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転生病を患った王子ですが、帰りたい  作者: 内向ひとり
第一章 王女奪還編
13/43

それぞれが刻む今

 天幕を離れ、どこへ向かえばいいのかも分からないまま、駐屯地内をあてもなく歩く。

 気づけば、足だけが断崖の上をさまよっていた。



 断崖を吹き上がる冷たい風が、まだ冷めきらない頭の熱をさらっていく。

 遠くの見張り台の灯りだけが揺らめき、人の気配を失った駐屯地を、かろうじて「生きている場所」に見せかけていた。



 リゼルファの姿を探していたはずなのに、いつの間にか足は、先ほど通った一角で止まっていた。



 整然と並べられた外套や鎧、名札のついた生活用品たち。

 丁寧に畳まれているのに、持ち主の気配だけがどこにもない遺品の列が、暗がりの中で白々しく目に刺さる。

 ここには「帰る場所」だけが揃っている――この世界の不条理は形を変えて何度でも突き付けてくる。



 そう思ったとき、すぐ脇から聞き慣れた声がした。


「……殿下。こんなところで、どうされたのですか?」


 振り向くと、灯りの落ちた詰所の陰で、セオが鎧紐を締め直していた。

 応援を待つ合間、ここで装備を整えていたのだろう。

 最初からすぐそばにいたのに、まるで気づかなかった。



「あ、あぁ……ちょっとリゼルファを探していて。

 リサナ王女の介抱が必要になったんだ」


「なるほど……禍祈廊(かきろう)の汚染は、鍛えた兵でも容易に耐えられるものではありませんからね。

 ――あちらの見張り台の灯りの下に、リゼルファ隊士がおります」


 セオは遠くの灯りを指差した。


「殿下は天幕にはお戻りにならないご様子でしたので――お手数ですが、呼んできていただけますか」


「あぁ、元々そのつもりだったから良いよ。ーーあのさ、セオ。少しだけ、話したいというか」


「はい、殿下」



 だが、肝心の言葉は続かなかった。

 どこから話せばいいのか分からず、喉の奥で言葉がからまった。



 その沈黙を、セオは別の意味に受け取ったらしい。


「……第一遊撃隊のことですね」


「え?」


「皆が帰って来られなかったことを、殿下が気に病む必要はありません」


 セオは静かに続ける。


「皆、兵士として自分の最期は覚悟しています。

 そして、その無念を晴らす機会を残してくれた、あの“誓環士”にすら感謝するでしょう」


 セオは気遣うように、静かに微笑んだ。


「私は、“元”第一遊撃隊の一人ですからね……殿下が転生病を患っておられなければ、私も皆と共に、誓い半ばで倒れていたでしょう。

 ……貴方の存在が私を生かしてくれたのです」



 セオが今ここで息をしているのは、結局"オルセオン王子"の采配のおかげだ。

 俺という存在は、その結果にぶら下がっているに過ぎない。

 それでも――セオのその言葉は、ずっと欲しかった何かの形に、限りなく近い気がした。



「……そっか。ありがとう」


 ようやくそれだけを絞り出す。


 本当は、自分がどこの誰だったのかを話したかった。

 “王子”ではなく、自分自身を知ってほしかった。

 でも今は、その溝を無理に埋めなくてもいいのかもしれない。



「じゃあ、リゼルファ呼んでくるよ。王女をこれ以上一人にしておくわけにもいかないし」


「ええ、お願いいたします。殿下」

 軽く頭を下げるセオに背を向け、俺は見張り台の灯りへと歩き出した。



