたとは自分でも気がつかなかった。


いつもはなにかしら食事を作るのに、今日はテイクアウトでいろいろと

ラビとヒデが買ってきてくれた。

たぶんカオルが電話をしてくれたんだと思った。


みんなで最近の話や、カオルの実家に行く話をして笑っていた。

そこにヒデが向田さんの話を振ってきた。


「そういやさ、なんか憧れの先輩いるんだって?健吾が言ってたよ〜」


「そうそう!でも大人の男って感じで、憧れるのなんかわかる〜」

ラビも一緒になってその話に乗り出した。


心臓を誰かに鷲掴みされたように痛んだ。


「う・・うん。そうだね。でも実際大人だし、、、」なにを言っても噛みそうだった。


「憧れてるってどれくらい憧れてたの?ここ最近のこと?」

カオルも特に疑うことも無く、話に入ってきた。


「あ・・・入社した時から・・・・」どんどん声が小さくなった。


「うっそ!5年も憧れてんの?」驚いてカオルが言った。


「うちの会社にはそんなのいないな〜 オバちゃんしかいないもん」

そう言ってヒデがみんなを笑わせてその話は終わった。


ちょうどビールが無くなり、

カオルが買いにいくと言ったが、結構酔っていたので、

ラビと二人で外に出かけた。


二人でコンビニまで歩きながらラビが口を開いた。


「まゆ本当に大丈夫?そんなにキツイなら仕事辞めたら?もうカオルの

 所に来たらいいじゃない。親のとこにも挨拶に行くんだし、まだダメ?」


「まだ早いよ・・・ 一年も経ってないし・・・」


本当はそんな理由じゃないかもしれない・・・・


「そっか〜 だよね。こっちに来るってことは結婚も視野に入れないとダメだしね。

 そう簡単には決められないよねー」


「ラビ・・・ ヒデに内緒にしてくれる?」

もう苦しくてラビに聞いてほしかった。


「なに?なんの話?」


近くの公園のベンチに座り、ここ数日の話をした。

なんとなく全部話したら少しだけ楽になった。


「まゆ・・・ どうしたいの?カオルと向田さんどっちが好き?」

そう聞かれて、なにも答えられなかった。


「でも・・・・向田さんの責め方って効くね・・・そりゃ迷うわ・・・」

ラビが難しい顔をして言った。


「まゆが真面目だってこともあるけどね。私ならコッソリそのまま向田さんと

 密会しちゃうかもなー。だって大人でなんか魅力あるもん。

 別になにかしちゃう訳じゃないし、お金も持ってそうだしぃー

 素敵なお兄さんができたと思って、軽く考えてみたら?」


「でも・・・・カオルが優しくしてくれると辛いんだよね・・・・

 裏切ってる感じがして・・・」


「別に裏切ってないじゃん!まぁ・・キスは挨拶よ。うん。

 これからのことなんかわからないんだしさ。

 もしこのままカオルがいいならその時は

 きっと笑顔で「よかったね」って言ってくれるよ。向田さんも!

