第22話「サプライチェーンの危機と、不本意な出張(フィールドワーク)」
柔らかな午後の陽射しが、執務室の窓枠を四角く切り取って石造りの床に落ちている。
サン・アンド自治領のギルドは、今日も絵に描いたような平和な時間を刻んでいた。書類の山はザックが処理し、街の清掃と治安維持はアリスが取り仕切る。そして、ギルドの最高責任者であるルークは、己の執務室の奥で至福の時を迎えていた。
「……素晴らしい。これぞ、私が求めていた真の『働き方改革』だ」
ルークは深く息を吐き出し、全身の力を抜いた。
彼の体を優しく、しかししっかりと包み込んでいるのは、先日の悪徳錬金術師ギルド解体事件の折に「戦利品」として献上された最高傑作の魔導具――『絶対安眠チェア』である。
漆黒の高級レザーの下には、特殊なスライムがクッション材として封入されており、座る者の体型や体重移動に合わせてミリ単位で形状を変化させる。まるで無重力空間に浮かんでいるかのような、圧倒的な体圧分散。
さらに、両肘掛けに埋め込まれた希少な魔石が淡く発光し、チェアの半径一メートルに「完全防音」と「最適な室温維持(空調設定24度)」の結界を展開している。
外の喧騒も、書類が風で飛ぶ音も、部下たちの慌ただしい足音も、この結界の中までは届かない。
「このまま定時まで、都市の未来を見据えた『深遠なる瞑想』に入ろう。……おやすみ、世界」
ルークがアイマスクを装着し、意識を手放しかけた、まさにその瞬間だった。
パァァァンッ!!
何かが爆発したかのような轟音とともに、絶対安眠チェアの展開していた不可視の結界が、ガラスのように粉々に砕け散った。
同時に、生暖かい外の空気と、けたたましい足音が執務室に雪崩れ込んでくる。
「ルーク殿! 瞑想中のところ大変申し訳ありません! 緊急事態です!!」
バタン! と勢いよく扉を蹴り開け、凄まじい剣幕で飛び込んできたのは、白銀のフルアーマーに身を包んだアリスだった。彼女の放つ過剰なまでの闘気と切迫感が、繊細な魔導結界を物理的(?)にぶち破ったのだ。
「……アリス。ノックという文化と、上司の休憩時間の保護について、後で小一時間ほど話し合おうか」
ルークはアイマスクをずらし、充血した目で恨めしそうにアリスを睨んだ。
「それどころではありません! 報告によりますと、当ギルドの生命線である『東の主要街道』が、完全に封鎖されました! 先ほど、東の帝国からの行商団が泣きながら引き返してきたのです!」
「東の街道が……?」
ルークの眠気は、一瞬にして吹き飛んだ。安眠チェアから身を乗り出し、机の上に広げられた地図を凝視する。
東の街道は、この街における物流の絶対的な大動脈である。
治癒ポーションの主原料となる希少な薬草、防具の修繕に必要な高品質な鉱石、さらには市民の生活を支える塩や香辛料など、数え切れないほどの物資が、毎日あの街道を通って運び込まれている。
そして何より――ルークが毎朝の楽しみにしている、東方の高地でしか採れない『最高級のコーヒー豆』も、あのルートから輸入されているのだ。
「物流が止まれば、物資が枯渇する。物資が枯渇すれば、需要と供給のバランスが崩壊し、猛烈なインフレーション(物価高騰)が起きる。……そうなれば、ギルドの運営経費は跳ね上がり、ポーション一つ買うのにも稟議書が必要になる地獄が待っているぞ……!」
ルークは顔面を蒼白にしながら、最悪のマクロ経済シナリオを脳内で瞬時に弾き出した。
「街道を塞いでいるのはなんだ? 大規模な土砂崩れか? それとも、他国の関税局がイチャモンでもつけてきたのか!?」
「いえ! 巨大な魔物です!」
アリスがバンッと机を叩き、身を乗り出した。
