バックアップ
出張も2日目以降は終わるのが遅く、ほとんど毎日が11時を過ぎていた。
「これが終盤になればなるほど、遅くなるんだぞ?ありえねーよなぁ〜」
健吾がブツブツ言いながら、ダルそうな顔をして商品展示をしていた。
「そうなんだぁ・・・・ さすが地獄の長期出張ってだけあるね。でも結構楽しいよ?」
「なにが楽しいんだか・・・ 早く帰りてぇよ・・・俺は」
正直、毎日キツかったけれど楽しかったのは本当だった。
昔からディスプレイも好きだったので、どんどん商品が並び店らしくなる姿は
一日、一日嬉しくなった。
「お前さ・・・ 向田さんとなにかあった?」
プライスのシールを確認しながら聞く健吾に一瞬ドキッとした。
「え?・・・なにかってなにが?何も無いよ。ある訳無いじゃない・・・」
「嘘つくと慌てるんだよなぁ・・・ なんか目泳ぐし・・・」
「泳いでないよ!なにも無いんだもん。本当に!」
どうしてうちの親はもっと嘘をついても平然とする子供を産んでくれなかったんだろう・・
そんなことを一瞬思った。
「ふ〜ん・・・・ まぁ、、俺と付き合う前から憧れてた人だもんなぁ〜
でも歳いくつ違う?向田さんて36歳だっけ?・・・・12歳も上じゃん!」
「11歳です。あたし25歳になったし」
「あ。そっか。でも離れすぎてない?」
「そう?でも見えないじゃない。向田さんて見た目若いし」
そう言って相変わらず目を泳がせながら仕事を続けた。
「まぁ・・・確かに若くは見えるけど、それでも30代前半てとこかなぁ〜
だいたい30歳過ぎて結婚の噂も無いなんて絶対どこか問題あるって!
悪いこと言わないからカオルにバレる前にあんまりハマるなよ」
そう言って仕事の手を止めこっちを見た。
「しつこい!だからなにも無いってばー!」
そう言って逃げるように健吾の側から離れた。
広い店内では向田さんと日中顔を合わせることはあまり無かった。
担当の場所が一番離れていたので、遠くに姿は見えるが話をすることはほとんど無い。
遠くで仕事をしている向田さんの背中が見えた。
(う〜ん・・・・・・)自分の不器用さが身にしみて感じた。
本当の所は気持ちがかなり揺れていた。
優しくされれば、されるほど向田さんのことが気になっていた。
けれど、カオルのことを考えるとものすごく反省した。
もしも今、自分と同じことをカオルが影でしていると思うと・・・
複雑な気持ちになった。
(カオルが嫌がることは絶対しないって言ったのに・・・・)
そう頭で思うのに、向田さんを見ると心が騒いだ。
その日、会社の常務が仕事の進み具合を見に北海道から来ることになっていたこともあり、
仕事は8時で切り上げられた。
みんなで常務と一緒に食事に行き、ちょっと緊張した食事会になった。
だいたい多くの人は普通食事が終わると、ちょっとだけ飲みに行ったりしたが、
さすがに常務がいるとなると、その日はみんなその場で解散になった。
ホテルに向ってワイワイと歩いていると、向田さんが隣を歩き、
「今日は早く終わったね。どこか遊びに行く?この前の続きで」
顔を正面に向けたまま声をかけてきた。
「あー・・・・」
返事をする前に健吾が割り込んできた。
「どこか行くんですか?俺もいいです?」
「あぁ。いいよ。マツどこか行きたい所ある?」ニコニコと向田さんは健吾に言った。
「そうですねぇ・・・ どこ行きたい?」
あたしのほうを見た健吾の顔はしっかりと怒っていた。
「じゃあマツもいることだし、軽く飲みに行こうか?」
少し離れた後ろで健吾が
「お前なぁ・・・・ しっかりしろよ?」そう言って向田さんに並び歩いた。
静かなバーに入り、向田さんと健吾はウイスキーを頼んでいた。
メニューを見ていたあたしに向田さんが
「まゆちゃんはこれでいいんじゃない?」とこの前飲んだ軽めのカクテルを指差した。
一瞬この前のことが健吾にバレると思いドキッとした。
健吾の視線に向田さんが気がつき、
「この前の焼き肉の後に、ちょっとだけカクテルの店に行ったんだよ。
そこでまゆちゃんがこれ飲んで美味しいって言ってたからさ」
別に隠す様子も無く向田さんが健吾に言った。
「へぇ〜」健吾はそう言って二人の顔をチラチラ見た。
しばらく仕事の話をしながら会話が進んだ。
1時間も過ぎた頃、カクテルが無くなり、これ以上飲むと明日、
頭が痛くなると困ると思いオレンジジュースを頼んだ。
その姿を見て、
「それが正解だね」と向田さんが笑った。
その二人の会話を聞きながら健吾が
「向田さん。もしかしてまゆのこと好きなんですか?」といきなり言った。
「ちょっと、、なに言い出すの!」なにげに慌てた。
「え?どうして」普通の顔をして向田さんが健吾に聞いた。
「なんか最近、ずーとまゆに優しくしてるじゃないですか?