 さっ!もう戻らないと怪しまれちゃうよ?」


ニヤッと笑い背中をバシッと叩き


「なんだかんだ言っても羨ましいな〜 もぅ!」と言って歩き出した。


もっと軽くかぁ・・・・

あまり納得できない気持ちで家に戻った。


夜中の1時過ぎにラビ達は帰っていった。

「じゃ、また連絡するね〜」そう言ってラビは元気に車に乗り、

窓をちょっとだけ開けて小声で話しかけてきた。


「こっちにいる間はちゃんとカオルのことだけ考えてあげなよ」

そう言って窓を閉め笑顔で手を振って帰っていった。


部屋に戻り、簡単に掃除をした。

空き缶をゴミ袋に入れながらテーブルを片付けていると

ソッを後ろからカオルが抱きしめてきた。


「大丈夫か?今日はそのままでいいよ。風呂入って寝たほうがいい。

 なんかこう・・・抱いた感じも小さくなったぞ?」

そう言ってもう一度ギュッと抱きしめた。


そのままカオルのほうを向いて胸に顔をつけ抱きついた。

またジワ〜と目が熱くなった。

その涙がシャツを通して感じたのか


「ほら。早く風呂入っちゃえよ。まったく世話が焼けるなぁ・・・」

そう言って風呂場のほうに歩いていきドアを開けて「さ。どーぞ」と言った。


お風呂からあがると二階の電気だけがついていた。

そのままタオルを巻いて二階にあがった。


「そこにパジャマあるよ」



CDを選びながらカオルが後ろを向いていた。

その後姿を見て、そっと抱きついた。


「なに〜誘ってんの?まいったな〜 疲れてるくせに〜」

そのままの状態で笑いながらCDを見ていた。


「痩せちゃったから、また胸が無くなっちゃったな・・・」

そう言って抱きついたまま笑った。


「そうだな〜 背中にあたる感じじゃやっぱ小さくなったな」

そう言ってこっちを向いて優しくキスをした。


頭の中にシーソーが浮かんだ。

向田さんに傾いていたシーソーが静かに動いた。

そしてカオルのほうに傾いていったような気がした・・・・


その夜、抱かれながら心の中で無意識に謝っていた。

(ごめんね・・・・)何度もそう頭の中で呟いた。


そんなに泣くほど迷っていたのに、抱かれている時はいつものように感じた。

もっとなにかしら体はいつもと違うんじゃないかと思っていたのに・・・


終わってからカオルは

「いつもより激しかったような・・・・ 

 男が疲れてるとヤリたくなるって聞いた

 ことあったけど、女もなのかなぁ・・・・?」

そう言いながら肩にキスをした。


ものすごく眠気が襲ってきて

そのままカオルの腕に抱かれて眠った・・・


不思議と向田さんに悪いとは感じなかった。

(やっぱり・・・あたしはカオルのことが好きなんだ。きっとそうなんだ・・・)

自分に言い聞かせるように何度も心の中で呟き目を瞑った。



次の日、いつまでも起きないあたしにカオルが笑いながら

「お嬢さん・・・・このままここで年越しするんですかぁ〜?」と起こした。


「い・・ま・・・何時・・?」布団の中でモゾモゾするあたしに呆れながら


「もう昼過ぎてますよ?まったく・・・休みの日を想像したら100年の恋も

 覚めちゃうなぁ・・・・」


「ごめん・・・しばらく寝てないような感じだったから。久しぶりに眠れた」



「早く支度して。正月の用意するのに買い物いこ」


「うん。すぐする。ちょっと待ってて」

そう言って急いで顔を洗った。


街に出ると結構な混みようだった。

カオルに手を引かれ忙しそうにしている人並みをぬい歩いた。

適当にお正月っぽいものを買い込み、家に戻った。


「神社とか行く?初詣。夜のほうがいい?それとも朝?」


「やっぱ夜でしょ。12時過ぎたら行こうか?」


「ん。いいよ。有名どころがいい?それとも近所?」


「んー。そうだなぁ・・・近所でいいかな。あんまり人がいっぱいは

 嫌いだし。どこでも一緒でしょ?」

そう言って年明けのことを話ながら、TVを見ていた。


定番のTVを見ながら、ふとした瞬間に向田さんのことを思い出した。


(今ごろ一人なのかなぁ・・・・ それとも誰かと一緒なのかなぁ・・・

 どーせなら誰か一緒にいてくれたほうがいいな。一人だと思うと心苦しいし・・・)


そんなことをちょっとだけ考えた。


年越しのカウントダウンを見て

「なんでこう、3,2,1とか見たらワクワクすんだろな?」

とカオルが笑った。


「今年もよろしくな。たくさん良いことあるといいな。俺達」


そう言って年が明けた。


「うん。そうだね。あるといいね」

そう言いながら、心の中で(あるのかな?・・・)と思った。


神社に行き、カオルが

「これ仕事がうまくいくってお守りだってさ」と二つ買い、一つをくれた。


「ありがと。じゃあ、おみくじ引いてみる?」


そう言って巫女さんにお金を渡してお互いおみくじを引いた。

あたしのは<吉>だった。まぁ・・そんなもんだなと思った。

横で(うっわ・・・・)と声を出したカオルを見た。


「俺・・・凶だって。生まれて初めてこんなの引いた・・・」

ガッカリした顔をしながらおみくじの内容を真剣な顔で読んでいた。


「嘘ぉ!凶なんて本当にあるんだ?見せて!見せて〜!なんて書いてるの?」

嬉しそうに言うあたしに、


「お前・・・なんでそんなに嬉しそうなの?もっと可哀相とか言えよ〜」と

苦い顔をして見せてくれた。


「なになに・・・

<<総合運>自分の行動に責任を持てばそれなりな一年になるでしょう。

 ただ軽はずみは行動はしないほうがよいでしょう>

そんなの当たり前じゃない・・・・ なんだこれ?」


「そんなこと言ったら神様に聞こえるぞ!」と小さい声で言った。


「神様って・・・・」とカオルの言ったことが可笑しくて延々と笑っていた。

お互いの今年の運勢を見比べた。


「恋愛運なんて書いてる?」自分のを見ながらカオルが聞いた。


「えーとね。イケてないおみくじを引く彼はやめましょうだって」


「真面目に!」


「えーと・・・・「素直な気持ちに従えば吉。自然と答えはでるでしょう」だって」


(だから当たり前だっつーの・・・・とまた思った。このまま時が過ぎれば

 それなりの答えはでると思った。でもその時間の経過が苦しいのに・・)


