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転生病を患った王子ですが、帰りたい  作者: 内向ひとり
第一章 王女奪還編
7/42

禍祈廊(1/2)

 ーー握った拳から血が滲み、落ちる。

 手を覆う金属が歪み、骨が軋むほどに力を込めても、それでも足りないとでも言うように肩が震えていた。


 彼の放つ狂気に森は沈黙していた。

 風も、虫の声も、今は何ひとつ響かない。



 やがて、セオは腕の中の兵をそっと地へ横たえた。

 土に返すように、兵の乱れた髪を撫でてやり、血の滲む(まなこ)に一瞬だけ触れる。

 その仕草には、戦友としての最後の敬意が宿っていた。


 次の瞬間、彼の体がぬらりと揺れる。

 立ち上がる動きは、まるで別のものに操られているかのように滑らかで、重い怒気だけが空気を押しのけて広がっていく。


 鎧が擦れ、軋む音が耳を刺す。

 セオの目が、禍祈廊(かきろう)を真っすぐに射抜いている。

 身体からは青い光が燃え立つように揺めき、呼吸すら惜しむように、その全身が「今にも走り出す」瞬間を待っていた。



「ーーま、待ってくれ! セオ!」

 慌てて俺はセオの動きを制する。

 横目で俺を捕らえ、話が終わるのを待ち構えている。

 その異様さに恐怖を覚えながらも、唾を飲み込み声を絞り出す。



「この状況から犯人と王女が禍祈廊(かきろう)にいるのは間違いない」

「……で?」

 低く短い声。あまりの迫力に言葉を失いそうになる。



「ーー精鋭の近衛騎士団ですらこの有様なんだ。俺たちだけで何とかできるわけがない! 応援を呼ぶか、騎士団本隊に任せるべきだ!」

 俺は間違ったことは言っていない。

 つい数日前まで一般人だった俺が、死地に出向いて二度も生き残れるほど、この世界は甘くない。そう痛感しているのだ。



「いやーー」「ッ、何も考えていなーー」

 リゼルファとセオが同時に声を上げる。


 セオは、はっと我に返るも胸の奥に渦巻く怒りを完全には抑えきれず、震える手をリゼルファに差し出し、無言で発言を譲るのだった。



 リゼルファは軽く息を吐き、鋭く言葉を紡いだ。

「……我らだけで解決せねばならぬ理由を、はっきりさせておこう」


「理由は主に四つある。

 一つ目。殿下の話を誰が信用・承認するのか、分かるか?」

 その声音は冷たいほどに理路整然としていた。


「兵を動かすには、それ相応の証拠が要る。殿下の話は状況証拠に過ぎず、検証も難しい。

 そして、出兵の許可を下すのは国王陛下、並びに――今はネモール王子殿下だ」


 その名を聞いた瞬間、俺は息を詰めた。

 ……そうだ。

 この時点で、俺の提案は不可能だったのだ。



 リゼルファはなおも続ける。


「二つ目。今回の犯人の能力を考えると、少数かつ対抗できる者がいる構成でなければならない。

 ……敵味方区別が出来なくなる状況下で大勢の兵を動かせば、被害の拡大は防げない。そして現在、犯人の能力を看過してかつ、細やかな連携が取れるのは我々しかいない」


「三つ目。これは前二つの理由とも重なるが、王女殿下が無事でいられるのはこの瞬間しかない。

 犯人が禍祈廊(かきろう)に逃げ込んだのは、つい先ほどのはずだ。戻る時間などありはしない」


「最後、四つ目だ。犯人は王女殿下を誘拐するためだけに、完全犯罪を企てている。

 だが裏を返せば、“それが露見しなければ”見過ごす可能性が高い――つまり、何もなかったことにすれば……な」



 最後に告げられた理由。それは、リサナ王女の救出を諦める代わりに、俺――オルセオン王子の生存を最優先する、という意味だった。


(いくら王命とはいえ、そんな割り切れるものなのか……!?)



