初戦闘
――森の中の道なき道をひたすら突き進む。何度も転びそうになり、その度に枝が身体に突き刺さり、泥は跳ねて顔を汚す。
そうして走るのをやめそうになる俺に向かって、リゼルファが誓術で檄を飛ばす。
「この地を踏む我、天上の御名に誓う。
応え来たれ、雷よ――御業をなぞり、彼の者の背を打て《ジエラ》」
一瞬、空気が紫を帯びた。髪が逆立ち、葉の縁に小さな火花が散る。
「痛ってぇ!」
背に、針で一斉に刺されたような鋭い痛みが走った。
肩甲骨の裏で筋が痙攣し、体がぴくりと跳ねる。
息を吸うのも忘れるほどで、思い切り手で背を叩かれた時のことを思い出す。
悲鳴とともに足を無理やり動かし前に進む。
(死ぬ気の鍛錬ってのは分かってたけど……こんなの正気じゃない! 丸二日も不眠不休、食事なしで走らされてる)
(俺が王子並に偉くなったらコイツ覚えてろよ! その時は――)
良からぬことを思い至る直前で急激に胃と腸が押しつぶされ、もう液体しかない"それ"を服にぶち撒ける。
「ム。この地を踏む我、天上の御名に誓う。
彼の身に纏いし汚濁、天より降り注ぐ光よーー御業をなぞり、禊祓い給え《リュゼ》《ルミエ》」
リゼルファの誓術により、俺の身についた汗を始めとする汚れ全てがするりと地に落ち、光り輝いて消える。
――走り始めて何回か見た不思議な光景だ。
鍛錬中の排泄は走りながらしろと言われた時は、
『王子の身体でそんなことして許されるのか』と猛反発した。
しかし『そんな醜聞、王子が掘り返すとでも?』と一蹴された悲しき過去がある。
こうなる度に心が擦り減り、今では何も感じなくなってしまった。
服は綺麗になったが、水と食物由来のエネルギーが抜けてシワシワになった俺を見て、リゼルファが片手をかざす。
すると薄翠色の光が俺の身体を駆け抜ける。
詳しくは教えてくれなかったがリゼルファの祝福だ。
身体の疲労や怪我、水分やエネルギー、更には睡眠不足まで回復してくれる優れものだ。
この祝福のおかげで、地獄のような鍛錬を可能にしてくれている。
クソッタレめ。
「いつまで休んでいるんだ?」
心無い言葉による苛立ちをエネルギーに変えて、俺は立ち上がる。
「こんな祝福の使い方、神様はどう思っているんだろうな!」
リゼルファを睨みつけながら、俺は走り始めた。
そして更に二日の時が流れた。
一日でも早くこの鍛錬を終わらせたい。
そんな試行錯誤の結果、《環式》はただの鑑定スキルではないことを知る。
この祝福を介して、効率的な身体の動かし方を把握したり、所謂火事場の馬鹿力を自在に引き出すことができた。
……力を込めすぎると、当たり前だが骨は折れる。
一回やらかした。
四六時中検証したことで、今では身体能力ら大幅に上がり、いつまででも走っていられるような気さえする。
余裕をアピールするべく、リゼルファに声をかける。
「リゼルファ。この世界のことについて知りたいから色々教えて欲しい」
この四日間でリゼルファを敬う気持ちが薄れている。
王子らしく呼び捨てで、俺は呼びかける。
「……答えられるものは答えよう。何が知りたい?」
俺は息を整えながら、まず一番知りたかったところを聞く。
「あの雷飛ばす詠唱。誓術って誰でも使えるの?」
「ああ、そうだ。構文通りに詠唱すれば、神の御業を借りて世界の理を一時的に書き換えられる」
その言葉に胸が躍る。
また一つ、俺の生存を繋ぐ手段があると分かったからだ。
「ただし、理を動かすための誓神力が足りなければ、気絶に至るほどの猛烈な苦痛を伴うので気をつけるように」
ええ……万能の力じゃないのか。
まあ魔法を撃つためのMPと思えば自然か。
「じゃあ、誓句って? 誓術に語感が似てるけど」
「誓術を物体に刻む術だ。誓句では、誓神力は物体が支払う」
「便利じゃん」
「捉えようによってはな。消費し尽くせば自壊する。
安物ほど壊れるのが早い」
脳裏に屋台の手袋がよぎる。
「じゃあ、祝福は?」
「神の加護だ。
すべての人は十六歳になると、白誓院の司祭立ち会いのもとで一つ授かる」
一つ……?
