「春のはじまりと、にぎやかな予感」
厳しかった冬の名残は、朝の空気にわずかに漂っていた。
けれど、日が高くなるにつれてその冷気はゆっくりと退いていき、代わりに、ほんのりと土の匂いがあたりに満ちはじめる。
春だった。
畑の縁には、小さなタンポポが顔をのぞかせ、早咲きのクロッカスが、まだやわらかな日差しに向かって首を伸ばしていた。
ふわりと吹く風には、乾いた草の香りと、雪解けの名残を含んだ湿った土のにおい。
冬の間に眠っていた村が、静かに、しかし確かに息を吹き返していく。
ルークは、納屋の壁にもたれながら、ノートに畑の区画を描いていた。
去年の反省を踏まえて、今年は保存がきく作物を中心に育てるつもりだ。
じゃがいも、にんじん、たまねぎ。それに大根やかぼちゃもいい。
春先に仕込めば、夏には収穫が始まる。
保存食として瓶詰めや乾燥にもしやすいものばかりだ。
「……にしても、とまとがこんなに人気になるとはな……」
隣でミーナが、とまとを描いた絵本を大事そうに抱えている。
「ミーナは、今年もとまとさんを育てるのです! ぜったいです!」
「……保存はきかないけどな……」
「でも、すっごく甘くて! ミーナ、にぃにぃが作ったやつじゃないとイヤ!」
そう言って、ぴょこんと帽子をかぶり直すミーナ。
くるくると回るスカートのすそが、春の風になびいた。
猫たちも、あちこちで寝そべったり、のびをしたり、気ままに春の空気を楽しんでいる。
ミーナの言葉には、とまと愛がつまっているらしい。
……まあ、少し多めに植えるか。
昼前、ルークは畑の区画図を手に、父・アベルのもとを訪れた。
ちょうど薪割りをしていたアベルは、汗を拭いながらノートを覗き込んでくる。
「うん、保存野菜を軸にするのは賢い選択だ。去年の冬は……まさかあれほど降るとはな」
「……だから、今年は少し多めに。余ったら乾燥か、瓶詰めにしてもいいし」
「母さんの作るピクルス、隣村で評判だったな。保存しても味が落ちないって」
「じゃあ、そっちも計画に入れておこう。あ、ミーナのとまとも……」
「ふっ……やっぱり外せないか」
ふたりの話はつきることなく、やがて午後の風が吹きはじめる。
ふと、遠くから「にぃにぃ~~!」という声が響いてきた。
ミーナの声だ。
それだけではない。バサバサと藁の山が動いて、何かがこちらに迫ってくる。
「……あれ、何してんだ?」
「……案山子?」
案山子だった。
というより──案山子に囲まれたミーナだった。
両手いっぱいに藁をかかえ、猫たちがまるで工房の職人のように器用に藁を結び、木の棒を運んでいる。
「にぃにぃ、今年も鳥さんがいっぱい来るかもしれないので、ミーナ、案山子さんを大量生産中なのです!」
「なにその発想と規模……」
「だって! 案山子さん、かわいいし! 元気に手をふってくれるし!」
風が吹くと、確かに案山子の腕がゆらりと動く。
その光景を見て、ミーナは本気で「案山子さんが挨拶を返してくれてる」と信じているらしい。
猫たちは、まるで訓練されたように動いていた。
木の枝を咥えてきたり、くるくる回って縄を引っ張ったり。
どう見ても、ただの猫ではない。
しかも、ミーナの指示に従っているのだ。
「クロ、これお願いね! モモ、こっちの帽子! シロ、ちょっと寝ちゃダメです!」
「にぃにぃ、猫たちってほんとすごいでしょ?」
「うん、すごいな。おまえもな……」
こうして、春の始まりの畑は、藁と木と猫とミーナで大にぎわいとなった。
ふだん静かなこの村で、これほど騒がしいのは、この家ぐらいだろう。
空を見上げると、春の雲がいくつも流れていく。
冬の冷たさが残る空気も、もうどこかへ行ってしまった。
鳥たちのさえずりと、猫たちの足音、そしてミーナの笑い声が混ざり合いながら、この春の一日が過ぎていく。
今年の春も──この家は、にぎやかになる予感しかしない。
野菜たちも、案山子たちも、猫たちも、そしてミーナも。
みんな、元気いっぱいに育つのだろう。
ルークは、そっと土をひとつかみ手に取り、静かにつぶやいた。
「さあ、はじめるか。今年は……もう少し、準備万端で行こう」
土の感触はやわらかく、すでに“目覚めた”土地が、その準備を整えはじめているのをルークは感じていた。
──そう、彼の無意識の魔力が、再び畑を変え始めていることを。
ミーナが笑う。猫たちが鳴く。春の風がふく。
そんな、いつもと変わらぬ風景が、また今日も、ひとつ芽吹いたのだった。




