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大人の男との二人だけの秘密

仕事に行こうと外に出ると、冷たい風にマフラーをグッと掴み車に乗りこんだ。

車の時計についているカレンダーは12月12日になっていた。


「もうすぐ今年も終わりなんだぁ・・・」


そう思いながら、ヒーターが暖まるのを待っていた。


ここ数日、朝から健吾の車で何時間もかけ日帰り出張に行っては、

次の日は会社に缶詰、また次の日は日帰り出張・・・・

そんな日々が続いていた。

おかげで家に帰るとなにもする気になれずに、お風呂に入るのがやっとだった。

知らない間に体重が3キロも落ちていた。


目の下のクマも、そう簡単には取れなくなっていた。


「おはよぉ・・・・・」朝とは思えないほど疲れきった顔でデスクに座った。


「お前・・・大丈夫か?顔色悪いぞ」覗き込むように健吾に言われた。


「う?・・・・うん。なんとか生きてる・・・・今日を乗り切れば連休だしね、

 でも来週は初めての長期出張かぁ・・・生きて帰れるかなぁ・・・」

自然と口から弱音が出た。


「まぁ、馴れだな。たぶんあと3ヶ月もすれば馴れるよ。俺なんかへっちゃらだも。

おまけに毎晩、遅くまでチャットしてるのにこの元気!見習えよ!」

そう言って涼しい顔をして鼻歌を歌っていた。


健吾はすっかりチャットにはまり、あの日以来かなりの出現率らしい。

あたしは馴れない仕事での疲れと、やはりいつも一緒にいる人がいる

チャットに今ひとつ乗り気になれずに、カオルの部屋以降は一度も顔を出していなかった。


「お前もうチャットしないの?みんな「来ないね」って言ってたぞ?」

「ちょっと、会社でそんな話しないでよ!健吾も言わないでよ?他の人に!」

「そんなに隠さなくてもいいじゃん。別に〜」

「言うこと随分と違うね?あの時と・・・・」



ジト〜とした顔で見た。


「いや、カオルの言ってたこと分かったわ。面白いってアレ」


いつの間にか自然と「矢吹さん」から「カオル」になっているのを聞いて、

かなりハマっているんだと感じた。


「カオルも結構いるの?」


「そうだな〜 毎日じゃないけど結構いるな。あいつ面白いな、車とサッカーの話じゃ

 かなり語るけど」


「そうなんだ・・・」


話を半分くらい耳に流しながら仕事をした。

今日中になんとか終わらせないと、明日の休みも潰れてしまいそうな量に内心焦りながら仕事を進めた。



「で、お前正月カオルの実家に挨拶に行くんだって?」

「・・・うん・・・・・」


「それってもう決まりってことなんじゃないの?」

「・・・うん・・・・・」


「人の話聞いてる?」

「・・・うん・・・・・」

「あ!向田さんが呼んでるぞ!」


パッと顔をあげ向田さんのデスクを見ると、ただ頭だけが見えていた。


「嘘つかないでよ。もぅ!」とまた書類に目を戻すと、


「聞こえてんだ・・・ 向田さんの名前だけは反応良いのな」

そう言って自分も仕事を始めた。


その日、健吾は外出先からそのまま直帰することになり会社を出る時に


「じゃ、月曜は遅れないで空港に8時半な!今回は長いから荷物ちゃんとチェックすれよ?途中で休みとか無いからな」


そう言って出張に必要な書類を山のように抱えて会社を後にした。


夜の10時をまわった頃、やっと仕事が終わった。


(ふぅ〜・・・ これで心おきなく出張に行ける・・・)


