腐蝕の果てに(3/3)
引き続き、セオ・ノエルド視点になります。
どれほど流され続けたのか分からなかった。
全身が焼けるように痛み、心が折れかけた頃ーー濁流の底で、水流がふっと緩む。
機を逃さず最後の力を振り絞り、足を岩肌へ踏ん張らせる。
身体がぐらりと浮き、水面へ押し出される。
冷たい空気が頬に触れた。
水面に顔を出すと同時に、肺が勝手に悲鳴のような呼吸を始める。
「はっ……は……ッ……!」
耳鳴りが収まらない。
五層の空気はさらに濁り、視界の端で王子殿下とリゼルファ隊士は咳き込みながらしがみついている。
かろうじて、生きていた。
揺れる水面を腕で掻き分け、崩れた壇の縁へ指をかける。
岩肌に爪が割れ剥がれるが、構っている余裕はない。
≪反衝≫が暴れた痕は治りきらず、爆ぜた肉の裂け目に、滴る水がじわりと沁みる。
そして、身体の筋の何本かも、リゼルファ隊士の回復を待てず、動かなくなっていた。
その爪痕は、まるで内側から命脈を削るように、静かに広がり続けていた。
「……っ……が……は……!」
喉の奥から血の味が滲む。
それでも、王子殿下とリゼルファ隊士を背後に庇いながら、なんとか壇上へ這い上がった。
濁流に押し流されたアスフォリオの死体が、水面に浮かび、岩に引っ掛かりーー。
あるものは裂け、あるものは潰れ、楽器と混ざり合った静かな死骸となって散らばっている。
そしてその惨劇の“縁”ーー。
水と死骸が溜まり、まだ滴り落ちるその境目に、“それ”が静かに立っていた。
飛沫ひとつ付かぬ衣をまとい、“無傷”のアスフォリオが演者のような微笑を浮かべ、こちらへゆっくりと手を差し伸べる。
「……素晴らしい献身でした、同胞よ。
世界の真実にーー目覚めましたかな?」
まるで先ほどの惨劇そのものが、ただの“幕間”にすぎなかったかのように。
涼やかな声が、静かに降り注いだ。
怒り任せにその手を払いのけようと腕に力を込めーー。
次に見た光景には、なんの疑問も抱かなかった。
「旧友である"君にしか"頼めないことがあるんだ」
あの日の"オルセオン王子殿下"が突如として眼前に現れる。
柔らかな眼差しと声色の奥に宿る威厳に圧倒され、背筋は自然と正される。
「……は、はい! 当然にございます、殿下!
この命尽きようとも、誓いを果たしてみせます!」
この方に頼られるなど……胸が熱くなるほどの光栄だ。
まるで夢の中にいる心地がした。
「ありがとう。そう言ってくれると思ったよ」
「もうすぐこの身体は私のものではなくなる。
それでも君には"私の身体"を守ってほしい」
今思えば、殿下は転生病を予見していたのだろう。
当時は意味が分からなかったが、示唆してくれていなければ……ネモール王子殿下に同調していただろう。
しかしーー当時の会話から"かなり"の情報が抜け落ちている。
「……どうした。君の覚悟を聞かせてほしい」
“オルセオン王子殿下”を前に思考に沈むなど、不敬の極み。
慌てて姿勢を正し、当時の答えそのままに胸を張る。
「失礼いたしましたッ! 私、セオ・ノエルドは、オルセオン王子殿下のためならば、"いかなる犠牲"も厭いまーー」
不意に裾を引っ張られる感触が現れ、消える。
これ以上の不敬は……と思いつつ、強烈な違和感を拒まず、視線だけそっと下へ落とす。
そこにいたのはーー水に濡れ、泥にまみれ、這いつくばりながらも必死に手を伸ばす“オルセオン王子殿下”がいた。
声は聞こえないが、その口の動きから理解する。
「冷静に」
全てを理解した。
眼前の相手へと跪くように、腰を折りあらためて宣言する。
「私は、
捧げるために命を使うのではなく、
守るために命を使う者です。
ーー“王”となるべき御方を、この手で未来へお連れする!」
