5
人の口に戸は立てられない。
フレデリックとローラが、侯爵家の私的な演奏会にパートナーとして参加したことは、ひそやかに、しかしそれなりの速さで広まった。
本人に届くのは最後の最後だろうが、ミシェルの耳に入ったのは存外早かった。
もちろん、父の調査のたまものだ。
とはいえ、夏の休暇中のこと、思ったよりもミシェルの周囲は静かだった。
もちろん、例外は、ある。
「ミシェル様」
「あら、アンジェラ様! 領地へお戻りではなかったの?」
フレデリックにしつこく絡んでいた、アンジェラ・エイケンだった。
今日は取り巻きはおらず、侍女を一人だけ連れている。
夏の休暇中、彼女は領地へ戻ると言っていたはずだ。
休みはまだ一月は残っているのに、なぜか彼女は王都にいて、ミシェルが入った宝飾店で声をかけてきたのだ。
「それどころじゃなくて戻ってきたのよ。あなたに会いに」
「何かご用事でした?」
「ええ、まあね。文句を言おうと思ったのよ。丁度良く見かけたから、追いかけて来たの。
ねえ、個室を借りてちょうだい。少し話しましょう」
「いいけれど……」
ミシェルは、顔見知りの店員を呼び、商談用の個室を特別に貸してもらった。
狭いけれど、お互いの侍女を合わせて四人なら十分だ。
支配人がお茶を運んでくれたので、お礼を言う。
「それで、文句と言うのは?」
アンジェラは、じっとミシェルを見た。
「フレデリック様が、ローラ嬢と演奏会に出かけたのは知っていて?」
「……知っている、といえば、知っているわ。それと、フレデリックと呼ばないでいただきたいわ」
「そうね。エッセル卿は、あなたとの婚約を解消するおつもりなのかしら?」
彼女があっさりと要求を呑み、名前を呼ばなかったことに少し驚く。
とはいえ、尋ねる内容は剣呑なものだ。
「いいえ。フレッドがそんな愚かな選択をするとは思わないわ」
現状、ローラが聖女であることは機密事項だ。
彼女は男爵令嬢でしかなく、その場合、公爵令息であるフレデリックが彼女を選ぶことはありえない。
いや、許されることではない、ともいえる。
「ローラ嬢と出かけたことは何か理由があるのでしょう。
文句というのは、私がフレッドをつなぎとめておけなかった、なんて話かしら?」
攻められてばかりでは貴族子女の名がすたるので、こちらから話を向けてみる。
当然、その通り、とばかりに重ねて攻めてくると思った。
アンジェラこそ、ローラと同じように、フレデリックを奪おうと狙っているのだから、横から奪われては文句の一つもあるだろう。
だが。
「まあね。そのつもりだったけれど」
そう言ったきり、彼女は、じっとミシェルの顔を見るばかり。
「……あの?」
居心地が悪くなって、会話の続きを促してみる。
彼女は、何の感情もない貴族特有の顔をしていたが、不意に、背後の侍女に合図をして何かを受け取った。
布に包まれていたが、それを解くと、中から箱が出てきた。
「あら、なんて綺麗な絵付けなの」
ミシェルは思わず声をあげる。
蓋を開いた中には、ティーカップとソーサーが5客ずつ、収められていた。
手に取ってみると、驚くほど薄く、固く、そして絵付けが鮮やかだ。
「これは?」
「うちの領で採掘される鉱石を砕いて、練り上げて焼いたの。
土ではなく、鉱石の粉で製造したということよ。
私が、人とお金を使って調査させて、試作を死ぬほど繰り返して、ようやく作り上げたの。
これは、私の、初めての、そして成功した事業というわけ。
陶器と違って口当たりが良く、なにより滑らかで美しいでしょう?」
「ええ、表面がつるりとしているから、色も綺麗にのるのね」
「差し上げるわ」
嬉しいけれど、と首をかしげる。
「なぜ?」
「これから我が家が大々的に売り出すからよ。
先んじてどこかでお使いになるといいわ。
流行の先端をゆくお嬢様よ」
「そうね。でも、いただく理由にはなっていないわ」
アンジェラは、大人びた仕草で肩をすくめた。
「案外とまるめこまれないのね」
「あなた、私をなんだと思っているの」
「言わないでおく。
ええと、理由ね。なんでもいいけれど……そうね、じゃあお詫びということにしましょう。
今までエッセル卿にお声がけしていた、お詫び」
なんとなく、彼女の様子から察してはいたが、どうやらフレデリックから手を引くつもりのようだ。
「それは十分、理由になりそうだわ」
「ねえでも勘違いしないでほしいのだけど、私は諦めたわけではないのよ?
