転生病を患ったようです
「――つまり君は、オルセオンではないと言うのだね?」
煌びやかな装束と外套をまとった壮年の男が、怒りともつかぬ震える声でそう問いただした。
「あ、あ〜……はい。そう、みたいですね?」
人生で初めて味わうほどの重圧に、言葉が上ずった。
普通に答えるつもりだったのに、気づけば疑問形になっていた。
応接室と呼ぶには広すぎる部屋には、威厳をまとった人々がずらりと並んでいる。
席に座る者たちは落ち着いた色の衣服に、それぞれ異なる紋様を刻んだ外套を羽織っていた。
どの顔にも深い落胆の色が差し、ため息だけが重く積み重なっていく。
緊張に耐えきれず、視線は自然と大きな窓へと逸れていく。
そこには、夕暮れの宙に巨大な水球が浮かび、空を渡る船の群れがゆったりと流れていく。
眼下には、西洋圏を思わせる白を基調とした街並みがどこまでも連なり、すべてが巨大な塀で囲われているのが見える。
――巳扇甚、十六歳。どうやら異世界に来てしまったみたいです。
「教史庁です。クレイソス国王陛下、発言許可を」
口髭の老人が口火を切り、先ほどの壮年の男性へ視線を向けた。
……え、国王?
アレ、国王だったのかよ!? 俺、今、絶対やらかしたよな!?
国王は軽く頷き、以降の発言は誰でも許すという短い承諾を返した。
その老人は口髭を指先で整え、机上の書類に目を落とすこともなく、淡々と声を整えて語り始める。
「我が国にも馴染みのある病ですが、継承序列第一位たる―― オルセオン・カルネス・エリソン=レクス・オーレシア王子殿下の罹患です。
間違いのないよう、まずは病の再確認を。
それから現状整理と今後の対応について、各庁から報告を頂きたい」
(は!? 俺の身体って、第一王子のなの!?)
焦る俺を置き去りにして、説明が始まる。
「まず『転生病』についてですが――百年に一度、あるいはそれ以下の頻度で観測される、極めて稀な病とされています。
経典《誓環》の第七章・壊環には、こうあります。
『異魂を宿せし器に印を刻む。その相に二の声あり。やがて旧き心は深淵に沈み、新しき命は器を継ぐ』。
つまりこの病は、頬へ痣を刻むのを始まりに、記憶は混濁、最終的には新たな人格だけが残ります。
重要なのは、この病が命の危険をもたらすことはない一方で、我が国の史書・経典を照らし合わせても、いまだ治療法は発見されておらず……それが王位継承一位に起きた、ということです」
一旦区切られると、周囲からまた深いため息が漏れた。
(転生って……俺、前の世界でもう死んだってこと?)
頭が真っ白になりかけながらも、この突然の状況を把握するべく、必死に記憶を探る。
日本での記憶は概ね残っているが、俺自身の出来事や交友に関する全てが抜け落ちている。
一方でこの世界の記憶は、読み書きや会話といった基礎だけが残り、それ以外が欠落していた。
――つまり、今の時点では死んだかどうかは分からなかった。
そこまで考えたところで、扉が乱暴な音を立てて開き、嗅いだことのない甘く爽やかな香りが部屋へ流れ込んだ。
その香りに乗って、美女と呼ぶにふさわしい女性が飛び込んでくる。
透き通るような金の髪は緩やかに波打ち、ハーフアップでまとめられ、そこに添えられた生花がその美貌をさらに際立たせていた。
「お兄様ッ……! 転生病を患ったとお聞きして――ッ!?」
俺を見た妹らしき人物は絶句し、立ち尽くしてしまった。
転生であるなら姿は変わらないはずなのに、だ。
国王は苛立った声で妹に対し、「座れ」とだけ命令する。
妹の着席と共に、報告が再開される。
しかし、多くの難しい単語が飛び交うばかりで、俺はただ呆然とそのやり取りを聞き流すばかりだった。
報告が一段落すると、国王は滔々(とうとう)と指示を言い渡し始めた。
「各庁の進言に異論はない。
ただし、第二王子を呼び戻し、王政に関わる最小限の人員を集めよ。私も会議に出る。
また、箝口令を敷け!