空印筐を砕き、封じられていた剣に胸奥で暴れ続けていた≪反衝≫を託す。
蒼白い光が刃を包み、悲鳴のような閃光とともに虚空へ解き放たれた。
五層の地脈そのものが悲鳴を上げるような轟音が走った。
光の奔流は、山肌を縦に裂き、岩盤を砂の粒へと変えながら一直線に駆け抜けた。
空間は歪曲し、地鳴りが空気を裂き、光の尾は稲妻のように迸る。
隆起した壇は、まるで紙細工の山を指で弾き飛ばすかのように、砕けはじめた。
しかしーー。
限界を超えて固まった筋が、刹那のうちに剣先の軌道を奪う。
アスフォリオはそのわずかな逸れを見切り、霧のように身体を横へ流す。
光の奔流は、その残像だけを鮮烈に切り裂いた。
結果として奔流は、アスフォリオの作り出した山脈を一部だけ抉り取り、巨大な断面だけを残して消えていった。
「……中々出来の良い"喜劇"でした。
あなた方に感化されて、ワタクシもこれからはもっと別の形で、奉身活動を積極的に行うべきだという考えに至りました。
ーーなので、"コレ"はお返しします」
アスフォリオはパチンッと指を鳴らす。
その背後で、“リサナ王女殿下”が操り糸を断ち切られた人形のように地へ落ちた。
アスフォリオは落ちた王女へ一瞥すらくれず、口角を静かに吊り上げる。
「おお、そうでした! 最後にひとつだけ」
軽やかに片足を引いて、まるで幕が降りる直前の演者のように礼をする。
「ワタクシはどこにでもいて、どこにもいない……。
ゆえに、全てを疑い、全てを拒絶しておくのがよろしいッ!
異変に気づいた“その瞬間”こそがーー“真の奉身”の幕開け。
その折には……どうか存分に、世界の"再生"に参与していただければ。ウフッ!」
「逃がすとでも思っているのか?」
それまで沈黙していたリゼルファ隊士が、一拍の揺らぎすらない動きで暗器を放つ。
刃はアスフォリオの顔面を正確に貫いた。
しかし、ーー。
「相変わらず水を差すのがお好きなのですね。ありし日の黙王を思い出します。プーックフフ!」
顔面を貫かれたアスフォリオの背後から、まるで舞台の幕裏から役者が顔を出すように、別のアスフォリオが姿を見せた。
リゼルファ隊士は無言のまま駆け上がり、アスフォリオの顔面へ暗器を深々と突き立てる。ーーそして、その真後ろの空間が揺らぎ、まったく同じ笑みを浮かべたアスフォリオが再度姿を現す。
リゼルファ隊士は眉一つ動かさず、反転して再び暗器を振るうも“新たな”アスフォリオが現れだけであった。
終わりがないことを悟ったリゼルファ隊士が
一歩踏み込み、鎖付きの暗器を横薙ぎに放つ。
鎖は複雑な軌道を描きながら、
複製されたアスフォリオたちの身体をまとめて絡め取り、何層にも巻き付けて“束”へと変える。
呼吸する間もなく鎖を締め上げ、
乱立するアスフォリオたちの身体を強引に一塊へ拘束することに成功した。
「おやおや、ワタクシは歌い踊っていただけなのに……随分とまあ手厳しいことで!」
束にされたアスフォリオが、横倒しのまま不満を零す。
鎖に締め上げられた姿のまま、声色だけが愉悦に満ちていた。
「ですが、これ以上は幕間の余白。
先ほどの件ーーどうか“ゆめゆめ”お忘れなきよう。
ウフフ……アーーハッハッハッ!」
高笑いが尾を引いた刹那、地面から光が噴き上がった。
その光が収束すると、アスフォリオの気配は跡形もなく消え、束となっていた身体は岩の塊へと変貌して残されていた。
先ほどの光は、光系統の中級誓術……。
詠唱を気づかなかったこと、会敵時の殿下の言動から察するに、"遅効性"の技術を盗まれていそうだ。
「殿下」
「いや、もうその中はアスフォリオの死体しかない……さっきまで喋ってた奴も自害したみたいだ」