「カオルは?」覗き込んでカオルのおみくじを見た。


「んーと 「判断を正確に。一時的な嘘は最愛のモノを失う」

 だって。なんだか凶だと思うとすべてダメになりそうな気がするなぁ・・」


「なんだか難しくてよくわかんないな・・・ 気の持ちようじゃない?」

そう言って側の木の枝にそれを縛り付けた。


「俺、持って帰ろうかなぁ・・・ こんなの珍しいし」そう言ってカオルは

凶のおみくじを財布に入れた。


帰り道(持って帰っちゃダメなんじゃない?今年ずーと凶だよ?)と

からかいながら家に戻った。


朝までTVをつけたまま、ソファーに座って話をしていた。

なんとなく言葉の端々にカオルが向田さんのことを聞いた。


「出張の間ってなにしてたの?」なにげなく聞かれた言葉に心臓が痛くなった。


「え?別に・・・ 疲れてるから早く寝てたり・・・」


「そうなの?健吾は元気だったけど?」


「最初はハマるからじゃない?チャットって?」


なんとかそっちの話に持っていこうと考えた。


「健吾が前に言ってた「向田さんに気をつけろ」ってなんだったんだろな?

 なにか思い当たるの?」そう言って黙ってこっちを見た。


「い・・や・・?なにも?別に何も無い。うん。無い・・・」


「そっか。ならいいや。でも憧れてるって言ってもホモなんでしょ?

 それでも憧れてるの?物好きだなぁ・・・・まゆって・・・・」


そう言って眠そうな顔をしてあたしの膝の上に頭を乗せた。


(信じてるし・・・)


そのまま目を瞑って眠りそうなカオルの頭を撫でていた。


「あさってうち行く?」目を瞑ったままカオルが聞いた。


忘れていた訳じゃないけど、やっぱり緊張した。


「あ・・・うん。いいよ。その日で」


きっとカオルの実家に挨拶をすれば、もっと自分の気持ちがちゃんと固まる。


「そっか。ちょっと遠いから、早めに出ないとなぁ」


「うん。わかった」


カオルの髪を撫でながら答えた。

カオルはそのまま「少しだけ寝ていい?」

そう言ってすぐに気持ちの良さそうな寝息をたてた・・・・




眠るカオルを見つめながら、

(この人がいるのに、、あたし何やってんだろう・・)

何も疑うことが無いような無防備な顔を見て罪悪感だけが残った。







2日の朝、目覚ましをかけて7時に起きた。

朝からシャワーに入り濡れた髪で部屋に出ると、

「そこまで気合入れることないよ?適当でいいのに」と言いながら、

タオルで髪を拭いてくれた。


まだ帰省が始まっていないのか、それとも渋滞しない道なのか

思っていたよりも道路は空いていた。

2時間ほど走り、カオルの実家に着いた。

玄関を見て、更に緊張した。


「大丈夫だって。そんなに緊張しなくても!」

そう言ってカオルが玄関を開け入っていった。


奥からお母さんらしき人が歩いてきた。


ちょっと怖そうな感じが印象に残った。

リビングに行くとお父さん、お兄さん、たぶんお兄さんの奥さん、妹が

テーブルにつき座っていた。


(完璧アウェイだ・・・・ 負けそう・・・・)

そう思いながら、もう一度頭を下げた。


「えーとね。吉本まゆさん」そうカオルに紹介されて、


「吉本です。始めまして・・・ 」そういってお辞儀をした。

もう何回頭を下げたんだろう・・・ 水を飲む鳥のオモチャが頭に浮かんだ。


「あ。座って」そう言ってカオルは平気な顔で座った。


「あ・・・はい」言われた通りに急いで座った。


「吉本さん、お仕事は?」お母さんにいきなり聞かれた。


「はい。あの商品の買いつけの仕事をしてます。雑貨とかインテリアの」

緊張して手に汗をかいているのを感じた。


「そうなの・・・ なんだか難しそうな仕事ねぇ・・・」そう言って

(私にはわからないわ?)といった顔をした。


ちょっと説明しずらい仕事だよなぁと自分でも思った。

そのお母さんの顔が妙に記憶に残った。

その後も年齢や家族構成、いつから付き合ってるの?

