3ー1 眠たい登校
朝、美由は学校に向かって歩いていた。
いつもは、早歩きで登校するのだが、今日は、顔を下に向け、ノソノソと歩いていた。
昨日、猫の暴走を止める治療が遅くなり、2時間しか寝ていない。
頭が回転してないらしく、今日は存在を薄めてない。
美由はあくびをする。誰かが、パタパタと、走って来る音が聞こえる。
「桜間先輩。おはようございます。」
という、声と同時に、足音も止まった。
美由は、眠そうな顔で相手を見た。そこには、別の道からやってきた朋がいた。
「ああ、朋ちゃん。おはよう。」
「おはようございます。桜間先輩。」
美由は朋の「桜間先輩」という言い方に何だか違和感を感じた。
「美由でいいよ。」
美由は何と無しに言っただけだったが、朋は笑顔になる。
「えへへ、では、美由先輩。猫はどうでしたか?」
美由は一瞬、間を置いた。
猫に何かあったわけじゃなく、頭が回らず、思い出すのに時間がかかっていたからだった。
「えーと、猫は無事、治せたよ。」
「良かった。」
「そのおかげで、私はほとんど寝られなかったけど。」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。大丈夫。多分。」
美由は昨日の治療中に、朋が他人のフリをしてた事を思い出す。
「それより、朋ちゃん。昨日、戻って来た時、他人のフリをしたでしょ。」
「ごめんなさい。何か、公園に帰って来たら、凄い事になってたんで、他人のフリをするのが一番かなと思ったんで・・・。」
「まあ、確かに凄かったよね。警察は居るし、近くの家の人たちは見てるし、猫が2匹暴れてるし、おっきなウサギが筋トレしてるしで。それより、おウチの人心配しなかった?」
「少し、遅くなりましたけど、コンビニで立ち読みしてたと言ったら大丈夫でした。」
「そっか、そっか。そういや、朋ちゃんのおウチは、あそこの公園の近くなんだ。」
「はい、あそこの近くにある公営団地に住んでます。」
「なるほど。」
二人は、ちょっとの間、無言になった。その時、「桜間おねぇえ様。おはようございます。」と、言う声が聞こえてきた。
美由は「おはよう。」と答えた。美由は「おねぇえ様」と呼ばれるのは、凄く嫌だが、訂正するワケにもいかないので、そのまま受け入れる事にした。
声をかけた女子は「キャー」という黄色い声を出して、走り去っていった。
朋は美由の顔を見つめる。
「あのー。美由先輩。」
「ん?何?朋ちゃん。」
「私も美由おねぇえ様と呼んだ方が、良いのでしょうか?」
美由の足が止まり、朋の肩をつかむ。
「お願い。朋ちゃん。あなただけは、おねぇえ様と呼ばないで。」
朋は、実は美由をおねぇえ様と呼ぶ事に憧れがあったので、自分限定で、否定されてガッカりだった。
「どうして、私だけ?」
「朋ちゃんに呼ばれるのが嫌なんじゃなくて、おねぇえ様と呼ばれる事、自体が嫌なの。他の人にいちいち、『おねぇえ様と呼ばないで』と、言うワケにはいかないけど、朋ちゃんは親しいから。親しい人にまで、言われるのは、もの凄く苦痛なの。」
朋はがっかりしたが、美由が嫌がっているので、諦める事にした。
「美由先輩。分かりました。」
そう言った時、「桜間おねぇえ様。おはようございす。」と三人の女子が言った。美由は「おはよう。」と声をかける。朋は正直、羨ましかった。
学校の校門が近づいて来る。校門の前には、黒塗りの高級車が止まっている。
その前に、数人の女子が並んで立っている。車の扉が空き、出てきたのは須王寺 麗菜だった。
並んでいた女子が一斉に「おはようございます。須王寺おねぇえ様」と言った。彼女の派閥に属している人たちの朝のお出迎えだった。須王寺は、すました顔で「ごきげんよう」と答えた。
美由は思った。『彼女は何のために、この学校に来たんだろう』と。
うちの学校は、確かに上位に名を連ねる進学校で、女子をターゲットにしている中では一番上だが、お嬢様・おぼっちゃま学校では無い。
ここからだいぶ距離があるが、車で通学するんのであれば、問題無い距離に、お嬢様・おぼっちゃま学校はある。
彼女はそこの中等部から、この学校にやって来た。
そのまま居残れば、エスカレーター式に大学まで行けたのにだ。
