第17話「異世界の基礎知識と、事務長によるマクロ環境分析」
今回は、ルークが新人向け(あるいは自分の業務マニュアル用)に作成した「ギルド環境分析資料」という体裁で、この世界の実態をサラリーマンの視点から紐解く第17話をお届けします。
「……よし。これで新人向けの『業務オリエンテーション資料』の基礎編は完成だな」
ギルドの執務室。ルークは書き上がった羊皮紙の束をトントンと机で揃え、満足げに息を吐いた。
ザックのような「常識を知らない新人」が今後入ってきた時、いちいち口頭で説明するのはタイムパフォーマンスが悪い。そこでルークは、この世界の情勢や経済システムをマニュアル化し、文字で読ませることで自身の業務負担を減らそうと目論んだのだ。
彼がまとめた資料の目次には、サラリーマン特有のドライな視点で分析された「異世界のリアル」が記されていた。
【第1章:貨幣価値とギルドの経費基準】
この世界の通貨単位は、ルークの前世(日本円)の感覚に直すと以下のようになる。彼はこのレートを基準に、冒険者への報酬やギルドの備品購入費をシビアに計算していた。
通貨日本円の感覚 具体的な購買力の目安
鉄貨(1枚)約10円
クズ野菜、安い水端数処理で切り捨てるレベル。
銅貨(1枚)約100円
屋台の串焼き、安いパン冒険者の小遣い。経費精算の最低ライン。
銀貨(1枚)約1万円
まともな宿の1泊、中級武具稟議書が必要になるライン。
金貨(1枚)約10万円
ギルドの長椅子(2枚)、高級馬部長決裁が必須。
白金貨(1枚)約100万円以上
家が建つ、魔法のアーティファクト見た瞬間に税務調査(領主の監査)を警戒する。
(※前世の金銭感覚を保つことは、予算管理の基本である。ルークは銀貨1枚(約1万円)の領収書紛失に対して、ザックに「1万円落としたのと同じだぞ!」と3時間説教したことがある)
【第2章:地政学リスクと各国の問題点】
現在ルークたちがいる大陸「エルドリア」には、主に3つの大きな勢力があり、それぞれが厄介な「お家事情」を抱えている。
エルドリア王国(ルークの現在地)
概要: 大陸の中央を占める歴史ある大国。アリスの叔父である領主や、王室情報局のノワールが所属している。
抱える問題: 典型的な「大企業病」。王都の中央集権システムが硬直化しており、地方都市(ルークのいる辺境)との情報伝達にラグがある。派閥争い(社内政治)が激しく、不要な監査や天下り(アリスなど)が頻繁に発生する。ルークにとって最も警戒すべき「面倒な親会社」。
神聖ヴァレリウス帝国
概要: 王国の東に位置する、宗教的権威を重んじる軍事国家。
抱える問題: コンプライアンスが異常に厳しい。独自の「聖なる関税」をかけてくるため、東の国境を越える貿易やクエストは手続き(ペーパーワーク)が地獄のように煩雑になる。ルークは「宗教という名のガチガチの監査法人」と呼んで忌み嫌い、東方面のクエストは基本的に他ギルドに回す(アウトソーシングする)ようにしている。
魔王領(旧・魔族自治区)
概要: 北方の険しい山脈の向こうにある、魔族や強力な魔物が統治するエリア。
抱える問題: 人類側とは長年冷戦状態。しかし、希少な魔法鉱石や高ランクモンスターの素材(レアメタル的な立ち位置)が採れるため、密輸や非公式な取引が後を絶たない。ルークにとっては「倒すべき巨悪」ではなく、「サプライチェーン(供給網)を乱す厄介な経済制裁対象国」。
【第3章:ギルドの立ち位置と防衛戦略】
「勇者が魔王を倒す」といった熱血展開は、ルークの管轄外である。
ギルド事務長としての彼の基本方針は、**「これら三つの勢力のどの逆鱗にも触れず、政治的摩擦を避け、ひたすら中立という名のぬるま湯を維持し、安定した手数料を稼ぎ続けること」**に尽きる。
「……完璧だな」
ルークは資料を読み返し、深く頷いた。
「これさえ読ませておけば、血の気の多い冒険者も『他国の関税の壁』や『為替リスク』にビビって、むやみに国境を越えてトラブルを起こすことはなくなるだろう」
「ルーク様!」
そこへ、ザックが興奮した様子で執務室に駆け込んできた。
「たった今、東の神聖帝国から来たという『聖騎士のパーティ』が、魔王領への討伐クエストをウチのギルド経由で申請したいと窓口に来ております! どういたしましょう!」
ルークの表情が、スッと真顔になった。
東のガチガチの宗教国家の人間が、北の制裁対象国へ、王国の辺境ギルド(ウチ)を経由して向かう?
「……それは、ただの国際問題(メガトン級のコンプライアンス違反)だ。ウチが仲介したという記録が残れば、帝国、魔王領、王国の三方から一斉に監査が入ってギルドが消滅するぞ」
ルークは胃の辺りを押さえながら立ち上がった。
「ザック。今すぐ窓口に『本日はシステムメンテナンスのため、越境クエストの受付は停止しております』の札を出せ! そして連中には、他都市のギルドのパンフレットを笑顔で押し付けてこい!」
平和なマクロ経済分析の時間は終わりを告げた。
異世界のリアルな情勢は、常に書類仕事と責任問題という形で、ルークのデスクへと襲いかかってくるのである。




