2
おねえさん気分で臨んだ入学式典だったが、居並ぶ在校生たちは、当たり前だがミシェルよりももっとずっとおねえさんだ。
子供と大人の狭間にいる、大人びた顔をした少女たちは、みな気高く見えた。
身分で言えば、学園内で最も位が高いのはミシェルである。
王家の王子王女たちがすでに卒業しているため、公爵家が最上位となるからだ。
もちろん、男子では、ミシェルと同格のフレデリックがそれにあたる。
しかし、醸し出す貴族の空気は、まだまだ不足していた。
同年代の友人たちと、これから身に着けていくのだ。
そういう意味で、同学年の者たちは、友人でもあり、社交の距離感を学んでいく相手でもある。
さて、貴族と呼ばれる家は、国中合わせても450前後である。
その中で、同じ年ごろの子どもは、よほどでなければそれほど多くならない。
よほど、というのは、例えば王子殿下と同じ年ごろに学園に通う子供たち、のような場合だ。
様々な思惑から、年齢を合わせて子を成すということ。
今年は、5家しかない公爵家から二人も同学年で通うこともあり、多少はその傾向がある。
それでも、同学年は30人ほど。
クラスは二つ。
さらに、その中でも、騎士を目指すものと文官を目指すもの、そして淑女のための特別講義などがあり、時間によっては人数がとてもしぼられる。
もちろん、それぞれに教師がつき、教室が割り当てられる。
問題はない。
国中の貴族の寄付と、王家の予算で賄われている学園である。
運営費は天井知らずだ。
「フレッド! 図書室へ行ってみない?」
ミシェルとフレデリックは、同じクラスだ。
もちろん、そう計らうよう、両家から学園に事前に伝えてあった。
「ああ、いいよ」
学園に、侍女は連れて来られない。
だから、フレデリックと二人きりで歩けるのは、学園の中だけだ。
ミシェルはそのことを、ちょっと嬉しく思っている。
それで、時々意味もなく、彼を誘うのだ。
それは温室だったり、中庭だったり、なんてことのない場所だ。
二人で並んで、どうでもいい話をしたりする。
「今年も雨が多いわよね。去年は大変だったから、同じようなことが起こったら困るわ」
「ああ、水害か。しかし、村人は避難していたと聞いたが」
フレデリックが例の手帳をめくりながら答えた。
「そうなの、前兆があったのですって。良かったわ、そうじゃなきゃ、沢山の領民が亡くなっていたかも」
将来、カートランドの領地は、フレデリックの補佐を得て、ミシェルが運営する。
だから、領内のそうした話題は、二人に共通のものだった。
実務には関わっていないが、今のうちから、おおまかな情報は伝えられている。
「今度、新しい舞台がかかるのですって! なんでも、外国の旅団の旅芸人達だと。お芝居をするのだけれど、それって、外国語なのかしら?」
「まさか。こちらの言葉で演じるのだろう」
「そうよね。だとしたら、とっても難しいのではない?」
「確かに」
そんな二人の姿は、当たり前だが、学園中で知らぬ者はなかった。
婚約の事実は、貴族として踏まえておくべき最低限の情報だ。
だから、いつでも人目を気にしたふるまいをする。
それが、公爵家に生まれるということだった。
ただもちろん、全てが順風満帆というわけではない。
そのひとつが、侯爵令嬢であるアンジェラ・エイケンの存在だった。
彼女は、現在学園内で、ミシェルとフレデリックに次ぐ身分だ。
その上、よその茶会にはほとんど出席せずに過ごしてきたミシェルとは違い、母親の方針なのか、手広く交流をしてきたそうだ。
だから、彼女の周囲には、沢山の令嬢たちが付き従っている。
そして彼女たちは、なぜか、フレデリックに執拗に話しかけてくるのだった。
「ごきげんようエッセル卿」
「ああ」
