月曜日の朝
月曜日の朝になった。
朋は、机の上に置かれたハンカチを手にとり、それを見つめ不敵な笑みを浮かべる。
「ふっふふ。これを先輩に返して、お近づきにならないと。」
そう言って、ハンカチを学校指定のカバンに詰め込み、学校へと向かった。
美由は歩いて登校している。家は自転車で登校する許可が下りる距離にあるのだが、体力づくりのために歩きを選んでいる。
校門の前で美由にとっては不思議な出来事が起こった。
「おはようございます。桜間おねぇえ様。」と、女子生徒から声をかけられたのだ。
美由は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
『おはようございます?』『おねぇえ様?』
存在を薄くしているはずなので、普段なら挨拶すらされないはずなのだが、明らかに今、挨拶をされた。これは、要するに、自分に興味をもたれているという事を意味する。
しかも、いつの間にか『おねぇえ様』にされている。
返事をしないで悪い印象を持たれるのも嫌なので、引きつった笑顔を無理やり作り「ごきげんよう。」と、片言で返事をする。そして言い終わった瞬間、「っは」とする。
『なぜ、おはようございます。でなく、ごきげんよう。と言ってしまったんだ私は。』
その場を立ち去ろうと、急いで歩く。
「まぁあ、見て、桜間おねぇえ様が、さっそうと歩いてらっしゃる。素敵ね。」
という声が聞こえてきた。
『いいえ、そんな事ございません。私は身長が高くて骨太な、ただのウドの大木でございます。』
教室につくまでの間に、何人かの後輩女子が挨拶をしてきた。
まさか、こんなに注目されているとは思っても見なかった。土日の二日間は3年だけだったので、気づかなかったが、どうも一部の後輩女子の間で自分はおねぇえ様にされてしまっいる様だった。
ホールルーム前だった。
朋は学校で仲良が良い、三人に囲まれていた。
鈴木 あずさ・田中 佐和・佐藤 絵里の三人だ。
「今日のお昼休みに、桜間先輩のクラスに行って、ハンカチ、返しにいこうかと。」
恥ずかしそうに3人の前でそう宣言をした。
「ほうほう、今、1年女子の間で人気上昇中の、あの桜間先輩にアタックするか。」
そう言ったのは、鈴木 あずさだった。
彼女はクラス内で身長順に並ぶ時、朋の後ろになるくらい背の子だった。このクラスの女子で朋が一番、背が低いので、当然、彼女も背が低い。でも、朋とくらべると2・3センチは違うので、朋から見れば、自分より背が高い子に違いは無かった。
「アタック、何て、しないよう。ただ、ハンカチを返しにいくだけだもん。」
朋は少し嘘をついた。出来ればお近づきになりたいとは思っていたが、恥ずかし過ぎて、とても言えない。
「それより、3年の教室に行くのか。3年の教室だと、われわれが覗きに行け無いではないか。」
田中 佐和はそう言った。
彼女はクラス女子の中では一番背が高い。3年の美由よりも背が高い。朋からみれば大人な女性の身長である。
朋的に彼女が好きな処は、朋の目線の高さに合わせて、かがまない事だった。
身長が低い事にコンプレックスを抱えている朋にとって、かがまれるのは、正直、屈辱だった。
「見にこなくていいよう。」
「でも、われわれが居なくて大丈夫か?」
そう言ったのは佐藤 絵里だった。
彼女はクラス女子の中では、真ん中ぐらいの身長だった。それでも、朋にとっては身長が高い子だった。
「大丈夫だってぇえ、一人で出来るよう。」
「心配だ。」
「心配だな。」
「うぬ、心配だ。」
ホームルームの鐘の音が聞こえた。
昼休みになった。
朋は仲良しの3人に見送られクラスを出る。
「朋、がんばれー。」
と、無責任な応援を受けた。
ドキドキしながら、3年の教室までやってきた朋は、たまたま、その時、クラスから出てきた一人の女子生徒に声をかける。
「あ、あの、さ、さくらま、先輩は居ますか?」
顔を認識しないまま、そう言ったが、声をかけたのは、学園最大派閥の長である須王寺麗菜おねぇえ様だった。
「あなた、桜間さんに、どういった用件なの?」
「あ、あの、持久走大会のときに、わ、私、転んで、その時、ハンカチを借りたので、そ、その。」
須王寺おねぇえ様は意地悪な顔をしながら
「桜間さん。持久走大会の時に、あなたがお姫様抱っこした女の子が来てるわよ。」
桜間 美由は別に人嫌いではない。
気の合うクラスメイトと休み時間に話すのは好きだし、イベント行事に参加するのも好きだ。
ただ、自分にスポットライトが当たるのが異常に嫌なだけであり、傍観者として、みんなの輪に加わっているのは好きだった。
昼休みに入り、お弁当も終わり、クラスで仲の良い友達と話していると
須王寺さんが大きな声で
「桜間さん。持久走大会の時にあなたがお姫様抱っこした女の子が来てるわよ。」
と、言ってきた。
美由の顔から笑顔が消え、無言になり、席を立ち上がって、ツカツカと教室の出口にいる須王寺さんの元へと移動する。
「なんでしょ?須王寺さん?」
須王寺は朋を指さす。
「この子が、あなたにハンカチを借りたから返したいって。」
「まあ、あの子が、桜間さんが助けた子?かわいい子ね。」
そんな声が美由の後ろから聞こえてくる。
