8
フレデリックは落ち着かなかった。
うろうろと自室の中を歩く。
今頃、ローラは王宮で同じように落ち着かない気分でいるだろう。
そう思うと、聞き取りなどと言う名目で、予言内容が漏れないよう管理している王家に怒りが湧いた。
ローラは、記録のためだと思っているようだが、フレデリックに言わせれば、あれは情報の独占だ。
そうやって、ローラではなく王家から有益な情報を下げ渡してやることで、権威を高めようとしているようにしか思えない。
気づいていない彼女が、可哀想だった。
だが、いまや事態は、フレデリックの手の中にある。
聖女を解放するのだ。
今回のことは、それを可能にする予言だった。
エッセル領は、公爵家にとっても、王家にとっても、重要な意味を持っている。
あそこは、機密庫なのだ。
エッセル家は、魔道具の研究に莫大な投資をしている。
そして、エッセル領の屋敷には、その魔道具という、世界を動かしている仕組みのほとんどと、さらに新しい知識があらゆる形で保管されている。
書物であったり、ただの紙切れであったり、あるいは魔道具の実物やなんかが、把握しきれない数詰め込まれていた。
それは、エッセル公爵家の全てである。
今まで世に出ている魔道具のいくつかの仕組み、その知られざるとある技術。
例えば、ほとんどの貴族の家にある保冷庫は、この隠された技術が公開されない限り、模倣されることはない。
それから、王家だけが知っている、治世に役立つあれやこれやなんていうものもある。
他国の諜報員の口を割らせるための器具や、禁忌ぎりぎりの魔術の構成は、王家としても外に出してもらっては困るものだ。
それに、なにより、現在研究中のものも、途中経過ごとに保管してある。
最重要とされる、魔道具における効率的な魔力の循環法などは、今後莫大な金を生み出す予定だった。
それらがもし、焼き討ちされていたらと思うと、ぞっとする。
価値も知らない領民たちが、自らを養っている領主の全てを破壊しようとしたのだ。
父であるエッセル公爵は、おおいに聖女に感謝するだろう。
それだけではない、王家もだ。
とてつもない価値のあるものを、予言で守ったのだ。
「いや……これからか」
そう、第二の暴動は、これから起こる。
窓の外を見る。
間もなく日が沈む。
そろそろ、第一の暴動が起こった時間だ。
おそらく、やるならば同じ時間になるはず。
ふと、その最初というのが、カートランド家の領地であったことを思い出し、暗い気持ちになる。
幼いころから婚約していたこともあり、王都のタウンハウスだけではなく、ミシェルとはそれぞれの領地にも何度も遊びに行った。
当然、カートランドの屋敷は、自分の家と同じくらいに馴染んでいる。
「執事や使用人は大丈夫だっただろうか……」
父からは、屋敷が襲撃されたことは聞いたが、詳しい情報は教えてもらえなかった。
それらの情報は、高位貴族の当主のみで共有され、それ以外には情報統制が入っているのだ。
ただ、フレデリックは、ミシェルの婚約者であるということから、暴動当日に、その事実だけは知らされたのだ。
カートランド領から、魔法陣の伝令を使ったのだろう。
婚約者でもあるミシェルの家には、エッセル家からふんだんに魔道具が融通されている。
カートランドの屋敷が襲撃されたと聞いてすぐに、ミシェルに会いに行った。
あの時、青ざめてはいたものの、彼女はいつも通りの凛とした公爵令嬢の姿を崩さなかった。
自領の悲劇にも、少なくともフレデリックの前で涙を流すことはなく、ただ、諸々の事情でタウンハウスに留め置かれており、しばらく交流はできないと謝っていた。
ミシェルと最後に出かけたのは、ローラと演奏会に出かけるより前だ。
だから、その断りには少々気まずい思いもしたが、同時に、ほっとしたのも事実だった。