ーー



 断崖の縁近くに据えられた見張り台は、簡素な木の櫓だった。

 柱に吊された角灯が風にあおられてゆらゆらと揺れ、その淡い光が、周囲の闇をわずかに押し返している。


 リゼルファは、その灯りの淵に立っていた。

 背筋をまっすぐ伸ばし、外套の裾を夜風になびかせながら、じっと東の果てを見つめている。


 こちらに背を向けたまま、微動だにしない。

 まるで闇の向こうにいる誰かを睨んでいるかのようだ。


「リゼルファ?」


 名前を呼んで、ようやく彼女の肩が小さく揺れる。

 俺の接近には、本当に気づいていなかったらしい。


「……どうした?」

 振り返った声色は、いつものリゼルファのものだった。


「リサナ王女の介抱が必要になったんだけど……」


「承知した。すぐに向かう」


「あ、俺、天幕には戻れなくて。でも寒いし……どこにいれば」


 俺が言い終わるより先に、リゼルファが西を指差す。

 その先には、灯を掲げた一団の影が、こちらへ近づいてきていた。


「もう少し待てば、じきに応援が着く。それまで我慢しろ」


 それだけを言い残し、踵を返して闇の中へ消えていった。


「ブレないなぁ……」

 相変わらずすぎて、思わず苦笑する。

 けれど、そういうところが妙に頼もしくもあった。



 目に見えて近づいてくる灯りを眺めていると、不思議と待ち時間は苦にならないもので、ほどなくして応援部隊が到着した。



 王女は侍女数名に支えられながら馬車へと乗り込み、そのまま先に出発していった。

 続いて、こちらも状況を簡潔に報告し、我々も馬車で王都へ戻ることになったーーのだが。



「私は村の様子を見てきます。

 明日の昼には国王陛下との謁見があるはずですので、それまでには必ず戻ります」


 禍祈廊を出た時点で、騎士団・近衛騎士団の姿は"元に戻っていた"らしく、村の被害状況も改めて確認できるだろう、とのことだった。



 そして、セオは顔を近づけ、小声で付け加える。


「当日は、おそらく会話を交わす余裕はないと思いますので、先に一つだけ。

 クレイソス国王陛下の御前では、感情を表に出されませんよう……くれぐれもご注意ください」



 そう言い終えると、馬車の扉が閉められる。

 セオに見送られながら、俺たちは第一遊撃隊の駐屯地を後にした。



ーー



 馬車に乗るのはこれが初めてだったが、創作物でよく言われるようなお尻の痛みは、思っていたほど感じなかった。

 王族用だからなのか、この世界の馬車の技術水準が違うのか――そんなことをぼんやり考えていると、ふと物憂げに窓の外を眺めるリゼルファの横顔が目に入る。



 先ほど声をかけるまで接近に気づかなかったこと。

 それに、アスフォリオに侮辱されたときの、あの反応。

 らしくない様子が重なって、妙に胸に引っかかっていた。



 少しでも、彼女のことを知る手がかりになればと思い、俺は≪帰標(きひょう)≫を彼女に向けて、そっと発動する。



 ――だが、示された方角は、俺のときと同じように四方へとばらけていた。

 リゼルファにも、「帰るべき場所」は定まっていないのだと突きつけられた気がした。



 胸のどこかがきゅっと掴まれる。

 さっきまで黙って東の果てを睨んでいた横顔を思い出し、気づけば口が動いていた。




「リゼルファ。聞いちゃいけなかったら、すぐやめるから言ってほしいんだけど……黙精霊(もくせいれい)って、黙王とどう関係があるんだ?