独り暮らしなの?と立て続けに聞かれた。


「お兄ちゃん結婚するの?」いきなり妹らしき、ちょっと派手めな子が

横から口をはさんだ。きっと年からして、あたしより下に見えた。


「う〜ん。まぁ、そうなればいいかなってさ。

 こいつの仕事が一段落したら本腰いれて考えるよ。

 ちょっと遠いからなかなか逢えなくて話も進まないけどな」

そう言っておせちを摘まんでいた。


なんとなくそんな感じはしていたけど、本当に口に出されると

妙に緊張した。それもみんなの前で・・・・


「遠いってどこに住んでるの?吉本さん」妹が笑顔で聞いてきた。


「あ・・・あの北海道です」

言ってよかったんだろうか・・・・


家族全員が一斉にあたしを見た。

(ヤバい!カオルと付き合ったきっかけの打ち合わせをするの忘れた!)

そう頭の中で叫んだ。


「北海道?そんな遠くの人となんで付き合うことになったの。お兄ちゃん?」


「あの・・・共通の友人の・・・ その、、、」

カオルより先に口を挟んだ。


その慌てようを見てカオルが

「俺の知り合いが、まゆの会社にいるんだ。で、その人の紹介でな。

 今でもその人たまにまゆと東京に出張でよく来るから逢ってる」


健吾を共通の友達に仕立てた嘘を言った。

今となってはまんざら嘘でもないけれど。


「へぇ・・・・ でもそんなに遠くの人だと、、いろいろ大変ね。

こっちに来るといっても親御さんはなにか言わないの?」

またお母さんが顔色を変えないで言った。


「あ・・・いや、仕事で忙しくてあまり家には帰っていないので・・・」


「あら?じゃあ今回のことも言ってないの?お正月なのに?」


「はい・・・・」なんだか怒られているような気になった。


「いいじゃん。まゆの実家はなんかあったらすぐ帰れるくらい近いんだから。な?

 車で15分だったっけ?すぐ着いたよな?あの時」

そう言ってカオルが間に入ってくれた。


「薫、貴方そちらの家に行ったの?いつ?」お母さんがちょっと怒りながら言った。


「あー。いつだっけ?10月くらいかな?だよな?」


(うん・・・・)と軽く頭を下げたが怖くてお母さんを見れなかった。


「貴方、そう何回も北海道に行ってるの?そんなに遠くに、、

 いくら彼女がいるからって・・・・」眉間のシワが確実に不満を表していた。


「そんなに何回も行ってないよ。休み無くてさ」

お母さんに淡々とカオルが言った。


「じゃあ・・・吉本さんはそんなにこっちに来ているの?」


まるで軽い取調べのようにお母さんに聞かれた。


「あ・・あたしも仕事が忙しくてそんなには・・・ 

 でも仕事の関係で東京に出張ってこれからも多いので、、、」


だからなんだと言うことを言ってしまったような気がした。

てゆうか、そんなに怒ることでも無いような気がしたのも確かだった。


「そんなに仕事が忙しいのに、ちゃんと薫と付き合っていけるの?」


「あ・・・はい。そのつもりですが」弱々しく言った。


「じゃあちゃんと結婚も考えているんでしょ?あなた達。

 そんな仕事がどーとかじゃなくて、もっと真剣に考えないとダメじゃない」

なにが気に入らないのかお母さんは怒っていた。


「あー。うるせぇ・・・ だから帰ってきたくなかったんだってぇー。

 いいじゃん。俺達がいいって言ってんだから。なにかにつけ結婚!結婚!て

 そんなの時期がきたらちゃんと考えるって。まだいいじゃん」

カオルが面倒くさそうに言った。


その言葉を聞いてお母さんはそのまま台所に消えていった。

ものすごく気まずかった。

(やっぱり来なきゃよかった・・・・)


