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「フレッド! いらっしゃい!」
数日後、夏季休暇に入って初めて訪問してきたフレデリックを、ミシェルは笑顔で迎えた。
かすかにほほ笑む彼は、いつも通り、手土産の小さな花束を手渡してくれる。
「ありがとう、可愛いわね」
「この間はすまなかった」
「ええ本当よ、私、待ちぼうけだったのよ? 次からはきちんと、人をよこして伝言してちょうだい」
「分かった」
短い返事に、なぜだろう、ミシェルは少しもやもやしたものを覚えた。
けれど、せっかくの訪問だ、その気持ちを振り払い、サンルームに誘う。
日の当たる窓際を大きくとった部屋は、ミシェルのお気に入りだ。
「そうそう、花祭りの前の日なのだけど」
「あ……ああ」
「アクセル夫人に出された課題が難しくて、参考になる本を探したいの。国立図書館に付き合って下さらない?」
アクセル夫人は、ミシェルの家庭教師だ。
学園では基本的なことを学ぶが、その比重はどちらかといえば社交と、人脈作りに偏っている。
ゆえにミシェルは、公爵家という最上位貴族としての教育が別に必要だった。
とはいえ。
その課題は、母や祖母、代々のカートランド家の女たちが出されてきたもので、資料は当然、屋敷にある。
要は、図書館などというのは口実だ。
フレデリックの普段の生活、植物園という場所で偶然ローラに出会ったこと、彼もまた受け散る家庭教師の授業、その空いた時間、諸々を考えあわせ、二人が約束して出かけるのは花祭りの前日に違いない、と。
果たして、彼は、珍しく動揺した。
当たりだ。
だから、ミシェルは祈る。
どうか、イエスと言って。
「……では、今日、行こう」
「え?」
「今から行こう。早いうちの方がいいだろう」
すっかり動揺を隠し、彼はそう言った。
ほんの少し、間が空いてしまう。
けれど、おかしいと思われるよりも早く、ミシェルは微笑んだ。
「ええ。そうね。そうしましょう」
気が変わるのを恐れるかのように、さっとフレデリックが立ち上がる。
その手を借りて立ち上がり、ミシェルは、馬車の用意をメイドに言いつけた。
花祭り当日、ミシェルは自分の感情を持て余しながら、外出の準備をしていた。
とはいえ、準備をするのは侍女たちで、ミシェル自身はされるがままに立ったり座ったりするだけだ。
かといって、お茶をすることも本を読むことも魔術の練習をすることもできない。
じっとしているのがミシェルの仕事だ。
退屈ともいえる時間は、思索の時間であり、想像の世界の時間である。
ここにひとつの事実がある。
昨日、フレデリックは、ローラ・ハワードと国立図書館で会った。
なんと、ミシェルはそのことを、父親から聞かされた。
ミシェルの父親というのは、公爵として領地を治めているわけだが、それとは別に様々な役職についている。
一番の重責は、宰相補佐として、国王陛下の相談に乗ることだ。
毎日城に出仕するようなことはないが、突然の呼び出しが月に数回ある、といったふうだ。
他に、国内の採掘権のとりまとめや、郵便事業の監視役、あとは高位貴族で作られている紳士俱楽部の会長などもある。
忙しいのだ。
同時に、それはつまり貴族社会を牛耳っているともいえる。
目と耳と勘を十分に働かせて生きてきた人だ。
どうやら、キャシーが去って後、彼女がミシェルに語ったことは、聞いていた侍女から父に即座に伝えられ、そして詳細な聞き取り調査を行ったらしい。
父は、キャシーの話を戯言と切って捨てることはなかった。
もちろん頭から信じたわけではない。
彼女が語る『未来』とやらが、現実の出来事となっていき、三度目に予言された洪水が実際に起こったことで、公爵はキャシーを信じることに決めた。
