王女の行方(1/2)
沈黙が痛いほど続いた。
黙獣対策課の者たちは、誰ひとり動かない。
命令を待っている――そのことに気付くまで、数秒を要した。
俺の言葉ひとつで、この場が動く。
王子とは、権威ではなく責任の名だ。
鼻の奥に張り付く血の臭いを飲み下し、声を張る。
「――全隊、調査を開始せよ。遺骸の確認と身元の特定を最優先とする!
到着の遅れは、弁でなく行いで贖え。
いま成すべきを成し、倒れた者たちに報いよ!」
命令の声が石畳に反響し、止まっていた歯車が回り始める。
黒地に金紋の外套が翻り、兵たちは一斉に号令に従った。
俺の“王子”という役割が、驚くほど自然に機能していく。
……民衆への演説もそうだった。自分でも驚くほど、言葉が滑らかに出てくる。先の戦闘で頭でもぶつけて賢くなったか?
調査を開始した隊員は、砂塵を蹴って瓦礫の間を駆け抜けていく。
崩れた尖塔の影には、炭化した腕と、溶けた金属の残骸。
焦げついた大地に触れた瞬間、靴底が微かに熱を帯びる。
……この惨状を前にしても、誰も動揺しない。
彼らは、こうした地獄を何度も見てきたのだろう。
この国の戦いは、まだ終わっていない。
「さて。王子殿下が遺骸の確認を最優先と仰せになった以上、我々は犯人の調査を請け負うしかありませんね」
リゼルファが、皮肉とも称賛ともつかない言葉を並べて頷いた。
彼女の言葉に、俺は一拍遅れて理解する。
……なるほど。そういう流れになるのか。
深く考えたわけではない。ただ、瓦礫の間を探し回っていた人々の姿を見て――それが最も必要だと感じただけだった。
「では、黙獣が放たれた現場を確認しましょう」
セオを先頭に、俺たちは黙獣出現場所へ向かう。
石畳が抉れ、黒く焦げた窪み。その中心に、踏み潰された一つの死体があった。
他の犠牲者たちが轢かれ、無惨に散っている中――その男だけが、ただ一人、圧死していた。
「……やはり実行犯は、雇われたに過ぎませんね」
セオが膝をつき、死体のポケットを調べながら呟く。
故人に対して失礼だが、異世界から来た俺にも分かる。
その男の衣服は薄汚れ、靴も片方が裂けていた。生活も教養も、共に貧しかったのだろう。
目的も、命の値段も知らぬまま、金で雇われ地獄の入り口に立ってしまったのだ。
「空印筐の破片が残っていたが……この素材、記憶が正しければ“件”の国で用いられているものだ」
リゼルファが筐の欠片を拾い上げながら、静かに言う。
「――目立つ証拠をあえて残し、誤認を誘う手法そのものが、捜査を撹乱し真相を覆い隠すための周到な策と見るべきだ。
これが仮に模造だとしても、空印筐そのものが特殊な素材と精錬設備を要する」
「国の監督を欺いて製造・運用するなど、現実的に不可能だ。ゆえに、“個人の犯行”および“自国内での製造”の線はまず消える。
さらに、黙獣の越境移送は既存の盟約に明確に反する行為だ。露見すれば周辺国からの交易は断絶し、盟邦は離反する。場合によっては軍事的な制裁も免れまい。
――すなわち、こうした“公にできぬ事情”を抱えた者だけが、この事件を仕掛け得るということだ」
さすがは諜報局出身。
言葉の端々から、情報の流れを掴む嗅覚が感じられる。
リゼルファの推理は、なおも静かに続いていった。
「加えて、空印筐の運搬には特殊な設備と港ルートが必要であり、黙獣を封じた筐の誓神力の持続はせいぜい三日。
その間に通関や関所を無傷で抜けるには、相当な権限が要る。
しかも、数日間行われる黙獣被害者の慰霊への王女殿下の参加は、つい最近決まったばかりだ。
この情報を事前に知り得たのは、王国関係者に限られる」
「――以上を総合すれば、外部の暴発ではなく、内部に通じる者が手配した組織的な犯行と見るのが、最も合理的だ」
俺は思わず「おお」と声を上げ、軽く拍手をした。
「つまり、どういうこと?」
――そう、まったく分かっていないのである。
リゼルファは頭を押さえ、深いため息をつく。
「……王子殿下。この件が片付いたら、政治についても勉強しましょうか」
その横から、セオが助け舟を出すように口を開いた。
