第10話「天下り(VIP)と、特別プロジェクトという名の隔離」
「ルーク。少し耳を貸せ」
定時まで残り二時間。ルークが完璧なペースでハンコ(承認印)を押す作業をこなしていた時、珍しくギルドマスターのゴードンが執務室に顔を出した。
その顔には、かつてないほどの深い疲労と、胃の痛みを堪えるようなシワが刻まれている。
「どうしました、マスター。また領主府から面倒な通達でも?」
「……領主様から、直接の書状だ」
ゴードンが重々しく机に置いた羊皮紙を見て、ルークは嫌な予感がした。
前世の経験が告げている。上層部が直接持ってくる話に、ろくなものはない。
「来週から一人、新人を預かることになった。名前はアリス・フォン・ルンデルハウス。……領主様の実の姪っ子で、王都の騎士学校を首席で卒業したエリートだ」
「……は?」
ルークの手から、ハンコがポロリと滑り落ちた。
「現場の空気を学ばせたいという、領主様たっての希望だ。いわば『冒険者見習い』としてウチのギルドに登録される。絶対に傷を負わせるな。そして、絶対に機嫌を損ねるな。もし何かあれば、ウチは今度こそ物理的に取り潰される」
「……」
ルークは天を仰いだ。
天下り。コネ入社。あるいは、取引先社長の令嬢の預かり。
日本社会においても最上級の「取扱注意」案件である。少しでも雑に扱えば激怒され、かといって現場に出して怪我でもされれば一巻の終わり。
「マスター。……丸投げですね?」
「俺は明日から、隣町のギルドと一週間の『情報交換会(という名の慰安旅行)』に行ってくる。あとは頼んだぞ、事務長!」
ゴードンは風のように執務室から逃げ去っていった。
「あのクソ上司……!」
ルークが前世で培った接待スキルを総動員する覚悟を決めた、その三日後。
ギルドの両開き扉が、文字通り「吹き飛んだ」。
ドゴォォォン!!
「な、なんだぁっ!?」
ロビーにいた冒険者たちが武器を構える。土煙の中から現れたのは、磨き上げられた白銀の鎧に身を包み、身の丈ほどもある巨大な聖剣を背負った、金髪碧眼の美しい少女だった。
「ごきげんよう、市井の勇士たち! 悪を討ち、正義を示すために参りました、アリス・フォン・ルンデルハウスです! さあ、最も凶悪なドラゴンの討伐依頼を出してください!」
彼女が足を踏み出すたびに、ロビーの石床にヒビが入る。どうやら、自身の凄まじい筋力と魔力を全く制御できていないらしい。
(……最悪だ。正義感に溢れた、無自覚な破壊兵器じゃないか)
ルークは修繕費の計算を瞬時に行い、胃液が込み上げてくるのを感じた。
扉の修理代、金貨三枚。床の張り替え、金貨五枚。彼女をこのまま野に放てば、街のインフラが破壊され、ギルドは莫大な損害賠償を請求される。
「き、貴様……ルーク様の構築した神聖なロビーを破壊するとは……!」
ザックが血走った目で立ち上がろうとしたが、ルークは無言で彼を手で制し、最高の「営業スマイル」を顔に貼り付けてアリスに歩み寄った。
「お待ちしておりました、アリス様。私が当ギルドの事務長、ルークと申します。ささ、まずは奥のVIPルーム(応接室)へ」
「VIPルーム? いえ、私は特別扱いなど望んでおりません! 皆と同じように、泥にまみれて戦う覚悟です!」
「素晴らしいお心がけです。しかし、アリス様のような『高度な戦闘リソース』を、その辺の泥にまみれさせるのは、ギルドの戦力運用上、著しい機会損失となります」
「おぽちゅ……?」
ルークはアリスを応接室のふかふかのソファに座らせると、ミーアに最高級の紅茶を淹れさせた。
「アリス様。ドラゴン討伐など、貴女の実力をもってすれば容易いことでしょう。しかし、真の平和とは、見えない脅威から市民の日常を守ることにあると思いませんか?」
「見えない脅威……ですか?」
「左様でございます」
ルークはホワイトボードを引き寄せ、もっともらしい図を書き始めた。
「現在、当ギルドでは『都市経済基盤・防衛プロジェクト』という極秘にして最重要のミッションが進行中です。これは、市場の物流を乱す『ミクロな不確定要素』を排除する、極めて高度な任務……。我々は、このプロジェクトの『チーフ・エグゼクティブ・オフィサー(CEO)』として、アリス様を抜擢したいと考えております」
「C、CEO……! 極秘の最重要ミッション……!」
アリスの青い瞳が、キラキラと輝き始めた。「正義」「特別」「極秘」という言葉に、若きエリート騎士のプライドが激しくくすぐられている。
「具体的には、何をすればよろしいのでしょう!」
「商業区画のメインストリートを巡回し、落ちている『不審物』の回収と、迷子になった『未確認生物(子猫など)』の保護です。これは、都市の衛生環境と治安を維持し、疫病やスリなどの『見えない敵』を未然に防ぐ、防衛の最前線なのです」
要するに、ただのゴミ拾いと迷子探しである。
絶対に怪我をしない、超安全圏への隔離(サンドボックス化)だ。
「なるほど……! ドラゴンを倒すような派手な戦いだけが正義ではない。日常の陰に潜む脅威から、市民の生活基盤を根底から守り抜く……それこそが、真の騎士の務め!」
アリスは感動に打ち震え、聖剣を天に掲げた。
「お任せください、ルーク殿! このアリス、CEOとしての重責、必ずや果たしてご覧に入れます!」
「期待しております。報告書は、毎日定時までにザックへ提出してください。あ、剣は危ないので、こちらの『公式CEOバッジ(※ただの木彫りのメダル)』と交換で置いていってくださいね」
かくして、強大な力を持った厄介なコネ入社令嬢は、「ゴミ拾い部隊のCEO」という名誉ある閑職に就くこととなった。
数日後。
街の商業区画では、「ものすごく姿勢の良い金髪の美少女が、ものすごい気迫で道端のゴミを拾い集め、迷子をノータイムで親元へ送り届けている」と評判になり、街の治安は劇的に向上した。
「ふう……なんとか損害を出さずに済んだな」
ギルドの執務室で、ルークは完璧に処理された書類にハンコを押しつつ、安堵の息を漏らした。
「ザック、アリスの今日の報告書は?」
「はっ! 『南区画にて不審な果実の皮を発見、即座に無力化に成功』とのことです!」
「うむ。平和で何よりだ」
だが、ルークはまだ気づいていなかった。
アリスが毎日書いている「熱意に溢れすぎた長文の報告書」が、領主である叔父のもとへも送られており、「あのギルドは、我が姪の真の才能を見抜き、高度な帝王学を授けてくれている!」と、領主からの評価が爆上がりしてしまっていることに。
事なかれ主義のおっさんは、知らず知らずのうちに、権力の中枢へとその名を轟かせつつあった。
ご令嬢の新たなキャラクターとしてアリスを登場です。やっとこさですね