もちろんフレデリックは、元々無口なこともあり、ほとんど会話をすることはない。
成り立たないともいう。
それでも、アンジェラは諦めない。
なぜ諦めないのだろう。
ある日、そのことをズバリと聞いてみた。
「ねえアンジェラ様?」
「……まあ、いらしたのですね、ミシェル様。気づかずご挨拶が遅れましたわ」
「いいのよ、いつものことだもの」
いろいろなことをこうして鷹揚に許してあげると、彼女はいつも不愉快そうな顔をする。
「そんなことより、アンジェラ様はフレデリックを結婚相手に考えているのよね?」
「は……」
気になったから。
フレデリックはちょっと呆れた顔をして、当のアンジェラは驚愕したように目を見開き絶句した。
「でも、フレッドと私はもう婚約しているのよ。もちろんご存じでしょうけど。
ねえそれでね、そんな相手にしつこくするなんて、ちょっと悪手ではない?」
また思ったことをそのまま言ってみた。
しかし、アンジェラはさすが侯爵令嬢というか、ミシェルとは場数が違うのか、すぐに立ち直って見せた。
「私には私の思惑があるのですわ」
「ふうん……」
その場は、やりとりに飽いたらしいフレッドに促され、立ち去ることになった。
以後、アンジェラのつきまといともいえる行為は少し控えめになったものの、やむことはなかった。
それでも、ミシェルは特に彼女を嫌うということはない。
なぜなら、フレデリックが全くアンジェラに興味を示さないからだ。
むしろ、迷惑に思っている節がある。
彼も貴族らしくそれを顔には出さないが、なんとなく、ミシェルには伝わってきた。
だから、彼女のことは、大した問題ではなかった。
どちらかといえば、穏やかで、充実した日々だ。
入学から一年と少し、ミシェルはとても幸福な時間を過ごした。
そうして。
二年目の、もう間もなく夏の休暇に入るという日。
ふと、友人である令嬢たちと、腕を組みながら散歩をしていた時、通りかかった中庭に何か気になるものを見た。
何だろうか。
初めて来た訳でもないが、中央にある、小さいが美しい噴水に目をとられ、あまり周囲に関心を向けていなかったのだろう。
「ニワトコだわ」
初めて気づいた。
中庭のぐるりに、ニワトコのしげみが植えられていた。
「そうなんですの?」
数人並んだうちの一人が、首をかしげると、別の令嬢が答えた。
「確か、姉の代で中庭の大規模な改修があったはずですわ。三歳上の姉なのですけど。もっと地味な池があった所を、このように美しく整えたのですって」
ミシェルは、記憶の彼方から、不意に浮かび上がった記憶をたどる。
「……だからなのね。うちの侍女は、中庭にニワトコなどなかった、と言っていたの」
「大分、年上の方ですの?」
「そうね、三歳よりはずっと上だわ」
微妙な空気が流れる。
もちろん、顔には出さないが、誰もが『だからどうした』と内心思っているようだ。
中庭の噴水も、ニワトコのしげみも、彼女たちの人生にはなんの関係もない。
けれど、ミシェルは違う。
記憶にひっかかっていたメイドの顔が、脳裏にありありと浮かんだのだ。
『初めての顔合わせは、二度目の夏の休暇前の最後の授業日、夕方の中庭です。
ニワトコの植え込みにリボンをひっかけ、あたふたしているのを見かけるのです』
ミシェルは、戸惑っている少女たちに向け、にこりと笑った。
「さあ、昼餐室に、飲み物をいただきに行かない? なんだか喉が渇いたわ」
令嬢達は口々にそれに賛同し、ミシェル達は笑いさんざめきながら、中庭を後にした。
件の日、つまり休暇前の最後の日がきたらどうするか。
つまり、ミシェルは中庭を見に行くかどうするか、迷いに迷った。
そして結果、行かないことにした。
考えたのだ。
仮に、あのメイドの言う話が本当だとして、例えばそれを見に行ったとして、自分はどうするべきか?