しかも、そこの大学は世間的には二流大学(一流大は東京六大学と京都大の7校のみ。メジャーで無い地方国立大が三流と言われるので、二流はもの凄い評価の高い大学)と、認知されている。
正直、こんな中間層の頭の良い女子を相手にしている学校に来なくても思ってしまう。
この学校は何故か、毎年、そこの学校の中等部から、こっちにやってくる生徒が結構いる。
ちなみに学校の派閥の長の3人も、そこの中等部から流れて来た人たちだ。
どういう、カラクリなのかは知らないが、ウチの学校から、結構、そこの大学に行く人が多い。
美由が知る限り、派閥の長の多くが一流大か、メジャーな女子に人気の高い二流大か、そこの大学に行っている。まあ、学校には学校の事情があるのだろうし、彼女等には彼女等なりの理由があるのだろうと思う事にする。
「わぁあ。凄いですね。須王寺お姉様。」
「そうねぇえ。」
まあ、凄いとは思うが、正直な処、美由は羨ましくも何とも無い。
目立つ事に人一倍抵抗感のある美由にとってみれば、毎日あんなに注目を浴びるのは地獄だからだ。
ただ、彼女の取り巻きとなり、憧れの対象として、みんなで彼女をモテはやすのは、楽しそうだとは思う。ただ、積極的に参加したいと思うほどでもない。
美由はあくびをまたした。目には涙が溜まっている。
「あら、桜間さん。ごきげんよう。それに成美矢さんでしたっけ?ごきげんよう。仲がよろしくてね。」
「お、おはようございます。須王寺おねぇえ様。」
突然、声をかけられたので朋は慌てて、返事を返す。
「おはようございます。須王寺さん。」
「それより、桜間さん。学園の華である、『おねぇえ様』と呼ばれる方が人前であくびをしてはいけませんわよ。」
美由は、『別に頼んだ覚えは無いし、出来る限り呼んで欲しくはないのだが』と、思った。
三人は一緒に靴棚までの道を歩き始める。
「すいません。でも、今は名前が一人歩きしてる様ですが、私は本当は、何の取り得もないガサツな女なので、そのうち、みんな、私が駄目な女だってだって分かるでしょうから、メッキがはがれて、呼ばれなくなると思います。それに、正直な処、『おねぇえ様』と呼んで欲しくないんです。いちいち、そう呼ぶ後輩に『辞めて欲しい』と言うのも何なので、あえて言ってませんが、正直、重荷で・・・・。」
須王寺は少し顔色を曇らせる。
「あら、そうですか。」
須王寺は後ろを振り向く。
「みなさん。お聞きになりまして?桜間さんは、おねぇえ様と呼ばれる事が重荷に感じてらっしゃる様ですよ。」
彼女の取り巻きが、いつの間にか三人を取り囲み話しを聞いている。
「はい、須王寺さん。正直、意外でございました。あれだけ目立ってらっしゃるのですから、新たな派閥を立ち上げるものとばかり・・・。」
美由は、自分の行動の何処を取れば、そんな結論に辿り着けるのか、正直、疑問に思った。
「あなたなら、良いライバルになると思っていたいたのに。」
そう須王寺は言う。
「いえいえ、そんな、私がライバルだなんて、トンでも無いです。私は自分の事だけで手いっぱいで・・・。派閥なんてトンでも無いですし、それに、私、目立つのが苦手なんです。」
「あら、そうでしたの?でも、昨日も持久走大会の時も、倒れた人を助けたじゃありませんか、十分目立ってましてよ。」
「あの時は、須王寺さんも、一緒に助けたので、分かると思いますが、突然、倒れた人を見捨てるわけにはいかなかっただけで・・・。」
「確かにそうですわね。」
「たまたま、倒れた人を助けただけで、派閥を作る意志があると思われるのは、正直迷惑としか・・・。」
「でも、お気をつけになった方がよろしくてよ。そういう噂が流れてますし。」
「私は派閥なんてつくりません。学校の勉強だけで正直手一杯ですし。」
「そう思っているのはあなただけかもしれませんよ?私は共に居たから、分かりますが、噂だけ聞いた人の中には、あなたの名が挙がっている事に不愉快な思いをされている方もいらっしゃるので。」
「教えて貰って、ありがとうございます。」
美由は不条理だと思った。偶然、その場で困っている人を助けただけで、妙な勘違いと恨みを買ってしまっているらしいという事に。
朋はオロオロしていた。靴棚の前まできたので、朋は「では、失礼します。」と、言って、走って離れた。
美由は朋に、こんな嫌な話しを聞かせて悪い事をしたなと思った。