第9話「定例安全講習(コンプライアンス)と、精神魔法の修練」
「……先月の『酒場での乱闘による器物破損』の賠償請求が金貨三枚。『民家の屋根をショートソードで突き破った件』の示談金が金貨二枚。お前ら、ギルドの利益をなんだと思っている」
ある日の午後。ギルドのロビーは異様な静寂に包まれていた。
入り口には『本日13時〜15時、定例安全講習(参加必須。不参加者は一ヶ月のクエスト受注停止)』という張り紙が出されている。
ロビーに集められた数十人の荒くれ者たちは、椅子に座らされ、教壇(ただの木箱)に立つルークを見上げていた。
「ルークの旦那……俺たち、戦うのが仕事でして……多少の被害は……」
ベテランの魔法使いが冷や汗を流しながら言い訳をする。
「その『多少』がチリツモでギルドの首を絞めるんだ。いいか? 今日は徹底的にリスクアセスメントと、コンプライアンス意識の共有を行う。まずは、PDCAサイクルについてだ」
ルークは、前世で死ぬほど受けさせられた「絶対に眠くなる安全講習」のメソッドを完全に再現していた。
単調な声。無駄に横文字の多い説明。そして、暖炉の火を少し強めに焚き、室温を「人間が最も眠くなる温度(25度前後)」に調整するという徹底ぶりだ。
(よし。このまま二時間時間を潰せば、あとは適当にハンコを押して定時退社だ)
ルークにとって、これは単なる業務のサボり……もとい、合法的な時間稼ぎであった。
「では次に、ヒヤリ・ハットの法則について。重大な事故の背後には、29の軽微な事故と、300の異常が存在する……」
ルークのお経のような声が、ロビーに響き渡る。
開始から三十分。屈強な戦士たちのまぶたが、限界を迎え始めていた。
「(ぐ……なんだこの、恐ろしい睡魔は……!)」
最前列に座る大剣の戦士が、己の太ももをつねりながら必死に耐えている。
「(これが、新事務長の『精神魔法』か……! ただ言葉を聞いているだけなのに、意識が刈り取られそうになる!)」
冒険者たちは勘違いしていた。
彼らはこの退屈な講習を、「ギルドが課した、精神攻撃への耐性テスト」だと思い込んでいたのだ。
コクリ。
後列に座っていた若手シーフの首が、ついに落ちた。完全に夢の世界へ旅立った。
その瞬間、壁際で腕を組んで監視していたザックが、音もなく背後に忍び寄り、シーフの耳元で叫んだ。
「寝るなァッ!! ルーク様のありがたいリスクマネジメント講話中だぞ!!」
「ひぃぃっ!? す、すんません!!」
「(……殺される! 寝たらザックに殺される!)」
ロビーに緊張感が走る。冒険者たちは目を見開き、ルークの口から発せられる「コンプライアンス」や「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」という謎の呪文を、必死に羊皮紙にメモし始めた。
「……えー、というわけで、日頃の装備のメンテナンス不足が、結果的に重大なインシデントを引き起こすわけでありまして……」
ルークは内心(誰も聞いてないだろうな)と思いながら適当に喋り続けていたが、ふと前を見ると、数十人の冒険者たちが血走った目で必死に自分を見つめ、何やら真剣にメモを取っているではないか。
(……なんでこいつら、こんなに真面目に聞いてるんだ? まあいいか。あと四十分で講習終わりだ)
講習終了後。
フラフラになりながらギルドを出ていく冒険者たちは、口々に呟いていた。
「お、恐ろしい講習だった……精神力がごっそり削られたぜ」
「だが、あの『ヒヤリ・ハット』という呪文……実戦で使えるかもしれない」
結果として、冒険者たちの間で「報告・連絡・相談」が徹底されるようになり、無駄なトラブルや器物破損の請求は激減。
ルークの目論見通りギルドの経費は浮いたが、「事務長の精神魔法の講習は地獄」という新たな伝説が刻まれることとなった。
ギルド内のドタバタが少し落ち着き(?)、ルークの足場がさらに強固になりました。