つまり、フレデリックの心変わりは、父の知るところである。
当然、監視がついた。
昨日の件はとっくに把握しており、それで、ミシェルは夕食の席で父に尋ねられたのだ。
真実を知りたいか、と。
「もちろんだわお父様。私は、真実から目をそらす方がずっと怖いと思うもの」
そう答えたから、父は、フレデリックの行動を余すことなく教えてくれた。
図書館で待ち合わせ、高い棚の本を取ってやり、二人で一冊の本を挟んで顔を寄せ合い、時折忍び笑いを交わし、別れ際は名残惜しそうに手を取り合い見つめ合った、と。
「そこまで教えて欲しいとは言ってないでしょう!」
図書館で会った、という事実だけで良かったのに、無駄に詳細な父親の報告に、少しだけ涙目になったものだ。
父は母にも怒られていた。
いつもはかばうミシェルだが、この時ばかりは母を応援した。
「フレデリック様がご到着されました」
従僕の声に、ふっと現実にかえる。
「そう。では行きましょう」
立ち上がったミシェルのドレスの裾を整えながら、侍女が気づかわし気に小声でささやく。
「本当にいらっしゃるのですか? 体調がすぐれないとお断りしても……」
「あら駄目よ。それじゃあ、逃げたみたいだわ」
「でもお嬢様……」
「あのね、私、キャシーに宣言したのよ。フレッドの気持ちを取り戻す、って。
夕べから胸がこんなに痛いのは、彼を好きだからよ。
私は、私の好きなものを諦めたくないの」
ミシェルは、次第に唇を噛みしめていく侍女の口元を、指先でちょんと突いた。
子どものような仕草に、彼女の唇がゆるむ。
「私を信じなさいな。公爵令嬢で、我儘の名をほしいままにしているのだから!」
侍女とメイドが深く腰を折り、その見送りに微笑みを残して、ミシェルはフレデリックの元へとゆっくり向かった。
「まあ、今年の花祭りは、デイジーではないのね」
馬車を降りると、街中を飾る花がフリージアに変わっていた。
フレデリックが手帳を開く。
「ああ、今年はキク科の野菜につく虫が大量に発生し、収穫は壊滅的だ。その流れで、デイジーもやられた。
北方の寒い地域から、今時期に咲くフリージアを取り寄せたらしい」
「まあ……ではこれから葉物野菜は高騰するわね」
「代わりにナス科の野菜がよくとれたようだ。そちらで補われるだろう」
そんな会話をしながら、中央広場へと向かう。
人込みは、屋台の許可されている周辺へと散っていて、広場そのものに人は少ない。
ここは、花祭りの祝福を受ける場所で、国民はだれもがここへ向かうが、すぐに離れるよう決められており、混雑はしないのだ。
中央には、花の祭壇がある。
ここで、死者たちの魂を鎮め、新たな命の誕生を祝う。
そういう形で国の繁栄を願う儀式なのだ。
ミシェルとフレデリックは、侍女たちが受け取ってきた花を受け取り、それを祭壇に捧げる。
形式に則って、祈りを捧げた。
体から、魔力が少し、吸い取られ、捧げた花がふわりと浮いた。
フレデリックの花もだ。
二本の花は、並んだまま、花の山のてっぺんへと運ばれていった。
「今年も祈りが届いて良かったわ。じゃあ、帰りましょうか」
「ああ」
決まりにしたがって、二人はすぐに広場を出た。
フレデリックは馬車を呼ぶ場所を確認するため、従僕と一緒に先を歩く。
ミシェルは、人々の様子を見回しながら、その後ろをついていった。
「フレッド様!」
その時、明るく大きな声が、フレデリックの名を呼んだ。
親しいものしか許されない呼び方は、従僕と侍女をぎょっとさせ、同時に、ミシェルをひどく驚かせた。
そこまでか。
そう思った。
「あ、ああ、ロ……ハワード男爵令嬢」
「やだ、ローラって呼んで下さい! 昨日はありがとうございました!
