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転生病を患った王子ですが、帰りたい  作者: 内向ひとり
第三章 南方戦争編
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翻弄するは(2/2)


 目を覚ました瞬間、最初に感じたのは寒さだった。


 冷えた空気が皮膚を撫で、そのまま骨の内側へ沈んできていた。


 眠気はその感覚だけで遠のいていく。


 湿った土と草の匂いだけがする。血の臭いも、火の焦げもない。ただ、人の手が入っていない場所特有の、澄み切った匂いだけがある。


 ぼんやりと目を開ける。

 左右には、崖というほど高くはない剥き出しの岩肌が立ち、正面には暗い道が細く伸びている。

 空は見えるが、岩に切り取られてひどく狭い。細く切り取られた夜の上に、星だけが遠く瞬いていた。


「……っ」


 動こうとして、そこでようやく自分の状況に気づく。


 腕が動かない。

 足もだ。


 粗末な木椅子に、身体ごと固定されている。縄の下には布が充てられ、食い込まないよう配慮されているのに逃がす気がまるでない締め方だった。


 思わず舌打ちが漏れる。


 辺りを見回す。

 焚き火はない。見張りもいない。馬の鼻息も、兵の話し声も聞こえなかった。


 まさか、ここへ放り込んだだけなのか。


 慌てて《帰標(きひょう)》を使おうとしたその時、岩陰の暗がりから、白い輪郭がひとつ浮いた。


 それは最初からそこにいたみたいに、静かに立ち上がる。

 白い外套の裾だけが、夜気に触れてわずかに揺れる。


 一歩。

 また一歩。


 こちらへ近づいてくるその姿を、見間違えるはずがない。


「……エウラリア」


 名前を呼んだつもりが、寝起きで干上がった喉は掠れた音しか鳴らさなかった。


 彼女は、どこか楽しそうにこちらを見下ろす。


「おはようございます、殿下。気持ちよく眠っていらっしゃいましたね」


 その言い方で、頭の中の何かが切れた。


「ふざけるなよお前ッ!!」


 椅子ごと前へ倒れそうになる。縄が軋み、木椅子の脚が地面を削った。

 だがエウラリアは(にこや)かな表情を浮かべるだけで、びくともしない。


「何なんだよここは! 何で俺が縛られてる!? セオは、エリック師はどうした! お前、最初から――」


「一度に喋りすぎです」


 エウラリアは小さく笑った。

 それがまた癇に障る。


「笑ってんじゃねえ! 答えろ! 助けてくれるんじゃなかったのかよ!」


「助けましたよ」


 あっさりと返される。


「拠点では、きちんと何人も。貴方(あなた)も、その中のお一人です」


「俺をここへ運んだことまで救助に含めるな!」


「立場によっては、そう数える方もいらっしゃるのではなくて?」


 平然と言われて、怒鳴り声が一瞬詰まる。


 こいつ、やっぱり最初からおかしかったんだ。

 権威を(かさ)に着るとか、性格の悪さとか、そういう範囲じゃない。もっと根本から、人と噛み合ってない。


「……何が目的だ」


 今度は無理に大声を出さずに聞いた。

 喚いても無駄だと、ようやく頭が追いついたのかもしれない。


 エウラリアは答えない。

 代わりに、俺の正面まで歩いてきて、椅子に拘束されたままの姿を品定めするみたいに見下ろした。


「何が、とは?」


「とぼけるな。俺を攫って、こんな場所まで運んで、ただ縛って眺める趣味があるとも思えない」


「失礼ですわね。眺めるだけなら、もっと明るい場所を選びます」


「そこじゃねえよ!」


 怒鳴り返した声が岩肌へ跳ね返り、自分の耳へとすぐに戻ってきた。

 その反響さえ、彼女は楽しむように口元を緩ませる。


 夜風が肺に吹き込み、続く罵倒を凍らせる。


 互いに逃げ場はない。味方の気配もない。

 なのにこいつだけは、全部が予定通りだと言わんばかりの顔でここに立っている。


 主導を握られっぱなしで好転するわけがない。

 縄を引きちぎろうと《環式(かんしき)》を使おうとしたが反応がない。

 《帰標(きひょう)》を試すも、まるで反応がない。


 胸の奥で、怒りと焦りと恐怖が混ざって込み上げてきた。


「次は何だ」


 どうにか息を整えて、睨み上げる。


「楽しいことが待ってるって言ったよな。次は何をさせるつもりだ」


 エウラリアは、そこでようやく少しだけ首を傾げた。


「少し前の貴方(あなた)なら、ここまでする必要はなかったのですけれど……少し真剣に向き合ってもらいましょうか」


 たったその一言で、城下町で感じた、あのやけに重い空気が蘇る。

 軽口の形をしているくせに、こちらへ選択を迫ってくる、あの嫌な感じだ。


(わたくし)の正体を見抜いてください。届いたなら、次の遊びを優しくして差し上げます。届かなければ、そのまま始めるだけです」


 その時、ふと胸元にぬめる感触が残っていることに気づいた。

 スライムの黙獣だ。

 コイツがまだいるなら、拘束なんて関係ない。どうにか動けば――。


「……やるわけないだろ。勝手に一人で遊んでろ」


 身体を大きく捻り、縄と椅子の擦れる音をわざと立てる。

 その物音に紛れさせるように、吐く息だけで黙獣を呼ぶ。


(おい。起きろ。起きろって……!)


