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ローラには勝算があった。
男爵令嬢に過ぎない、ましてや外腹に生ませた庶子を引き取っただけの子が、公爵家の次男と結婚できるはずもない。
本来ならば、だ。
しかし、ローラは聖女だった。
15歳で男爵家に入った後、おざなりな令嬢教育を施され、そのまま益のある商家へと嫁がされかけた。
その過程で、釣り書きに箔をつけるための魔力測定をした。
そこで、ローラが聖女だと判明した。
「でかした!」
父親は狂喜し、ローラに対して冷ややかだった正妻も目を輝かせていたものだ。
すぐにでも教会に、という話に一度はなった。
しかし、すぐに上層部はその考えを撤回することになる。
理由は、ローラの教育だ。
市井で育ったため、まともな教育は受けていない。
男爵家に引き取られてからは、せいぜい一般的なマナー程度で、どうせまた平民に嫁がせるのだという考えが透けて見える教育しか受けていない。
ローラと言う少女は、あまりに無知で、あまりに無礼。
そういう訳で、ローラは急遽、貴族学園へ通うことになった。
「最低限の知識と、必要なだけのマナーを学ぶ。
それだけでいいが、それ以下ではいけない」
それが国の上層部の期待である。
しかし、ローラにとっては、思いがけないご褒美だった。
学園では、騒動になることを防ぐため、聖女であることは伏せられている。
だから、同年代の友人を作り、労働はなく、おもしろおかしく毎日を過ごせる。
もちろん、週に一度程度は教会へ行き、聖女としての修業もつんでいた。
月に二度は、遠方の教会に慰問に行く必要もある。
しかしまだお披露目は先のこと。
教会側もその意識があるのか、そう厳しい内容ではない。
だから、本当にただ楽しいだけの日々。
平民としては物心ついた頃から労働をし、男爵令嬢としては突然母と引き離された上にマナーだなんだとうるさかっただけで、贅沢とは縁遠かった。
今が永遠に続けばいいのにと思う。
しかし、聖女として歴史を学ぶうち、この先の自分についても想像がつくことになった。
その時代に一人しか生まれないという聖女は、まず教会に入る。
そして、祈りと修業の日々を経て、一生を神の花嫁として生きるのだ。
「冗談じゃない……」
大人の都合で生まれ、不要と判断され捨て置かれ、急に必要になったからと引き取られ、あれをしろこれをするなと命令される日々。
そして、万人を癒すという大いなる力を得てなお、誰かの都合で人生を決めつけられる。
冗談じゃない。
15歳まで平民として育った経験は伊達ではない。
貴族はどうだか知らないが、平民たちの間では、結婚と出産は順番が違うことなどよくあること。
そして、踏ん切りのつかない男たちも、子どもが出来ればあっという間に夫という立場におさまるのだ。
だから、子どもを作ろう。
ローラにとって、それはごく当たり前の計画だった。
問題は、相手だ。
王族では意味がない。
それは国に取り込まれ、いいように使われるだけだ。
できれば、高位の貴族も遠慮したい。
詰め込まれるマナーも、ローラにとっては何の意味があるのか不明だし、苦痛でもあった。
けれど、裕福であるにこしたことはない。
いろいろと考え、周囲を観察し、相手を見繕った。
ほとんどの令息には、婚約者がいた。
ないものもあったが、訳アリの人物が多い。
誰がいいだろう。
最も都合が良いのは誰だろう。
そして見つけた。
フレデリック・ハワード公爵令息だ。
家自体は高位貴族だが、彼は次男だった。
いずれ王宮で文官になることがほぼ決定している。
婚約者はいるが、大した問題ではない。
公爵家の少女で、彼女自身が父親の後を継ぐので、領地の仕事は彼女の手に引き継がれるそうだ。
だとしたら、聖女の婿でもいいじゃない?