俺は二つあるけど、どういうことだ。
「祝福って、複数授かることはある?」
リゼルファからの回答に妙な間が空く。
「ある。確実なのは、禍祈廊の最深部で神に祈ることだが――黙王の汚染で普通は辿り着けない」
「ん? 確実じゃないのがあるのか」
「黙徒、黙獣。
――そして"人"を殺して移ることがある」
空気が冷えるのを感じる。
リゼルファはなおも続ける。
「……同じ祝福を得られれば、本来以上に強めることができる。そんな理由から祝福の簒奪に生涯をかける者もいる」
「あとは、欲しい祝福を手に入れるためにな。
軍属でなければ、親しい者の間でも祝福の開示はしない」
俺は言葉を失った。
("オルセオン王子"どうやって祝福二つ目を手に入れたんだ……。まさか人を殺してないよな)
自分の手が既に血に汚れているのでは、と思わずにはいられない。
「だが安心するといい。
神からの恩寵をみだりに簒奪する者を白誓院は許さないので、そういう輩は排除される」
余計に安心できない。
俺が祝福二つ持っていることは、今後喋らないようにしようと決心する。
ただ、リゼルファには《夢縛》使うところ見られてそうなんだよな……。
嫌な思考を断ち切るように、新たな質問を投げかける。
「それで、その祝福を持っている黙徒、黙獣って?」
「黙徒、黙獣は黙王によって生み出された使徒のことだ。
通常は禍祈廊から出てこないが、弱すぎて禍祈廊に留まれない黙獣はその辺にうろついている」
ちょっと待て。
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。
その辺にいる、だと?
「黙獣って、名前からして獣のことだよな?
祝福を持っている獣がうろついている!?
もしかして、この辺りにもいる!?」
「ああ、いるぞ。まだ会敵してないがな」
リゼルファは横目でチラッと見やる。
オーイ、馬ッ鹿野郎!
丸四日も無防備で走らせる馬鹿が何処にいるんだよ!
「……ちなみにその辺にいる黙獣ってどれくらい危ないんだ?」
「目にする機会が多い黙獣だとそうだな……そちらの世界にいるか分からないので抽象的な説明になるが、巷の下水道などに棲む、尻尾の長い野生小動物。
そいつが巨大化している。
危険性については一匹だけなら平民でも上手くやれば対処出来るが、仲間を呼ぶ祝福のせいで、村一つは滅ぶくらいになる」
ネズミの巨大化版ね。普通に死にそう。
コイツが戦えとか言い出す前に話題を変えなければ!
「左手に走れ」
俺が口を開くよりも先に、リゼルファに指示される。
まさか巨大ネズミの方に誘導されてないよな……。
――無言のまま暫く走ると急に街道に出た。
すると右手にいた人の集団に、不意に声をかけられる。
「ああ、やっと見つけた! 探しましたよ、リゼルファ隊士……とオルセオン王子殿下」
「内務庁王国騎士団第一遊撃隊所属、セオ・ノエルド。
王命により参上しました。禍祈廊付近で黙獣制圧作戦に従事していたため到着が遅れました。
お詫び申し上げます」
聞き取りやすいよく通る声だ。
光を弾く銀の短髪と、氷を思わせる碧の瞳。
姿勢と体格は典型的な軍人のそれで、隙を感じさせない。
ただ、顔立ちは何処か幼く、年が近いように感じた。
「これよりリゼルファ・ナーヴ・スリュアン、セオ・ノエルド両名は内務庁王命局特命行動隊へ異動となる。
見届けましたので、我々はこれで失礼いたします」
文官たちは帰っていき、セオだけが残った。
文官たちの影が見えなくなってからセオが口を開く。
「改めまして、セオ・ノエルドと申します。
セオ、と気軽にお呼びいただければと思います。
リゼルファ隊士と同じく、王子殿下の生命存続に命をかけさせていただきます」
セオはそう言うと、サッと手を伸ばしてきた。
握手を求めているのだろう。
「……よろしくお願いします」
勢いに押されて手を握る。思っていた以上に握力が強くて少し痛い。
笑顔のセオが真っすぐに俺を見つめているが、見定められているような感覚を覚える。
なんだかこの人も裏がありそうだ。
「セオ隊士。この隊での方針だが、王子殿下が自衛出来るように鍛錬および知識獲得を行うことになっている。
王子殿下自ら要望しているのだ。賛同してくれるな?」
リゼルファが含みのある言い方をしている。
俺は仕方なくやっているというのに。
「ええ、勿論! 断る理由はありません」
セオは二つ返事をした。
「それで早速だが、王子殿下はこの世界の成り立ちについて知りたいご様子。
城下に戻ることになるが良いだろうか?」