帰る支度をして出来上がった書類を商品2課のデスクに置き、

エレベーターに乗ろうとした。


「あれ?まゆちゃん今終わったの?俺も今帰るとこ〜」


声のするほうを見ると向田さんがいた。


「あ・・・ そうだったんですか?誰かまだいるとは思ってましたけど、

書類の山で見えなかったんで・・・」


いつも帰りが遅い向田さんと一緒になることは一度も無かったので、

たまには遅くまでの残業もいいもんだなと思った。

一緒にエレベーターに乗り、ボタンを1Fに押した。


「月曜から一緒に出張だね。あっちでは毎日同じ現場だから、

一緒にご飯とか行こうね」


「はい。よろしくお願いします」笑顔で返事をした。


前に立つ向田さんの背中を見ながら少しだけ緊張して下を向いていた。

やっぱり二人きりになると何を話していいのか分からず、

(早く着かないかな〜)と自分の足元を見ていた。


あまりに憧れが強すぎて、嬉しいけれど心臓がバクバクしていた。

すぐ目の前から向田さんの香水の匂いがフワッ・・・と

するだけでクラクラしそうだった。




「まゆちゃんご飯食べた?」


「いーえ?これから帰って適当になにか食べます。

めんどうだからカップ麺とかかな?

なんかこう毎日遅いと食欲もどーでもよくなりますよね〜」


「じゃあ、これからちょっと飯食いにいこうか?オゴるよ。近くに美味しい

焼き肉屋あるんだけど一人じゃ行きにくいし、一緒に行ってくれない?」


(わ!向田さんに誘われた!)


「あ・・はいっ!いいですよ」なんの迷いもなく口から出た。


「じゃ、車どうしようかなぁ〜 まゆちゃんも飲むでしょ?」

「いえ、、、あたしは飲まないです。帰り送りますよ?」

「ちょっとだけ付き合ってよ。一人で飲むのもマヌケだし。じゃ、車置いていこうか」


そう言って素早く走ってきた空車を停めた。


(まぁいいか・・・明日車は取りにくれば・・・)


タクシーに乗り、向田さんがいった焼き肉屋に到着した。

席に座ると馴れた感じで注文をしビールが2杯運ばれてきた。


「じゃ、まず乾杯!」そう言ってジョッキを合わせた。


「あー!ウマっ!仕事の後はやっぱビールだね」一口飲んでニッコリと笑った。


思わず笑顔に見とれてた。やっぱり5年間も憧れ続けただけはある。


あまりに見すぎて(ん?)という顔をされ、

「あ・・・・ はい!そうですね」と慌てて一口飲んだが、

苦くて美味しいとはとうてい思えなかった。


「まゆちゃんお酒飲めないの?」

「あ・・・はい・・・ 普段は飲まないですね〜」


「お酒嫌いなんだ?飲むと暴れるとか?」

「いえ!そんなこと無いです!ただ・・・ちょっと眠くなるっていうか・・・」

「そうなんだ?じゃあもっと飲ませて今日は担いで帰ろうかな〜」


そう言って笑いながら美味しそうにビールを飲んだ。


そんな冗談一つにもかなり緊張した。

(担いで帰るって・・・・ こっちがお願いしたいくらいだ・・・)


肉を焼きながら「これ、もういいよ」と皿に入れてくれる度に、

口をつけた箸で取り分けてくれた肉を見て


(わー!間接キスだぁー!)と頭の中で絶叫をしながら顔に出さずに食べた。

あまりの緊張に肉の味はほとんどわからなかった。


半分以上なにを話したか緊張しすぎて分らないまま、店を出た。

頑張ってジョッキを半分くらいまで飲んだせいもあったけど・・・


「せっかくだからもう一件いってみる?カクテルの美味しいとこあるんだ。

それなら飲めるんじゃない?」


「あ・・・はい」

「じゃ、行こうか?」フワフワした足取りで後ろから着いていった。


(こんなこと、、、人生に二度は無い!)