ああ、いえ、そういう意味ではなく。これからも婿に狙うというわけではなくってね。
なびきそうもないから諦めたわけではなく、その必要がなくなった、ということですからね」
ミシェルは、改めて、立派な木箱に収められたティーカップを眺める。
これは、彼女のいう通り、王都の一大ブームになるだろう。
手触りも口触りも、今までの陶器とは全く違う。
繊細な絵付けが可能になり、形の優美さは、昨今の流行にぴたりと合っている。
「公爵家という後ろ盾は不要になった、ということね」
「そう。すでに婚約者のいる高位貴族をお迎えしなくとも、家格の釣り合うお相手を探せばいいとお父様も言って下さったわ」
つまり、フレデリックを婿にと望んでいたのは彼女の父親で、今までのアンジェラはそれに抗えなかった。
しかし、上昇志向の強い父親を、この技術と製品で黙らせた、ということか。
「おめでとう、と言っていいのかしら」
「それは勿論、言ってもいいのよ。でも……」
得意そうな顔をしていたくせに、アンジェラの顔は徐々に曇っていく。
そして、彼女にしては非常に珍しいが、何かを言いづらそうにしている。
ミシェルは、思わずふふふと笑った。
「なぜ笑うの?」
「だってあなた、キャシーと同じ顔をしているわ」
「誰よそれ」
「我が家の元メイドよ。彼女も、すごーく何かを言いたそうだったわ」
「ふうん。メイドごときが何を言うのかは知らないけれど、いえ、言えなかったみたいだけれど、私は言うわ」
アンジェラは、真面目な顔をした。
「エッセル卿のことは諦めた方がいいと思う」
それは、彼女なりの真剣な忠告だった。
父親に命じられたからとはいえ、ずっとフレデリックを婿にするため努力をしてきた彼女が言うのなら、もしかして正しいのかもしれない。
でも、ミシェルにはミシェルの知るフレデリックがいる。
キャシーとも、アンジェラとも、同じ気持ちにはならない。
「フレッドは私と結婚するわ。例え誰かに心奪われたとしても、その判断を間違えないのが公爵家に生きる者の最低限の使命なの。
そしてそれは、私も同じだということを、あなたは理解する必要があるわ」
アンジェラは、大きくため息をついた。
その顔は、ますますキャシーに似ている。
そして彼女は、やはりキャシーと同じように、その先を飲み込んだ。
ティーカップの箱に蓋をすると、侍女に合図をし、立ち上がる。
「ねえミシェル様、その元メイドとやらは、こうは言っていなかった?