 そして俺の方へ向き直り、冷ややかに言い放つ。

「……理解と覚悟は出来たな? ーー往くぞ」


 全然覚悟なんかしてない……。もう、どうにでもなれ。

 俺は重い足を引きずるように上げ、二人の背を追う。

 セオは変わらず険しい表情のままだが、この会話の中で少し冷静になったようで、先ほどより呼吸は整っている。



 俺は進む先ーー禍祈廊(かきろう)を見据える。


 ……最近話題になったSF映画を思い出す。

 ブラックホールのように宙空にぽっかりと、背丈ほどの大きさの穴が楕円状に開き、その周囲を光の粒子が輪のように漂う。

 入れば二度と出てこれない、そんな物々しさがある。



 禍祈廊を中心に、正面を除く三方は巨大な石壁で閉ざされており、黙獣の流出は一方向に制限されている。


 黙王によって汚染されているとはいえ、神への祈りを捧げる祭壇であるなら、見た目はきっと神殿のようなものーーそう思い込んでいた分、目にした光景に面食らう。



「入った瞬間、黙獣に襲われる可能性もある。我々が先行するので、王子殿下は一定の間を置いて、中に入ってこい……セオ隊士!」


 二人は短く頷き合い、ほぼ同時に穴へ飛び込む。

 穴の大きさ的に互いの頭をぶつける距離感だったが、音もなく二人は吸い込まれていく。


「いや、具体的に何秒待てとか言ってくれ……あと飛び込んだ先に何があるとかさぁ」


 悪態をつきながら、言われた通り待ってみる。



 生者が俺しかいないこの場に、生温い風が吹き込む。

 まるで獣の息遣いのように俺の頬を撫で、緊張感を逆撫でする。

 堪え切れなくなった俺は、大きく息を吸い込み穴に向かって飛び込む。


「飛び込んだ先が水中じゃありませんように!」


 俺の頭が穴に触れた瞬間、頭の先から爪先までローラーで引き伸ばされたかのような感覚を刻み込まれる。


 引き伸ばされた身体は捻れ、どこが自分の頭だったか分からなくなった頃――急に視界が開け、俺は地面に叩きつけられた。


 慌てて立ち上がり、周囲を見渡す。

 そこには、雲ひとつない青空が広がっていた。

 爽やかな風が草を揺らし、どこまでも続く草原――本当に、何もない。


 外は夜のはずだった。だというのに、ここは昼のように明るい。

 まるで、どこか別の世界に転移してしまったかのようだ。


 少し離れた場所に、二人の姿を見つけて胸を撫で下ろす。

 だが、二人の表情には張り詰めた緊張が滲んでいた。

 ……黙獣の姿が見えないことに、警戒を抱いているようだ。


「……来たか。安全は確保できている。ただし――黙獣の姿がまるでない。

 普段なら、遠くからでも駆けつけて襲いかかってくるはずだ。なのに、ここでは気配すら感じない……静かすぎる」


 すると、セオが口を開いた。


「……最近続いていた黙獣の流出。突拍子もない話ですが、ここにいた黙獣がすべて外へ出ていったのかもしれません。

 この状況を説明できるのはそれしかありません。――そしてそれは、犯人が意図的に仕組んだのだ、と」


「いや、私も同意見だ。禍祈廊〈ここ〉で犯人は何らかの目的を果たそうと黙獣を追い出し、王女殿下を連れ込んだ……そう考えている」


「もしそうであるなら、我々にとっても黙獣がいないのは好都合。罠あれど、踏み越えるしかありません。急いで次の層に向かいましょう」



 そうして迷いのない足取りで、ある方向へと進んでいく。

 遅れまいと俺も後を追う。


 すると、セオが背中越しに話しかけてきた。


「殿下、先ほどは大変申し訳ございませんでした。

 一時の怒りに我を忘れ、兵としてあるまじき態度を取ったこと、深く恥じる思いです」


 ……正直、このまま進んで上手く連携が取れるか不安だった。

 だがセオが兵士らしく気持ちを素早く切り替えてくれたこと、そして今まで通りに接してくれたことが、心底うれしかった。



 俺にとってこの二人は、この世界で唯一の味方なのだから。



「……気にしてないよ。どちらかと言うと、これまでのことをリゼルファに謝ってもらいたいくらいだし」


「ム……?」

 リゼルファが、心当たりのなさそうな困惑した表情を浮かべる。

 その様子に、場の空気がほんのわずか柔らかくなった気がした。


 軽口なんて、昔からの悪い癖だと思っていた。

 この世界に来ても相変わらずだったが――どうやら、悪いことばかりでもないらしい。

 少し、そう思えた。



「殿下。本来であれば突入前に共有すべきだったのですがーー」

 セオが申し訳なさそうな素振りを見せて口を開いた。


「いや、ほんとに。次は冷静に」

 俺はすかさず釘を刺した。


「……申し訳ございません。ーー禍祈廊(ここ)では時間の流れが緩やかになっており、層を移るほどより顕著になっていきます。

 そして、もうひとつ厄介なのが“汚染”です。現在の層では大したことありませんが、深部は黙王の影響が濃く、人の身では長く耐えられません」


 言われてみれば、何となく不快感があるような?