なにか出来ることはないかと聞くと、恐縮しつつもお使いを頼まれた。
エイケン商会に商品を注文したまま、引き取りに行けなくなってしまったため、代わりに訪ねて欲しい、と。
いちもにもなく引き受けた。
短時間と約束したうえでの面会だったため、その後、すぐにカートランド家を辞した。
ミシェルの笑顔が最後まで見られなかったことが、少し残念だったが、仕方のないことだっただろう。
逆に――泣かないのだな、と思った。
これがローラなら、きっと、泣いていた。
もしミシェルも同じようにしてくれたなら、堂々と慰めることができるのに、彼女は泣かない。
だから、曖昧なお見舞いの言葉を短く伝えるだけで帰ってくるしかなかった。
彼女のことは、大切に思っている。
長い付き合いで、情というには大きすぎる愛しさがある。
だが、それはあくまで家族のようなもの。
婚約者であることは分かっているが、ローラに抱く気持ちとはあまりに違いすぎた。
彼女に出会ったことで、初めて、誰かと一生を共にするということを考えたのだ。
年老いるまで側にいるなら、愛し、愛された人がいい。
だから、婚約は解消する。
フレデリックはすでにそう、決めている。
そして、ローラを聖女から解放し、自分のものにする。
その手筈は、整ったのだ。
ミシェルには、きっともっといい縁談がくるはずだ。
次期公爵令嬢で、可愛らしく、淑女の見本のような彼女なら、引く手あまたに決まっている。
ふと、考えてしまった。
もし、第一の暴動がカートランド領で起こると最初から知っていたら、自分はどうしただろう。
「もちろん……もちろん、止めたさ」
そう。
きっとそうだ。
そうなれば、ローラと結ばれるという計画はご破算になるが、それでも。
きっと。
「でも、知らなかったからな」
そう、フレデリックは知らなかった。
だから、悲しいけれど仕方のないことだ。
再び窓の外を見る。
完全に夜になり、窓ガラスには自分の姿が映っている。
襲撃者たちが、エッセル家の敷地に入った瞬間、一斉に捕縛することになっている。
もうそろそろだろうか。
すでに、終わっただろうか。
フレッドは落ち着かず、部屋の外に出てみることにした。
エントランスまで行くと、ちょうど、執務室からやって来たらしい父親と顔を合わせた。
「父上、暴動は」
「問題なく処理された。私は今から、王城へ行く。お前は家から出るな」
そう言うと、父は足早に出て行った。
「そうか……良かった」
フレデリックは、屋敷が守られたことにほっとした。
ただ、それから七日ばかり、自宅に軟禁されたのは少し堪えた。
情報統制の一部らしいが、ローラがどうなったかも教えてもらえず、もちろん会うことも叶わないのは耐えがたいものだ。
そうやって部屋で悶々としていたある日、突然、ドアがノックされた。
家令にしてはいつもより少し乱暴な音で、沈着冷静な彼も、こんな時は正常ではないのかなと思いながら、どうぞ、と答えた。
しかし、ドアを開けたのは家令ではなく、見知らぬ男だった。
軽鎧とマントをつけ、胸元に王家の紋をつけていることから、騎士だと分かった。
「……誰だ、君は」
「王宮騎士を務めております、アッシュ・ボイドと申します。
フレデリック卿には、少々ご足労いただきたくまかりこしました」
なるほど、ローラのことだろう。
いや彼らの視点からなら、予言のこと、といったほうがいいか。
王家ではなく、フレデリック個人に予言を伝えた件について、事情を聴くのだと思われた。
わざわざ王宮騎士が来たなんて、随分と大げさに思えたが、エッセル領の持つ影響力を考えればそれもおかしなことではないかと思い直す。
なんにせよ、正念場だ。
ここでうまく恩を売り、エッセル家の価値を再確認させ、これから先の計画を成功させなければならない。