お母さんとは逆にお父さんもお兄さんも優しかった。妹も

「北海道ってどんなとこ?」と気さくに話し掛けてくれて、

それなりに話をすることはできた。


が・・・やっぱりお母さんだけはなんとなく、あたしのことを気に入って無いと感じた。

カオルは久しぶりに逢ったのか、お兄さんとなにかしら楽しそうに話をしていた。


2時間くらいしてからカオルが帰るようなことを言った。


「じゃ、そろそろ行くから。また何かあったら来るわ。たぶん仕事忙しいから

 そうそう来れないけど、急用あったら電話して」


「薫、ちょっと待ちなさい」とお母さんがまた真顔で言い始めた。


「吉本さん。薫とこれからも付き合うなら仕事辞めてキチンと薫の側に

 来て、結婚考えてくれないかしら?そんな中途半端にお互い行き来して、

 子供でもできてから結婚なんて世間体が悪いと思うの」


(うわ〜 なんか怖い・・・・ ドラマみたいなこと言ってるし・・・・)


「だからぁ・・・・それは俺達で決めるから。母さんは口出しすんなって」


「口出しますよ!チャラチャラして!親に紹介するくらいの人なら

 きちんとしなさい。結婚したらこっちに帰ってくる約束は守ってもらいますよ」



(えぇぇー!なにそれ?なにそれ?なに言ってるの?)



驚いてカオルを見た。

その視線に気がつきカオルはあたしから目をそらした。


「じゃ、またな。行こう!まゆ」そう言ってカオルは歩き出した。


「あ。あの、お邪魔しました」


そう言って最後にみんなの前で頭を下げた。

玄関にみんな送りに着てくれてまた挨拶をしてドアを閉めた。

お母さんはその中にいなかった・・・


車が走り出し30分ほどお互いなにも言わずにいた。


「あの・・・ちょっと聞いていい?」カオルのほうを見て言った。


「あんまりよくない・・・・」そう言って前を向いていた。


「さっきのお母さんの話って・・・なに?」


「うーん・・・ うちの兄ちゃんさ、嫁さんとこに婿入りなんだよねぇ・・・・

 だから・・・・将来的に俺が家に戻るっていうか・・・そんな感じ」


ものすごい生々しい話を聞いてしまったような気がした。

もっと軽く考えていた。

気軽にカオルの元に来て、一緒に楽しく暮らす・・・

もしも今後、カオルと上手くいったらそう考えていた。


「それって・・・・もう決まってるんだ・・・」


「まぁ・・・・ そうなるんじゃないかなぁ・・て。でもすっごい先のことで

 その、今すぐって訳じゃないし。今はまだ仕事だってあるし

 そんなことは考えてないんだけど、将来結婚したら・・・・て」

できるだけこの生々しい話を軽めに聞こえるように頑張っていた。


「ふ〜ん・・・・」これ以上なにも言わないほうがいいと思った。


まだカオルと結婚がどうのということは、特別話し合ったことは無いし・・

でも、東京で一緒に住むということを気軽に考えてはいけないと思った。

さっきのあの生々しい光景が目に焼きついていた。


「なんかひいてない?」チラリとこっちを見てカオルが言った。


「え・・・・どんびき・・・・」


「だよなぁ・・・・」そう言って苦笑いをした。



それからその話はしなかった。

今、その話をするとどんどんひいてしまう自分がいた。

カオルもなにも言わなかった。

やっぱり・・・まだ家に行くのは早すぎたんじゃないかと思った。



次の日。

初売りで賑わう街に出た。

なんとなくお互い、昨日のことでちょっと気まずくなっていた。

なんだか<好き>とか<一緒にいたい>だけじゃ乗り越えられない

ものがあるんだなぁ・・・と感じた。


それでも、まだそんな先のことを考えても仕方ないと思い、

カオルに気を使って普通の顔をした。


その日の夜。

ベットの中でカオルのお母さんの怒った顔を思い出した。

黙っているあたしのほうに体を向けて、カオルが言った。


「もし、こっちに来てもすぐには実家に戻らないから。しばらくはここで暮らそう?