「要するに――この空印筐を造り、黙獣を封じて送り込んだ国と、我が国の、それもかなり上位の権力者が手を組んでいた、ということです」
彼は淡々と続ける。
「つけ加えてになりますが、これは突発的にできるような仕業ではありません。黙獣の取引は以前から、継続的に行われていたと見るべきでしょう。
そうなると痕跡を完全に消すことは不可能です。案外、犯行組織の特定は早いかもしれません――ただ……」
「ただ?」
「王女殿下と護衛を、誰の目にも触れずに誘拐、あるいは誘導する手段と、その目的が、いまだ見えません……」
確かにそれは気になっている。
殺すつもりで黙獣を放ったのだろうに、わざわざ連れ去った理由が分からない。
騒動に紛れて暗殺する方がよっぽど楽だろうに。
「――王女殿下の方も何か痕跡が残っているかもな。ひとまず私は証拠品の提出と現状の推論・調査対象について報告してくる。後ほど合流しよう」
そう言い残し、リゼルファは踵を返した。
彼女の外套が音もなく揺れ、その姿はすぐに兵士に紛れて消える。
俺たちは互いに短く頷き合い、王女殿下が失踪したとされる場所へ向かった。
黙獣が最初に突っ込んだ地点でもあり、惨状は目を覆うほどだ。
献花台は押し倒され、血と肉片を浴びて原型を留めていない。
人々の悲鳴がまだ空気の底に残っている気がした。
「……おかしいと思っていましたが、その“おかしさ”が、痕跡として残っているだけですね」
セオは周囲を見渡し、肩を落とす。
またしても意味が分からない。
続きを話してくれることを期待して、俺はセオを見つめる。
察したセオが、口を開く。
「この場所には慰霊のため多くの人が集まっていました。そのため、黙獣の目に留まり、攻撃対象にされた――ここまでは自然です。
しかし、殿下もご覧の通り、逃げ遅れた人々がまだここに大勢いる中で、黙獣は突如、踵を返して“逃げる人々”ばかりを狙い始めました」
「護衛の場合、何名かは前に出て、殿下の退避を確保するための挑発行動を取ることが、近衛の規律で定められています。にも関わらず……その痕跡が全く残っていないのです」
「なるほど? でも、護衛がその行動を取らなかったら、黙獣が偶然そんな動きをすることもあるんじゃない?」
護衛たちも突然の事態に気が動転したのかもしれない。そう思いながら、悲鳴をあげていた自分を思い出す。
「いえ。王女殿下の護衛は、王国騎士団から選抜された精鋭で構成された“近衛騎士団”の所属です。その可能性は限りなく低いと、私は信じています」
具体的な誰かを思い浮かべて喋っているのが感じ取れた。よほど信が置ける人物がいるのだろう。
「しかし、あまりにも取っ掛かりがないので何処から見るべきか……立ち位置に目星をつけて、軌跡を考えてみます」
そういうとセオはシャドウボクシングならぬ"シャドウ護衛"を始めた。様にはなっているのだが……一生懸命さが可愛らしく見えて笑える。
気を取り直して、俺も現場を見てみる。
戦闘の熱で麻痺していた感覚が、この頃にはすっかりと戻っていた。
……この光景は、普通の日本人高校生だった俺には、あまりにも重すぎた。
胸の奥がひっくり返るような感覚に襲われ、俺は視線を逸らした。
思わず小走りで、被害のない場所まで逃げる。
吐き気を必死に抑えながら、膝に手をついて息を整えた。
自然と目が地面に落ち――そこに、腐った花があった。
献花台からはかなり離れており、ここには一輪しか落ちていない。
あまりにも不自然で思わず拾い上げる。
花弁の端が黒ずみ、指先で触れると、どろりと爛れて形を失う。
甘い香りに紛れて、どこか酸っぱく、生臭い匂いが鼻を刺す。
まるで、生きている香りと、死にかけの匂いが混ざっているかのようだ。
それでもなお、不思議と心地よい香りが残り――嗅ぐほどに吐き気が引いていく。
無意識のうちに、花を鼻に当てて深く吸い込んでいた。
ふと――この匂いを、どこかで嗅いだことがある気がした。
思い出した! この世界初日にリサナ王女が部屋に飛び込んできた時に漂った香りだ!