「父は?」
「ご一緒に」
「分かった」
フレッドはそのまま部屋を出て、エントランスへと向かった。
令嬢とは違い、タイを直して上着を羽織れば十分だ。
玄関扉の前にはすでに、父がいた。
無言でこちらを見る目には、何の感情も宿っていない。
普段から冷静な人ではあるが、緊急事態に対処するためにピリピリしているのだろうか。
騎士にうながされ、二人はそのまま、王宮へと向かうことになった。
城に着くと、そのまま、上階へと連れて行かれた。
下位貴族はもちろん、王宮関係者でも許可がなければ入れない区域だ。
謁見室ではなく、小さめのホールのような場所に通された。
小規模の演奏会や、身内だけの舞踏会を行うような部屋だ。
テーブルはなく、壁際に椅子が並べられているが、騎士はそちらに誘導しようとはしなかった。
立ったまま待たされる。
それも、公爵である父も一緒にだ。
「まさか……陛下が直々に?」
座って待つことを許されないということは、そういうことだろう。
フレデリックの呟きに、父はちらりと視線を寄越したきり、何も言わない。
ドアが開いた。
果たして、そこから現れたのは、まさしく国王だった。
すぐに、最上級の礼を執る。
王が、謁見室ほどの位置ではないけれど一段高くなった場所にあがり、そこに据えられた椅子に腰かけるまで、ずっとそのままだ。
だが、視界の端を、見覚えのあるドレスが通っていくのが見えた。
ローラだ。
よかった、足取りは軽く、元気そうだ。
「お直りください」
宰相の声で、顔をあげる。
案の定、壇上には王がおり、その横には第三王子がいた。
王子であるジョシュアとは、幼いころはよく遊んだ仲だ。
そして、やや離れたところにローラがいた。
壇上ではないが、宰相の横にいる。
地位の高い者しか立てない場所だ。
彼女は、少し緊張しているようだった。
ほんの一瞬、こちらを見た。
目が合って、フレデリックも気付かれない程度に軽く頷いてみせる。
すると、目に見えてローラの肩の力が抜けた。
緊張を解いてやれたようで、よかったと思う。
「それでは、まずご報告をいたします」
宰相が話し出した。
「エッセル公爵領にて暴動が起こるとの聖女の予言に従い、王宮騎士団を手配いたしました」
フレデリックの頭が、ぴくりとあがった。
なぜ騎士団が?
それはつまり、王家が直接解決に乗り出したということだ。
とはいえ、普通ならば、王都から手配したとして、たった三日では領地までたどりつけはしないだろう。
それでも送り込んだということは――。
「転送魔法により、精鋭8名を派遣。エッセル領にて、暴動の火付け役をせんとした集団二十名を捕縛いたしました」
「火付け役……?」
フレデリックの疑問は、それだけではなかった。
転送魔法は便利なものだが、一度にとてつもない魔力を消費する。
それだけの量を溜めておくには、何日もかかるはずだ。
送れるのはせいぜい二人が限界。
それを八人も送ったということは、複数の転移陣を使用したということだろう。
王家が所有する二つ、あとはもちろん、エッセル家の持つ陣が一つ、それぞれ使われたに違いない。
それでも、あと一つ足りない。
どこかで借りたのだろうか。
しかし、転移陣は、とっさの時に使えるよう準備しておくものだ。
一度使えばまた使えるようになるまで何日もかかるはずで、そうそう簡単に使用させてくれる家などあるだろうか。
ふと、ローラの顔に目がとまった。
彼女は、さきほどとは打って変わって、ひどくこわばった顔をしていた。
「彼らはエッセル領の者ではないこと、判明しております。
二十名のうち十九名は、ブラディエールの塔の魔術師でありました。
残り一名は、ハワード男爵領の平民でありました」
魔術師?
