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転生病を患った王子ですが、帰りたい  作者: 内向ひとり
第三章 南方戦争編
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戦場の聖女(3/3)


 潰れた門材が土に半ば埋まり、砕けた樽から流れた水が泥を黒くしていた。

 今すぐ使える物資は半分近く潰された。


 それでも壊れたのが門と荷だけで済んだのは、エリック師がいたからだ。

 そうでなければ、ここにいる兵の何割かは、とっくに死体になっていた。



 もうこの拠点は隠れていない。

 位置がバレてしまった以上、次も同じように籠もれるはずがなかった。



 怒号は途切れない。

 誓術で土が押し(なら)され、その横で兵たちが倒れた柵と縄を片付ける。帳簿を抱えた文官が、負傷者を中央へ集めろと喉を潰さんばかりに叫んでいた。


「誓術で水を集めろ!」

「包帯持ってこい! まだ仕舞ってあるはずだ!」

「治療の祝福持ちは重傷だけ見ろ、軽傷は後回しだ!」


 肩を貫かれた兵が歯を食いしばるたび、肩に押し当てた布から血が溢れる。

 太腿を裂かれた兵は布を巻かれるたびに体を跳ねさせ、呻く息すら長く続かない。


 今なら、まだ間に合う。

 だがそれは、ここで何も欠けなければの話だ。

 水か、布か、人手か、術か。どれか一つでも尽きれば、助かるはずの命から先に死ぬ。



「殿下、腕を――」


「いや、俺は一番最後でいい。あっちが先だ」


 セオの言葉を遮って、目線で負傷者の集まりを示した。

 俺の傷なんて、今はどうでもいい。


 その言葉を聞いていたのか、胸ポケットにいたスライムの黙獣がぬるりと這い、俺の左前腕へと纏わりつく。

 血を飲んでいるかのような吸われる感触を覚えるのと同時に、熱がじわじわと引いていく。


(応急処置をしてくれてるんだろうけど……やっぱり黙獣ってのが気味が悪い)


 そのとき、哨戒(しょうかい)から戻ってきた兵が一人、泥を蹴って中央へと駆けてきた。


「報告! 西側の見張り台が陥落! 敵兵集結! ここへじきに――」


 言い淀んだ兵の喉が、そのまま続く言葉を飲み込む。



 その先を、口にしなくても全員が知っていた。


「撤退だ! 東門の柵をどけて退路を空けろ! 前線にも撤退合図を送れ!」

「重傷者から荷車へ回せ! 他は歩かせろ!」

「治療資材を選べ! 食糧は隙間に入れろ! 残りは焼いていけ!」


 各班長が一斉に叫ぶ。

 どれも間違ってはいない。

 だから兵たちは、荷と負傷者を見比べたまま止まった。

 その脇で、呻き声だけが置き去りにされていた。



 駄目だ。

 このままでは、全てを捨てることになる。



「ッ――捨てた荷の責はすべて私が負う! 生きて出ることだけ考えろ! 動けッ!!」



 俺のその言葉で、兵の何人かがようやく弾かれたように動き出した。

 だが、それで立て直せるわけではない。運び出せたとて、生き延びる保証もなかった。


 泥と血で滑る地面に、若い兵が膝をついた。

 抱えていた包帯束を取り落とし、呆けた顔で呟く。


「もう、無理だ……」


 その声は小さかった。

 なのに、はっきりと聞こえた。


 怒号が勢いを失う。

 誰もが同じことを考えていて、ただ口にしていなかっただけだ。


 だから、その沈みかけた空気を切り裂いた声は、場違いなほど澄んでいた。



「あら、負傷された方がお荷物扱いされてますね。可哀想に」



 その場にいた人間の意識が一斉にそちらへ引かれる。


 振り向いた先、崩れた東門の向こうに白い集団の影が見えた。

 土と血の色が視界を埋める中、それだけが場違いなくらい鮮やかに映える。


 数人の白誓院(はくせいいん)の信徒を従え、その先頭を歩いてくる女がいる。

 見覚えがある。いや、あるどころじゃない。


「……は?」


 思わず声が漏れた。


 エウラリア令嬢だった。


 王都で留守番しているはずの人間が、なぜか戦場のど真ん中にいる。

 しかも、ただ来たんじゃない。迷いなく人の列を割り、負傷者のいる方へ一直線に歩いてくる。


 純白の礼装の上から、救護用らしい外套だけを羽織っている。あの時仕立てると言っていた服だ。俺との勝負事は終わったのか? そもそも人質の身はどうした?

 理解が全く追いついていない状況で、周囲がざわめき立つ。


「白誓院……?」「不干渉じゃないのか」

「黙性汚染が広がったのか?」


 絶望に沈みかけていた空気が、この瞬間だけは神聖な雰囲気に呑まれていた。


 エウラリア令嬢はそんな周囲を一瞥もしない。

 真っ直ぐに一人の負傷兵の前へ膝をついた。


「他の方は下がって。今は(わたくし)を信じて」


 落ち着いた声だった。

 戦場に似つかわしくないほど、冷えていて、整っている。


 兵たちは半信半疑のまま距離を取る。

 もう唇を紫にしていた兵の、血に濡れた肩口上へとエウラリア令嬢が白い指先をそっとかざした。


 その瞬間、場の音が一歩遠のいた気がした。


 風が止んだわけでも、轟音が消えたわけでもない。

 なのに、そこだけが静まる。


 エウラリア令嬢の身体から、薄いもやのようなものが滲み、負傷兵の身体へと流れ込む。

 裂けていた肉の端が、ゆっくり、けれど目で追える速さで寄っていく。滲んでいた血が止まり、荒れていた呼吸が整い、白濁しかけていた目に焦点が戻る。


 さっきまで死の方へ傾いていた身体が、目の前で引き戻された。


 誰かが息を呑む。

 別の誰かはその場で膝をつき、祈りを捧げていた。


「奇跡だ」


 痩せた男の口からこぼれた一言に、全員が同じことを思った。


 その後も次々と負傷者を救っていく。

 間違いなく、救われている。それなのにぞわり、と背中が冷えた。


 周囲は安堵を得て撤退作業に戻り始めたというのに、俺だけが理解を拒んで動けないでいた。


 エウラリア令嬢は顔を上げる。

 まるで最初からここに来るのが決まっていたみたいな顔で、俺を見た。


「何をそんな顔で見ているんですか、オルセオン王子殿下」


 外套の裾を揺らしながら、彼女は微笑む。


「助かったのですから、もっと嬉しそうになさっては?」


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