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誰も何も言わなかった。
痛いほどの沈黙があったが、それを破ったのはローラだった。
「違う! 違います、こんなの酷い! 私は何も知りません!」
「もちかけられたんですよ。エッセル家の出資先を、現在のロシュフォールの塔から、うちの塔に変えてやると。
だから、偽の暴動を扇動する手伝いをしろと」
「知らない! ひどいわ先生、どうしてそんな嘘をつくの?」
一番は、厭世的に笑った。
「そうだな聖女よ、私はもちろん君のために嘘をつこうとしていた。
エッセル領の私兵は買収済みで、彼らが出てきても我々は逃げられる手筈がついていたからな。
しかし、やって来たのは王宮騎士だった。
エッセル領が、王家が出てくるほどの重要地だと、君なら本当は知れたのではないか?
違うか?」
「知らないったら!」
「だが君は、どの公爵家でもいいはずなのに、己の欲望を優先させてエッセル領を選んだ。
まぎれもなく、君がね。
訓練された騎士らの前で、我々は無力だったよ。
あの屈辱、あの絶望感。
聖女よ、我々は下手を打ったのだ。だから、共にあの絶望を味わってもらわねばならない――首謀者として」
ローラは何か反論しようとして口を開いた。
しかし、周囲の目が、あからさまに疑いの色であることに気づいたらしい。
激情を押さえつけるように、ひとつ、息をした。
「……先生は、お金に困っておられるのです」
「そうだ! 今更そんなことを暴露しても、どうということはない。ブラディエールは資金難だ。だから君の計画に乗ったのだ!」
「私は何も知りません。先生は計画を立て、私を唆した。私は恐ろしくなり、公爵様に危険をお知らせした。
それ自体が、先生の計画だったのです。
私兵を買収したとおっしゃったでしょう。
計画では、領民を残して自分たちだけ転移で逃げ、私の予言に協力したと後から公表するつもりだったのだと思います。
私も利用されたのです」
まだまだ続きそうなローラの声を遮るように、パンパン!と二度、手が叩かれた。
ジョシュアだった。
「そこまで。つじつまを合わせようと色々考えるものだね」
「真実ですわ、殿下」
「では、聖女の関与について、宰相、報告を」
「かしこまりました。
ローラ・ハワード令嬢、すなわち聖女様につきまして、聖女として慰問を行っておられる際、全てに王城より記録係を派遣」
「なんですって……?」
呆然としたようなローラの声を、まるでなかったもののように報告が続く。
「複数回に渡り、三番との接触を記録。三番は、聖女様と同郷であり、幼少時より友人関係にあったことも確認済みである。
その後、一番との接触を記録。
聖女様が、暴動の実行者たちと頻繁に接触していることは、まぎれもない事実である」
「そ、それは、それは……ただお話をしていただけです!
おっしゃった通り、幼馴染ですもの。故郷の友人と話してはいけないのですか?」
ぶるぶると首を振り、必死で言い募るローラが可哀想で、フレデリックは今すぐ駆け寄って慰めてやりたかった。
一体、何が起こっているのだろう。
暴動が起こることは、ローラの予言だったはずだ。
なのに、それ自体をローラが引き起こしたのだと疑われている。
これは陰謀だろうか。
王家が、ローラに罪を着せようとしている?