「突如として街道の中央に『火山霊亀』が居座り、一歩も動かなくなったとのこと! 小山ほどもある巨大な亀で、甲羅の隙間からは高熱のマグマと蒸気を噴き出しており、馬車はおろか、人も近づけない状況です!」
「火山霊亀……」
ルークは頭を抱えた。ただの魔物なら冒険者に討伐依頼を出せば済むが、火山霊亀ほどの超大型モンスターとなれば話は別だ。生半可な攻撃では傷一つつかず、逆に暴れさせれば周囲の地形ごと焦土と化す危険な存在である。
「総督! ご安心ください!」
アリスが、背中に背負った聖剣の柄に手をかけ、誇り高きCEO(最高環境責任者)としての威厳に満ちた笑みを浮かべた。
「我が街のサプライチェーンを脅かす悪質な不法占拠者など、放置しておくわけにはいきません。私が自ら実動部隊として出向き、あの忌まわしき亀を、聖剣の全力の一撃をもって真っ二つに両断してまいります! 障害物は、物理的に排除するのみです!」
「待て待て待てェェェ!!」
ルークは血相を変えて椅子から跳ね起き、アリスの腕に全力でしがみついた。
「お前が全力で聖剣を振るったら、亀ごと東の街道が消し飛ぶだろうが! 街道のアスファルト……じゃなかった、石畳が全長数キロにわたってクレーターになったら、誰がその修繕費を払うと思ってるんだ!」
「えっ……? で、ですが、魔物を排除しなければ物流は……」
「討伐による一時的な解決と、インフラの完全破壊を天秤にかけろ! 莫大な土木工事の費用と、長期的な通行止めの損害賠償で、ウチのギルドの今期予算が完全に吹き飛ぶわ!」
アリスはキョトンと目を瞬かせた。
彼女の脳内には「悪を斬る=問題解決」という極めてシンプルな方程式しか存在しない。しかし、現代のビジネスにおいて「破壊による解決」は、しばしば莫大な事後処理コストを生むのだ。
ルークは荒い息を整え、乱れたネクタイを締め直した。
ここでアリスを単独で向かわせれば、間違いなく街道は更地になる。かといって、冒険者ギルドに依頼を出しても、彼らは被害額など考慮せずに魔法を乱れ撃つだろう。
(……最悪だ。私の完璧な事なかれ主義を守るためには、結局、私が現場をコントロール(監視)するしかないのか……!)
「アリス。よく聞け。クレーム対応およびトラブルシューティングの基本は『現場百回』だ。推測で動くな。事実は常に現場にある」
ルークは、前世で幾度となく部下に説いてきたマネジメントの基本を、重々しい口調で語った。
「私が直接、現地に赴いて状況を査定する。お前は私の護衛として同行しろ。……いいか、私の『明確な業務命令(許可)』が下りるまで、絶対に、いかなる理由があろうとも、その剣を鞘から抜くことはまかりならん。分かったな?」
「は、はいっ! 承知いたしました!」
アリスはピンと背筋を伸ばし、最敬礼をした。
「トップ自らが現場に立ち、マクロな視点から根本原因を特定するのですね! その『現場主義』の姿勢、CEOとして深く学ばせていただきます!」
勝手に感動し、目をキラキラさせているアリスを横目に、ルークは深く、深くため息をついた。
「ああ……私の、私の安眠チェアが……。定時までのシエスタが……」
ルークは、未だに自分の体温が微かに残る絶対安眠チェアの座面を、名残惜しそうに撫でた。
しかし、このまま引きこもっていては、美味しいコーヒー豆が手に入らなくなるどころか、ギルドの財政が破綻してしまう。
「……行くぞ、アリス。出張の準備だ。日当と交通費は、きっちり経費で落とすからな」
こうして、平和なデスクワークを愛する事なかれ主義のおっさんは、己の平穏と経費を守るため、そして何よりも「暴走する部下の聖剣」を物理的に封印するために、不本意極まりない足取りで東の街道へと向かうのであった。。