リゼルファ隊士の呼びかけに反応し、王子殿下が意図を汲み取り返す。
「五層の汚染が酷くて……早く王女を連れて帰ろう」
何とも締まりのない幕引きではあったが――王女奪還という本懐だけは、どうにか果たすことができた。
そして、あの日の誓いには遠く及ばないが、
“いまのオルセオン王子殿下の命”をつなぐには十分すぎる働きだったはずだ。
王子殿下の呼びかけに応じ、鉛のように重く沈む身体をゆっくりと持ち上げる。
リサナ王女殿下の傍らには、すでにリゼルファ隊士が膝をつき、祝福による応急の回復を尽くしていた。
歩み寄るごとに、状況の深刻さがより鮮明になる。
王女殿下の左目は……すでに“失われていた”。
空洞になった眼窩には沈んだ闇が覗き、その周囲では、生き物のようにうごめく腐蝕が、いまこの瞬間も肌を侵していた。
祝福の光が薄れゆく中、リサナ王女殿下の指先がかすかに動いた。
まぶたが震え、やがてゆっくりと開く。
「……来て、くださったのですね。
城下での騒動から、まだ時も経っていないはず……。
こんなにも早く……本当に……」
リサナ王女殿下に化けていた、アスフォリオの最初の発言と重なり、背筋が粟立つ。
思わず息が止まった。
「お兄様ッ……!? ーー失礼しました。少し……記憶が混濁しているようで……あなたは……お兄様ではありませんでしたね」
己で訂正し、軽く微笑む。
その自然さに、胸の圧迫がわずかに解ける。
「念の為だけど、大丈夫。
そいつはアスフォリオじゃない」
オルセオン王子殿下が視線を合わせずに伝える。
リゼルファ隊士は深く頭を下げ、静かに告げる。
「ーーお目覚めのところ誠に恐縮ですが。
リサナ王女殿下の左眼は、敵の能力により……すでに失われております。
祝福で回復を試みましたが……欠損までは戻せず、申し訳ございません」
「……ええ、承知いたしました。左眼は……戻らないのですね」
言葉に込められる感情は驚くほど静かで、揺らぎがない。
「ならば、新たに“授かる”までのこと。
ここは禍祈廊の最深層で間違いありませんね?
ーー神々の息が最も近いこの場所で、祈りを捧げましょう。
いま為すべきことを、誓いのままに」
失われた眼を押さえながらも、その声音には、
揺るぎなき王族の気高さが宿っていた。
五層の汚染は、なお私の身を蝕み続けていた。
肉体はきしみ、意識は沈みかけ、それでも私はただ前進を義務として課す。
……アスフォリオの言葉が、胸奥に鈍い残響となって残っている。
“火床の上に立つ者”ーー私もいずれ、殿下のために切り捨てる日が必ず来る。
だが、迷いを抱える余裕など、この身には許されていない。
私が捧げた誓いは、まだ果たし終えていない。
その誓いが、やがて私自身を裁断する刃となるのだとしてもーー。
それでも、私は歩む。
オルセオン王子殿下の御前に立つ、この務めだけは違えることはない。
またしても長くなってしまいました!\(^o^)/
アスフォリオ・アガペイ……自由に動きすぎて、書いてて楽しくなっちゃいました!
それでも、なんとか物語として着地してくれたのでホッとしています✌︎('ω'✌︎ )
セオは気づけば主人公みたいに暴れ回っていましたね。
オルセオン王子殿下の巻き返しにご期待ください(☻-☻)
さて、王女殿下の奪還は、ひとまず果たされました。
しかし、その左目は失われたまま、癒える兆しはありません。
次回、舞台は禍祈廊・最深層。
新たな“祝福”を授かる儀式へと移ります。
果たして、その祈りは何を呼び、どのような力が与えられるのか。
そして、それが王子の命運をいかなる方向へ導くのか。
次回の更新をお待ちください!
【2025/11/28】
・≪反衝≫の反動描写書き忘れを追記
・句読点ミス修正