牢に閉じ込め、飼い殺しにするつもりだろうか。
だとしたら、なんとしても阻止しなければならない。
「お待ちください。これは一体、なんなのですか」
「おやフレデリック、いたのか」
なんならジョシュアより先にいたというのに、なにか厭味ったらしい。
「……お久しぶりです、殿下。旧交を温めたいところですが、その前に、聖女様への無礼な疑いを即刻、やめていただきたく」
すっ、と、ジョシュアが目を細める。
いつも穏やかな彼しか見たことがなかったフレデリックは、一瞬、気押されて黙ってしまった。
「君、どうして知っているの?」
「な……何がでしょう」
「ローラが聖女だということをだよ」
息が止まる。
そうだ、彼女が聖女であることは、まだ五大公爵家当主にしか知らされていないと父親が言っていた。
そして、エッセル領の予言は父親にだけ伝えたことになっており、フレデリックは知らないことにしてあった。
なのに、国家機密にも等しいその事実を、フレデリックは自分から口にしてしまった。
だが、すぐに、答える。
「さきほど殿下がおっしゃったので」
そう、確かに言った。
これは誰も否定できないはずだ。
ジョシュアは、数秒ほどじっとフレデリックの顔を見ると、すぐににこりと笑った。
「ああ、そうだったね」
「はい。ですから、聖女様といえば、王族にも並ぶ大切な存在でしょう。
この度は、暴動の予言という大変に大きな功績を残されています。
それを犯罪者のごとく扱うなど、あってはならないことでしょう」
「うーん」
ジョシュアが目を細める。
それはなぜか、少し、哀れなものを見るような目でもあった。
そんなわけはないが。
「だからね、その暴動自体、ローラ嬢の企みだったと我々は思っているんだ。
自分が引き起こすんだから、いつどこで起こるか知っているに決まっているよね。
それを、あたかも予言のように教えてくれた、ってわけだ」
「馬鹿な。……失礼しました」
「いや、いいよ。そうだね、他にももしかしたら、万が一にも、君みたいに疑いを持っているものがいるかもしれないよね。
うん。では、最後の証言を訊こう」
そう言うと、ジョシュアが合図をする。
一番の口輪がはめられ、なぜか、三番の口輪が解除された。
「三番の君。君はどうする? 真実を話す?」
平民であろう男は、ひどい顔色ではあったが、目に力が残っている。
革命を起こそうとするだけのことはある。
「ああ。真実を話す。首謀者は……俺だ」
そう言うと、男は、めまいのするような話を始めた。
ローラを聖女から解放する、というのだ。
それは、フレデリックの心の中にだけあるはずの決意だ。
なのに、男は、革命を阻止してエッセル公爵に恩を売り、聖女を辞める際に後ろ盾になってもらうのだと話を続ける。
おかしい。
それもまた、フレデリックだけの、いや、フレデリックとローラだけの秘密の計画のはずだ。
なのになぜ、このみすぼらしい安っぽい男が、同じ理想を語っているのだ。
「俺が計画を立てて、勝手に実行したんだ。ローラは悪くない」
足元が崩れそうだ。
男の目を、どこかで見たような気がしていた。
どこかもなにも、それは、フレデリック自身にひどく似ている。
熱に浮かされ、自分を大物だと信じ、愛する者のためにうまく周囲を操ったと思い込んでいる者の目。
そして……ローラに焦がれている目だ。
「ふうん。そうなのかい、聖女殿?」
「えっ……」
ローラは、うろうろと視線をさまよわせている。
それは、今、目覚めかけているフレデリックの目で見ると、後ろめたいことのある者の顔でしかない。
「あ……そ、そう、です。彼が。サムが、計画を立てて、私は、嫌だって、言ったんです。
それで、でも、本当になったら困るから。
だから、予言ってことにして、被害を食い止めようと。
共犯者なんかじゃありません、私は、止めようとしていたんです!」
「サム、とは?」
「え? あの、彼の、名前です」
ジョシュアが宰相を見る。
宰相はその視線を受け、すぐに書類をめくり始めた。
「三番の名は、サムではありません」
「ええ? 何をおっしゃっているの宰相様、彼はサムよ?
子供の頃から知っているの、だから間違いないわ。ねえ、そうよねサム?」
全員の目が、必然、三番に向けられた。
フレデリックは驚く。
さっきまで使命に燃えていた男の目は、この短い間に、虚ろに変わっていた。
情熱は消え、放心状態といえる。
「ど、どうしたの、ねえ、サム。私の話が本当だって、ちゃんと……」
「俺はサムじゃない」
ローラの声を遮るように、三番が言った。
「え? 何言って……」
「サムは、扇動役をするためにつけた、どこにでもある名前だよ。
言っただろう?