子どもさえ作ってしまえば、教会に入ることを拒否することも出来るはずだ。
過去にも、何人かそんな聖女がいたと聞いたし、実際に国立図書館へ行ってその事実を確認してきた。
文官としての給金と、聖女の働きに見合う支給金で、十分暮らせるのではないだろうか。
そうして少しずつフレデリックの周辺を探っていると、エッセル家は他に複数の爵位をもっていることが分かった。
カートランド家に婿に入らない場合、それらの爵位のうち、下位のどれかを与えられる可能性が高い。
いや、ほとんどそうなるのが慣例だ。
ましてやローラは聖女だ。
王には届かないが、公爵家となら肩を並べる資格はある。
そんな自分を娶るのだから、爵位を与えるのはむしろ必然といえた。
計画が上手くいく要素が揃っている。
だからローラは、少しずつ、フレデリックを落としにかかった。
「フレッド!」
「ローラ。淑女は走ってはいけない」
「はぁい」
ローラは、叱られたことには素直に返事をしつつ、無邪気に笑って見せる。
貴族としては、婚約者であるミシェル・カートランドに敵うはずもない。
だからこそ、その正反対の位置で戦うしかない。
無邪気さ。
素直さ。
可愛らしさ。
子どもっぽさ。
あざとい方法だったが、フレデリックには覿面だった。
表情の動きが非常に少ない男だが、今も、明らかに口の端がゆるんでいる。
「でも……良かったの、今日。花祭りの日に、釘を刺されたのよね、婚約者さんに」
「構わない。元々侯爵に招待されていた。たまたま君と同席しただけだ」
言い訳を始めたことに、彼は気づいているだろうか。
追及された時に言い逃れられる理由を準備しているのだ。
それこそが、フレデリックがこのエスコートを後ろめたく思っている証拠で、なぜ後ろめたいのかといえば、ミシェルが咎めるような行為であると理解しているからだ。
それでも、彼は来た。
今日、彼が迎えに来た時点で、ローラは勝利を確信した。
「今日は歌い手の方もいるんですって! 楽しみだわ」
「ああ、そうだな」
差し出された手に、気取って自分の手を載せる。
楽しくて、嬉しくて、幸せだった。
◇ ◇ ◇
フレデリックとローラが演奏会に出かけているまさにその日、ミシェルもまた外出中だった。
「ごきげんよう、お嬢様」
「ごきげんようキャシー。どうぞ座って」
前回と同じサロン。
室内には、二人の他、ミシェルの侍女しかいない。
「あなた、まだマシューズ商会にいるのですって?
結婚して子供も産んだのに、男爵はよく許したわね」
「まあお嬢様、私が別の世界でどう暮らしていたか、少し話したじゃありませんか」
「ええ? 主に私の我儘の話だったじゃないの。
……いえ待って、ママ友と浮気の話をしていたわね」
「語弊がある省略の仕方ですが、そうですよ。
離婚して子ども引き取って生活できていたのは、私が働いていたからです。
向こうじゃ、結婚後も仕事を続けるのは普通ですよ」
そこで、ミシェルはピンときた。
「商会が業績を伸ばしているのは、類を見ない独自の商品開発が理由よね。
あなた……アイディアを出しているのは、あなたなのじゃない?」
キャシーはうふふと笑う。
「特許取ってるんです。私の企画書で商品化した場合、10年間は8%のインセンティブが入るんです」
ミシェルにはよく分からないが、モノではなくアイディアを売ると言うのは新しいなと思う。
ただの入れ物であった缶に装飾を施して商品を詰めたり、着せ替え人形と呼ばれる形態の玩具など、そのあたりが彼女の功績だろう。
「それでお嬢様、今日はどうなさったんです?」
「ああ、そうね。それこそ、あなたが私に話してくれたことなのだけど」
「はいはい、もう一回話します?」
「ううん、さっきも言ったけど、ほとんどが私の話だったでしょう」
「そうですね、お嬢様にお話したので」
「ローラ・ハワード嬢についても聞かせてほしいわ。だって、私が戦う相手は彼女なのだもの」
キャシーは、少し面食らった顔をした。
それから、眉を顰める。
「まさかお嬢様。まだこれからもローラと張り合うつもりですか?」
「何を言っているの、当たり前でしょう」
ミシェルは心から言った。
「だって、私はフレッドと結婚するのよ」
「でも……はっきり言いますが、フレデリック様のお心はもう、ローラにありますよ?」
「だから何?」
「ああもう、お嬢様は若いから、フレデリック様を手に入れる瞬間のことしか考えていないんですよ。