こんな所があったんだ?というような地下の一番奥にその店はあった。

中に入ると静かなジャズが流れていて、客層もちょっと落ち着いた感じだった。


「素敵な店ですね。いつも来るんですか?」

暗い照明の中、そう聞くと


「まーね。もぅ、うるさい所じゃ飲めないよ。俺くらいのオジさんだと」

そう言って笑った目じりに細いシワが浮かんだ。

けれど、そのシワがかえって素敵に見えた。


「全然オジさんなんかじゃないですよ〜。向田さん30歳過ぎてどんどん素敵になってるな〜って思ってましたよ?」


「そう?上手いこと言うね。陰で必死になってやってる若作りも無駄じゃないってことかな」そう言って笑った。



「男は30歳からって言うじゃないですか?あたしアレは本当だなって思いますよ。

20代じゃ無理なこともスマートにできるし、落ち着いた感じとか自然と滲みでる

っていうか、見てても素敵だな〜って」


「20代の子がみんなそう思ってくれると、俺もちょっとはモテるのにね?」


「十分モテてますよー!あたしの周りの子だってみんな素敵って言ってますよ?

向田さんが知らないだけですってば」


実際、向田さんのことを「素敵」という子が多いのは本当だった。

けれど、あまり一緒に仕事をすることも無い他の部署からでは

声をかけることもできないし、ましてや商品課は忙しいから

会社の飲み会にも顔を出さないことは、いつものことだった。

そんな感じだから向井さんとの接点なんか、どこにも無かったし、

いつもクールな印象があり、冗談のひとつも言えないオーラがあった。


「俺さ、いつも会社で寿退社する子に「好きでした」って言われるんだよなぁ・・

「でした」じゃもう遅いのにねぇ。それも寿に言われても仕方無いよねぇ。

学生の卒業式じゃないんだから、もっと先に言ってくれないと〜

まぁ送別会の席だから、あっちも気を使ってるのかな?いつまでも結婚しない俺に」


「それは向田さんが高嶺の花だってみんな知ってるからですよ〜

あたしだって向田さんのことずっと好きでしたもん」


思わず話の流れに口が滑ってしまった。

それも「でした」になってるし・・・


「え〜 そうだったの?全然知らなかったよ。てゆうか「でした」なんだね。

やっぱりまゆちゃんも」とケラケラと笑った。


「あ・・・すいません」

「まぁいいさ。それも縁だからね。俺って鈍感なのかなぁ・・・」


そう言って考えていた。

その横顔を見て、やっぱりこの人って格好いいな〜と思った。


「で。その後どうなの?彼氏は」

「え?まぁ・・・ そのまま普通に・・・ 特に問題無いですよ?」

「この前の東京ではちゃんと会えた?マツに意地悪されなかった?」


「えっ・・・えぇ。大丈夫でした。でもあっちのメーカーさんも忙しくて、

一緒に食事したのは最終日くらいだったんで、健吾が一人で寂しいかと

思って一度、彼氏も一緒に食事しましたよ。結構気があったみたいで、

今じゃ仲いいみたいです」


「うっそ!逢わせたんだ?結構すごいことするね〜 まゆちゃんて」

そう言って驚いたような顔でこっちを見た。


「え?そうですか?だってどっちも独りぼっちで食事ってなんだか可哀相な気がして」

「どっちにもキツイんじゃない?それって」


「そうですかねぇ?でも最初は健吾に内緒にしてって言ったんですよ。元彼だってこと。

でもなんとなく口調でわかったって言ってました。彼が・・・

あたし的にはもう嘘つかなくていいから、気楽にはなったんですけどね」


「あらら・・・ バレちゃったんだ?彼氏落ち込んでなかった?」

「えぇ。当日はちょっと・・・ね。でも、もう大丈夫みたいですけど・・・」


そう言ったけど、向田さんの顔を見てそうじゃないのかな?と少しだけ心配になった。


「男は独占欲は強いから・・・・ その後彼氏変わった?」

「いえ?別に特別変わったような気はしませんけど・・・」

「そうなんだ。デキた男だねその彼氏」


その後、向田さんの話が面白くて二人で笑いながらいつまでも静かな店で話をしていた。