いや……言わなかったかな」
「い、言ってないわ、ただ、サムと呼べって……」
そうか、と、男は静かに言った。
「君は……いや、君も。君も、誰も、俺の名前を憶えちゃいないんだな」
ローラはただただ、戸惑っているだけだ。
どうやら、彼の名前はサムではないらしい。
そしてローラの態度は、彼の本名を知らないと認めたも同然だ。
男は、がくりとうなだれた。
そして、吐き出すように言った。
「ああ……俺は……」
黙り込もうとした隙間に、ジョシュアが言葉を滑り込ませた。
「君が救われる道は、真実を話すことだけだ。
君の望みは、絶対に叶わない。絶対にね。
なぜなら、初めから、その望みは君の一方的なものだったからだよ。
哀れな君が、この先の人生で救われるには、君の方も望みを断ち切らねばならない。
引導を渡すんだ。
それだけが、君の死ぬまでの間の慰めだよ」
まるで、心を操ろうとでもしているかのような語り口だった。
現に、男は徐々にすがるような表情をジョシュアに向けている。
そして、彼はとうとう、細かく何度もうなずいてから、言った。
「俺は真実を話す。
ローラは全て知っていた。暴動を起こす領地を選んだのは、ローラだ。
最初にカートランド領、次にエッセル領。
その方が、エッセル公爵に大きく恩を売れると!」
「何言ってるのよ、サム!」
記録係が筆を走らせる音がする。
そして、ジョシュアが静かに言った。
「証言をありがとう。
もちろん、君もほぼ主導者のようなものだから、厳罰を与えられることになる。
それでも、真相解明のために正直に話してくれたことは評価しよう。
ご苦労だった――ミルコ君」
はっと顔を上げた男は、またすぐに、顔を伏せた。
口輪がはめられ、三番の出番は終わりのようだった。
フレデリックは、彼、ミルコの言葉が嘘であるようには思われなかった。
なぜなら、彼が語ったことのほとんどが、フレデリックの知るものと一致していたからだ。
知らなかったのは、暴動が予言ではなく、人為的に引き起こされたものだということだけ。
「さて、以上を以て、聖女殿……ローラ・ハワードの罪は確定したものとする」
「どうして!」
「君は、場当たり的に言い訳ばかりしているから、気づかない。
自分で話した内容が、随分と矛盾しているよ。
最初は室長が計画を立て唆してきたと言い、そのすぐ後に、サムが計画を立てたと言った。ね?」
「それは……私は、そ、そう、二人から同時に……!」
あまりに無理のある申し開きに、ローラ自身も言葉を継げなくなっている。
周囲の冷ややかな目に、顔を青ざめさせた。
もう、フレデリックはローラを見ることが出来ない。
彼女が泣いているとしても、慰める気にはなれない。
自分もまた、騙された。
聖女であるはずのローラに、騙された被害者なのだ。
「待ちたまえ」
場が解散の雰囲気になったところに、ジョシュアが待ったをかけた。
「まだだよ。まだ終わっていない。もう一人、罪人がいるだろう?」
思わず、びくりとした。
まさか。
「フレデリック、君のことだ。君も知っていたね。暴動が起こることを」
「……は、……あ、ああ、ええ、実は、事前に聖女様に聞いて、だから私は。父にそれを知らせようと」
「いいや。それより前からだよ」
ひりつく喉を、唾を何度も飲み込んで、なんとか声を出す。
「何をおっしゃっているか、分かりません。
聖女様の予言が嘘だったのなら、私もまた、騙されたのです」
「ローラ嬢には記録係をつけていたと言っただろう?
当然、君と接触したことも、こちらは把握しているんだ」
「それは……友人として会っただけで」
「婚約者であるミシェル嬢とは、夏季休暇中一度も会っていないのに?」
自分の顔がうっすら赤くなるのが自覚できた。
痛いところを突かれた。
しかし、決定的ではない。
絶対に認めてはならない。
ふと、父の顔を見る。
しかし、父はフレデリックの方を一切見ることなく、ただ真っ直ぐ壇上に顔を向けていた。
それが、なんだか、拒絶の意志のようで、ひやりとする。
「……たまたま、そういう、タイミングだっただけです」
「そう。では、君が共犯だという証言を、ここで提示したい」
ジョシュアが手を上げる。
すると、小ホールの両扉が、ゆっくりと開いた。
そしてそこから、誰かが入ってくる。
「……っ、ミシェル?」
なんと、入ってきたのは、ミシェルだった。
正式な礼装をして、真っ直ぐ壇上を見ながら歩いてきた。
そして、フレデリックから数m離れた位置に立つ。
カートランドの屋敷が焼き討ちされた翌日は、青ざめ、弱っていたのに、今はまったく立ち直った様子だった。
「ミシェル・カートランド、お呼びにお応えして参上いたしました」
「うん。来てくれてありがとう。
早速だけど……君の知っていることを、ここで話せるかな」
横顔しか見えないが、軽く微笑んだようだ。
「勿論ですわ」
「では……頼む」
ミシェルは軽く一礼して、口を開いた。
「始まりは、当家に寄せられた噂話でした」
そして、彼女は、驚くべきことを話し始めた。
根も葉もない王家批判を繰り返している集団がいるという噂を聞き、それを公爵家として調査したこと。
おそらく狙いは、暴動による国家転覆であると予想したこと。
その時点で、王家に報告し、以後の調査は王家と合同で行われたこと。
そして、第一の暴動の計画を知ったこと。
「馬鹿な!」
フレデリックは思わず口を出した。
「君は、自分の屋敷が燃やされるのを黙って見ていたと言うのか?」
すると、彼女は、やけに感情のない目でフレデリックを見た。
「当家の屋敷は、燃えてなどおりません」
「嘘よ!」
次に食ってかかったのは、ローラだ。
「先生の弟子が、ちゃんと燃やしたって報告してきたわ!