結婚というのは、その後の長い長い年月を含めた話なんです。
仮に結婚したとして、それで、フレデリック様がローラに心を残していることを許せるんですか?」
手をもみ絞るようにして、キャシーが訴える。
「ええ、許すわ。
だってねキャシー。私は、まだ、彼の婚約者なのよ。解消はされていない。
政略というほどの意味はない、都合が良いという理由はあるにせよ絶対必要な婚姻ではない、それでも彼が解消を言い出さないのなら――私はフレッドの心を取り戻す努力をしなければならない」
キャシーは、ものすごく顔をしかめた。
それから、ゆっくりと前のめりになり、ティーテーブルにゴン、と額をぶつけた。
「あら、大丈夫?」
「……大丈夫ではないですね。まったく……まったくろくでもない世界だよね、ここ。
何が貴族よ、なぁにが令嬢たるもの、よ。
あーあーあー、日本もろくでもなかったけど、ここほどじゃないっつーの」
「キャシー?」
どうしたのかしら、と顔を覗き込もうとすると、キャシーはのろのろと体を起こした。
そして、紅茶を飲み、添えられた焼き菓子を大きな口で一気に頬張った。
市井に降りることもなく、周囲に貴族しかいない環境で育ったミシェルは、そんな食べ方を生まれて初めて見てびっくりしている。
まあ、大きなお口。
「失礼。糖分とらなきゃ、やってられませんからね」
「紅茶を追加しましょうよ、喉が詰まってしまうわよ?」
「これしきで詰まりませんけどね、おかわりはありがたく」
すぐに、侍女が扉の外の給仕に小声で注文を出す。
「それで、お嬢様に作戦はあるんですか?」
「いいえ。まあ、通常、殿方が喜びそうなことはひとおりやるつもりよ。
楽しそうにする、怒らない、気を遣う、優先する、その他もろもろね」
キャシーはまた、うつろな目をして笑ったが、すぐに諦めたようにため息をつく。
「それはフレデリック様の罪悪感を刺激することにはなるでしょうが、根本的にはお気持ちは変わりませんよ」
「そうなのよね。だからまた、あなたに会いに来たの。
二人の運命の恋を知っているあなたなら、それを覆す案もあるんじゃないかと思って」
「……お嬢様が望むなら、考えましょうね」
「もちろん、対価は払うわ。何でも言ってちょうだい」
新しい紅茶が注がれ、キャシーは考えをまとめるように口をつける。
「ローラは、実のところすでに聖女として教会に認定されています。学園に通っているのは、貴族の一般常識とマナーを学ぶためなんです。ですから、この後、下手な貴族連中より身分が高くなることは決まっています」
「そう。公爵家の力でもどうにもならないってことね」
「この世界の聖女と言うのは、災厄の予言が主な能力になります。他に癒しの魔力持ちとかもありますけど、これは他にもいないことはないですからね」
災厄、というと、人知の及ばない災難のことだ。
水害や干ばつ、それによる飢饉、山火事や大規模な竜巻なんかがそれにあたる。
「過去にローラは三つの災厄を予言しました。いずれも、被害は未然に防がれています」
「まあ、素晴らしい力ね!」
手を打ってそう言うと、なぜかキャシーは、目を細めて笑った。
「なあに?」
「いいえ。私の忠告は、良い結果をもたらしたようです」
「なんのこと?」
「すみません、話がそれました。予言の話でしたね。
ローラは確かに予言をしましたが、三つとも事前に察知されていたことだったんですよ。
だから、予言はあってもなくても同じだった」
ミシェルは、今のキャシーの話をもう一度、頭の中でさらってみた。
そして気づく。
「……あなたね、キャシー」
キャシーはニヤッと笑った。
「ご名答」
ローラは確かに、天啓を受ける聖女だ。
けれどここに、奇妙な話を披露するおかしなメイドが一人いる。
彼女は、未来のことを知っていると告げた。
それは転生によるもので、神とのつながりはない。
しかしそれでも、ガワだけ見れば予言と同じである。
「カートランド公爵様、つまりお嬢様のお父様は、本当に視野の広いお方です。
私が忠告という名の暴言をはいて辞めた後、公爵様のお使いが私を訪ねて来ました」
「ええ、知っているわ。私の未来を説明してくれたのよね?」
だから父親は、フレデリックの心変わりを把握できた。
キャシーはそれを肯定するように頷いた。