「――なるほど。世界史書をここで語っても問題ありませんが、見識を広げるためにも是非向かいましょう!」
言葉の裏にある意図を正しく汲み取って会話していそうな二人をよそに、俺は地獄のマラソンが終わって安堵していた。
◆◇◆
こうして城下町まで舞い戻ってきた。
着いた先には広場と巨大な噴水があり、噴水の前にはいかにも吟遊詩人な人物が立っていた。
広場には群衆が見え、噴水の方まで人の流れが続いている。何かをしているようだ。
「この世界の成り立ちについて頼む」
セオが金銭を受け渡し、依頼するや否や、その人物は歌い始めるのだった。
「はるけき昔、天の御神、誓ひをこねて地に下ろし給ふ。
その誓ひ、やがて形を持ちて人となりぬ。
神、百の国をわけあたへ、形取られし者らを王となしたまふ。
祝福は風のごとく流れ、火は語り、水は唄い、人の世はひらけけり。
かくして世は黎明の時代に入り、希望、空を満たせり。
されど、誓ひの裏に人の影あり。
欲と疑ひ、誓ひを裂きて争い起こり、地は沈黙に包まれたり。
その沈黙より、一の王まろび出で、人を半ばまで刈り取る。
名を黙王といふ。
見かねたる神、誓環より八人の戦士を生み、誓環士と名付けたまふ。
誓環士ら、黙王を討ちて、東の果ての大地に封ぜり。
黙王いまも眠るといへど、その息、いまだ絶えず。
――されば、風の囁きにも耳を澄ませよ。
そこに神の息吹あり、沈黙の兆しあり」
……なるほど。よくわからん。
人同士で争った際にやべえ王、つまり黙王が誕生して世界を半分壊した。
そして誓環士が何か上手いことやった。
そんなところかな?
答え合わせをするでもなく、その場を後にし、巨大噴水の近くで今後について話し合うことになった。
「さて、必要最低限の知識および身体能力は一先ず問題ないだろう。
しかし王子殿下として振る舞うには圧倒的に”品がない”」
もしかして、鍛錬中の粗相のこと言ってる?
俺は被害者側なんだが、と内心憤る。
「……こういう分かりやすいのも問題だ。そこでこれからだが、常に平常心でいられるよう――」
なんだかとても恐ろしいことを言われる気配があったが、目に見える、遠くない距離で起きた歓声に遮られる。
「そういえば今日でしたね。リサナ王女殿下の黙獣被害者への慰霊は」
「……近頃、禍祈廊からの黙獣流出頻度がやけに高いのが気になります。何事も起こらず沈静化すれば良いのですが」
セオが悔しそうで悲しそうな顔で群衆を見つめる。
その手は硬く握りしめられており、彼の正義感の強さが伺える。
遠目でこの世界初日に見た美女が見える。
あれが妹のリサナ王女か。
「おっと、会話を遮ってしまいましたね。リゼルファ隊士、続きを――」
セオが言い終わらないうちに、轟音があたりに響き渡る。
我々と群衆の中間地点あたりから白煙が上がり、そこからライオンにもカバにも似た巨大な獣が現れる。
黙獣だ。
湾曲した二本の巨大な牙が前方に突き出し、筋骨隆々とした漆黒の身体を太い骨が纏わりつくように覆っている。
セオとリゼルファが黙獣と俺の間を遮るように立つ。
「あれは……バルグロス!? 中位三群の黙獣が何故ここに!?」
「セオ隊士、考えるのは後だ。
リサナ王女殿下の護衛で近衛騎士団がいるはずだ。
ここは彼らに任せて、我らは――」
再度轟音が聞こえたかと思うと、いつの間にか群衆の中にバルグロスが移動している。
ボチャンと音がして隣の噴水から何かが浮かび上がる。
分かっている、見てはいけないと――そう思ってはいるが、自然と目線が水の中に落ちる。
手だ。誰かの手。じわりと水が血で濁り、広がっていく。
俺は前にもこの光景を見たことがある。
横たわる誰かの手と溢れ出る血の池。
湧き上がる悲しみと懺悔の気持ち。
フラッシュバックのように脳裏に浮かび、脳みそを棒でかき混ぜたかのような衝撃に襲われる。
誰かが上げた悲鳴を皮切りに、俺と群衆は逃げ始める。
肉塊が転がり、足の遅い人を押し倒して、踏みつけて逃げていく様は地獄絵図そのものだった。
群衆に押されて、すぐにセオとリゼルファとはぐれてしまった。
バルグロスは愉悦するかのように獲物を見定め、こちらに一歩踏み出した。
その瞬間、俺の真横を何かが突き抜け、今まで一緒に逃げていた人たちが一瞬で血と肉塊に変えられる。
跳ねた血にまみれ、恐怖で俺は尻もちをつく。
ゆっくりとバルグロスは振り返り、眼の前を走っている親子に標的を定めたのが分かった。
「……ふざけるなッ!」
記憶で見た惨状を繰り返す、現状の理不尽に思わず立ち上がり、叫び声を上げる。
「この地を踏む我、天上の御名に誓う!
