黙徒(3/3)
熱い。
痛い。
槍が刺さった瞬間、殴られたみたいに息が入らなくなった。
吸おうとするたびに肉が裂けて激痛が襲い、吐くたびに冷や汗が増える。
感覚だけが鋭くなって、もう何分もこんな苦しみを味わされているように感じる。
怖くて遮るように出した手が、俺の命をほんの少しだけ延ばしてくれた。
刃は胸を外れて、手と前腕の肉を抉り、腰骨の上を斜めに抜けて…… 身体を地面に縫い、倒れることを許してくれない。
それでも徐々に目の端が暗くなって、耳に水が入ったみたいに音が遠のいていく。
死ぬ。
変えることも、帰ることもできないまま。
――嫌だ。こんなところで死にたくない。
死への恐怖で何も考えられないのに、頭の奥で声だけが鳴った。
『逃げるのは楽だけど……居場所はその度に無くなるのよ』
『本気で歯向かう勇気がない奴の発想だな』
縋りたいのに、思い出せた前の世界の記憶。
父母を理解できずに内心憤ったあの日。
死の淵に追いやられて、ようやく理解する。
親の言葉はある意味正しかった。
誰も傷つかずにいられる。そんな甘い世界は、最初からどこにもない。
その現実を肯定するのが怖くて、俺は本気で足掻くことから逃げていた。
だからと言って、傷つけることに慣れたいわけでも、全てに立ち向かいたいわけでもない。
それでも、逃げたままでは何も変わらない。
変われないなら、答えが出るまでこの躊躇は抱えて進んでやる。
だから《環式》――怖さの先まで、全部見せろ。
曇りかけていた視界が精彩に蘇り、引き伸ばされていた時間感覚が現実に追いつく。
「この地を踏む我、天上の御名に誓う!」
突然の発声に驚いた黙徒が、槍を引き抜き距離を取る。
それを合図に、開いた穴に隣接した肉がひきつき、血が堰を切って溢れ出した。
血の気が引いても、膝はもう折れない。痺れる手で剣を掴む。
「眼前に眠りし土よ――御業をなぞり、境を立てよ《グランダ》!」
誓術により土が高く盛り上がる。
大仰な壁にはならないが、視線を切るには十分な高さで、俺と黙徒の間に一本の隔たりが立った。
黙徒は迷わず槍を引き、隔たりを一瞬で回り込む。
その様子を《環式》が捉えて映す。
『刺突』『蹄の圧変化』『踏み込み』
『穂先の散らしによる狙い隠し』
『本命、肩甲骨の裏――心臓を抜く角度』
視界の端が赤く滲み、血走る。瞬きをした拍子に、血が俺の頬を伝う。
《環式》が捉えた通りに槍が走り、再度、俺を貫く。
貫かれた背からは白い煙が立ち上る。輪郭が崩れ、俺の影は霧のように散っていく。
黙徒の動きが一瞬だけ止まる。
全部見える。動きが分かる。
隆起する土に指を食い込ませ登っていた俺は、指を離し黙徒に向かって落下する。
落下の勢いと祝福を剣へ――乗せようとして、肩が震えた。腹の傷が引き攣れて、息が喉で詰まる。
《環式》は構わず、その先を押しつけてくる。
防がれる動作も見えている。
それでも振る。振り下ろす角度は見えている。
剣を囮にして、腰を捻り、回し蹴り……だが脚が思ったほど伸びない。
腹の穴のせいで体幹が抜け、痛みが可動域を奪っていく。
それでも、黙徒の重心を揺らす位置へ、なんとか踵を打ち込んだ。
黙徒の蹄が石を打つ乾いた音の直後、黙徒の身体が横へ―― 闘技場の内側、円形の穴へと流れる。
「それくらいじゃ死なないだろ? お前も省みろ!」
付き人の死を、俺だけの後悔で終わらせない。お前にもこの重さを抱かせる。
完全に落ちる動きが見えていた……なのに、黙徒は蹄で床を叩き、反動だけで跳躍した。
「なっ――!?」
空中で体勢を立て直し、槍を石に突き刺す。まるで羽でもあるみたいに屋上へ舞い戻ってくる。
嘘だろ!?
クソッ、切り替えるしかない。
胸を狙う次の突きも躱す。
だがその先。
突きの後、槍を軸に身体を回す。
蹄が弧を描き、回し足蹴りが来る。俺の位置にぴったりと重なる。
身体がついてこない。腹の穴が、命令を拒む。踏み替えようとした瞬間、腰が抜けて膝が沈む。
もう間に合わない。
「――ッ!!」
蹄が、脇腹をえぐった。
骨の内側まで響く。
息が潰れ、視界が白く弾け、胃の中身が逆流する。
身体が宙に浮いた。
屋上の縁が横滑りし、闘技場の円が足元で広がる。
やり返された。
俺は、なす術もなく闘技場の中へ吸い込まれる。
風が耳を裂く。
腹の穴から、熱が抜けていく。指先が冷えて血が持っていかれる感覚が分かる。
俺の身体は闘技場の内側、角度をつけてVIP席へ飛んでいた。
豪奢な石の縁。金の飾り。絹の垂れ幕。
そこにいた貴族の目が、驚きで見開かれる。
「――う、わっ」
貴族の短い悲鳴と共に、俺に押しつぶされた相手の身体から骨の折れる音が響く。
机は割れ、酒器が転がる。周りから悲鳴が遅れて立ち上がる。
腹の穴から血が溢れて、床に広がる温かさが分かる。
目の焦点が合わない。呼吸が、思考が遠い。
立ち上がろうにも、もう身体のどこも言うことを聞かない。
力を入れると内側が愚図り、崩れそうになって、呻きだけが出た。
――限界だ。
視界の端で、黙徒が屋上の縁に立っている。
槍を掲げるとまた雷鳴が聞こえだした。
ここにいる人全員死ぬ。
うっすらとそんな考えが浮かんだ。
「殿下っ!!」
黙徒に向かって叫び声と暗器が続く。
黙徒は軽々と避け、俺の作った土に暗器が突き刺さる。
リゼルファが立ち塞がるように俺の前に降り立ち、黙徒を睨むのが背中越しに見えた。
そこから先は記憶がない。
気が緩んで、一瞬で落ちてしまった。
ただ、最後に捉えた黙徒の口の動き。
『ああ、そういうこと』
意味深な発言だが、俺にとって重要なのは――。
あの口の動きは間違いなく"日本語"だった。




