番外編① 俺の名は
日雇い労働者、中心人物の視点になります。
空は晴れたり、曇ったりでめちゃくちゃだ。
今は、雲の底を引きずるように光が走るのが、視界の端で見える。
そして、闘技場の屋上に、不気味な羊角の女がいる。
ド派手な音を立てて誰かとやり合ってたみたいだし、それがその内降りてくるなら――俺たち全員おしまいだ。
観客席も矛先が向かないように黙りこくって、今も続く俺たちの奮闘なんか気にしちゃいねぇ。
目の前の黙獣は、俺たちが頭痛と吐き気を覚えるようになってから、急に元気になって、めちゃくちゃに膜を震わせてやがる。
頑張って巻いた鎖が一つ、また一つと壊されていく。
「ぐううぅっ、これ以上持たねえ! 誰かヒョロガリ掘り出せ! もう逃げ回るしかねえ!」
鎖も、俺の身体も限界だ。これ以上抑えられねえ。
膜が膨らむ。来る。
黙獣が解き放たれてしまう。
刹那、闘技場全体に声が落ちてきた。
『――こちら王国騎士団。闘技場を包囲した。抵抗をやめ、武器を捨て、伏せろ。繰り返す――』
やたらとデカい声が、石壁を震わせるほど明瞭に響く。
隙のない宣告と感じると同時に、俺たちの救いでもある。
突然落ちてきた慈悲に、どっと息が出てしまった。
「マジで全員生きて帰れるのか……?」
思わず手が緩む。他の奴は「助かったのか?」なんて涙ぐむ。
歓喜が形になって、目の前、そして上にいる脅威を忘れてしまった。
そんな気の緩みを感じ取った黙獣は、巻きついていた鎖を一気に弾き飛ばす。
そして低音を響かせながら、怒りに震えるかのように、ゆらりとその身を浮かび上がらせる。
(ヤベ)
そんな俺たちの横を、港火災の後始末で来たとか言う、灰色髪が駆け上がっていく。
「まだ終わってないぞ! 距離を取れ!」
舌打ちと共に怒声を浴びる。
灰色髪は薄い青色の光を身体に纏っていた。
甲高い炸裂音。
空圧が灰色髪を正面から叩きつける。
最初に立ち塞がった時より、全然血も皮膚も飛んでいかねえし、見てねえ祝福もあるしで――。
(コイツ手抜いてッ……じゃねえ、軍が来るまで引き延ばしてたってコトか! なら――)
「お前ら! 今のうちにヒョロガリ出すぞ!」
残り二人に呼びかけ、土壁に埋まったヒョロガリを引きずり出す。
「……アレって白誓院の飛行船、ですか?」
土壁から掘り出されるのを待つ、ヒョロガリの呟いた声が静まり返った闘技場を刺す。
その声につられて空を見上げると、黒い影が飛行船から落ちてきた。
白誓院の紋に、白装束の男。
落ちてきた影が、雷光に縁取られて一瞬だけ明確に見えた。
束の間、屋上で金切り音が走る。刃と刃が噛み合う、あの音が。
「どんどん生存率が上がってるぞ! ホラ急げ、急げ!」
ヒョロガリを掘り出し、担いで舞台端まで走る。
背後からは空気が弾ける音。
上からは刃の噛み合う音。石を割る音、鉄が鳴る音、そして雷鳴が近い。
端まで来て、ようやく今戦ってる奴らを客観的に見れたが、どっちも人間離れしていた。
……昔はこういうのに憧れて、契導支舎で評価上げに勤しんだもんだ。
黙獣なんかと戦ってみたりして、今みたいに現実を知って――。
「う、上!」
周りの労働者から声が上がり、慌てて目線を屋上に送る。
屋上で、今まさに鉄が林立していた。
槍のような鉄柱が、地面から生えるように突き上がり、羊角女へ向けて乱立する。
祈りの気配が、上から降りてくる。
だがその祈りは、羊角女には届かない。
蹄が石を打つ。乾いた一音。次の瞬間には位置が変わっている。槍が支点になり、身体が回転し、鉄の森の隙間を滑るように抜ける。鉄柱が空を裂くだけで、当たらない。
そして白誓院の影が、鉄柱の一本を掴み、次の瞬間には切り落としていた。
ただ振り払われた剣が、容易く鉄の柱を切断する。
切り離された柱は、重さを失ったように男に投げられる。
投げられた柱が消えた。いや、速すぎて見えなかった。
鉄柱は、闘技場の底へ一直線に落ちてきて――黙獣を貫いた。
皮と膜と、空圧の層ごと。
遅れて衝撃音が轟き、土煙が巻き上がる。
黙獣の身体が一瞬だけ膨らみ、次の瞬間、弾けるように潰れた。膜の返しも何もない。