 これがキツくなってくるのか。


「そうなると、犯人が最深部に到達済みだと、それなりに時間は経ってるし、王女の命も危ないということか……。あと何層あるの?」


「残り四層です。ーーこれは推測が混じった話になるのですが、深部では上位五群の黙獣が待ち構えていると思われます」


「……え、待ち構えてるって、ボス戦があるの?」


 思わず口をついて出た言葉に、リゼルファが怪訝な顔を向ける。

 通じていないのを察したが、俺としてはここははっきりさせておきたいところだ。


 町で戦った黙獣〈バルグロス〉より上位の存在と、犯人の前に戦うなんて――無理が過ぎる。


「禍祈廊では、いなくなった黙獣と同種の個体が、不定期に自然発生します。

 制圧作戦でも、この禍祈廊に生息する同種が確認されましたが……上位の黙獣だけは、いまだ報告がありません」


「見逃した可能性というのは……」

「ないな。黙獣の脅威度は〈上・中・下〉に区分され、それぞれ昇順に一から五までの階位で評価される。

 今回の個体は〈上位五群〉だ――都市一つを滅ぼす危険域にある。そんなものを見逃すはずがない」

 リゼルファが、当然だと言わんばかりに断じた。


「……まあ、不安になる気持ちは分かる。だが確認された黙獣ということは、既に対処法も確立されている、ということだ」


(都市一つを滅ぼすレベルの黙獣と、本気で戦って勝つつもりなのか、この人たち……)


「今回の黙獣の外見や祝福、そして対処法については、次の層で移動しながら説明します。――遅れずついて来てください!」


 気づけば、進む先に禍祈廊へ入った時と同じような穴が浮かんでいた。

 会話の途中だというのに、セオとリゼルファはためらいもなくその中へ吸い込まれていく。


「か、帰りてえ……」

 そう呟きながらも、俺は遅れまいとその穴へ飛び込んだ。




 次の層に進むと、そこは左右対称の薄暗い回廊――荘厳な雰囲気を湛え、まるで王城の廊下のようだった。

 一歩進むたびに、足音が石壁に反響し、まるで侵入者をあぶり出そうとしているかのようだ。


 壁に並ぶ松明の炎が揺れ、俺たち以外の影を壁に浮かび上がらせる。

 過去にここを侵攻した騎士団の残滓だろうか。

 剣を振り抜き、苛烈な戦いの最中にあるかのような姿が、光の揺らめきの中で見え隠れする――。


 幾度も廊下を曲がり、方向感覚を失いかけた頃、ようやく次の“穴”にたどり着いた。




 続く三層は、古代都市が崩れ落ち、互いに折り重なった“騙し絵”のような空間だった。

 階段は上下左右へと伸び、常識では辿り着けないような場所へと繋がっている。

 驚くべきことに、垂直に立つ階段ですら、そのまま登ることができた。


 ふと、もしこのまま上へ跳ねたらどうなるのだろう――そんな考えがよぎり、空を見上げる。

 灰色に覆われた天蓋の中では、光の霧がゆらゆらと漂い、その奥を暗黒の雲が蠢いていた。

 まるで巨大な生物が、世界の外側で息づいているかのようだった。


(やっぱ禍祈廊ってヤバいわ……黙王の力ってどんだけだよ)

 思考を切り替え、二人の背を追う。

 すると、道の脇にキラキラと宙に浮かぶ“裂け目”がいくつも漂っていた。


「……なんだ、これ?」

 思わず声が漏れる。

 機敏に振り返った二人は、俺の視線の先を確かめて――ほんの一瞬、肩の力を抜いた。


「ああ、それは近年になって禍祈廊内で観測されるようになった〈時空の裂け目〉ですね。

 異界の様子が見えるだけで、干渉できません。無視して結構です」

 セオがまるで街角の石ころでも説明するかのように言い捨て、背を向け歩き出す。



 だが、俺の目にはとても“無視できないもの”が映っていた。

 前の世界で見慣れていた景色ーー空には飛行機、街中を走る車、自転車、そして人……アジア人も見える。


 慌てて他の裂け目を見る。

 しかし、他の裂け目は全くの別世界だった。


 水中を気泡のように漂う都市、異形の生物が洞窟を跋扈(ばっこ)する様子、そして――黒い空を裂きながら、山ほどもある白鯨が宙を泳いでいた。


 その鯨が叫ぶかのように口を開き、無数の光を放つと、見ていた裂け目が軋み、粉々に割れて消えてしまった。


 その光景を見て、俺は最初に見た裂け目へと駆け出す。


 ーー早く、割れる前に飛び込まなければ!

 元の世界に帰れるかもしれない――!


 一縷の望みをかけて、足を止めずにその光へ身を投じた。



 ……分かっていた。

 分かっていたはずなのに、虚無感が押し寄せてくる。


 時空の裂け目は、身体が触れた瞬間、飴細工のように繊細な音を立てて――虚しく砕け散った。


 軽い絶望を抱えたまま、俺は空を仰ぐ。

 異様な空の色を見つめながら現実を飲み込み、視線を地へ戻す。


 腕を組み、壁にもたれて俺の様子を眺めていたリゼルファと目が合った。

「……何事も試すことは大切だよな。――いけるか?」


 子を諭すような、穏やかで優しい声色だった。

 その響きに、思わず涙が込み上げそうになる。


「あぁ、大丈夫だ。」


 遠くで待ってくれていたセオに足早に駆け寄る。



 次は、いよいよ四層目だ。

 

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