コイツ昔から向田さんのこと憧れていたから、そんなに優しくしたら勘違いしますよ?
そんな気ないなら、誘ったりしないほうがコイツの為だと思いますけど?」
そう真面目な顔をして言った。
「勘違い?」
そう言って健吾を見た。
「歳だってかなり離れてるし、どーせそんな気無いんでしょ?向田さんは」
「歳ねぇ・・・ 俺は全然気にしないけど?」
その答えに嬉しいような、困ったような気分になった。
「気にしないって・・・」ちょっと呆れた顔をして向田さんに健吾が言った。
「この前、まゆちゃんが「30歳過ぎてどんどん素敵になる」って言ってくれたしな〜
ね?まゆちゃん」
そう言ってこっちを見てニッコリした。
その笑顔に素直に「はい」と言いたかったが、健吾の視線が痛くてただ笑顔でかえした。
「じゃぁ・・・そんな気あるとか?」健吾が聞いた。
その答えをあたしも少しだけ聞きたかった。
「そうだなぁ〜無いなら誘わないだろうな」
「向田さ〜ん。なに言ってんですか?こいつ彼氏いるのに」健吾が呆れた顔で
ちょっと笑いながら(嘘でしょ?)という顔をして向田さんを見た。
あたしはというと・・・・
たぶん・・・確実に・・・顔がニヤけていたと思う・・・・
「でも遠くにいるんでしょ?遠距離が壊れる時はほとんど近くに好きな
人ができて・・ってのが定番じゃないのかな?」
「定番て・・・・ 今、向田さんやってることはどうかと思いますよ」
「そうかぁ?別に問題ないんじゃないかぁ?大人同士だもん」
そう言って健吾の言うことを軽く流した。
重い空気の中、なんて言っていいのかわからず
ただオレンジジュースをちびちびと飲んでいた。
「そろそろ行こうか。明日もハードだぞ!」そう言って向田さんは
レシートを持って精算をしようとレジに歩いていった。
健吾はそんな向田さんの態度が気に入らなかったのか、レジにいる向田さんの
上着にお金をねじ入れ、先に外に出ていった。
ホテルに帰るまでの間、隣で歩く向田さんを横目で見ながら黙って歩いた。
向田さんは普通の顔をして歩いていた。
「マツは若いなぁ〜 なんか勢いがあるよな〜」前を向いたまま向田さんが言った。
「向田さんは勢いが無いんですか?」そう言って少し笑った。
「無い訳じゃないけどなぁ〜 でも俺ってきっと格好つけるんだと思うんだよね。
がむしゃらに女の人を追って振られるのが怖いんだよ。きっと」
「それはあたしも怖いですよ・・・・
でもやっぱり健吾が言ったように、あたしちょっと勘違いしちゃいそうです。
入社以来、憧れてましたから・・・ そんな人に急に優しくされると
やっぱり期待しちゃいます・・・」
それだけ言って、それ以上なにも言えずに黙った歩いた。
「そうかぁ・・・ そんなに昔から憧れていてくれていたんだ。
ごめんね。俺、鈍感で・・・」
「いいえ。でもただ見ていただけなんで、気がつく訳ないです。
声もかけられないくらいの人だと思っていたんで・・・」
「だって10歳以上も下の子が俺のこと好きだなんて普通思わないでしょ」