自立の手段を持つ女は、自分の幸せを望むだけの権利がある、って」
「いいえ」
「そう……」
ではね、と言って立ち去りかけた彼女に、ミシェルはふと思い出して言った。
「でも、別のことは言っていたわ。『なんてろくでもない世界』って」
「それがあなたの決意に対する感想なら、私も同意だわ」
そう言い残し、アンジェラはかすかなため息とともに店を出て行った。
ミシェルは、残されたテーブルで、ゆっくりと紅茶を飲みほした。
彼女たちにとって『ろくでもない』この世界と、誰よりも気高く、そして誰よりも貴族としての恩恵を受けている自分の世界は、もしかしたら違うのかもしれない。
「面白いわね。人の価値観というのは、立場で随分と変わるのだわ」
ミシェルが第三王子であるジョシュアと面会できたのは、父親から資料を受け取って五日後のことだった。
いくら公爵家の令嬢といえど、王族にそうそう簡単に会えるわけではない。
これでもかなり、融通してもらったほうだ。
「やあ、よく来たね」
「お久しぶりです、殿下。今日はお会いできて嬉しゅうございます」
ジョシュアは、末っ子らしい柔らかい表情で、ふふふと笑った。
「あのお転婆な君が、すっかりお嬢様だね」
「あら。小さい頃の話をするなら、私も負けませんけれど。
殿下が子犬を怖がった時のことなんか、ご披露してさしあげましょうか?」
「ごめんごめん、君の成長を嬉しく思っただけだったんだ。
赤ん坊だった頃から、それはそれは可愛くてね?」
ジョシュア自らが椅子をひいて、華やかに整えられたティーテーブルに案内してくれる。
揃いのカップとポットの柄はミシェルの好きなミニ薔薇だし、所狭しと並べられている菓子も全てミシェルの好物だ。
幼いころからの付き合いだけあって、喜ぶものを把握されている。
「まるでおじいちゃまみたいなことをおっしゃるのね。たった五つしか違わないではありませんか」
「十代の五つは大きいよ。さあ、堅苦しい言葉遣いは不要だ。昔みたいにお喋りしようじゃないか」
「だめよ、せっかく学園に通って、お姉様がたをお手本に頑張っているのだもの、成果をみてくださらなくちゃ」
ジョシュアは苦笑し、好きにおし、と言って、メイドに合図をした。
丁寧に蒸らされた紅茶が注がれ、これまたミシェルの好きな柑橘系の香りが立つ。
「それで、何か話があるんだって?」
「ええ」
ミシェルが後ろを振り向く前に、侍女がすっと寄って来て、資料を手渡してくれる。
それを、向きを変えてジョシュアに差し出した。
「これは?」
「王都で、暴動の気配があるの」
その途端、ふっとジョシュアの表情が変わる。
幼馴染の気楽な様子が消えている。
場違いながら、ミシェルはその顔を、感心しながら見ていた。
彼が自分を赤ん坊のように見ているのと同様、自分も彼を子どもの頃のままのイメージで見ていたことに気づく。
とうに学園を卒業した年である。
王宮に仕え、王族として政務に携わっている彼は、もう大人の仲間入りを果たしているのだ。
「説明して?」
「ええ。まず、これが今年の小麦の収穫量と値段の推移よ。
こちらが去年、平年通りの収穫だった時のもの。
確かに今年は多いといえないけれど、価格が暴騰している、とは言えないわ。
こっちが、前回不作だった時のもの」
「うん。小麦は我が国の主食だからね、この件は把握しているよ」
「そうよね。それでね、でもね、これを暴利だ、って吹き込んで回っている人間がいるの」
「ふうん……?」
ミシェルは、また別の資料を手渡し、噂の元となっている人間のリストと、その流言がどのていど王都に広まっているかを話した。
この手の話は、伝播力が強い。
おそらくすでに、地方にも広まっているとミシェルは思っている。
いやもしかしたら、地方から王都に入ってきたという可能性もある。
そうであれば、把握できている以上に浸透しているのかもしれない。
「三十年ほど前に、隣国で実際に価格の吊り上げがあったわね」
「ああ。戦争に備えて備蓄を増やすため、流通を減らす目的で国が主導した価格操作だね」
「あの時、国民達は、各領地の代官の家を焼き討ちしながら王都に向かったわ。途中で王家が認めて、小麦の定量配布を決めたから鎮まったけれど」
「ああ、下手したら、城に直接殴り込んでいただろうね」
そこまで計画されているかどうかは分からない。
が、可能性はゼロではないだろう。