勧めてくれたカクテルがあまりお酒臭くないので、知らない間に3〜4杯飲んでいた。


「結構飲めるじゃない。カクテルって結構お酒強いのに」


「そうなんですか?あまりお酒の味しないからジュースみたいに

飲めちゃいますね。さっきのもう一杯頼もうかなぁ」

そう言ってメニューを見ながら探していた。


「立ったら歩けなかったりしてね?」

笑って(これだよ)と指でメニューを指し教えてくれた。


「でもこっちのほうが美味しいかもよ?ちょっとキツいかなぁ?」

「じゃあそれでいいです」


なんとなく酔っていたのか、なんでも飲めるような気がしてそれを頼んだ。


目の前に頼んだカクテルがきた。

見たこともないほど綺麗な赤のカクテルに


「わー 綺麗ですね」と言い、一気にゴクッと飲んだ。

喉が焼けるように熱く、いままで飲んだのとは比べ物にならないくらい

強いんだと初めて知った。ゴホゴホと咳をしてグラスを置いた。


「あ・・・・ やっぱり強かった?ウォッカベースだから・・・ あ〜ぁ・・」


「だ・・・大丈夫です・・・・」マスターがすぐに水をくれ、それを半分ほど飲んだ。


一瞬、目の前がクラッとした。

けれど、味に馴れると、そのカクテルはとても美味しかった。

「もうやめたら?」と言われたが、結局そのまま全部飲んでしまった。


「そろそろ帰ろうか?こんなとこ彼氏に見つかったら怒られちゃうな」

そう言って向田さんが立ち上がり、一緒に立った・・・・

つもりだったが、うまく立てなかった。


「あ〜ぁ。やっぱり・・・ 大丈夫?歩けない?」

「あ・・いや、、大丈夫です」


そう言ったが、足に力が入らずフラフラしていた。


向田さんはヒョイと腕を肩にまわし、支えてくれた。

腰にまわした手の暖かさが妙に生々しく感じた。


時間が何時なのかサッパリわからなかったが、

どう見ても走っている車の数からして、かなり遅いことだけは確かだと思った。


タクシーがくる間、向田さんの首に腕を回し抱きつくような

格好で風にあたりながら立っていた。内心こんなチャンスはもう二度とないだろうと思っていた。


空車のタクシーを停め乗り込み、

頭ではちゃんとしているつもりでも、体がいうことをきいていなかった。


向田さんが運転手に住所を言っているのを薄っすら聞いたのを

最後に記憶が無くなった・・・・






次の日、目を覚ました時、あまりの頭の痛さに「うっ・・・」と唸りまた枕に頭を落とした。


目もなかなか開かないまま、なんとなく部屋の空気がいつもと違うことに肌で感じた。


肌・・・・?


目を瞑ったまま、恐る恐る体を触るとちゃんと服は着ていた。

ただいつもの自分のシーツとは違い、ツルツルした感じがシルクだとすぐわかった。


ガバッと起き上がると、頭が割れるように痛かった。


「痛ぁ〜・・・・・」

「あ。目・・覚めた?おはよう」



その声に驚き隣を見ると・・・

向田さんがこっちを見ながらすぐ横に寝ていた。


しばらく状況が掴めないまま黙って向田さんを見ていた。



「あの・・・・ あたし・・・なんでここにいるんでしょうねぇ・・・・・?」

底抜けに弱々しい声で聞いた。


「なんででしょうねぇ?」


そう言って向田さんが笑った。


一生懸命思い出そうと考えると、なんとかタクシーに乗った所まではギリギリ思い出した。

けど、その後はなにも憶えていなかった。


「タクシー・・・までは・・・なんとか・・・」


向田さんはいつものニコニコした顔で、


「その後ね、いくら起こしても起きないから、さすがにまゆちゃん家の

3Fまでは連れていくことできないと思って俺の家に来たの。

俺があと10歳若かったら、きっといまごろ服は着てないと思うよ?

かなり迷ったけど、無抵抗の子になにかするのもな〜ってさ」



「あ・・・ありがとうございます・・・」


「今日のことは内緒にしてあげるから心配しないで。彼氏にバレたら

絶対なにもなかったとは信じてもらえないでしょ?