そんなことを話しているうちにホテルに着いた。
部屋の前で
「じゃ、おやすみなさい」と言うと
「おやすみ。また明日ね。後、さっき言ったのは本当だよ。期待してくれても
全然問題ないから」
そう笑顔で言って向田さんはドアを閉めた。
余裕のある言い方に大人の男だと感じた。
あたし次第で自分が動くよ?といわれているようで、どうしていいか分らなくなった。
喜んでいる自分と、動揺している自分がいた。
カオルのことを考えた・・・
胸がギュッと痛んだ・・・・
こんな時にカオルに電話をするのは申し訳無いと思ったけれど、
ちょっとでも声を聞いておかないと、カオルが頭から消えてしまいそうになった。
呼び出し音の向こうのカオルに「ごめんね」と思いながら電話にでてくれるのを待った。
「おぅ。どうした〜?さっきまで健吾と一緒だったんだって?」
いきなりそんなことを言われて驚いた。
「え!なんで知ってるの?電話きたの」
「まゆもやればいいのに、健吾今チャットしてるよ」
「えぇー?今ぁ?ホテルのパソコンルームからしてるんだ・・・」
「夜は暇らしいね。健吾毎日してるみたいだよ」
「疲れてそんな気力無いなぁ・・・あたしは」
そう言って弱く笑った。
久しぶりに聞いたカオルの声に後ろめたい気持ちと嬉しい気持ちが交差した。
「向田さんて人も行ったんだって?」
カオルの口から「向田」という言葉を聞いて、ドキッとした。
「あ・・うん・・・ 3人でね。少しだけ飲んだ」
「健吾がさ、向田さんに気をつけろって言ってたよ。なに?
憧れの人と一緒の出張で嬉しい?」そう悪戯っぽく言うカオルに
「何も無いよ!本当に!」と慌てて言った。
「別にそんなこと思ってないけど・・・なんで慌てるの?」
「あ・・・いや。別に・・・・」自分から墓穴を掘ったような気分になった。
「声なんか疲れてるな。元気無いぞ?」
「ううん。そんなことないよ。チャットの途中でごめんね。じゃ、また電話する」
「あんまり無理すんなよ。じゃ、正月待ってるから・・・。」
そう言ってカオルは電話を切った。
(待ってるから・・・)その声だけが頭に残った。
部屋を出てフロントに行き、パソコンルームの場所を聞き行ってみた。
そこを覗くと健吾のほかには誰もいなかった。
「疲れてないの?そんなに毎晩」そう言って隣に座った。
「向田さんは?」こっちを見ないで画面を見たまま健吾が行った。
「部屋じゃない?さっき別れたけど」
「その後、何食わぬ顔でカオルに電話か。お前もやるよな」
呆れたような、少し馬鹿にしたような顔をして画面を見ていた。
カオルが画面上であたしから電話がきたと教えたんだと思った。
「健吾はわからないんだよ・・・あたしがどれだけ向田さんに憧れていたか・・・
その人に声かけられたらちょっとくらいは気持ちも動くじゃない・・・」
そう言いながら、どうしていいかわからず泣きそうになった。
その顔を見て、
「どうすんのよ?」と画面から顔をはずした。
何も言わずに黙っていた。
「さっきの向田さんの言い方ヤバいぞ?