 そのうちお互い結婚しようって時に改めて考えようよ」


「すぐには考えられないよ・・・もっといろんなことあるし・・・」


「いろんなことってなに?」スタンドの電気をつけてカオルが聞いた。


「いや、だって・・・ カオル仕事どうするの?」


「あぁ。うちのオヤジの会社にって思ってる。今と同じような仕事だし」


そんなこと一言も言ってなかったのに・・・・


「まゆ、、、仕事辞めない?辛いみたいだしさ。今の俺の給料で

 やっていけると思うんだ・・・ 家でのんびりしたらいいじゃん。

 しばらくは二人で楽しくさ・・・」


「辛いけど、やっと仕事の楽しさわかってきたのに・・・

 そんなにすぐには辞めたくないな・・・」


それは本当だった。


「仕事、仕事ってさ・・・ 今のとこに移ってからちょっと変わったよな」



なんとも言えない間が流れた・・・・

それと同時にものすごく不安になった。


「だって・・・いきなりそんなこと言われても・・・・

 あたしがこっちに来るのって、この辺の人と付き合って

 同棲しようっていうのと訳が違うじゃない。

 誰も知らない土地で、カオルしかいなくて・・・・

 仕事もやっと覚えてきたのに、すぐに辞めるとかできないよ・・・」


「そんなに仕事って大事?俺とどっちが大事?」ちょっと怒ったように言われた。


「そんなの比べる次元が違うよ・・・・どっちも大切だもん・・・」


「俺のこと本当に好きなら、選べると思うよ」


お互い黙ったまま時間が過ぎていった。

カオルがベットから起きて下に行った。

そのまま一人でベットの中でまだ考えていた。


しばらくしても戻ってこないカオルに階段を降りて見に行くと

一人でポツンとソファーに座ってビールを飲んでいた。

その姿がとても小さく見えた。


「ごめん。まだちゃんと答えられなくて・・・」

そう言って隣に座った。


「ん。俺もごめん。俺ばっかりの都合言っちゃったな・・・」


「ううん・・・」



「最近さ、仕事に追われて毎日が過ぎるって感じでさ・・・

 たまにまゆと逢って、その時だけちょっと現実から離れられるっていうか、

 そんな感じになってたんだよな。

 だから、いつも側にいてくれたらいいな・・・て。

 でも最近まゆも忙しいだろ?最初の頃の感じとかと

 少し違ってきてると思ってた。ネットもしないだろ?全然・・・」


「それは、、そうだね。毎日忙しく時間が過ぎてるし、健吾がいるってのも

 やっぱり引っかかるの。ヤリずらいって言うか・・・

 あんなに最初は楽しかったのに、別に今じゃしなくていいかなとか・・・」


「まゆも離れるの嫌だって言ってたじゃん。一緒にいればそんなこと無いし」


きっとカオルはまだ軽く考えていると思った。

こっちに来て一緒に住むということは、もっとすごく大きなことだし。

二人で「一緒に住んじゃう?」と軽く冗談めいてふざけて言っていた

時とはちょっと違う。


カオルの後ろにある家族の存在を目の当たりにして、

どんどん周りから固められているような気がして不安が大きくなった。

けど、きっとこのままカオルと付き合っていけば、そう遠くないうちに

こっちに来なければならないだろうなぁ・・・


けど、それでいいのかなぁ・・・

あたし後悔とかしないのかな・・・


次々といろんな問題ばかりが出てきて頭が痛くなった。

自分がどうしたいのか分からなくなった。


「すぐにはやっぱり答えはでないな・・・・今日はもう寝よう?」


カオルの手を掴んで二階にあがった。

早く言えばこの話題から少し逃げたかった。


ベットに入って二人とも黙っていた。

いままで考えていなかった現実が目の前にあって、ふざけてばかりいた

日々が嘘のように感じた。


「このまま・・・まゆが戻ってしまったら、ちゃんと次に逢う時普通に逢えるかな?」

カオルがポツリと言った。


「逢えると・・・思う。ただちょっと今はなにも考えられ無いだけ」


「そっか・・・・ なんだろな。この重たい空気?」


「わかんない・・・ たぶんお母さんの怒った顔のせい」そう言って笑った。


