翻弄するは(1/2)
俺の腕を見た令嬢は、なぜか上機嫌に唇をゆるめた。
「あら。よく見れば貴方も怪我しているのですね。治してさしあげましょう」
「何で嬉しそうなんだよ。あと分かってると思うけど、ここは全く安全じゃないからな」
エウラリア令嬢は、俺の腕に纏わりついていた黙獣を、羽虫でも払うみたいに手で追いやる。
「先に心配が出てくるなんて、優しい王子様ですこと」
白い指先が傷口の上をなぞる。
空気に触れて浮き彫りになった痛みだけが、音もなく引いていった。癒えているというより、感覚ごと薄められていくようで気味が悪い。誓神力を流し込まれている――しかも、かなり無遠慮に。
「ご安心を。私も白誓院の人間ですから心得ております。それに、黙獣被害と黙性汚染が出た場所へ入る理由なら、いくらでも立ちますわ」
「……建前は分かる。でも、エウラリア令嬢が来るのはおかしい。人質の身だろ」
「許可証をお見せしましょうか? 沢山の方をお救いしたのに、冷たい言い方をされるのは悲しいです」
(笑いながら言うセリフじゃないだろ)
そう思っている間に、腕の裂傷はきれいに塞がっていた。
「燃やす予定だった荷を戻せ! まだ持ち出せる!」
飛んだ怒号に意識を引き戻される。
さっきまで重傷者を乗せるはずだった荷車へ、兵たちが木箱を乱暴に放り込んでいた。車板にはまだ黒ずんだ血がこびりついている。火をかける寸前だった荷の山からも、別の兵が必死の形相で物資を引きずり出していた。
「オル坊とエウラ嬢。セオ坊から離れないように」
エリック師が、ため息混じりに短く吐き捨てた。
「どこ行くんですか?」
エリック師はセオの肩を一度だけ叩くと、質問に答えることなく背を向けて拠点南へと歩き出す。
セオも何かを感じたのか、盾を構え直して俺たちの前へ出る。
「もう悠長にはしていられなさそうです」
「まあ。でしたら準備でき次第退避した方が良さそうですね」
「……何してんの」
エウラリア令嬢は退避を始めるのかと思いきや、治ったばかりの俺の腕へと、何かの布切れと共に包帯を巻き付ける。
「先ほど見せた力は、全快させるものではないのです。第一王子の御身ですので万全を期しておきたくて」
「過剰な気がするけど……ありがとう。礼だけ言っとく」
その言葉にエウラリア令嬢は満足そうな笑みを見せる。
その傍で、ようやく撤退が始まっていた。
均された東門からオーレシア友軍が優先されて出ていく。
「殿下。我々も続きます」
門を出て少し進んだところで、拠点内から再度警鐘が響く。
「南西より前線、北東に向けて後退! 撤退急げ!!」
足を速めながら南の森へ目をやる。木々のあいだから、敵を背負うようにして駆け上がってくる味方の列が見えた。
「まずい、拠点側に押し込まれてる……!」
反射的に退路を振り返る。だが山道はすでに人で詰まり、荷車の車輪が石を噛んでは止まるを繰り返していた。怒鳴り声と悲鳴が重なり、このままでは雪崩みたいに呑まれる。
「仕方ありませんね……奥の手ですが、オルセオン王子殿下。今だけ白誓院の一員に加わる気はありませんか?」
「は?」
「恩の売り時と察してくださいませ。我々は中立です。だからこそ、今この場では見逃される」
そこで彼女は、少しのためらいを見せて続けた。
「……本当は皆さまをお連れしたいところですが、お救いできるのは、今は殿下お一人だけです」
穏やかな声だった。だからこそ、選ばれなかった側がどうなるのかまで、はっきり見えた。
「殿下。断る理由も一刻の猶予もありません」
「……分かった、よろしく頼む。ただ一言だけ。
セオ、北の山中にバラけて逃げた方が生存率が高い。荷は諦めることも含めてみんなに知らせてくれ」
ばら撒いた《帰標》の結果だけを伝える。
少しでも被害が減ることを期待して。
「分かりました。安全が確保できたら合流しましょう」
「ああ、セオも気をつけて!」
「行きます! こちらへ!」
南へ向かって走り出す。途中、敵兵とすれ違うも一瞥されるだけで事なきを得る。
しばらく走って敵影がまばらになった頃、俺は息を整えながら口を開いた。
「――エウラリア令嬢、色々と疑って悪かった。言動からは、恩を売る機会を伺ってただけとは思えなくて……」
彼女はくすりと笑った。
「ふふ。殿下は、最後まできちんと疑ってくださいましたね」
すぐ横にいた信徒が、一歩だけ前へ出る。
「ここから先の方がずっと大事ですのにね」
その言い方でようやく気づく。
助かったのではない。連れ出されたのだと。
反射的に距離を取ろうとしたが、遅かった。
視界がぐらりと傾き、瞼が急に重くなる。踏み出した足に力が入らず、膝が折れた。
「っ、おま……」
霞む視界の向こうで、彼女の微笑む口元がはっきりと見えた。
「お休みなさい、王子殿下。次目覚めた時はもっと楽しいことが待ってますよ」
直前まで書いているくらいにはストックがありません(^.^)
更新飛んだらごめんなさい!