これ以上落ち込ませたら可哀相だもんね」



そう言ってベットを抜けだしどこかに歩いていった。


ちょっと安心した。

相手が向田さんでよかったと心底思った。


珈琲の入ったカップを持って向田さんが歩いてきた。


「じゃ、あまり意味の無いモーニング珈琲どーぞ」

「重ね重ねすいません・・・」


カップを受け取り頭を下げた。

なにも言っていないのに、砂糖もミルクも入っていないブラックだった。


「きっと無抵抗でもまゆちゃんに彼氏がいなかったら、なにかあったと思うけど、

俺、平和主義だから」

そう言って笑う向田さんがとても大人に見えた。


洗面所で顔を洗い、簡単に身支度をして玄関に行った。


「あの、本当にすいませんでした」そういってもう一度頭を下げると、

「いいの!いいの!」と向田さんは玄関まで見送ってくれた。


靴を履きドアを開けようとした時、


「まゆちゃん。これは二人だけの秘密ってことで・・・」

「あ。はい・・・わかりました」


(二人だけの秘密)そう言われて、向田さんとの間に二人だけの隠し事が

できたことに少しだけ嬉しくなった。


「じゃあこれ口止め料と宿泊代ね」


そう言って静かに顔を近づけてキスをした。

本当はものすごく驚いたが、憧れの向田さんのキスを断ることはしなかった。


いままでできっと一番、素敵なキスだと思った。

このまま唇が離れてしまうことがなければいいのにと思うほど・・・

ほんの少しの間のキスなのに体が痺れ、

自然と手が背中にまわり、ゆっくりと入ってきた舌に自然と自分の舌を絡めていた。


その間、一度もカオルのことは頭に浮かばなかった・・・・


唇が離れ、ゆっくりと目を開けると


「そんな顔されちゃ、また部屋に連れていっちゃうよ?」


笑う向田さんに慌てて背中に回した手をはなした。


「じゃ、、じゃあ、行きます」

「うん。じゃ、また月曜日に」


そう言ってドアを閉めて向田さんの家を後にした。

いつまでも唇に向田さんの感触が残っていた。





月曜日。

向田さんに会うのをちょっとドキドキしながら空港に行った。


この前と同じ場所に健吾がいて、その隣に向田さんがいた。

一瞬、体中に汗が出たような感じがした。


「お。今日も死体が入ったようなデカいトランクだなぁ」そう健吾が笑った。


「おはよー」そう言って二人に笑いかけて椅子に座った。


「ゆっくり休めたかい?昨日の休みは」と向田さんが話しかけてきて


「はい。一日中ほとんど寝てました。おかげでクマもとれました」そう言って笑った。



「そういやさ?俺、土曜に会社行ったらまゆの車も向田さんの車も

あったんだけど・・・ 金曜なにかあったの?」


「あぁ。金曜は終わったのが一緒だったから、焼き肉行ったんだよ。

お酒に付き合ってもらったから、車置いていったんだ。

でも帰ったのは早かったよね?まゆちゃん」

スラスラと向田さんの言った言葉に「うん!うん!」と頷いた。


「へ〜 俺も行けばよかったな〜 残念。オゴりだったんでしょ?」

そうブツブツ言いながら健吾は新聞を読み始めた。

チラリと目が合った向田さんがウインクしたのを見て、ドキッとした。


なんだか調子狂っちゃうなぁ〜 そう思いながら搭乗手続きをしに行った。





飛行機に乗り込み隣に座った健吾が、

「カオルがさ、最近忙しいみたいだから無理すんなよってさ。電話とかしないの?お前等?」

「あ・・・・ それは前から。カオルも連絡まめじゃないし。メールはしてるよ?」

「ふーん。でさ、今回実家に挨拶行って結婚の報告でもすんの?」

「え?そんなことしないよ。ただ挨拶だけ」

「へぇ・・・ そうなんだ?」


それだけ言って健吾はシートを倒し「着いたら起こして」と言い寝た。


頭の中にお正月の予定が浮かんだ。

金曜日のことでちょっとだけカオルに逢うのが心苦しい感じがした。


なんとなく・・・

気持ちが少しだけ向田さんに傾きかけているんじゃないかと自分でも心配になった。

あのたった数分だけのキスは思った以上に効き目が強かった。


離れている間にカオルに「浮気する気じゃないの〜?」と冗談で笑っていたのに、

これじゃ今度あったときはそんなこと言う資格は無いな・・・


羽田に到着して、そのまま静岡に移動する為に新幹線に乗った。

偶然にも座席の通路を挟んで隣が向田さんだった。

たったそれだけのことにドキドキしていた。


(あたし・・・簡単すぎるなぁ・・・・)