お前、カオルとあっさり別れることできるのかよ?」
「ズルいよね・・・向田さんにもいい顔して、カオルにもいい顔して・・・」
「まぁな・・・」そう言って健吾はまた黙って画面を見ていた。
しばらくお互い何も言わずに黙っていた。
たまに健吾はチョコチョコとキーボードを打ちなにかしら返事をしていた。
「向田さんとまゆかぁ・・・・ 全然考えていなかった組み合わせだよなぁ・・・」
健吾がポツリと言った。
相変わらず何も答えることをしないで、ただカオルと向田さんのことを考えていた。
「俺・・・あの人ってホモだと思ってた」
真面目な顔をして言う健吾に思わず重い空気を忘れて吹きだした。
「いやだってさ・・・ まぁルックスは確かに良いとは思うけどさ、もう36歳じゃん。
普通、いい男は結婚してると思うんだよなぁ・・・別に思い当たることも無いけどさ。
女の噂も聞かないし、そこんとこ聞いた?「なにか問題あるんですか?」って?」
「聞ける訳ないじゃん・・・」まだ少し笑いながら答えた。
「けど、今の仕事なら仕方無いかぁ・・・ 出会い無いもんなぁ・・・
向田さん商品課長いし・・・ 」そう言いながら健吾もなにか考えていた。
「なんかさぁ・・・ 調子狂っちゃうよね・・ あーも大人の雰囲気でこられると・・」
「どう、こられて言ってんの?」
「あくまであたしが部屋に行くなら入れるけど、自分からは来ないとこに
なんとなく大人って感じがする・・・・焦ってないっていうか・・・余裕っていうか」
「まぁ、、そこが11歳の差なんじゃないの?」そう言って笑った。
「でも・・・・やっぱりカオルのこと裏切ることはできないな・・・・」
ちょっと裏切ってしまったくせに、やっぱりそう思った。
「表向きはそうだけど・・・ でも実際さ、距離とかってどう思ってる?
今のままなら、毎日顔を合わず向田さんが有利だなって俺も思うぞ」
「さっきの向田さんの言ったことって、、、かなり正論だよね・・・・」
(遠距離が壊れる時は側に好きな人ができた時じゃない?)
やっぱりいつも好きな人にはすぐ側にいて欲しいと思うのがきっと
普通で、当たり前のことなんだと思う。
「一番痛いとこ突いてくるよなぁ〜」
「でもまぁ・・・・今はただ一緒に遊びにいったりするから妙に気になるだけで、
またむこうに戻れば、向田さんは忙しいしあたしなんか相手にしてる暇なんて無いよ。
お正月にカオルに逢えばそんなことも忘れるよ。大丈夫!」
そう言って笑った。
「だから・・・お前の大丈夫は大丈夫じゃないって言ったろ?
本当はすっげぇ悩んでるくせに〜」
「大丈夫だってば!あたしさえ変な行動しなきゃ向田さんだって
なにもする訳ないし。ちょっと疲れてるから気まぐれじゃない?
ほら、旅の恥はかき捨てって言うし?ちょっと・・・違うか・・・」
「全然違うと思うけど・・・」
「まぁ、いいや。じゃ、あたしもう寝るね。健吾も早く寝たほうがいいよ。
それじゃね〜」そう言って席を立ち部屋を出た。
部屋の鍵を開けながら、なんとなく後ろのドアが気になった。
(ダメだ!惑わされちゃ!)そう思いながら部屋に入り鍵を閉めた。
明日の用意をしながら、なにげなく手帳を見た。
裏に貼ってあるプリクラを見て、やっぱり気持ちがザワついた。
このままお正月にカオルにスッキリとした気持ちで逢うことなんか
できないのではと思った。
もっと器用になれれば楽なのに・・・・
カオルに逢っている時はカオルのこと、仕事の時は向田さんのこと。
そう気持ちの切り替えが簡単にスイッチのようにできればいいのに・・・
時計を見るともう1時だった。
明日もきっと遅くなるだろう・・・
そう考えてベットに入った。すぐ数メートル先に気になる人が寝ていると
いうことを考えながら。
...............