この件を外に漏らす者には容赦はしない」
壁際の役人たちが慌ただしく動き出すのを、俺は視界の端で見た。
「他人事のように聞いているが、貴様もだぞ!」
国王の声と指がこちらを指す。
心臓が跳ね上がったかと思うほど、身体が一瞬こわばった。
俺は緊張でカラカラになった喉を振り絞り、小さく「ハイ」と返すので精一杯だった。
「――フン。こんな状態でも政治的利用価値は残っている。治癒の有無にかかわらず、絶対に死なせるな!
適宜報告せよ。――以上だ、この場は解散!」
国王が退出すると、場内は一気に慌ただしさを増した。妹も遅れて退出して行ったが、泣き顔が見えて、なんとなく罪悪感を覚えた。
そして、行き場のない俺だけが、椅子に貼り付いたように動けないでいた。
応接室での出来事は、王子の異変に気づいた役人に捕まってから、一時間強で収まった。
気づけば事態はすべて“処理”されており、この国の底の見えない統治力を思い知らされた。
……物理的に首が飛ぶような倫理観の世界でないことを、心の底から祈る。
だが、それはただの現実逃避に過ぎなかった。
応接室の壁際で立っていた男が、封のされた一通の命令書を手に廊下の奥から戻ってきた。
片側だけ渦を巻くように跳ね上がった奇妙な髪型が、どうにも目に焼き付いていた。
男は俺に近づくでもなく、衛兵の横に立ったまま、淡々と読み上げる。
「オルセオン王子殿下は、王政の決定が下るまで、自室にて監禁とする」
それだけ言うと、男は視線を落として一歩退いた。
衛兵が無言で俺の腕を取り、俺はそのまま自室とされる部屋に押し込まれてしまった。
外から錠をかけられる音が、今も耳に残っている。
あれから夜も更けたというのに、食事は来ない。
呼んでも返事は返ってこない。
親の顔も、友の顔も思い出せない。
支えにできるものが、何一つとしてない。
そうした静かさが、負の思考を呼び起こす。
前の世界で死んでいるかも知れない、そんな状態で転生病が完治したら、俺の魂はどうなるのだろうか。
それこそ、死ぬのでは――。
嫌な汗が頬を伝う。
自然と外の景色に救いを求めるも、前見た通りの知らない街が呼吸している。
ただ、開けた窓から草の匂いが入ってきて、虫の音がした。
それだけが、前の世界と同じで悔しいほどに優しい。
このまま不安に耐え続けるくらいなら、眠りで意識を断とう。
そう思った矢先、部屋の錠が解かれ、扉をノックする音が響いた。
それは応答する隙も与えず、許可もなく扉を開く。
眉目秀麗で、柔和な表情を浮かべた青年が入ってきた。
緩やかなウェーブのかかった金色の髪は、応接室で見た妹を彷彿とさせた。
「夜分、申し訳ございません。私はこの国の継承序列二位、ネモールと申します。あなたの兄にあたる者です」
突然のことに固まる俺など構うことなく、王子は言葉を続ける。
「激動の一日だったでしょう。香を愉しみながら、しばし語らいませんか?」
そう言うと、ネモール王子は傍らの空のティーカップを手に取った。カップを見つめる横顔は、星の光に照らされ淡く輝き、どこか神秘めいた気配すら漂わせている。
圧倒された俺は、無意識に間の抜けた了承の声を出していた。
ネモール王子は微笑み、呼び鈴を鳴らす。
すると、すぐに給仕が現れ、静やかに茶の支度を終えたのだった。
「夜風が心地よいですね」
ネモール王子の美声が夜気に溶け、しばしの静寂が流れた。
茶の豊かな香りが漂い、俺の警戒をゆるやかに解きほぐしていく。
「父上――クレイソス国王陛下は、怖かったでしょう。
謁見の際のご様子は陛下からも聞いております。
どなたに対しても厳しいお方ですので、あまりお気になさらないでください」