たまに目が合いニコッと微笑まれるだけで、目が泳いで仕方無かった。

それを隣で見ていた健吾が


「ホテルのパソコンからカオルに言っちゃうぞ?」とニヤニヤしていた。


「そんなとこからまでチャットしなくていいじゃん!」


「いや、どーせ夜は暇だろな〜って。長期出張の時ってみんな疲れてるから

誰も外出しないしさ、きっと暇だぞ〜?」


「そうなんだ?みんなで遊んだりしないの?」

「んなことするかよ?遊びに来てる訳でもないのに」



目的地に着き軽い段取りの説明を聞き、すぐ仕事にかかった。

たった9日間でなにもない棚だけのガラ〜ンとしたフロアを店舗に完成させるのは

無理なんじゃないかと思った。

外にはどんどん大きなダンボールが届き、現地の馴れていないスタッフと

一緒にそれを運び、展示する場所を作った。


自分が買いつけをした品が届いて、それを展示するというのを初めて体験した。

なんだか嬉しいような恥ずかしいような気分になった。


現地スタッフの子が

「これ可愛いですねー 買っちゃおうかな〜」と手にしたフリーカバーが

偶然あたしが買いつけした物だった。


それを見た他の子達も商品の周りに集まってきた。

「本当だー!私も買おうかなぁ?吉本さん、これ取り置きしていいですか?」

「あ・・・・ どうかなぁ・・ ちょっと待ってて」


健吾を見つけ説明をした。


「あぁ。いいんじゃない?オープンしてから買ってね」と女の子達に言っていた。


なんだか分らないが、ちょっと感動した。

他の人が自分の仕事を褒めてくれたような気がしてジーンとした。


「ちょっと感動してたりする?」と健吾が話しかけてきた。


「うん・・・ なんかする・・・ ヤバい・・・泣きそう・・・・」


「泣くなよ!忙しいのに!!早く仕事しないと終わらないぞ!」

そう言いながら涙目になってるあたしを見て大笑いをした。


その声を聞きつけて、側を歩いていた向田さんが


「なになに?どうしたの?」と寄ってきた。


「こいつ、スタッフが自分の買いつけした商品を買いたいって言って

取り置きしたのに感動して泣いてやんの。おもしれ〜」


「そうなんだ?よかったね、初めての時は嬉しいよなぁ・・・

俺もそうだったよ。一発目から好感触ならまゆちゃんセンスあるんだよ。

これからも頑張りな。 よしよし!」そう言って頭を撫でられた。


その瞬間、目からポロポロと涙が溢れ健吾が

「まじで泣くなってー!忙しいんだからー」と笑い、


買うと言ってくれたスタッフの子も

「泣かないでくださいよー」と笑った。


頭を撫でていた向田さんが軽く抱きしめるような形で

「もう泣かないで?ね?さ!仕事しよ」と背中を叩いた。

この前の朝のトワレの香りがした。


「は・・い・・・」


その話を健吾が面白おかしくバイヤー仲間に言い、みんなに散々笑われた。


7時を過ぎて、

「今日はここまでー!ホテルに行くぞー!」と声がして集合した。


ホテルに着き、30分後にロビーに集まり、みんなで食事に行くことになった。

鍵を貰い、各自自分の部屋に行った。

同じフロアに全員の部屋があり、どこが誰の部屋だかわからなかった。


とりあえず自分の部屋の番号を探し、中に入り荷物の整理をして着替えた。

たった30分じゃ、シャワーも入れないよ・・・汗かいてるのに・・・