「でも、それだけじゃないんです。お嬢様のことから聖女のことに話が派生するのは当然なのですが、そこからさらに、ならば予言の内容を知っているだろうと訊かれました」
「まあ……さすがお父様だわ」
「ええ。私は知っている限りの予言の内容をお伝えしました。
公爵様は、自らの人脈を使い、それぞれの領地に人と金を使って調査を入れたのです」
「そういえば、水害の際に村人が前兆を察知した、だから被害を最小限に抑えられたと聞いたけど、あれって……」
「はい。調査員と、言い含められた村人が、領地に訴え出たのです。バックには公爵様がついていますからね、話はまあ、まあまあ、それなりに、考えうる限り最速で進んだと言っても過言ではないかもしれない」
言いぶりから、どうやら当該領地の動きは、キャシーが期待するほど早くはなかったらしい。
何やら不満げな顔になっているが、公爵領ならまだしも、他領の環境調査など歓迎されるものではないのだから、仕方がない。
それでも話を通した父親の人脈と顔が役に立った、ということだ。
「もちろんこうした話は、公爵様とその側近、そして私という少ない人数の間だけでの話です。だって、頭がおかしくなったと思われるでしょう?」
「えっ。ええ……まあ……」
「私はどうだっていいんですが、そんなおかしな女の話をガチで信じてると思われたら、公爵様の頭もどうかしちゃったと思われるじゃないですか」
ガチ、の意味は分からないし、即答はできなかったが、確かにと思わざるを得ない。
どんなに実績があっても、荒唐無稽すぎて、どうかしてしまった、というより別の可能性を疑われるのがおちだろう。
陰謀とか、スパイとか、そういう方面だ。
「ですからね。次の予言を使いましょう」
「次の……」
「はい。次は、王都です。昨年不作だった小麦の値上げを機に、暴動が起きます。ローラはこれを予言し、予言は王室に伝えられます。
王都の治安に関しては、第三王子殿下の管轄ですので、ローラは殿下と謁見します。この時、殿下はローラに一目ぼれし、フレデリック様から奪い取ろうとなさいます」
「ジョシュアが? そんな方ではないと思うけれど……」
「ええ、ええ、とても冷静で理知的な方ですが、だからこそ恋に落ちた時は情熱的なのですよ。
ローラとフレデリック様にとって、いわゆるこれは、恋の障害、というやつです。横槍が入ることでより恋心は燃え、結びつきが強くなる。そして周囲は、はらはらすることで二人を応援する気持ちが芽生える。
とまあ、殿下はロミオとジュリエット効果のための装置というわけですよ」
ロミオとジュリエットが誰かは知らないが、話の流れは分かった。
「つまり私が、ローラ嬢よりも先にこのことを殿下にお伝えすればいいのね?」
「はい。少なくとも、恋の燃料を取り除くことができます。根本を絶つことにはなりませんが、不利にはなりません」
確かに、直接の対処ではないが、必要な一手のような気もする。
「暴動のことを、お父様は?」
「もちろんご存じです。ご相談なさると良いですよ」
ミシェルはキャシーの言う通りにすることにした。
屋敷に戻り、父親に面会を求める。
夜になると、すぐに執務室に呼ばれた。
そして、キャシーの話を手短に説明すると、父は少し悩む様子だった。
「うーん、しかしねミシェル、本当に君はフレデリック君と結婚したいのかい?」
「もちろんよお父様」
「そう……そうか。うーん……」
いや、かなり悩む様子だった。
が、そのうち、それもまあいいか、と呟くと、すでに調べを進めていたらしい暴動の情報を教えてくれた。
「これが小麦の価格の推移表だ。確かに上がってはいるが、不作の場合の上がり幅を逸脱してはいない。妥当なところだ。
だが、これを不満と焚きつけている者がいる」
「まあ……謀反ですの?」
「いや、それにしてはやり方が稚拙だし、関わっている人物が少なすぎる。何が狙いなのか、まだ調査中なんだ。
だが、人々を扇動するような言動を繰り返し、あちこちで不満を言語化し広げている人物のリストは出来ている。
王室に恩を売ろうかと思ったが、お前がこれを使いたいなら持っていくといい」
「ありがとうございますお父様。公爵家がこれ以上、恩を売りつけるのは得策ではありませんし、私が有効に使って差し上げますから!」
父親は、そうかそうかと目じりを下げて笑った。
『だからそういうところが、お嬢様が我儘で家を没落させるゆえんのところなんですよ』と、頭の中のキャシーが呆れて言った気がした。