(上のやつ……灰色髪が苦戦してるの見て、あの猛攻の片手間で潰したのか)
屋上の戦いは更に激化し、石はめくれる。鉄柱が増え、雷光がそれに落ちる。
もう黙って見てるしかなかった。灰色髪も呆気に取られて立ち尽くしていた。
そんな最中、闘技場の入口が破られた。
軍が客席に雪崩れ込んでくる。号令。盾、剣、鎧の擦れる音。音の波が、誰も逃さないように規則的に広がっていく。
「伏せろ! 頭を下げろ!」「貴賓席は――!」
その目立つ群衆は上の脅威の目を奪うのに十分だった。
羊角女が槍を掲げ、観客席へと――狙いを向けたのが見えた。殺す気だ。下の群れ全員を。
光の筋が落ちかける。
と同時に、闘技場の内側、観客席の上に――巨大な土の塊が盛り上がった。俺たちの足元を奪って。
すっ転んで強制的に見上げた形になる。
土が雷の進路を塞ぐ盾として機能するところを見せつけられる。雷鳴と光が、そこで途絶えた。
だが、雷の衝撃を受けた土の塊はグラリ、と俺たちに向かって倒れ込んでくる。
「うわああああああああああ」
うるせぇ。最期に聞くのがヒョロガリの奇声たあ――。
もう諦めていた。なのに、その土の塊は横からの衝撃でわずかに進路がずれて俺たちの真横にズドンと落ちて山を作る。
「大丈夫ですか!?」
灰色髪が今し方出来た傾斜を、小走りで近づいてくる。
灰色髪が何かしらやったのか。身体から青い光が消えている。
「ンだよ、その喋り方は」
もうここまで来れば予想はつく。が、最後まで尻を拭われた羞恥で思わず悪態がついて出た。
「ああ、失礼。思わぬ救出の形になりましたが、私は軍属の者です」
どういう原理だ。首に巻いていた布を取ったら、灰色髪が銀髪になっちまいやがった。しかも相当に若い。
目に見えることしか判断してこなかったから、騙されてばかりだ。クソッ。
ふと、屋上の戦いが止んでいることに気がついた。
あの落雷を囮にして羊角女は逃げたっぽいな。
いつの間にか雷雲までなくなってやがる。
「想定していた決着の付け方とはかなり差が出てしまいましたが……何とか持ち堪えられましたね」
思わず喉を鳴らして笑う。乾いた笑いが出た。
「嘘言ってんじゃねえよ。最初から本気出してたらもっと早く終わってただろうが」
「あと何体出てくるか分からない黙獣やドルバン王子の私兵を全員相手にするわけにはいかなかったので……申し訳ありません」
そうか、そういう考え方があるのか。
もう、ただの恥の上塗りだ。
銀髪は構わず話しかけてくる。
「軍は、貴方たちを保護します。そして今回の件。ドルバン王子殿下を正当に裁くための証言を要請します。でも、それだけを求めている訳ではありません」
真意を掴めず、思わず目が細くなる。
「手足が要る。頭が要る。――この国は、またまだ見て見ぬふりで回っている。
だから、軍に来てほしい。貴方の腕と、目と、腹の据わりは、ここで腐らせるには惜しい」
「……俺みたいなのが?」
憧れをもう一度持てというのか?
何もかも中途半端に生きてきて、何も成し遂げられなかった、この俺が?
「ええ、“みたいなの”が要ります。底を知り、血を見て、まだ立てる人が」
銀髪から手が差し伸べられる。
手を取るのが当然、といった話し方に既視感を覚える。
コイツ、煽ってやがる。
「ハッ、その手を取ったら死にに行くようなもんだろ」
「そのままなら死なないと?」
いつも考えていた。フラフラとその日を生きるために金を稼ぐ日々はいつまで持つのか。
故郷もなければ、頼れる友人もいない。
何のために生きてるのかさえ分からなくなる。
果たして生きている、と言えるのはいつまでなのだろうか、と。
「ったく……癪だが、その挑発乗ってやる。
名前聞いとけ! "私が見つけました"ってな!」
手を取り、立ち上がる。
「俺の名は、
ダズ。――ただの"ダズ"だ。
やっぱ要りません、は許さねえからな!」
「勿論。ノエルドの家名に誓って」
思わず耳を疑う。
コイツ、貴族かよ! かなり失礼な態度取っちまったけど……まあ最初に名乗らなかったから事故だ、事故。
そしてようやく舞台上に兵がやってきた。
これで、俺の戦いは一旦終わりだ。
終わりで、始まりだ。