その言葉を聞いてカオルも一緒になって笑った。


「まじでキツイよな・・・ きっと兄さんが思ってもいなかった婿入りなんかしたから、

 俺まで北海道にでも行くと思ったのなぁ・・・

 初めて会ってあんなに喧嘩ごしじゃなくてもいいのにな」


「あたし殴られると思った・・・」クスクスと笑いながら、お母さんの話をした。


二人で笑いながらも・・・どこか重たい空気はすぐには消えなかった。

現実が大きすぎて・・・

最後の夜だと言うのに、お互いなにも言わずにそのまま眠った。

そんなことは始めてだった。


いつも逢えばどちらからとも無く自然と体を合わせることが当たり前のように

あたし達はいつもそうしていた。

現実は厳しいのかな・・・そう思った。


次の日、朝目覚ましをかけカオルが寝ている間に朝食の用意をした。

最後の日くらいちゃんと彼女らしいことをしてあげたかった。


なかなか起きないカオルを起こしに二階にあがり、

「もう起きてくれないとご飯冷めちゃうな〜」と耳元で大きな声で言った。


「もう帰る日かぁ・・・ちょっと早くない?」と言ってそのまま布団の中に

あたしを引っ張り込んだ。


「ごめんね。文句は健吾に言って。早く帰るのはアイツのせいだから」


「あ〜ぁ・・・今度はいつ逢えるんだろなぁ・・・」

そう言いながら少し伸びたヒゲを頬にくっつけて動かした。


(痛い〜)と言いながら、二人でふざけあっていた・・・・

こんな風に生活できることだけを考えていたんだろうな・・・



「まゆ。将来のこと真剣に考えてみない?その、結婚はすぐにじゃなくて

 とりあえず側に来て、一緒に住んでみようよ」

「う〜ん・・・・朝から頭が回らないなぁ・・・」と笑って誤魔化した。


正直、もうその話はしばらく聞きたくなかった。

もっと結婚という言葉を聞く時は素直に嬉しそうに

「はい」と返事をするものだと昔から思っていた。

でも、今の状況から言って素直に「はい」とは言えなかった。


「真面目に言ってるのに、そんな返事あるかよ?」


そう言ってまたヒゲをくっ付けた。


なんて言っていいかわからなかった。

きっとカオルの実家に行かずにその言葉を先に言われたら、

もしかして「うん」と言ったかもしれない。

けど、ここでいま素直に返事をすることができなかった。


「さ、ご飯冷めちゃうって言ったじゃない。早く起きて」

無理に笑顔を作り手を引っ張ってカオルをベットから起こした。



ご飯を食べるカオルを見ながら、なんとも言えない気分になっていた。

離れる寂しさとは違う、モヤモヤとした気持ちになった。


普通、そんなことを言われたら嬉しくてたまらないのかもしれないのに、

(わ!言われちゃったよ!まいったな〜)と言ったほうがいい気持ちの自分に

申し訳なくなった。


憧れていた結婚ということは、歳を重ねて現実味がましてくると

こうも生々しいものなんだと思った。

後片付けをして二階に荷物の整理をしに行った。


一緒に二階に来てその姿を黙ってカオルは見ていた。

視線がちょっと痛かった。


「返事は急がないよ。今はすぐには返事できないんだろ?

 でも、俺はちゃんと真面目に考えてるから」


「うん・・・」


「家のこと言わなかったのは、その、、なんていうか言えなかったんだ・・・

 普通嫌がるだろ?いま時同居なんて。でも、独り暮らしの時点で

 それが約束っていうか・・・」


「それってさ、、、絶対なのかな?」


「だからすぐじゃないよ。もしこっちに来たら、しばらくはここでいいし

 あー見えて、母さん病弱でさ。だから誰か側にいないと・・・」


その<しばらく>ってどれくらいなんだろう・・・

聞きたいような、聞くとそこから抜けられなくなるような、そんな気分で

「うん・・・」と言った。


「あまり深く考えないで」そう言って黙ってこっちを見ていた。


「さすがにこれは深く考えるでしょ・・・」

そう言ってトランクを持ち上げた。


「だから〜こっちに来てすぐ結婚とは言わないから。しばらく気楽にしよ?