 だが、返事はない。

 胸元に張りついたまま、ぬめる気配だけが黙っている。


「あら。つれないですわね」


 エウラリアは、少しも気を悪くした様子もなく笑った。


「では約束通り、“言うことを聞いて”もらいましょうか」


 その言葉に、身体がびくりと強張る。

 命令を待っているみたいに、四肢の芯だけが先に硬直した。


「私は自主性を重んじていますので、やる気を出す方向にしましょう。

 ――オルセオン王子殿下、左手小指の爪を剥いでください」


 何を馬鹿な、と反発するより早く、後ろ手に縛られた両手が勝手に動き始め、指先が小指の爪へ食い込んだ。

 普通なら躊躇する力が指先へとかかり始める。


「っな、はぁ……!?」


 自分の手が、自分の命令を一切聞かずに動いている。その事実だけで、頭の中が一瞬真っ白になる。


 遅れて、爪の縁へ熱した針を差し込まれたみたいな痛みが走った。

 呼吸が止まる。肩が跳ねる。椅子ごと暴れようとしても、縄が軋むだけで逃げられない。


「や、やめ――」


 言い終わる前に、爪が剥がれた。


 ぴし、という、ひどく小さな音がした気がした。

 次の瞬間には、指先が焼けたみたいに熱く、脈打つ。遅れて、爪の下を直接抉られたような激痛が押し寄せてきた。


「――ッ、あ゛ッ!」


 声にならない声が喉の奥で潰れる。

 視界が滲み、胃がひっくり返りそうになる。たかが小指一本。そう思う余裕すら吹き飛ぶくらい、痛みだけが鮮明だった。


 爪を剥がされた指先からは血が垂れ、短く湿った音をパタタと土の上で立てる。


「どうです?」


 エウラリアの声は穏やかだった。

 それが余計に頭へくる。


「これで、少しは真剣になっていただけました?」


 ふざけるな。

 そう叫びたかった。

 でも、痛みに呑まれたまま怒鳴れば、次もやられる。そう分かってしまった瞬間、自分でも情けないくらい真剣に思考し始めた。


 こいつは、本気だ。

 脅しじゃない。

 しかも、俺に考えさせるために、わざと死なない場所を選んで壊している。


 理由は分からないが祝福も黙獣も使えない。隙だらけの誓術なんてもっての外。

 もう考えるしかない。今できる最大の抵抗がそれしか残ってない。

 正解できなかったら、今より酷い状況になるのは間違いない。


 荒い息を押し殺しながら、無理やり頭を回す。


 条件は、エウラリアの正体を見抜くこと。

 見抜ければ次の遊びは易化し、できなければそのまま。


 そして、さっきの命令。


『“言うことを聞いて”もらいましょうか』


 あの一言を聞いた瞬間、城下町でのやり取りが、嫌になるほど鮮明に蘇った。


(わたくし)が勝ったら、貴方が実現できる範囲で言うことを聞く。どう?』


 あの時は、ただの性格の悪い勝負事だと思っていた。

 失礼な態度を取ったかどうかなんて、実際にはどうでもよかったのだ。

 必要だったのは、勝敗の形と、俺に“言うことを聞く”と呑ませるための条件だけ。


 だとすれば、今ここで起きていることは明白だった。

 俺はさっき急に支配されたんじゃない。

 城下町で交わした約束の続きを、ここで回収されているのだ。


 ルールがある。

 条件がある。

 それに見合う報酬が要る。


 盤を敷き、条件を置き、相手を座らせてから言葉にして形にする。

 法則を捻じ曲げる、誓術に近い体系の力――。

 そうした力を操れる存在なんて、俺が知ってる中でも数が知れてる。

 気味の悪いやり口まで含めれば、なおさらだ。


「お前、まさか……」


 答えは出た。

 けれど、それを口にする寸前で声が止まる。

 言った瞬間、最悪の予感が現実になる気がした。


「ふふ……ふふふっ。よくたどり着きましたね、オルセオン王子殿下」


 ねっとりとした甘い口調で俺を称賛する。

 白い手が、そっと俺の胸元へ触れる。

 そのまま喉をなぞり、顎を軽く持ち上げた。


「改めて名乗りましょう。

 (わたくし)は『翻弄(ほんろう)誓環士(せいかんし)』―― エウラリア・カリストス・ソフィア」


 白い指先が、わずかに力を込める。


貴方(あなた)に呼ばれて、ここへ参りました」


 俺に呼ばれた?

 どういうことだ。


「楽しくなってきましたね」


 その微笑みは、さっきまでよりずっと深い。

 楽しそうで、嬉しそうで――そのくせ、こちらを人間じゃなく、盤上の駒を見るように笑う。


「それではまず、貴方の左腕に何を仕込んだか。そこから教えて差し上げます」


【2026/03/28】同じ修飾語が連続していたため削除

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