もちろん、あのメイドの言うところの、恋に落ちる二人を阻止するべきだろう。
そして考え付く。
それでは遅きに失する。
そうではなく、そもそもフレッドが中庭に行くのを止めれば良いのだ。
ミシェルは我慢を知らないが、馬鹿ではない。
「ねえフレッド、今すぐ図書室に付き合って欲しいの、返却を忘れていて」
休暇前の最後の授業を終えた後、いままでも何度もあったそんなお願いを口にした。
もちろん、今日という日のために、返却日を逆算して図書を借り出しておいたのだ。
明日からは長い休みに入るから、返却を延ばすことはできない。
図書室までの往復時間で、例の時間は過ぎるはず。
計画は完璧だった。
「すまない、中庭に忘れ物をした。取ってきた後に同行する。ここで待っていてくれ」
なのに、フレッドはそう答えた。
ミシェルが待ってと声を上げる間もなく、さっと教室を出て行ってしまう。
そうなれば、遠い距離を呼び止めるほどの大声をあげられるはずもない。
ミシェルは、その一挙手一投足を注目される最高位令嬢なのだ。
計画は失敗した。
もちろん、ここから追いかけ、フレッドとその少女とやらの出会いに水を差すことはできるだろう。
「……どうやって?」
ミシェルは貴族令嬢だ。
中庭のような、誰が見ているか分からない場所での振舞いには、気を付けなければならない。
出来ることと言えば、上品な笑みを浮かべ、フレッドを呼ぶくらいのことだ。
メイドの話が事実ならば、おそらくその少女から目を離せずにいる彼を。
彼は無理やり視線を引きはがし、ミシェルに応えるだろう。
その時――ミシェルは到底、上品な笑みとやらを浮かべていられる自信がない。
見知らぬ女に向けた目が向いた時、こもる熱が残っていたらどうする。
ミシェルを見て、ばつの悪そうな表情を浮かべたらどうする。
それは想像だ。
あの未来を語るメイドの言葉を信じるわけではないのに、想像だけでミシェルは動けなくなる。
今この時、フレッドがその少女と出会っているのだと思えば、胸が苦しい。
だからミシェルは、動かずに待った。
あのメイドは嘘つきだ。
だから、フレッドは、何事もなかったかのように教室に戻り、ミシェルをエスコートして図書室へと向かうだろう。
そうでなければならない。
けれどその日、フレッドはミシェルの元へ戻ってこなかった。
◇ ◇ ◇
「お待たせいたしました、ミシェル・カートランド公爵令嬢」
やって来た女性は、思ったよりも若々しかった。
あれから十一年、さぞや年をとったものと想像してたが、目の前の彼女はまだはつらつとしていた。
「私を覚えているのかしら、キャシー」
「もちろんでございます。忘れるはずもございません」
彼女は、あのメイドだ。
未来のことを知っていると言ったメイドである。
行方を捜すのはそう難しいことではなかった。
カートランド家から移った先がマシューズ商会であることは、侍女が覚えていた。
もちろんその先は、父に頼んで人を使い調べさせたが、難しい調査ではなかったようだ。
「結婚したそうね、おめでとう。しかもお相手は男爵なのですってね」
「ありがとうございます」
「キャシーは今、いくつだったかしら」
「二十六にございます」
「では……あの頃はまだ十五だったのね」
思わずくすりと笑う。
当時は自分が幼児だったせいで、ずいぶん年上に見えていたが、今の自分より年下だったとは。
「お嬢様は十六におなりですね」
すっかり大人の顔を見せていたキャシーは、そこで、あの頃を思い出させるような、ちょっといたずらっぽい顔をした。
「始まりましたか?」
さっきまでのすました顔ではなく、その子供めいた顔を見ると、なぜかほっとした。
安全で完全だった、自分の子供の頃を思い出した。
「ええ。だから会いに来たの。
あら、気づかなくてごめんなさい、どうぞ座って」
懐かしさに気をとられ、着席を許すことを忘れていた。
ここは、ミシェルがとったサロンの一室だ。
身分的にも、役割的にも、ミシェルがホステスになる。
「あと、できれば貴族のような物言いを今は忘れてくれるかしら。
あの頃のあなたに戻って、記憶をはっきりさせてほしいの」
「罰しませんか?」
「しないわ」
あっという間に少女の頃の態度を取り戻したキャシーに、真面目な顔で頷き返す。
そして、件の日にフレデリックが教室に戻ってこなかったことを話した。
「そうでしょうとも、なぜなら、ニワトコに引っかかった彼女の長い髪はなかなかほどけず、結局、髪を切るしかなかったのですから」
「なんですって?」
貴族の女にとって、髪は大事なものだ。
長く美しいことが求められる。
それを、一部とはいえ切るとなれば、ショックを受けても仕方がない。
しかし、痛ましい顔をしたミシェルに、キャシーは呆れた顔をした。