エッセル領の民ではなかったのか。
次々と不可解な事実が並べられ、困惑する。
思わずローラを見たが、またもフレデリックは首をかしげることになる。
ローラが、今にも倒れそうなほど青ざめていた。
どうしたのだろう。
そういえば、ハワードというのは、ローラの家名だ。
では、彼女の故郷の人間が一人、交じっていたということか。
「では、関係者の聞き取りをいたします」
宰相が、右手をあげて呼び込む仕草をすると、ドアが開いた。
入ってきたのは、手枷と足枷をつけられた男たちだ。
フレッドは驚いた。
予言の事情を聴かれるものと思ったが、暴動の聴取を始めるらしい。
「一番。ブラディエールの塔、研究室長。
二番。その一番弟子。
三番。ハワード男爵領民、薬草栽培に従事」
男たちの喉に、輪が嵌められている。
フレデリックには馴染みのもので、あれは、口が利けないようにする魔道具だ。
さらに、魔術師らしき男二人には、魔力封じの腕輪もつけられている。
「三番の口輪を解除」
宰相の指示で、背後の王宮関係者が進み出た。
おそらく、魔術師だろう。
男が何かをすると、三番と呼ばれた平民の口輪が外れた。
印象の薄い男だった。
明日どこかですれ違っても、気づかないかもしれないほど、どこにでもいそうな顔だ。
「三番。王都、カートランド領、およびエッセル領にて、酒場や雑貨店に頻繁に出入りしていた。
その際、小麦の不作とその適正価格に関して不平不満を繰り返し周囲に吹き込む行動あり。
さらに、カートランド領、エッセル領で、大声で人々を扇動し領主屋敷へと誘い出す行動あり。
うち、カートランド領にて、窓を打ち割り火を投げ込んだ本人である。
三番は、暴動の実行犯である」
淡々と述べたあと、宰相は男を見た。
「相違ないか」
男は黙っている。
「沈黙は、認めたものと見做す。
次に、一番。魔術研究塔の研究室長という立場を利用し、弟子たちに暴動の実行を命じたと推察される。
根拠は、二番、およびその同僚である魔術師たちの行動にあり。
二番を含む弟子たちは、カートランド領の暴動に参加。
また、エッセル領の暴動にも参加し、捕縛の際には転移魔法で数人が逃亡。
痕跡を追ったところ、ブラディエールの塔が転送先と判明する。
以上のことから、一番が首謀者、二番は実行犯である」
宰相の合図で、二番の口輪が外された。
「相違ないか」
「ぼ、僕は命令されただけなんです! 本当です!
室長にやれと言われて断れる魔術師なんていない!
僕たちは被害者だ!」
宰相の後ろでは、書記官たちがそれらの全てを書き留めている。
「助けて下さい! 僕は何も知らない! 室長が!」
「二番の口輪を」
「室長がわる……むぐぅ……!」
二番が沈黙し、代わりに、一番の口輪が外される。
「そなたも相違ないか」
「……もはや言い逃れも無意味だが、一つ」
「証言は記録されている。注意せよ」
「ああ。どうか記録してほしい。
私は確かに、この暴動を扇動する一員だった。
けど、首謀者ではない」
「では、誰か」
その時だ。
急に、ローラがふらりと倒れかけた。
周囲がざわっとし、一番は言葉を止めた。
「どうしたんだい、聖女殿?」
椅子にゆったりと腰かけたまま声をかけたのは、ジョシュアだった。
さして心配そうでもない様子に、フレデリックは苛立った。
これこそが、王家が聖女であるローラを軽んじている証拠ではないか。
やはり、彼女を助け出すことが自分の使命なのだと、再認識する。
とはいえ、国王の前でフレデリックが勝手に動くことも出来ない。
ただ、歩み寄った騎士に支えられている彼女を見つめることしか出来なかった。
「わ、わたし……ちょっと、気分が悪くて」
「そうか。困ったな」
「あの、出来れば、休みたいのですけれど」
彼女は、うるんだ目ですがるようにジョシュアを見ている。
そんな目を他の男に向けていることに、じりじりとした痛みを感じる。
しかしさらに腹立たしいのは、当のジョシュアの態度だ。
「ああ、構わないよ。誰か、椅子を持ってきておあげ」
「えっ」
退室を許すのだろうと思っていたのに、なんと、椅子に座らせただけでまだローラをこの場にとどめようということらしい。
「で、でも」
「いいよいいよ、不敬だろうがなんだろうが、陛下が許すよ。ですよね、父上」
いよいよ青ざめ、うっすら汗をかき始めたローラが哀れだった。
すぐにでも寝室で休ませてやらなければならない顔色だ。
なのに、国王は、ゆっくりと頷いて、ジョシュアの対応を認めたのだ。
すぐに椅子が運ばれ、ローラが戸惑いながら着席する。
「さ、話が途中だったね。一番の君。教えてくれ、真の首謀者の名は?」
「やめ……!」
ローラが声をあげたが、一番はそれを無視して言葉を続けた。
「首謀者は――ローラ・ハワード男爵令嬢。いや、聖女様、というべきでしょうな」