天に留まりし数多の雷よーー御業をなぞり、彼の獣の背を打て《ジエラ》!」
鍛錬で幾度となく喰らって覚えた誓術を、より強力になるよう一部変えて叫び詠唱する。
バルグロスが動き出すよりも早く、紫白の光が空気を割った。
大気は軋み、光が地を這い土が隆起する。
バルグロスの黒い体表に、無数の稲妻が根を張るように走った。骨のような甲殻を砕いて皮膚を焼き、血が泡立つのが分かる。
轟音が遅れて押し寄せ、俺の肺の奥を叩く。
光が消えると、俺の足元から静電気を纏った煙が立ちのぼる。
俺の手先は黒く焦げ、震えていた。
程なくして猛烈な脱力と立ち眩みのような感覚に襲われ、膝が折れる。誓神力が抜け落ちたのだと、身体の芯で理解する。
ほんの一瞬の出来事だったが、バルグロスの硬直はすぐに解け、目には怒りが浮かぶ。
群衆は逃げ切ったようで、目に見える範囲にはもう誰も残っていない。
倒せるとは思っていなかったが、健在な姿に思わず力が抜ける。バルグロスの足に力がこもるのが見えた瞬間、死の気配が背を撫でた。
視界が何かに遮られて何も見えなくなったと同時に、金属か何かに激突したかのような破砕音がする。
視界が晴れると、すぐ前にセオが背中が見えた。マントで視界を遮られていたようだ。
セオはどこから持ってきたのか、身を完全に隠せる大型の盾を構えており、その前にはバルグロスの姿が見える。
「――中位の黙獣の攻撃を真正面から受け止める日が来るとは……まったく、嬉しくないですね」
セオの声にはまだ余裕があるが、突進を受け止めた足元の石畳は捲れ上がっている。
「殿下、ご自身の誓神力の限界を知らずに戦場で誓術を使うのは自殺行為ですよ。しかし初級誓術でこの威力は流石というか……」
セオは盾を跳ね上げ、バルグロスを後退させる。
バルグロスは受け止められたことを警戒して、様子を伺っている。
「セオ隊士、王女殿下の護衛には期待できない! 我らだけで対処する」
「王子殿下、あなたは回避に徹してください。
言葉を選ぶ暇が無いので、最低な物言いになるが、我々がここで黙獣を討ち取ることが出来れば多少は存在価値を示せるだろう」
リゼルファに引っ張り上げられ立ち上がる。
リゼルファもいつの間にか手に鎖付き暗器を持っていた。
「二人とも構えて! 来ますよ!」
バルグロスの遠吠えが地鳴りのように響き、俺は固く拳を握りしめる。
四方から鳴り響く警鐘が緊張感をあおり、胸の鼓動を更に早めた。
瓦礫の上に血肉の跡が残る。
誰もが、帰りたかったはずだ。
それが叶わぬまま散っていく命を見て、俺はようやく気づく――。
何一つとして保証されていないこの世界で「帰る」という言葉が、これほどまでに重いものとは。
【2025/11/04】異動先の所属名変更
【2025/11/14】可読性向上のため改行挿入
【2025/12/31】話構成、大幅変更