もう本当に歴史が苦手で苦手で困っていたんですもの」
「いや。役に立てたなら良かった」
「はい! そういえば、来週……」
「ハワード男爵令嬢」
フレデリックが、珍しくちょっとだけ強めの口調で彼女の名を呼ぶ。
それが、発言の続きを封じるものであることは明白だった。
「……こちら、ミシェル・カートランド公爵令嬢だ。
ミシェル、こちらは、ローラ・ハワード男爵令嬢。……少し、勉強の相談に乗ったのだ」
ローラは、素朴な少女だった。
だが、素朴でありながら、上品なデイドレスと控えめなアクセサリーを身に着け、令嬢の外見をしている。
髪は金のようだが、ほとんど銀に近く、目の色は薄い青だ。
神々しい、ともいえる。
いやそれは、いずれ聖女になるというミシェルの知識のせいだろうか。
「初めまして、ハワード男爵令嬢」
「あっ……は、はい……」
怯えたような顔をしている。
まともな挨拶もできないらしい。
「先ほど少し話が聞こえてしまったのだけれど」
「えっ」
「エッセル公爵令息を愛称で呼ぶのは控えていただけるかしら。それと、あなたを名前で呼ぶようねだることも」
「わ、私はそんな」
ミシェルは、首をかしげて待った。
しかし、ローラはただ震えているだけだ。
「そんな、なんでしょう」
「え、いえ、その。そんなつもりじゃなかった、って……」
「……何をおっしゃっているのか分からないわ。
あなたは『フレッド』と呼びかけ、『ローラと呼んで』と言った。それを禁じた私に、そんなつもりじゃなかった、とは、どういう意味なの?」
「あ、あの、だから……その、変な、友人以上の意味じゃなかったっていうか」
ミシェルは扇を左手に打ち付けた。
ぽん、という軽い音だが、ローラは口を閉ざす。
上位貴族の仕草の意味も分かっているのだ。
「つまり、あなたは、愛称で呼び合うことが、変な意味にとられると分かっていてねだった。そういうことね」
「え、だから、そういうつもりじゃなかったって」
「私が何かを言う前に、禁じる理由を当てて見せたわ。友人以上に見えることを理解していたということ。
その上で、承諾の返事をすることなく言い訳ばかり並べる。
私の言うことをきけないということね?」
決して声は荒げない。
ミシェルが受けてきた教育は、そんな感情に振り回されるほど軟ではない。
ただ、この問答を通し、フレデリックの目がさめないかと期待していた。
「そこまでにしろ、ミシェル」
けれど。
彼が咎めたのは、ミシェルだった。
「君は知らないかもしれないが、彼女はもともと平民だった。母親と引き離され、男爵に引き取られたのであって、貴族社会に慣れていない」
ミシェルは、手にしていた扇を広げ、口元を隠した。
それは、言いたいことはあるがあえて口を閉ざしてさしあげましょう、という意味の仕草だ。
「分かったわ。ここまでにするわね」
「あ、ああ……。ではハワード嬢、また学園で」
「……はい」
彼女は、侍女に引っ張られるようにして、馬車へと乗り込んでいった。
同じく、こちらも二人で、ようやくやって来た馬車へ乗る。
「フレッド。私の言いたいこと、分かるかしら?」
「分かる。名前で呼び合うなど、ありえないことだ。しかし、彼女の言う通り、そこに過大な意味はない」
「……分かっていないわ、フレッド。貴族同士のやりとりに意味を見出すのは、本人たちではなく、周囲なのよ。
そんなこと、本当は知っているはずだわ。それなのに、知らないふりをするの?」
フレデリックは、ぐっと口元を引き締め、それから、諦めたように小さく肩を落とした。
「ああ。そうだな。
……済まなかった、ミシェル。咎めるべきは向こうだった」
「分かってくれればいいの。だって、あなたは私の大事な婚約者なのですもの。
私たちは、幸せになるのよ。それには、誠実であることが必要だわ」
ああ、と彼は頷いた。