なかったことにしたいのは分かるけど、残念、立派なお屋敷は中の人間ごと燃えちゃったのよ、可哀想にね!」
フレデリックは、自分の憤りも忘れて、ローラの目のあまりの恐ろしさに震えた。
憎々し気にミシェルを睨む彼女は、聖女の面影など欠片もなかった。
ミシェルのほうは、全く表情を変えない。
それは、高位貴族として教育された者の、究極の姿といえた。
こんな時なのに、フレデリックは彼女のその姿に、見とれてしまった。
「ご存じなかったのかもしれませんが」
「何をよ!」
「私の適正魔法は、炎です」
「……は? だから何なのよ」
ローラは意味が分からないという顔をした。
しかし、フレデリックは、自分もまた同じ炎属性として、どういうことなのかすぐに分かった。
「屋敷が燃えたように見せかけたのです。私の炎魔法で。
そうでもしなければ、撤退しそうにありませんでしたので。
ですので、ガラスは割られてしまいましたが、炎は一切、屋敷を傷つけてはおりません。
もちろん、使用人たちもです」
「そんな……そんな……!
私はこんなになっているのに、あなたは全てが無傷のままだっていうの……?」
ローラが、がっくりとうなだれる。
ジョシュアが、軽く肩をすくめる。
「うん、良かったよ本当に。事前に情報を得ていたから、対策できたんだ。
ねえフレデリック、この対策のために、ミシェル嬢は自領に戻っていたんだよ。
もし君が、きちんと婚約者として交流していたなら、それを知らなかったなんて事態にはならないはずだったのにね」
「そ、それは……っ」
痛い言葉だった。
確かに、ローラと共に聖女解放の計画を練り始めたあたりから、ミシェルには全く構わなくなっていた。
どうせ、婚約は解消するのだと、あえてないがしろにした自覚はある。
フレデリックは、今この瞬間にあることに気づき、ぞっとした。
あんなにも望んでいた婚約解消だが、いまとなっては絶対に阻止しなければならない。
もはやローラとの未来など考えられなかった。
そうなれば、ミシェルと婚姻を結び、公爵家に婿に入るのは、最も理想的な道だった。
そうだ。
なぜ気づかなかったのだろう。
文官として国に奉仕しつつ、女公爵の婿として公爵家の特権を一生使い続けられる。
そんな幸運は、どこにでもあるものではないのだ。
「……まあいい。それで、ミシェル。
フレデリック君は、ローラの企みを知らなかったと言い張っている。
それについて、君は、なにか重要な証言をしてくれるんだね?」
「はい」
何を言うつもりだろう。
そもそも、なぜミシェルは、フレデリックを陥れる側にいるのだ。
彼女は、だって。
「ミシェル? どうしたんだ。私が冤罪で捕まったら、困るだろう」
ミシェルはフレデリックとの婚姻を、心の底から望んでいる。
自分には分かる。
だからこそ、ローラという聖女の立場にある相手でなければ、こんな計画は立てなかった。
公爵令嬢という強力なカードを持つ彼女に、滅多なことで婚約解消など突きつけられるはずもない。
聖女であることこそ、こちらの切り札だった。
とにかく、ミシェルはフレデリックを望んでいるはずなのだ。
しかし、彼女は、シンプルなフレデリックのその問いを――無視した。
全く聞こえなかったかのように、壇上にだけ話し続けた。
「証言と言うより、証拠でございます。エッセル公爵令息が、第一の暴動を事前に把握していたという証拠です」
「そんなものはない」
ジョシュアが、ミシェルとフレデリックを交互に眺める。
「証拠があるというんだね。それは、なんだい?」
「証拠などない! 私は何も知らなかった!」
実のところ、これはフレデリックの本音だった。
証拠など残した覚えはなかった。
だからむしろ、声には安堵の響きが混じってしまったことだろう。
証拠などなかったことが分かれば、必然的に疑いは晴れる。
そうだ。
きっとミシェルは、そういう意図があるのだろう。
わざと証拠があるといい、実はなかったという逆転劇で、フレデリックの罪を晴らそうとしている。
やはり、自分にはミシェルしかいない。
一途に自分を慕ってくれる人間がいることが、こんなにも喜びをかきたてると、今までの自分は気づいていなかったのだ。
「そうだね、ミシェル。君は、証拠など、持っていないんだ」
その時初めて、彼女がフレデリックの方を向いた。
「ええ。持っていません」
やっぱり。
ミシェルは、やっぱり、自分を。
「持っているのは、エッセル公爵令息自身です」
「……なんだって? 何を言っているんだ、ミシェル。もうやめなさい。
私が、一体何を持っていると言うんだ」
そして、彼女は言った。
「手帳です」




