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転生病を患った王子ですが、帰りたい  作者: 内向ひとり
第三章 南方戦争編
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盤上の王子


「説明のために縄を解きますが、私が良いと言うまで動かないよう"言うことを聞いて"くださいね」


 その言葉で再度、俺の四肢は固まる。それでも、爪を剥がされた小指だけは脈打っていた。


 もう頭がおかしくなりそうだった。

 吐き気が込み上げてくる。


 あの誓環士を前に、一人で向き合う。そんな状況、命がいくつあっても足りない。


 エウラリアは俺の苦悶なんて見えていないみたいな顔で、縄をナイフで切り、左腕の包帯の端を容赦なく摘まんだ。


「もう勘弁してくれよ……」


「嫌です」


 即答だった。


 そして、戦場で手当てされた時から巻かれていた左腕の包帯が解けていく。


 ただの応急処置じゃない気はしていた。

 丁寧すぎたし、俺の腕に触っていた時間も不自然に長かった。

 警戒したのに、自分の詰めの甘さに涙が出そうになる。


「これが、(わたくし)から貴方へ授けた“手柄になる情報”ですわ」


 露わになった前腕へ、布切れがぴたりと貼り付いていた。

 そこには、巻かれた時には見えなかった、黒い線と小さな記号がびっしりと埋め尽くされている。


 地図だ。


貴方(あなた)の腕に、敵国側の補給路を仕込みました」


 敵国。

 補給路。


 頭の中で二つの単語が遅れて噛み合う。


「……は?」


「正確には、補給路とその拠点の位置情報ですけどね」


「どうしてそんなものが俺の腕にある」


「優しくして差し上げる。そう申し上げたでしょう?」


 エウラリアは、俺が理解し切るのを待つつもりもなく、口を開く。


「勝者である貴方の手札には正しく加えて差し上げませんと。知らなければ、駒は意図した形では動けませんから」


 知らなければ、動けない。


 その言葉で理解が一気に繋がった。


 そんなものを手元に持ち、しかも今この局面で俺へ渡せる時点で、偶然なわけがない。

 補給路を食い破るように押してきた今の戦況まで重ねれば、答えは一つだった。


「お前っ、お前がエリソン国の補給路と拠点を漏らしたのか!?」


「ええそうです、頭が冴えてきましたね! もっとも、ポロステニア王国への情報は小出しに、虚偽も含めていますがね」


 ぞっとするほど嬉しそうに、エウラリアはそう言った。


「クソが! お前のせいで人が死んでるんだぞ! 命を何だと思ってる!」


「そう! 急がねば、日常が崩れてしまいます! 人どころか国までも! ――と、いうわけで殿下。ここからが本番です」


 わざとらしく切られた言葉の端から狂気が滲み出す。


「ここ敵地ど真ん中から見事生還してみせてください。その地図を届ければ、貴方(あなた)は英雄に、戦況はひっくり返るでしょう。

 失敗すれば、貴方(あなた)は死に、エリソン国も滅ぶでしょう。私の見立てでは持ってあと三日――」


「勝手に話を進めるな! 何の権限があって他人の人生を(もてあそ)ぶ!?」


「そんなもの、私が『翻弄』を冠する覚悟を決めているからに決まっているでしょう?」


 当然のように告げられた意思には、まるで温度を感じない冷たさがあった。

 (はな)から会話が成り立つことを期待するのが間違っていた。


「……私は今の貴方の覚悟も知りたい。ですので、帰り着くまでに"二人"殺してきてください。

 できれば、より多くを救う力を貴方に。

 できなければ、とらわれている貴方のお仲間を殺します」


 罵倒が喉までせり上がる。

 だが、その最後の一言だけが別の意味で引っかかった。


 とらわれている……?

 エリック師も、セオも別れた後で捕えるなんて不可能だ。

 まさか。


「リゼルファ……!」


「そうですよね。黙精霊の方が心配ですよね。

 でしたら、早く帰らねばなりませんね」


 そこまで言うと、彼女は背を向けて歩き出す。

 白い礼装が夜気へ溶け、輪郭が闇と混ざり始めた。


「だからこそ、真っ直ぐ帰ってきてくださいね。

 次に会う時、貴方がまだ“王子”でいられることを祈っています」


 しばらく、身体だけがその場に縫い留められた。

 やがてすっと硬直が解ける。

 それに合わせるみたいに、胸元の黙獣も動き出し、左手小指へと覆い被さった。


「お前……俺の血が好きなのね」


 ため息を吐きつつ乱暴に椅子から立ち上がる。

 もう居ないと分かってはいるものの、急ぎエウラリアが消えていった細い道の先に進む。


 道を抜けた先は、低い岩肌の丘だった。


 そこから見えた夜景に、思わず足が止まる。


 遠くに赤い灯がいくつも瞬いていた。落ち着きのない、燃え広がる前の火のように(うごめ)く。さらにその上では、黒い煙が幾筋も空へ伸びて、星明かりを食うように棚引いている。


 遅れて、腹の底に低い音が微かに響いた。


 それだけで戦場はまだ眠っていないのだと知る。


「……どうしろってんだよ」


 思わず口に出た。

 見たままの敵地ど真ん中。しかも腕には敵国の致命情報。

 生きて帰るだけで敵国が死ぬ。

 生きて帰るだけですら、祝福なしなら、難易度設定は狂ってる。


 縋る思いで、周囲の敵兵を探るべく《帰標(きひょう)》を広げる。


 うまく動作した、と安堵した次の瞬間驚愕する。


「俺から安全な導線が出てる……!?」


 線は、森を抜けて山を越えて、見たことある地形……エリソン国へと伸びていた。

 俺自身の帰る方角や安全な導線は、霧散するばかりだったのにどうして……。


 その時、小指を舐めていた黙獣がするりと地に落ち――《帰標(きひょう)》もそのまま追従する。


「いや、お前かよ。黙獣なのに何で動線が出るんだ?」


 持ち上げて、改めてよく見る。


 ぬめる質感はそのままに、形は前より少し大きい。

 ただ膨らんだだけじゃない。中心の脳みそみたいな部分が、前よりも明らかに育っていた。内側では血管のような筋が走り、左右には小さな目が二つ。じっとこちらを見つめ返していた。


 気味が悪い。

 気味が悪いのに、今はこいつが何よりも頼りだ。


「……黙獣じゃなくなったか?」


 疑問は尽きないが後回しだ。


 それよりも考えなければ。アイツに従って、誰かを殺すのか? 帰って敵国を滅ぼすのか?

 虚言の可能性は……低いだろうな。左手小指が主張する。


 逡巡(しゅんじゅん)したまま立ち尽くす。

 エリソン国王夫婦を苦しめる相手に、容赦が必要なのかと問われれば答えられない。

 でも、国に属している大半には罪はないはずだ。


「……進みながら考えるしかない」


 俺は、左腕の地図と、黙獣が示す方角と、遠くで燃え続ける戦場の灯を見比べる。


 残された時間はあと三日。

 なんとか全部を捨てずに帰る方法を見つけたい。


 そして俺は、敵地へ向かって一歩を踏み出した。

 戻れなくなると分かっていても、もう立ち止まる方が怖かった。


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