ぶつぶつ文句を言いながら、部屋の中を見渡した。

それほど良い部屋でもなかった。


時間になり部屋を出ると、向えの部屋から向田さんが出てきた。


「あ。向えの部屋ってまゆちゃんだったんだ?よかったね近くてー」

いつものノンビリした口調で言いながら鍵をかけていた。


「暇だったら遊びにきてね。地獄の長期出張はなにもすることないし〜」

「あ・・・はい・・・」


その後エレベーターに乗り、ロビーに着くまでの間、死ぬほど長く感じた。

なにを話していいのかわからず、ただ黙っていた。


「大丈夫だよ。あのことは言わないから。効き目が薄くなったらまた、

口止め料もらっちゃうかもな〜。 な〜んて」そう言って笑ったが、

それに対してなんて答えていいかわからず、ヘラヘラとした笑顔でかえした。


みんなで集まり、近くの居酒屋で食事になった。

食事というよりは、ほぼ飲み会に近いノリだった。

ウーロン茶を飲んでいた、あたしだけがノリきれずに普通の顔をしてその場にいたような気がした。


その日、食事から戻ると時間はまだ9時だった。

お風呂に入り、カオルにメールをした。


<今、静岡。思ったより仕事キツイ・・・ でもなんとか頑張るね>


「送信・・と!」


まもなく返信がきた。


<あんまり無理すんなよ。ちょっとは近くなったな、北海道より>


まぁ・・確かにちょっとは近いか・・・通り過ぎちゃったけど・・・






明日の朝は8時に集合だった。

なんだかノリは部活の合宿のような気分だった。

本当になにもすることが無いんだな〜 そう思いながら部屋でゴロゴロしていた。

これなら会社にいる時のほうが、もっと時間を有効に使えそうだけど、

たぶん初日ということで、今日は早く仕事を切り上げたんだろうと思った。


なんとなくTVを見ながら時間を潰した。

廊下でガヤガヤと人の声が聞こえ、

誰かがどこかに遊びに行くのかと思い、なんなら連れていってもらおうかと顔を出してみた。

ちょうど向田さんとペアの人がドアの前でなにやら打ち合わせをしているだけだった。


「どうかした?まゆちゃん」向田さんに声をかけられ、


「あ。いや、、、声がしたから、どこかに遊びに行くのかな〜って・・・・

 いや、なんでもないんです。どーも・・・」そう言って静かにフェイドアウトした。


ドアを閉めるとクスクスと笑う声が聞こえた。


(遊びにいく訳ないよなぁ〜・・・・ 格好悪ぅ〜・・・・)


しばらくしてドアをノックする音がした。



「はーい」ドアを開けると向田さんがいた。


「わ! どうしたんですか?」


「暇なんでしょ?ちょっと外でも行かない?俺も暇だし」


ここでまた一緒に出かけていいものか一瞬悩んだ。

けど、さっきの姿を見られた今「忙しいので」とも言えず、


「は・・・はい」とそのまま外に出た。


「どこ行くんですか?」


「そうだな〜 さっき飲んだし、また途中で気を失われても困るしな〜」

そう言って笑いながら向田さんは歩いていった。

この前のことを想い出されて、恥ずかしくて消えてしまいたくなった。


ちょっと拓けたような人の多い通りに出た。


「じゃ、あそこで遊んでいこうか?」

と、ゲームセンターを指差し、中に入っていった。


(ゲーセンて・・・・ まぁ、いいか)