彼女達の反応から自分が注目を浴びているのが判る。嫌ではあるが彼女(朋)には罪は無い。だが、よりにもよって須王寺さんに声をかけなくてもとも思う。彼女がいる事でより注目度が増すではないか。ひとまず、テンパっている自分の頭を整理するため、一回大きく深呼吸をし、笑顔を作って、彼女を見た。朋は緊張でガチガチになって美由を見上げている。
『可愛い。』
と、思った瞬間、自然に自分の右手が動き、朋の頭を優しく触れるように撫でていた。
「どうしたの?緊張しないで。」
「あ、あのぉお。桜間先輩。持久走大会の時はありがとうございました。」
「いえいえ、どういたしまして。」
『私が助けた子って、こんなに可愛かったんだ。』
朋は両手で握っていたハンカチを前に出す。
「あの、あの時、ハ、ハンカチ、借りたので、洗濯して返しに。」
美由は右手で優しく受け取る。
「ありがとうね。」
「あの、血がついてしまって、それで、落とそうと頑張ったんですけど、あんまり落ちなくて、その、すいません。」
美由はハンカチを見る。確かに、血の跡が少し残っている。
「いいのよ。そんな事、気にしなくて。」
「あら、桜間さん。この子のお名前お聞きならないの?」
二人の横に居た須王寺から声が聞こえてくる。
彼女の声で『っは』とする、朋の可愛らしさに気を奪われて、彼女がいる事を忘れていた。
朋は須王寺さんの方を見る。
「1年の成美矢 朋と言います。」
「成美矢さん。私を伝言係に使うなんて、良い度胸をされてらっしゃるのね。でも、おかげでいいものが見れましたわ。いつもクールな桜間さんが、あんなに優しい顔をするなんて、これは新たなる発見ですわ。」
『私は普段、彼女にどう思われているのだろう?』と、美由は思った。
朋は慌てて。「すいませんでした。ありがとうございます。」と、言って、大きく一礼した。
「いいのよ。小さい子を優しく撫でる桜間さんが見れたのだから。むしろ、ありがたいくらいだわ。」
彼女の言葉が美由の心をえぐる。無意識とは言え、みんなの前で自然に彼女を撫でてしまった。それが、どうも、みんなの目に新鮮に映るらしい。ふかんで朋を撫でたシーンをイメージしてみると確かに恥ずかしい。しかも、大勢の人が見ている前で。
『私はまたやってしまったらしい。』
美由は落ち込み、目を下にやると、何かが廊下を駆け抜けて行くのが見えた。何であるかを確認するため駆け抜けたモノを視線で追う。
美由の視線の移動につられ、朋もそちら側に顔を向けた。
『茶トラの猫?』と、美由は思った。
「猫さん?」と、朋はつぶやく。
「猫?そんなのいないわよ。」
と、須王寺おねぇえ様は後ろを振り返りながら言った。
その瞬間、廊下にいた一人の女子生徒が崩れる様に膝をつき、倒れた。
倒れたのはこの学校の三年で一番の成績を誇る桐野 舞奈という美由と同じクラスの女子だった。
美由は見ていた。茶トラ猫が桐野の足に抱きついた次の瞬間に彼女が倒れたのを。
それは『精神吸収』という能力だった。美由は蛙主が以前、使っている処を見た事があるので知っていた。蛙主に聞いた話だと『精神吸収』の攻撃を受けると、普通はけだるさを突然感じたりするだけだが、たまにショックで気絶したり、極まれにだがショックで死ぬ人がいるという。
猫は美由達三人と逆側へと逃げだしていた。
美由は駆け足で、倒れた桐野の元へと駆け寄り、彼女の横へと座り、彼女を仰向けに寝かす。
『息はある。』
彼女の手首を握り、脈をさぐる。
『脈も大丈夫』
須王寺さんも、隣に座り、彼女の顔を手で触る。
「大丈夫そう?」
「息もしてますし、脈も大丈夫です。頭をぶつけたわけではないので、大丈夫だとは思うんですが・・。でも、保健の先生を連れてきた方がいいかも。」
「そうね。すいません。誰か、保健室に行って先生を連れてきてもらえますか?」
「はい、私、行きます。」
そう、言って一人の女子生徒が走りだす。
「大丈夫かしら?」
「・・・・。貧血か何かだと思うんですけど。」
美由の話を聞いて、朋は『違う、あの猫さんが何かをしたんだ。』と思ったが、他の人にはあの猫は見えて無いようだった。『自分だけが見える猫さん・・・・。』
しばらくすると、彼女が意識を取り戻し、目を開ける。
「大丈夫?」
そう須王寺は言った。彼女は須王寺をぼんやりと見つめたあと、美由を見て、また須王寺を見つめた。
「私、気を失ってたんですか?」
「そうみたいね。」
「いきなり、体が重くなったと思ったら、周りが暗くなって、目覚めたら須王寺さんがいて。」
保健の先生と呼びにいった生徒が走りよってくる。寝ている彼女に対し、指を一本立てる。
「これ何本?」
ちょっとの間、桐野は無言だったが「1本です。」と、答えた。
今度は3本立てる
「これ何本?」
「3本です。」
「どこかしびれる処とか、感覚がおかしいところとかある?」
「頭がボーっとするぐらいで、特には。」
「では、両腕を上げてみて。」
すると、彼女は両腕を上げる。
「では、今度は手を開いてみて・・・。」
しばらく、保健の先生は、彼女に何かをさせた後、
「多分、貧血だとは思うけど、一応、念のため精密検査をしましょう。」
保健の先生は携帯電話を取り出し、救急車を呼ぶ。
救急車で運ばれるのを見送った後、美由は、残り少ない昼休み時間を使い猫探しを始めた。