そのような過去の事例をさかのぼってみれば、今、国への不満を煽り、民の不安を煽って回っている目的は、おそらく暴動を起こすことにある。
「分かった。とても重要な情報をありがとう」
「どうなさるつもり?」
「実態を把握しなければ。君を信用しないわけじゃないよ。もっと詳しいことを、権力と組織の能力のふたつを存分に使って調べてみよう」
ミシェルは頷いた。
確かに、公爵家といえど、秘密裏に動くことには限界がある。
国の諜報部を使えば、もっと詳細な情報が入手できるだろう。
「なら、あとはお任せするわ」
「うん。……うーん」
ジョシュアは、資料に落としていた目を、ちらりとこちらへ投げた。
そこには、少しだけ、何かを探る空気がある。
嫌な雰囲気ではないが、ちょっと焦ってしまう。
「君は」
「な、なにかしら」
彼はふふっと笑った。
「君は隠し事が苦手だね」
「なんのことかしら」
「これ。この話をね。なぜ兄たちではなく、僕に持ってきたの?」
「そ、それは……」
「動くにしても、兄たちのほうが話が早い。なのに、わざわざ僕に持ってきた。ね、おかしいだろう?」
「おかしくないわよ。王太子殿下にお目通りなんて、難しいじゃない。そうでしょ」
「うーん、二番目の兄なら、僕と大差ないよ」
「もう、そこは、そうだねって言っておけばいいじゃないの!」
とうとう大声で笑われた。
「お姉様がたに倣った淑女の君はどうしたんだ?」
「次々追い打ちをかけないで、ちょっと黙ってよジョシュア!」
「そもそも政に首を突っ込むなんて今までなかったことだ、何かあるよな、そりゃあ何かあるだろうな」
「ねえそれ、聞かなければいけないこと?」
「そういえば、僕の耳にも届いているよ。フレデリックの噂」
確信にあっさりと踏み込まれ、ミシェルは思わず渋い顔をする。
ジョシュアのほうは、明らかに調子に乗っていた態度を少しだけ和らげ、やれやれと言った。
「つまり君は、この功績を引っ提げて僕の妻となり、フレデリックに一泡吹かせる計画なの?」
思わず彼の顔を見た。
どうもふざけたりからかったりしている様子はなく、本気のようだ。
こちらの思惑を見透かされそうだと焦っていたが、それどころではない、全く見当違いの腹の探り合いをしていたというわけだ。
ミシェルは目を見開いた。
「なんですのその、突拍子もない計画は」
「え。あれ。違うの?」
「当たり前でしょう。なぜ私がフレッドをやりこめなければなりませんの?」
「なぜって……」
ちょっと困った顔をされた。
つまり、ジョシュアもまた、キャシーやアンジェラと同じ結末を思い描いているということだ。
ここにきて初めて、うっすらとした疑問が胸に差す。
王家という、この国の最高位に属するジョシュアにして、婚約の不履行を選択肢に入れている。
一度結ばれた縁に対して、全力で維持しようと努力するミシェルの方がおかしいのだろうか。
「いえ。おかしいのはジョシュアよ。私はフレッドと結婚するわ。
そう決められたのだもの、そのために力を尽くすのは当たり前でしょう?」
ジョシュアは少し驚いたようだが、やがてゆっくりと二回頷いた。
「そうだね。結婚相手として、フレデリックは悪い奴じゃない。少なくとも、僕がよく交流していた数年前まではね」
「彼はそれからも変わりはないわ」
「うーん、君がそう言うなら」
「……」
「……なに?」
目の前の端正な顔を、軽くにらむ。
「聞き流しているわね、私の意見を!」
「よく気づいたね。今の君には、何をどう伝えようと、意思を曲げないだろうからね!」
「もう!」
腹が立って、落ち着くために紅茶を口にする。
美味しい。
その隙に、メイドではなくジョシュアが手ずから、小さな菓子を取り分けてくれた。
フォークで切り分けて食べる。
美味しい。
ミシェルの好きなものばかりなので、当たり前だけれど。
「公爵が動いているんだよね?」
「ええもちろん。私じゃまだ無理よ、ここまで人を使うのは」
「どうしようかな……。うん、公爵が動ける範囲は、お任せしようかな。
僕の方は、王家の手の届く範囲について担うこととするよ」
「表に出てこないものと、公爵家の入り込めない他領は王家で、ということね。
分かりました。お父様に伝えておくわ」
「何か分かったら、また君が僕に会いにおいで。その方が、おかしな噂が立たないだろう」
確かに、公爵が直々に第三王子に会いに来るというのは、核心にせまらずともおかしな噂を呼びそうだ。
ミシェルは頷いた。