中に入ると結構人が多く、混んでいた。

向田さんを探し、キョロキョロしていると


「はい。これね」とカップに入ったメダルをくれた。


二人でメダルゲームに座り、最初こそ緊張をしながらやっていたが、

思いのほか大当たりをし、喜んで夢中になって遊んでいた。

横でニコニコと笑いながらも、向田さんは全然勝てずに


「ほんと、ゲームとかギャンブルってセンス無いんだよなぁ・・・」と言っていた。


そこで1時間ほど遊び、気がつくと閉店の音楽が流れてきた。

「もう終わりだね。じゃ行こうか?」そう言って歩きだした向田さんが

ふと足を止め、

「まゆちゃん、これしてみない?」とプリクラを指差した。


「プリクラですか?」

「うん。やってみたかったんだよね〜」そう言って手を引いて中に入った。


(え〜と・・・)と言いながら枠や背景を選択して


「よし。じゃ、これで!」と向田さんらしいなと思うシンプルな枠を選び

シャッターが降りる時に、軽く肩に手をまわされ写真を撮った。


出来上がったプリクラを見て、

「なんか俺の顔、変だなぁ・・・ もうちょっといい写りにならないかなぁ・・」と

ブツブツ言いながら、その一枚を自分の携帯に貼った。


「え・・・携帯になんか貼っちゃっていいんですか!誰か見たら誤解しますよ!」



「誤解したいヤツにはさせたらいいじゃない・・・・うん。まゆちゃんは写りいいねぇ」


向田さんはいつもちょっとドキリとすることをサラリと言う。

その言葉に動揺しながらも、携帯を見ている向田さんを見ていた。


「まゆちゃんは携帯には貼れないね。彼氏が見たらそれこそ誤解するね」

そう言って笑った。


バックから手帳を出して、その裏に一枚貼った。


「じゃ、あたしはここで」そう言って向田さんを見て笑った。


「そこもマズいような気がするけどね」そう言って残りの写真を半分くれた。




「じゃあ帰りましょうか!また明日も忙しいですしね」



「あら?もう帰るんだ?」と不思議そうな顔をされた。


「え・・だって、もう12時過ぎてますよ?これからどこ行くんですか」

「いや、もっと遊びたいのかな〜って」


「うーん・・・でも、出張は長いから、小出しに遊びましょうよ!

最初に全部遊んでしまうと、後から行く所無くなっちゃいますよ?」


「まぁ、それもそうだね。じゃ、今日は帰ろうか?」

そう言ってホテルに向って歩きだした。


ホテルに着きロビーを歩いていると、前から健吾が歩いてきた。

二人の姿を見て、


「えっ・・・なんで二人でいるの?どこか行ってきたの?」と聞かれた。


「ちょっと暇だったから遊んできたんだ。マツも行きたかった?」

ケロリとして向田さんが健吾に聞いていた。


「あ・・いや・・・ そんな訳じゃないけど、珍しい組み合わせだと思って・・・」

ちょっと疑ったような顔をしてこっちを見た。


「ゲームセンター行ってきたの。面白かったよ」


「へぇ〜 なんだか仲いいですね?金曜以来・・」と向田さんの顔を見ていった。


「まーね。じゃ、もう寝ようかな〜 そんじゃなマツ!まゆちゃんは?

 行くならエレベーターきてるよ」そう言って歩いていった。


健吾になにか感づかれたような気がしたが、

そのまま「じゃーね」と言いエレベーターに乗った。


「マツ、ちょっと疑ってたね」と向田さんが笑った。


「えぇ・・・ まぁ・・・・」


そのままエレベーターを下り、部屋の前でお互い鍵を開けて


「じゃ、おやすみなさい」と言って部屋に入ろうとした。


「まゆちゃん。暇なら部屋に遊びにきてもいいからね。俺、口は堅いから」

そう言っていつものニコニコした顔をしてドアを閉めた。


<口は堅いから>の意味をいろいろ考えながら、そのまま部屋に入った。


なにかにつけ大人な雰囲気のする向田さんのことが気になって仕方なかった。

早くこの出張が終わってくれないと、どんどん向田さんのことが

気になってしまうような不安な気持ちがした。


それと同時に向田さんの考えていることがわからなくて、

(あの人・・・ あたしのことどう思ってるんだろぅ・・・)


そんなことをさっき撮ったプリクラを見ながら延々と考えていた。


自分では「変な顔」と言っていた向田さんの写りは私にとっては、いつもの

憧れの人に見えるくらい素敵な笑顔だった。

唇にこのまえの感触を思い出し、肩にはさっき触れた手の感触が残っていた。





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