釣りをしているカエルと噂好きの少女
朋は息を切らせながら山道を歩いていた。
先ほどコケて怪我をした事と、目の前に延々と続く上り坂を目の当たりにすると走ろうとする気持ちが折れてしまうのだった。
彼女が今いる場所は、アスファルトで造られた道路と杉林が広がる以外は何も無い処で、歩いても歩いても似たような風景が延々と続く。
道の勾配が結構あり、カーブが多いために遠くまで道が見えず、カーブを曲がっても曲がっても、まだ、女子の折り返し地点は見えてこなかった。
随分前から、男子が朋の横を走り抜けていた。男子の折り返し地点は女子より2.5Km程遠くにあり、そこから折り返してきた男子が戻ってきたのだった。
女子のすれ違う人達は、走り疲れて歩いている人ばかりになっている。
少し前に、朋の友達3人とすれ違って「朋がんばれー」と応援して貰ったが、3人とも仲良くしゃべりながら歩いていたので、正直、羨ましかった。
機械的に山道を歩き続けていると、道路の一部が橋になっている場所が見えた。
橋の下には小さな川があり、綺麗な水が流れていた。
ずっと似たような景色だったので、自然に川の方に目が行く。朋は、そのまま水の流れを見ながら橋を渡っていると、何かが気になった。
不思議に思い、よーく見ると、川岸に何か茶色い塊の様なものが在ることに気づいた。
その塊を、よく確認してみると、それは30センチはあろうかという大きなガマガエルだった。
大きなガマガエルと目が合い、朋の足は自然に止まる。
『このカエルさん、何か変だ。』
このガマガエルは大きいだけではなく、あぐらをかき、釣りをしているのだった。
白いブヨブヨとしたお腹をさらし、球状になった指先で竹の枝を握り糸を川に垂らしている。
カエルは動かなかった。
朋は動かないので陶器の置物かと思ったが、表面はヌメヌメしているし、良く見ると口が反芻するように僅かにモニュモニュと動いている。
『生きてる・・・。』
この謎のカエルの発見に朋はプチパニックを起こし、どうして良いのか判らず、動く事が出来ない。
カエルはカエルで蛇に睨まれたカエルの様に動かない。
お互い、その場から動けず、見つめ合いを続けていると、朋に誰かがぶつかって来た。
朋は「っは」となり、ぶつかって来た相手の方へ振り返る。
「痛いなぁあ。そんな処にボーっと、突っ立てないでよ。」
朋の後ろを歩いていた女子生徒の一人がぶつかってきたのだった。
「ご、ごめんなさい。大きなカエルがそこにいたんで・・・。」
「カエル?」
女子生徒は朋が先程まで見ていた場所を見るが、そこには何もいなかった。
「そんなの、いないじゃん。」
「え、そんな」
朋はカエルが居た場所を見返すが、確かに居ない。
「え、確かに大きなカエルさんが釣りをしてたのに。」
朋のその発言に、相手の女生徒は、ピンと来てない様子だった。
「変な事言うわね。走り疲れて、幻でも見たんじゃない?」
朋は自分が変な目で見られている事に気づき「気のせいだったのかな?」と、とぼけた。
「それより、あんた、一緒に走らない?走りというより、歩きだけど。しゃべる相手がいないと、ほんとやってられなくて」
正直なところ、あまり気乗りはしてなかったが、断るほど嫌な気持ちがあったわけでもないので、彼女の誘いを受け入れ、一緒に走る事にした。
朋は彼女の胸に刺繍された名前を覗きこむ。
そこには「芹ヶ野 加奈」と書かれていた。
「お、おのがの・・ さん?」
「違う違う『せりがの』『せりがの かな』」
「ごめんなさい。」
「気にしない、気にしない。良く間違われるから慣れっこよ。」
「わ、わたしは・・。」
「知ってる。成美矢朋でしょ。」
「何で私の名前?」
「ああ、あんた、1年の女子で結構、噂になるから。」
「え?私?」
「ドジで伝説を作る少女ってんで、結構、有名よ。」
「あうー」
「と、言うより、入学式の時コケて、全校生徒の前でパンツ見せといて、名前が知られてないとでも思った?」
朋の顔が赤くなり、下を向く。
「忘れてたのに。」
「まあ、今どき、パンツぐらいで気にする必要ないって、3年生の一部なんて、普通に立っているだけでパンツ見えてる人とかいるし。」
「あれは凄いよね。恥ずかしくないのかな?」
「さあ、でもあれって、多分、仕立て屋に頼んだ時に採寸間違えて、短くし過ぎただけだと思うよ。あそこまで短くしていると折ってるわけじゃないだろうから、一度、切ってしまえば元には戻せないし。スカート高いから買いなおすのも難しいしね。」
「そう、だよね。」
「私、ミニには憧れるけど、あのデッカイパンツが出るまでミニにするのは嫌だな。」
「だよねぇ。」
「あれって、見てて見苦しいわよね。私なら、少し前に、かがんだぐらいでは、パンツは見えないぐらいの丈にするね。」
「私は今の丈のままでいいかな。」
「そんなことより、あんた桜間先輩と話てたでしょ?知り合い?」
「違うよ。私が足を止めて辛そうにしていたら、声をかけてくれたの。その時、転んじゃって、おでこに怪我したの。」
朋は前髪を掻き揚げる
「ほら」
加奈は朋のおでこをジーっと見つめる。
「赤くはなってるけど、怪我なんてしてないじゃん。大げさだなぁあ。」
「え、だって」
朋は自分のおでこを撫でるが、確かに傷ができている感触は無い。
朋はポケットにしまったハンカチを取り出し確認すると、確かに血がちょんちょんとついていた。
『血はついているのに、傷が無い・・。』
これ以上、変な子と思われるのも嫌なので、反論しない事にした。
「えっと、加奈ちゃんでいいかな?」
「お、いいよ。私も朋ちゃんと呼ぼう。」
「桜間先輩の事、知ってるの?」
「ぜんぜん」
「だって、名前、知っていたし。」
「ああ、私、噂好きなのよ。人の情報を聞くのも良いんだけど、自分で探して人に教える、あの喜びのために学園生活を送っていると言っても過言ではないのよ。」
「そうなんだ。」
「えっへん。で、学校に入ってすぐに、話題に上ったら面白そうな人は、全員、顔と名前は覚えたわ。」
「凄い情熱の傾け方だね。その中の一人が、桜間先輩なの?」
「そう、あの人、美人じゃん。絶対、面白そうなネタがあると思ったんだけど、今のところ特に無し。あれだけの美人なら男どもから告白されたとか、ありそうなんだけど、それも皆無。」
「へぇえ、もてそうなのに。」
「そんな時、ひ弱そうな女の子を抱きかかえている桜間先輩がいるじゃん。これは事件よ。」
「あうー。」
「ま、そんな事より、折り返し地点と先生たちが見えたわよ。話は後、先生の前では走ってるフリをしないと。ほら行くよ。」
二人は、ゆっくりと折り返し地点に向かって走り出した。