 アスフォリオがやたら黙王に絡めて侮辱してたのが、正直意味が分からなくて……」



 問いかけに、リゼルファはわずかに眉を動かしただけだった。

 しばしの沈黙のあと、淡々とした声が落ちてくる。



「私も免許は持っているから史書を語ることは可能だが……主観も混ざるがそれでも良いか?」


「ああ、リゼルファの言葉で教えてほしい」



 短く息を吐く気配がした。諦めとも、覚悟ともつかない溜息だ。



「ーーでは、簡略に」


 リゼルファは視線を窓の外に向けたまま、いつもの抑揚の少ない口調で語り始める。



誓精霊(せいせいれい)というのは、『形取られし者』。

 つまり、最初に地に下ろされた、神の誓いにもっとも近い“王”だ」



 淡い角灯の光が、彼女の横顔の輪郭だけを浮かび上がらせる。



「そこまでは吟士の語っていた通りだ。

 黙王との関わりは、その先にある」



 ほんの少しだけ、声が低くなった。



誓精霊(せいせいれい)の誕生から千年後、黙王の息が世界を蝕み始めたとき、その息に触れた誓精霊のいくつかが“歪んだ”。

 神の誓いから外れ、黙王の沈黙に同調し始めた。

 そして、それは黙精霊(もくせいれい)と呼ばれるようになった」



「……“裏切り者”みたいな扱い、ってことか」



「そうだ。誓環経典では、黙精霊は『沈黙の毒』と記されている。

 黙王の力を今なお地上に広げる“毒”だとな」



 リゼルファは自分の耳朶(じだ)を指先で軽く叩く。



禍祈廊(かきろう)での問いに今答えよう。

 黙誓術(スペル)ーーあれは黙王由来の誓術だ。

 黙徒も同じく使える。だから、黙精霊(われら)は黙王と“同じ側”にいると見なされている」



「でも、リゼルファたちは黙王の味方ってわけじゃないんだろ?」



「……さあな。少なくとも、そうは思われていないのが実情だ」



「黙王の脅威は、それほどまでに人の心を折った。

 黙王の影に怯えた人々は、“芽を摘む”という名目で黙精霊(もくせいれい)を狩り始めた。

 先頭に立ったのは、他ならぬ誓精霊(せいせいれい)だ」



 言葉に熱がこもるのが伝わる。



「迫害、監禁、実験、処分。

 史書に載っているのは、その一部にすぎない。

 この国は相当に穏当な方だ。“保護”という建前のもとで、檻を用意してくれるんだからな。

 ……だから私は、ここで“飼われている”」


 リゼルファは小さく息を吐き、こめかみに指先をあてがう。


「ーー最後の一言については余計だったな。黙王と黙精霊の関係については以上だ」



 そこでようやく、リゼルファは俺の方を見た。

 灯りが金色の細い線を描いて、瞳の中で揺れている。



 飼われているーーその言葉だけが、やけにくっきりと胸に刺さった。

 そんな悲しい生き方を、否定したかったのかもしれない。

 それが慰めにもならないことくらい、分かっていても、口を開かずにはいられなかった。



「……でも、過去に何があったとしても、今のリゼルファはちゃんと信頼されてるから、"オルセオン王子"が護衛に抜擢してるわけだし。

 その……過去のことは、少しずつでもーー」



 リゼルファの目が、真正面から俺を射抜き、続く言葉を凍らせる。

 さっきまでの淡々とした光が消え、底の見えない暗さがその奥に沈んでいた。



「ーー"過去"か」


 膝の上に置かれたリゼルファの指が、きつく握り込まれる。

 その指の付け根から、薄く黒い燼がじわりと滲んだ。


 光ではなく影のような“炎”が指の上を這い、小さな華を咲かせ、空気を微かに焦がす。

 ≪燼華(じんか)≫が、呼んでもいないのに顔を覗かせたのだと、直感で分かった。




「ーー前も言ったが黙精霊(もくせいれい)は長命種でな、普通にしていれば八百年は生きる。

 そして、黙王封印後からまだ千五百年"しか"経っていない……分かるか?

 迫害は、三世≪スリュアン≫に渡って起こっていることで、決して"過去"なんかじゃない」



「ごめん、悪かった。この話はやめよう」



「謝る必要はない。"ただの"史実の勉強なのだからな」


 リゼルファは、感情を一つも滲ませぬまま、視線だけを窓の外へ滑らせた。



 それきり、会話は途切れた。

 指から滲んでいた黒い燼は、いつの間にか消えていた。

 代わりに、車内にはいつもの柑橘の香りだけが薄く残っている。



 俺は、リゼルファのことをもっと知りたい――。

 ただ、それだけのつもりでいた。


 けれど今思えば、自分自身のことを彼女に重ねて見ていただけなのかもしれない。




 黙精霊としての彼女の重さを、何も知らないくせに。




 馬車の揺れと車輪の音だけが続き、しばらくのあいだ、俺たちはそれぞれの沈黙に閉じこもった。




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