「オープニングまで残り5日だから、あと3日の間に形を作って、
残りの2日は手直しにする予定だから。あと5日!気合入れてな!」
バイヤーの中心でもある中山さんの朝礼が終わり、各自持ち場に散った。
あくびをしながら健吾が眠そうな顔をしていた。
「だから言ったじゃない。何時までしてたの?」
「3時くらいかなぁ」涙を拭きながら健吾が答えた。
「あー。昨日は土曜日かぁ・・・ 誰がいたの?そんな遅くまで」
「ヤスとカオルと俺。ヒデはラビの家にいたけど、そこそこで落ちた」
「ふーん・・・・」
「向田さんの話してた。みんなで・・・」
その言葉に慌てて健吾の顔を見た。
「どんな話?なに話してたの?」自然と早口になった。
「ん?いや、カオルが向田さんのこと聞いてたから、ちょっとそんな話になった。
歳とか、どんな感じ?とか、まゆと仲いいの?とか・・・・
でも、俺のホモ説みんな納得してたぞ?男が言うんだからやっぱりそうかもよ?」
「またその話?ばっかじゃないの」
「でも聞いてみろって。だって変だと思わないか?」
体を乗り出してニヤつきながら健吾が言った。
「おーもーわーなーい!早く仕事しなよ!もうその話はいいから!」
「そうかなぁ・・・ 」首をかしげて仕事に戻っていった。
(もしそうなら・・・ さすがにキツイなぁ・・・)そう思いながら、
手を動かした。
ちょうどタイミング良く、荷物を持ちながら向田さんが隣を通っていった。
「あと3日でなんとかなりそう?」
「そうですね。あたしの所は明日にはなんとかなると思います。
ただ・・・健吾のとこがきっとダメですね。
だから手伝って3日ってとこじゃないかと。ギリギリですね」
「なんとかなりそうだね。俺のとこもいい感じだよ。後から見に来るといいよ。
じゃーね」そう言っていつものニコニコ顔で去っていった。
昨日のドアでの言葉を引きずることない態度に、さすがだなぁ・・と思った。
それから5日間、ほぼ徹夜のような状態で時間は過ぎ、
やっとのことで無事オープニングの日をむかえ、商品課としての仕事はほとんど終わった。
それと同時に、この長かった出張が終わることに寂しい気持ちがあった。
健吾は大喜びをしていたが、あたしは心底喜ぶことができなかった。
せっかく毎日、向田さんの近くにいられたのに、また元の遠い存在に
なってしまうことが残念だった。
きっと戻ってしまえば書類の山の中の頭しか見られないと思うと、
まだ帰りたくない気分になった。
そうもいかないよなぁ・・・・・ そう思いながらホテルに戻った。
残り1日。明日は昼まで店に顔を出しその後北海道に戻ることになっていた。
その日、商品課の仕事は6時までで、早めにホテルに戻った。
それでも自分から向田さんの部屋のドアをノックすることはできなかった。
ギリギリのとこでやはりカオルの存在があった。
(良い夢を見たと思って諦めよう・・・)
そう思いながら、翌日の帰る支度をした。
コンコン・・・
ドアのノックの音に手を止め鍵を開けた。
「もう明日の支度は終わった?」そう言って向田さんが立っていた。
一瞬だけ息が止まった。
「あ・・・はいっ!もうほとんど終わりました」
「そう。じゃあちょっと出ようか?出張も明日で終わりだし。
最終日の夜くらい遊びに行こうよ」
断るべきだと思った。
けど、口から出た言葉は「はい」だった。
ホテルを出て、歩く向田さんの横を黙って着いていった。
「じゃあ今日はどこに行こうか?クリスマスだしね。
やっぱりまゆちゃんくらの子はイベント好きでしょ?
