俺という人間
この度、小説家になろうに初投稿したたらいもです。
学生なんですが進路が中々決まらずムシャクシャして書いた本当勢いで書いている物語です。勢いで書いている素人なため文書表現が曖昧な所や誤字脱字もあるかもしれません。
そこのところご了承頂ければ幸いです。
「ぼっち」がテーマなんですけど自分も学校ではぼっちです(断言)
自分とオーバーラップしている部分もあるので大変書きやすくはあります(笑)
はぁ…自分のクラスに美少女転校生が来ないかなぁ…(尚、絡めるかは…)
不定期更新になるかもですが暇つぶしに読んで頂ければ幸いです。
俺は「群れ」という集団が嫌いだ。
いや、正しく言うと「群れの中心を取り巻く取り巻き」が嫌いだ。
動物は生き抜くために集団を作り天敵などから身を守る。誰かが犠牲になることで多数の命が守られる、いわば「最大多数の最大幸福」というやつだ。
この考えは非常に理に叶っていて俺も否定しない、むしろ感心する。
しかしこれは野生の動物の話だ。
俺ら「人間」はどうなのだろうか。
人間には天敵なんて存在しない。食物連鎖の頂点に君臨するのが俺たち人間という動物だ。
ならば、集団を形成する必要なんてない。
なのに、人は1人を嫌う。
やれ、トイレ行こうだの、学食行こうだのあげだしたらキリがない。
別に仲の良い友達がいることはいいことだ。
特定の人と仲良くなりたいと思い、その人と行動を共にする、素晴らしいことだ。
しかし、ここで皆の中心人物である人物が行動をすると自然とそこに人が集まり集団を形成する。そこには本当に仲の良い友人もおり、互いにバカなことをしている。
そしてそれに伴う取り巻き。
そしてそれに伴う取り巻き。
大事なことなので2回言った。本当は2回でも足りないくらいだが言い出すとキリがないのでこの辺にしといておく。
俺はこの取り巻きが嫌いなのだ。
なんなんだお前ら、カリスマ性の光におびき寄せられた蛾なのか。その人の意見、行動と常に一緒であり、その人の機嫌を損ねないようにヘラヘラと笑い周囲と同調する。
自分では何も出来ないくせにカリスマ君に付き添い、如何にも自分もやったんですよ、的な雰囲気を出すのが一番嫌いなのだ。
こんな俺でも高校2年生の時まではこんな考えを持っている人間ではなかった。休み時間になると自然と友人は寄ってきて会話をする、飯を食べるなどした。俺にもちゃんと友人と呼べる人達がいたのだ。
高校2年生。現在進行形の今、ここで俺は俺ではなくなった。
進級によってクラスが離れ離れになる友人もいたが2人ほど同じクラスになれた。少し寂しくなったけどこいつらと過ごしていくと信じて疑わなかった。
名簿を見ると…いわゆるカリスマ君の名前があった。
最初の頃は友人と一緒に過ごしていた休み時間も次第に2人はカリスマ君の取り巻きへと変化していった。
そこで俺は自覚した。
友情なんて上辺だけの物であって本当は俺のことなんてどうでもいい存在だったんだと。
俺、今北 悠は心に決めたのだ。
友達なんてもういらないと。
次ヒロインだします!