あのときの、あの嫌悪に満ちた表情が脳裏に蘇る。
……そして気づく。
俺はいま、リサナ王女の花を鼻に押し当てて恍惚としていたのだ。
これは、そう、完全に変態の所業だ。
そっと花を離し、自分に言い訳をする。仕方のない事故だったのだ、と。
思考を切り替えるようにセオに呼びかける。
「セオ、こっちに来てくれ!」
セオは今まさに、シャドウ黙獣と対峙したところだったようで、説明のために取り出してくれたロングソードに手をかけていた。
呼びかけるや否や姿勢を正し、小走りで近づいてきた。
「これを見てほしい」
そう言いながら、俺は腐った花を差し出した。
しかし、予想とは異なる反応が返ってきた。
「……これまでのやり取りから、王子殿下は平和な世界から来たものと思っておりましたが、中々に肝が据わっておいでですね。……まあ、それは良いとして。これがどうかされましたか?」
「え、あぁ……これ、リサナ王女が髪に挿していた生花だと思うんだけど、違うかな?」
セオの瞳がわずかに揺れ、息を呑む気配が伝わる。
「……殿下。これが、生花に見えるのですか? 私には――人肉、それも頭蓋の欠片にしか見えませんが」
どういうことだ。俺は頭がおかしくなってしまったのか?
セオの言うことが正しいならば俺は頭蓋に鼻を突っ込んで嗅いでいたことになる。
戦慄しつつも真偽を確かめるべく、環式を展開して手に持った物体を再確認する。
“腐蝕に歪められた生花”。
――やはり「生花」だ。
けれど、その前についた枕詞が、どうにも不穏だった。
腐蝕? 腐っているというより、何かに侵されている……?
違和感を振り払うように顔を上げ、セオに言葉を返そうとした。
――その瞬間、目に映ったセオから異様な情報が浮かび上がる。
“腐蝕に感染した兵士”。
息が詰まった。
何だ、これは……どういう意味だ。
まさか、花から感染した――?
何だかとても不味いことになっている気がする。
そう思い、慌てて自分の体に目を落とす。だが、自分の身からは特に情報は上がってこない。
嫌な汗が背を伝う。胸の奥が、冷たいものに締めつけられた。
「……何をやっているんだ?」
背後から声がして、心臓が跳ねた。
いつの間にか、リゼルファが報告を終えて立っていた。
「それが、王子殿下の様子が少しおかしくてですね」
「様子がおかしいのは昔からだろう」
(コイツ……いつか絶対、不敬罪で何らか処す!)
青筋を抑えながら、リゼルファを睨む。
――“諜報兵”。
うん、特に異常はない。……なら、花を見せたらどうなる?
「とりあえず、これを見てくれ」
リゼルファの顔がわずかに歪む。
環式の視界から情報が流れ込む。
“腐蝕に感染した諜報兵”。
……なるほど。花を見せた瞬間に、感染が広がるのか。
人肉に見えるのは、腐蝕の効果――。
理解した瞬間、ようやく自分が正気であることに自信が持てた。
しかし、これをどうすれば説明出来るだろうか。
否定し合う未来しか見えない。
祝福の開示は最後の手段まで取っておこう。
「リゼルファ。俺にはこれがリサナ王女が髪に刺していた生花に見えている。嫌だと思うけど触る・臭いを嗅いで花と感じ取れる要素があるか検証してほしい」
リゼルファが確認するようにセオに顔を向ける。
セオが頷くのを見ると、深く息を吐き、承知したと返して花を受け取るのだった。
――依頼した後に気づいたが、決してこれはこれまでの意趣返しではない。
リゼルファの手つきからすると、本当に頭蓋の欠片に見えているようだった。
中指でノックして花弁をカサカサと揺らしたり、毛髪を触るように空を切るその仕草は、俺にはとても異質に見えた。
臭いを嗅いでも、特に反応する様子もない。
「悪いが、やはり視覚・触覚・聴覚・嗅覚においては、人肉という結論にしかならない――味覚はやめておこう」
そう言うと、セオに花を手渡す。
「もしかして私もやるんですか? ……はい、分かりました」
リゼルファの無言の圧力に屈するのに時間は要さなかった。
「――殿下。私もリゼルファ隊士と同意見です」
セオが顔色悪く答える。
うーん、参った。祝福を開示するしか、もう手段がない。
「……本気でこれがリサナ王女殿下が持っていた花だと思っていることは信じよう。しかし、これが花だったとして王女殿下の行方を追うには情報として役に立たない」
リゼルファの言う通りでぐうの音も出ない。
「それこそこれが王女殿下の頭蓋で、血痕が道に続いているなら話は別だが」
ですよねー、と思いながら捜査を振り出しに戻そうと考えた瞬間、閃いた。
道に落ちた血痕のように辿る方法がある!
【2025/12/31】可読性向上のため、改行挿入