仕事のイブなんて昨日は残念だったね」
「でも、仕事ですから。自分で希望したのもあったし。覚悟してたんで
それは問題無いです。全然クリスマスって感じしなかったし」
テレビと街でかかるクリスマスソングにかろうじてクリスマスなんだと知る程度で
毎日忙しくそんなことは、さほど気にならなかった。
「あと4時間はクリスマス圏内だね。もうイブにしかみんな騒がないけど、
基本的には今日なのにねぇ・・・ いつからこうなったんだろう?」
ブツブツと言いながら向田さんは歩いていた。
「ちょっとここ寄っていこうか?」
そう言って店の中に入っていった向田さんを見ながら、店の外観を見ると
ジュエリーショップだった。
店内にはほんの少しだが何組かのカップルがアクセサリーを見ていた。
向田さんもショーケースを軽く眺め、店員に「これいい?」と言って手にとった。
「まゆちゃん。ちょっと」
そう呼ばれて側に歩いていった。
スッと首に小さなトップのついたネックレスをかけた。
それを少し下がりながら見て、「ちょっと違うなぁ・・・」と言い、
また違うネックレスをかけた。
「あの・・・向田さん?これ・・・」そう言いかけると、
「ん?まぁいいから。ちょっと待って」と探すのに真剣になっていた。
3つ目に首にかけたのを見て
「ん。これだな。これください」そう言ってまた首から外し店員に渡した。
「あの・・・・向田さん・・・・」
「俺、結構センスいいでしょ?昔からアクセサリーだけは自信あるんだよ」
そう言って小さな紙袋に入ったネックレスを「はい」と渡してくれた。
「あ。困ります。って・・・いままでボーとしてたのに言うのはなんですが、
こんなことしてもらう理由ないし。それに、、」
(それに・・・・ そんな向田さんのことを想いだすような物渡さないでください)
そう思ったけど、口には出せなかった。
「いいから受け取ってよ。クリスマスのプレゼントなんだから」
「でも・・あたしなにも用意してないし」
「今日付き合ってくれたでしょ?それで十分だよ。じゃ、軽くどこか入ろうか」
そう言って歩き出した。
早足で追いつき、
「でも、それだけの理由でこんな高価な物受け取れません」
チラッと見た値段は気安く貰うにはありえない値段だった。
「結構、まゆちゃんて頑固だねぇ。俺が持っててもどうにもならないでしょ?
それ、毎日つけてね。その為に仕事でもつけてられるようなシンプルなのに
したんだから。似合ってたよ」
「でも・・・・・」言葉が出てこなかった。
そのまま向田さんの横に並び歩きながら、一生懸命言葉を考えた。
「あ。ここいいんじゃない?」
そう言って一件の洒落た感じの店を指差し、中に入っていった。
席につき、メニューを見てワインと数点のオードブルを頼んだ。
店の人との話具合でワインにも詳しいんだなと思うくらいスラスラと
スマートにオーダーをする向田さんを黙ってみていた。
赤ワインをグラスにつぎ
「じゃ、乾杯」とグラスを差し出され、慌てて自分のグラスを前に出した。
一口飲むと甘く飲みやすいワインに気を使ってくれたんだと感じた。
「飲みやすいでしょ?これなら大丈夫だと思うんだ」そう言って笑った。
心の中で(言わなきゃ・・・言わなきゃ・・・)と何度も繰り返した。
「あの、、向田さん!」
ここで言わないと、きっともう言うチャンスは無い!
そう心に決めた。
「ん?なに?」相変わらずのニッコリした顔で聞かれた。
「あの、やっぱりダメなんです。あたし不器用なんです。向田さんに優しくされて、
たしかに有頂天になってたけど、彼のこと裏切ってるような気がして・・・
もうこんな風に誘ったりしないでください。
こんなの向田さんにも失礼だし、彼氏にも顔合わせられないです。
ごめんなさい!」
そう言って勢いよく頭を下げた。
ゴツッ・・・
鈍い音がした。
勢いあまってテーブルに頭をぶつけた。
「プッ・・・」
向田さんが吹きだして笑った声が前から聞こえた・・・・
あまりの格好悪さにすぐに顔をあげることができなかった。
オデコに手をやりながら顔をあげると、向田さんは笑いをこらえながら
こっちを見ていた。
「本当に面白いよね・・・まゆちゃん」
そう言って堪えていた笑いをなんとか我慢していた。
「すいません・・・・」
顔が真っ赤になっていると感じた。
「きっと悩んでたりするのかなって思ってたよ」
口元がまだ少しだけ笑いながら自分のグラスにワインを注いだ。
「そんな子なんだろうなって。そうじゃなきゃ、もっと簡単に落ちてると思ってた。
だから、俺もちょっと本気になってみようかなってさ」
「いや、だから・・・ そうなられてしまうと、困るんです」
「すぐじゃなくていいよ・・・ 俺のことはバックアップと思ってくれれば」
言ってる意味がよくわからなかった。
「バックアップってなんですか?」
その言葉にまたクスクス笑いながら、
「彼氏と別れたら、俺のとこにおいで」
そう言っていつのもニッコリした顔をした。
「そんなことダメです!」
「前に言ったでしょ?俺は平和主義だからって。無理矢理別れさせることは
しないよ。まゆちゃんが彼氏ともうダメだって思ったら・・・
そう思った時に、俺の所にくればいい。ね、簡単なことでしょ?」
(ね?)って・・・・。
そんなウマい話ありえない・・・・
「どうしてですか?そんなこと言われたら、今以上に向田さんのこと気になります。
そんな言い方しないでください。「じゃあもう誘わない」くらい言ってください」
「いや?帰っても誘うよ。けどあくまでプラトニックにね。ハッキリとするまでは」
「そんなぁ・・・」情けない声でそう言った。
「え?プラトニックじゃないほうがご希望?」
「いや、そうじゃなくて・・・ あたし上手く断る自信無いです。
言ったじゃないですか、ずっとと憧れていたって・・・その人の誘いを平然と
断ることができるなら、、こんなに悩みません」
「あー。そっちのほうか」人の話の肝心な部分をスルーして笑った。
「まぁ、とりあえず少し飲みなよ。さっきから死にそうな顔してるよ?