「あのですね、私は思いましたよ。『なぜ枝の方を切らないのか?』とね」
「あら……言われてみれば本当だわ。なぜなの?」
「決まっています、髪を切ったほうがドラマティックだからですよ。いえ、ロマンティックと言い換えてもいいでしょう。
ひとふさの髪を切る、ショックで泣いてしまう少女、その泣き顔に普段は凍てついた心がどきりと動かされるヒーロー……」
遠くを見ていたキャシーは、すっとミシェルを見た。
「現に、お嬢様も、なら仕方がない、と思ったでしょう?」
図星だったので、少し言葉に詰まった。
「待ってちょうだい、フレッドの心が普段は凍てついているって、どういうこと?」
「まあそりゃ言いすぎですけど、いわゆる感情が動きにくいタイプですよね。嬉しいとか悲しいとか、よほどじゃないと思わないタイプ」
「そうかしら」
首をかしげるミシェルをよそに、キャシーは先を続ける。
「私の記憶では、その後、フレデリック様はローラに付き添って医務室へ向かい、そこからさらにハワード家まで送っていくのです。
その時点でもう、彼らしくない行動ですからね、ああ恋に落ちたのだなと読者は分かるわけですよ」
「読者?」
「しまった。忘れてください、そこは本質ではありません。お嬢様の選択にはなんら関係ことですので」
気にはなったが、確かに今は些末なことに気をとられている場合ではない。
彼女は、追及をかわすように口を開いた。
「フレデリック様から、フォローのお手紙が来たと思いますが?」
「ええ……本当に未来を知っているのね」
フレデリックからは謝罪の手紙がきた。
学友が気分を悪くしたため、家まで送り届けたと、だから戻れず申し訳なかったと、キャシーの言う通りならば本当のことが書かれていたことになる。
ただ、その相手が、ローラ・ハワードなる令嬢であることを隠しているだけだ。
「この後、どうなるのかしら」
「はい、フレデリック様は、なにくれとなくローラを気にかけるようになります。
なにしろ、三年前に平民から男爵家に引き取られたわけですから、ほとんど付け焼刃の令嬢教育で学園に入学したわけです。
仕草の端々には庶民臭さが漂い、令嬢言葉も貴族らしい言い回しも知りませんから、交流の場を微妙な空気にしてしまうこと請け合いです。
そんなこんなで、なんとなく、ローラは学園で疎外感を感じているわけです」
学園の生徒たちは、十五歳から十七歳、つまり生まれてからそれだけの年月、貴族教育を受けてきた者たちがほとんどだ。
そこに放り込まれた元庶民となれば、それも当然だろう。
「そして我らがフレデリック様は、ローラに対し、どちらかと言えば好印象を抱きます。
令嬢のお手本のようなミシェル様を長年身近に見てきたことで、逆に、自由で自然体な彼女に惹かれるわけですね」
キャシーは指を三本、立てた。
「この夏季休暇中、彼らは三度、顔を合わせます。
一度目は偶然、植物園で。
二度目は約束をしたうえで、国立図書館へ。
三度目は、やはり約束を交わし、小さな演奏会へ出かけます。これはほぼ正式なエスコートとみなされてもおかしくないものです」
彼女は付け加えた。
「ちなみにすでに一度目の邂逅は過ぎた後ですね」
話すべきことはおしまいだ、とでも言うように、キャシーは冷めた紅茶に口をつけた。
その飲み方は意外にも洗練されていて、彼女が貴族としての努力を重ねたのだと分かる。
「で、お嬢様はどうなさるおつもりですか?」
「それはもちろん」
長く、手入れのゆきとどいた髪を払う。
「フレッドの気持ちを取り戻すわ」
キャシーは、急に、大人の顔をして笑った。
「取り戻す、とおっしゃった。つまりお嬢様はすでに、フレデリック様の気持ちが離れていると思っているんですね」
「そうね。私が待つ教室に彼が戻ってこなかった。前代未聞だわ。ありえないことが起こった。
それは、あなたのありえない話を信じるに足るほどの出来事だったと思うの。
何も怖いことは起こっていないんだと思い込むことは簡単だけれど、それはただ、未来に不安要素を残すだけ」
「やれることはやる。そういうことですかね。
でも……それは結局、破滅の道につながるかもしれないということをお忘れなく」
毒殺、と、かつてキャシーは言った。
ミシェルが嫉妬に狂い、聖女を毒殺する。
それが彼女の知る未来だ。
もちろん、そんな結末をたどるつもりはない。
「今日はありがとう、キャシー。
また何かあったら、会ってもらえるかしら?」
「もちろんですよ、お嬢様。カートランド家は恩人ですから。それに……」
キャシーは、年相応の大人びた優しい顔をした。
「大丈夫。お嬢様ならきっと、乗り越えられますよ」
そういえば、彼女はすでに、母親だった。
子を産んだ女にしかできないような顔をして、彼女は笑った。