「私も幼少のころはよく叱責を受けました。
一番古い記憶では、初めての誓術訓練で『出来が悪い』と評され、翌日までに完璧に仕上げるよう命じられたときです」
当時三歳にして初めて徹夜を経験しましたよ、と、王子は穏やかに笑った。
その後も他愛のない雑談が続く。
この世界に来て、初めて寄り添ってくれたネモール王子を、この頃には信用し切っていた。
「国王陛下と対面してみて、いかがでしたか?」
「いや……正直、"何だこのオッサン"って思いましたね。
この世界のことなんて分かるわけないのに、凄い剣幕で怒鳴るんですから」
そんな質問をされてしまっては、胸の奥で圧し潰していた不満が、空腹も相まって次々と溢れ出す。
閉じ込められて、ご飯もなくて、返事もなくて。
俺の監禁を宣言した役人の髪型が「片側に渦を巻くように跳ね上がっていて変」など、最後の方はもはや八つ当たりになっていた。
そんな俺の言葉を、ネモール王子は和やかに微笑み、黙って頷き聞いてくれていた。
一通り話し終えると、ネモール王子が用意させた茶で乾いた喉を潤した。
まるで心まで染み渡るようだった。
「聞いていた通りですね。言葉にしていただけて良かったです。
――時間を空けさせた甲斐がありました」
思わず、耳を疑った。
まさか俺を監禁したのは、ネモール王子が指示してのことだった……?
「お気づきになられたようで何より。
いまの受け答えで、王政として決めかねていた件に結論を出せました」
彼の声は優しいままなのに、言葉だけが刃になる。
「あなたに宣告します。これよりネモール第二王子派閥は、転生病の完治に向けて全力をかけると」
「――私の弟、オルセオンは真に王たるに相応しい人物でした。
幼少より隣で過ごしては、その先見に驚愕し、いつからかこの方を支えていくことこそが宿命なのだと思うようになりました。
……それが叶わぬのならば英雄は英雄譚でのみ語り継がなければ」
俺は全身の血の気が引くのを感じた。
完治しなければ殺す――そんな意味にしか聞こえない。
「ちょ、ちょっと待ってください! 愚痴を言うように誘導されたら、先程の受け答えになるのは自然じゃないでしょうか!? それだけで決めるのは、あまりにも――」
もう背を向けて扉に向かっているネモール王子に向かって必死で声をかけた。けれど、何と言えば正しいのか分からず言葉が詰まる。
王子は背を向けたまま独り言のように喋り始めた。
「実情が分からずと言うも国王陛下を批判する。
礼節を欠く。
さらに、危機感が薄く、部屋への侵入にも抵抗を示さない。――と嫡男の様子を臣下が報告したならば、あなたはどう評します?」
その声は穏やかだが、氷のように冷たかった。
「あなたがそう無防備でいるうちは、――そのお茶が毒だったとしても気づけないでしょうね」
心臓の鼓動すら凍りついたように身体の芯が固まる。
肺が縮み、息をするという当たり前の動作すら忘れてしまった。
「それでは、どうぞ一時の安らぎを」
そう言うとネモール王子は出ていった。
部屋には、王子が一切手を付けていない茶の香りが充満し、眩暈がするようだった。
ふと、頬がひりつく。
指先で触れると、皮膚の下に熱が溜まっている。
窓ガラスに顔を近づけて覗き込む。
月明かりの下、俺の頬に浮かぶ痣は――見ているあいだに、わずかに輪郭を押し広げていた。
虫の音も聞こえない静寂となった部屋に
俺の声がぽつりと浮かび、消えた。
「帰りたい」と。
【2025/11/11、14】可読性向上のため、改行挿入
【2025/11/21】全体的に表現を修正
【2025/11/22】表紙の追加
【2025/11/29】誤記修正
【2025/12/31】話構成、大幅変更