もっと気楽に。」そう言ってグラスを指差した。
眉間にしわを寄せながら言われた通りにワインを飲んだ。
味もなにも分らなかった。せっかくものすごい決心をして諦めようとしたのに、
こんなこと言われてしまい、もっと迷ってしまった。
「ちょっと聞いてもいいですか?」少し落ち着いてから言った。
「いいですよ?なーんでも」
「あの、向田さんてどうして結婚しないんですか?独身主義とか・・・」
「そんなことないよ〜。俺だってしたいよ。でもなかなかチャンスがねぇ〜
一度、結婚しようとしたことあったんだよ。えーと、30くらいかな?
でも、彼女が転勤してね。遠距離になっちゃったんだよ。
バリバリ仕事する人でね。相手も同じ歳だったんだけど・・・
まぁ、それでも1年くらいしたら結婚しようと思ってたら浮気されちゃった。
それも半年経たないうちに・・・」
そう言ってケロッとした顔をして笑った。
場がもたなくて、とりあえず一緒に笑ってみた。
もしかしたら失礼だったかもしれないけど・・・
「だから、俺は遠距離は壊れやすいと思ってるんだ。
俺と彼女、すごく上手くいってたし親もそう思ってた。友達だって・・・
離れる前は大泣きしていた彼女がアッサリと「好きな人ができた」って
言った時、脳みそが一気に半分くらい死んだような気がしたよ。
でも、なんとなく納得した。辛い時や疲れた時に側にいない恋人なんか
なんの意味も無いんだよ。まゆちゃんもそう思ったこと無い?」
「うーん・・・・一度相手のことが不安になった時、側にいてくれたら
すぐにでも仲直りできるのになって思ったことはありました」
「それはアッサリ克服できたんだ?」
「まぁ・・その時はそうですね。でも距離にはやっぱり考えるとこ
ありました。もっと近かったらなって・・・」
「でしょ?中には上手くいく人たちもいるけど、ほんの少しだと思うんだ。
今だってもし彼氏が近くにいたら、きっとまゆちゃんは
俺のことキチンと断ると思うよ?いくら昔から好きでいてくれたとしても」
見透かされてる・・・ きっと気持ちが揺れていることも向田さんには
すべてお見通しなんだ。
「けど、なんとか頑張ってるまゆちゃんに、すぐに別れろとは言えないでしょ?
