忍ぶ戦の種
白誓院の令孫を連れて城下へ出ることも、今ではすっかり日課みたいになっている。
最初は必要な買い出しに過ぎなかった。
けれど、日用品を揃えるくらいじゃ、消費しなければならない金額にはまるで届かない。
かといって、人質であるエウラリア令嬢に茶会を開かせるわけにもいかなかった。人脈作りにも、情報収集にも繋がりかねないからだ。
エウラリア令嬢もそのあたりは心得ているらしく、文句を言うことはない。
ただ、朝の訓練を終える頃になると、当然のように目の前に現れては「今日はどちらへ?」と聞いてくるようになっていた。
そして、それは……正直助かっている。
向こうから出てきてくれるのもありがたいが、それ以上に、城下へ出る口実になるのが大きい。
王子だというのに公務もせず、剣ばかり振っているとなれば外聞が悪い。療養明けからやけに視線が刺さると思っていたが、どうやらそれが理由だったらしい。
だからこうして、令孫の付き添いと城下の見回りを兼ねて出歩くのは、仕事をしている体裁を整えるには都合がよかった。
もっとも、いつまでもこんな気軽な役目ばかりで済むはずもない。書類仕事とか……どうやるんだろう、気が重い。
「淑女を前に、仕事のことを考えるのは世の常なのかしらね」
エウラリア令嬢が俺の顔を覗き込みながら、からかうように笑う。
「あー悪い。何か買いたいものあった?」
「いえ、別に? 面白い顔してたから気を散らしてあげようと思って」
「それはお気遣いどうも……」
ここ連日の買い出しで、エウラリア令嬢とも口調を崩して会話できる程度には仲が深まっていた。
そんな調子で言葉を交わしながら、使い切れない予算をどうにか減らすため、高級品ばかりを扱う通りを歩く。
だが、しばらく進んだところで、はっきりとした違和感を覚えた。
宝飾や服飾を並べた店先は、どこも客足が鈍い。
その一方で、人の流れは揃って脇の通りへ吸われていく。
薪や炭、保存食、薬品――日持ちする、使い潰せるものを扱う店の区画へと向かう流れができている。
しかも、その流れに乗るのは平民ばかりじゃない。
仕立ての良い婦人服を着た者や、従者連れの客までもが、値の張る飾りには目もくれず足早に通り過ぎていく。
ある種の緊張感まで伝わってくる。
華やかさより、備えを優先している。街が静かに何かへ身構え始めているのが、肌でわかった。
そんな中、エウラリア令嬢が、宝飾店から出てきた華やかに笑いさざめく貴婦人たちを見て、小さく息を漏らす。
「壊れる日常がない人は気楽なものね……」
(人質生活を楽しんでる奴の発言じゃないだろ)
「……今、ずいぶんと失礼なことを考えましたね? 中身が曖昧になっても、無礼はちゃんと残るのですね」
「すぐに失礼な発言が出る令嬢に諌められてもなあ」
思わず返した憎まれ口に、エウラリア令嬢は露骨に眉を寄せた。
が、その不機嫌さはすぐに、別の色へ変わる。
「では、こうしましょう。どちらがより失礼な態度を取ったかで優劣を決めましょう。貴方が勝ったら、私から手柄になる情報を授ける。私が勝ったら、貴方が実現できる範囲で言うことを聞く。どう?」
嫌な予感しかしない。
ただの軽口の延長のはずなのに、やけに重い空気を感じる。
「あら。急に寡黙ですね。無傷で勝てる場にしか立たないから、見栄えのいい功績ばかり積めるのかしら。」
その煽りは少しだけ腹が立つ。
この世界で生き残るために。
理不尽な目に遭う人を減らすために。
そんな願いを叶えるには、痛いのも、苦しいのも我慢するしかなかった。
そうした積み重ねが今の結果につながっているのだ。
無傷で勝てる場、だって? 事情も知らずに決めつけられるのは心外だ。
「……分かった。勝負の後に、再評価してもらおうかな」
「成立ね。あ、そうだ。予算の使い道ですが、新しい礼装を仕立てましょう」
「いや、今さら何でだ? 言葉にしなかった俺も悪いけど、交友を広げさせる訳にはいかない。作っても死蔵するだけだぞ」
「ふふ、今はそうね。でも勝負事が終わった時には必要になってるんじゃないかしら?」
「負けたとしても俺の実現できる範囲からは外れるぞ」
「あら。使い道がないというなら死装束にでもしましょうか。――どちらが着ることになるか楽しみね」
いつもと変わらない口調だが、嫌な冷たさを感じる。
口元は笑っているのに、そこにあるのは冗談の温度ではなかった。
――やっぱりコイツ変だ。
「とにかく作りましょう。どうせ余るお金なら、民へ還元した方が良いでしょう?」
促されるままに入店する。
この時、俺は気づけなかった。相手の提示する条件に乗る怖さを。
そして、王子と白誓院教皇の孫の気まぐれに巻き込まれた、この高級服飾店。
店主の胃に穴が開くのは、きっとこれからだ。