 で、その後のことはまた考えよう?仕事もそんなに真剣になるなよ。

 もっとさぁ・・・こう・・・一緒にいること楽しもう?」


「でも・・・気楽に「じゃ!一緒に住んでみようかな〜」なんて言える

 距離じゃないよ。やっぱり覚悟が必要だもん・・・

 勢いで動いて失敗したくないの。戸籍に傷はつけたくないじゃん?」

そう言って無理に笑った。


「傷はつけないよ。大丈夫だから」額にキスをしながら言った。


少しだけ笑って頷いた。けどそんな保障がどこにも無いのに、

軽く言うカオルのことを内心信じていいのか、また不安になった。


空港に向う車の中、やっとこの重い空気から逃げられると思った。

しばらくこの話はしないで、前のように楽しいことだけ考えたかった。

カオルのことは好きだけど、全部を背負う勇気がまだ自分には無い。


「今日はこれから仕事するの?」

帰省ラッシュの人混みで手を繋ぎながらカオルが聞いた。


「うん。一度会社に行かないとね。メールきてると思うし。

 でも健吾の担当なんだよ?あったまくるよね」


「次に逢う時まで、いま以上に痩せてたら速攻仕事辞めさせるからな?」

そう言ってカオルが怒ったふりをした。


「ん。頑張る。仕事も食べることも」


「0.1グラムでも辞めてもらうからな」そう言って笑った。


「逆に10キロくらい太ってくるよ」と言うと「それはちょっと・・・」と言って

苦笑いした。


時間になり、

「じゃ、また近いうちに仕事でこっちに来ることあるみたいだから。

 連絡するね。それまで元気でね」


「うん。後、たまにネットしてよ。画面の中にいてくれるだけで

ちょっと安心するから」そう言って人の目を気にせず抱きしめた。


「わかった。これからそうする」そう言って背中にまわした手に

おもいきり力を入れてギュッと抱きしめた。

そのままイイ雰囲気で抱き合ってることが恥ずかしくて悪戯をした。


「うっ・・・」と言ってカオルが笑って離れた。


「じゃーね」「うん。またな」そう言って手を振って別れた。

ほんの少しだけ寂しい気持ちになったけど、いつもとは違った。


席に座ってからため息をついて目を閉じた。

今年は本当に良い年になるのかなぁ・・・・


おみくじの運勢を思い出しながら、ぼんやりそんなことを考えた。

カオルのことは好きだけど・・・将来あのお母さんと一緒に暮らすのかぁ・・

おまけに体が弱いって、寝たきりとかになるのかなぁ・・・

そうなったら、あたしが全部しなきゃらないのかなぁ・・・

カオルのことより、あのお母さんの顔が浮んだ。



北海道に戻ると駐車場の車に笑ってしまうほど雪が積もっていた。

スノーブラシで屋根の雪を降ろしながら、

(同じ日本かよぉ・・・・)と呟きながら冷えた体で車に乗った

ヒーターが暖まる間、到着を知らせるメールをカオルに送った。


アイスバーンになった道路を慎重に運転しながら会社に向った。

数人の人がもうデスクにいて、

何人かの人に「あけましておめでとうございます」と挨拶をし、

健吾のパソコンをオンにしてメールを確認した。


やっと自分の居場所に戻ったようで、妙にホッとした。


何件かの如何わしいスパムメールを見て、

(あいつ・・・仕事中にどこ見てんだ?)と思いながら、

仕事のメールを開きプリンターで印刷をした。


明日の打ち合わせに必要な書類を用意し、少しだけ年明け用の仕事に手をつけ、

切りの良い所でコーヒーを取りにいった。


そこに同じ商品課の中山さんと顔を合わせた。


「あれ?もう仕事?まだ2日あるじゃん?」と言いながら珈琲を

注いでくれた。


「あ・・松永さんのとこの仕事があって。松永さん用事があるので

 あたしが変わりに明日行くんです。その資料取りに・・・」

そう言いながら紙コップを受け取った。


「そういや、さっき向田もいたなぁ?あいつも仕事人間だな〜」

砂糖を入れながら中山さんが独り言のように呟いた。


「そうなんですかぁ・・・」ドキッとしながら平然な顔をして笑った。


「そうだ!向田の携帯見たよ〜 なに?どんな関係なのさ?」

横目でニヤリとして言われた。


「出張の時、ゲーセン行っただけですよ。なにもないですって」

そう言って足早にその場所を離れた。

すっかり向田さんのことを忘れていた。

初日こそ、頭の中にあったけどあの一件でスッカリ消えていた。


席に戻り、だいたい目途がついた所で手を止めた。

下手したら明日も打ち合わせの後に仕事をしてしまいそうだった。

スッカリ仕事中毒だな・・・。覚え始めは何事もハマる性格らしい。


「さ。もう帰ろうっと・・・ せっかくの休みだし大掃除もしてないや・・・」

明日の資料を封筒に入れて、エレベーターに向った。

まだ正月休みでフロアはシーンとしていた。

「2」・「3」・「4」とボタンの電気が動き「5」に止まって扉が開いた。

中には難しそうな顔をして書類を見ている向田さんがいた。


「あ・・・・」


「あ・・・おかえり。 でもなんで会社に?」


「あ。明日の書類を取りに・・・」


「そうなんだ?明日何時まで?」


「たぶん午前中で終わります」


「そうかぁ・・・ じゃあ俺も明日と明後日は休もうかなぁ・・・

 終わったらうちに来てよ。あけましておめでと。じゃ、お疲れ〜」


そう言ってニコニコして去っていった。


手を振ったままのかたちで手が止まり、その場に黙って立っていた。

どうして向田さんに言われると、何も言えなくなってしまうんだろう。

エレベーターの扉が閉まり、電気は「5」のままで止まっていた。



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