頑張れるだけ頑張りなよ。それでもうダメだと思った時に俺がいると思えば、
気が楽になると思うよ?ちょっと歳が離れたバックアップだけど」
そう言って少し笑ったが、目は真っ直ぐこっちを見ていた。
このまま「はい。わかりました」と言っていいものか・・・・
考えたけど、答えがでなかった。
「けど・・・ もしかしたら向田さんだってすぐに好きな子できるかも
しれないじゃないですか。そんなの分りませんよ?」
「なかなかそうならないんだよねぇ・・・ 俺、あんまり自分から好きになること無いから。
第一仕事ばかりだし出会い無いし。だから、別に気にしないでいいよ。
安心しておいで。のんびり待ってるから」
何を言っても上手く丸めこまれてるような気がした。
「いや、、でも、、気にならないんですか?もし、、その、、あたしのことを
好きになってくれたとして、彼氏に逢ったりするのとか、別にいいんですか?」
「だってスタートラインがそうだもの。理想は彼氏がいない状態で、
商品課に移動してきてくれたら、きっともっと早くにそうなってたんじゃないかな?」
やっぱり何を言っても言い返せない。
どんなボールを投げても見事にキャッチされてしまって、隙が無いと思った。
「でも・・・どうしてあたしなんですか?」
一番聞きたかったことが口がから出た。
「うーん・・・ いつもマツと言い合ってるとこ見て、
面白い子だなって最初は思ってた。
けど一番はやっぱり何年も憧れてくれてたってことかなぁ・・・
そんなこと言われたこと無かったからさ。やっぱりドキッとしたよ。
嬉しかったしね。そんな風に見ててくれた子がいたなんて。
なんとなく最初に飲みに行った時のまゆちゃんの言い方が
「好きでした」じゃなくて「今、好きです」って感じがしたんだ。
相手も遠距離だし、これはまだ間に合うかなってさ。
昔からいい子だなって思ってたしね」
あんなにも憧れていた人が今、目の前でそんなことを言ってくれてるのを
夢じゃないかと思った。小さく足をつねったら、痛かった・・・
「でも、向田さんが思ってるほどあたしはそんなにいい子じゃないです。
実際彼氏のこと裏切ってるようなことしてるし、ほら、今だって」
「そうかなぁ?裏切るならもうとっくに俺の部屋に来てるでしょ。
何気に俺、毎日まゆちゃんのこと待ってたんだけどなぁ。結局、一回も来て
くれなかったけどね。毎回「いつでもおいで」ってしつこ〜く言ってたんだけどな」
「少し考えさせてください・・・」そう言って少しだけワインと飲んだ。
口では敵わないと思った。
カオルのことを言えば「そっか。わかったよ」と軽く言ってくれると思っていたのは
大間違いだった。
「またー そんな暗い顔しないでよ?せっかくのクリスマスなのに」
そう言ってグラスにワインを注いでくれた。
きっとこれは本当の浮気よりも、重大な罪を犯しているのかもしれない。
帰り道、相変わらず向田さんはいつものクールな感じで歩いた。
その横顔を見て、
(この人ってどうしてそんなに涼しい顔をしていられるのだろう)と思っていた。
あたしなら、きっと付き合ってる人に悪いからと断られたら、それ以上は誘わない。
でもこの人は「頑張っておいで」とそれも笑顔で言えるのはどうしてなんだろう。
「向田さん・・・・ 今でも浮気した彼女のことは恨んでますか?」
もしかしたら曲がった彼女への復讐?そんなことを考えた。
「いや?全然。結婚してたら今ごろ一緒にお酒も飲めていなかったでしょ?」
「そうですか・・・・」
「なんで?俺がされたことを彼氏にしてやろうとかって企んでるとか思っちゃった?」
「いや、そんなこと思わないですけど・・・」(思ってたけど)
だめだこりゃ・・・・
ホテルに着いて、ドアを開け「じゃ、おやすみなさい」と挨拶をした。
「うん。じゃ、また明日ね。おやすみ」
ドアを閉めようとした時、もう一度声をかけられドアから顔を覗かせた。
「なんですか?」
「俺の部屋・・・来る?」
今・・・部屋に行くということは・・・
もう取り返しがつかないことになってしまいそうで、
怖くなって首を横に振った。
「やっぱね。そうだと思った。
けど、、、そんな子だから俺本気になってみようかなって思えたんだ」
嬉しいような・・・
でも、カオルに顔向けできないような・・・
複雑な顔をして向田さんを見つめていた。
「あまり深く考えないで」
「できるだけそうします・・・」
「うん。どっちみち俺のとこにくると思うから。じゃ、おやすみ」
そう言って向田さんはドアを閉めた。
ドアを閉め・・・
「きっと宗教にハマっていく人ってこんな感じなんだろうか・・・」
そう呟いてバックを置いた。