「──静かなる母の記憶」
秋の夜。
村を包む空気は、ひんやりとしながらも、どこか穏やかだった。
ルークは、裏庭に出ていた。
収穫も一段落ついて、今夜は月がよく見える。
高く昇った銀の円が、畑の隅々まで照らしている。
そこへ、足音が静かに近づいてくる。
「……眠れなかったの?」
声をかけてきたのは、母・レイナだった。
いつものエプロン姿ではなく、淡い羽織をまとい、手には古びたランタン。
「王都からの手紙……読んだんでしょ?」
レイナは、静かに月を見上げたまま、言った。
「……母さん。ベルナンって、どんな国?」
ルークの問いに、レイナは少し目を細めた。
「そうね……美しくて、厳しくて……そして、孤独な場所だったわ」
「場所だった?」
ルークは言い回しに疑問を覚えた。
ぽつりぽつりと語られたのは、これまで一度も聞いたことのなかった母の過去。
──レイナ・ベルナン。
隣国ベルナン王国の第五王女。
だが、上に兄姉が多く、政争の蚊帳の外で育てられたという。
「小さなころから、“姫”としての役目ばかりで。
笑ってはいけない、走ってはいけない、土に触れてはいけない……そんな生活だったの」
でもある時、政略結婚の候補として、辺境へと“視察”に出されることになった。
その先で、出会ったのがアベル──今の父だった。
ルークは、「はっ」と、息をのむ。母が王族だったとは初めて聞いたからだ。
「……信じられないかもしれないけど、あの人、もとは王都の貴族の三男坊だったのよ」
ルークは息を呑んだ。
「えっ……父さんも?」
「跡継ぎにもなれず、窮屈な暮らしを嫌って飛び出したのよ。『田舎で野菜でも作って生きる』って。ふふ、あの頃から変わらないわ」
土の上に座り込んで、無骨に鍬をふるう青年と、
上品な言葉しか知らない王女の出会いは、まるで物語のようだった。
けれど、当時の王家は許さなかった。
レイナは“行方不明”として処理され、二人はこの村の外れに移り住んだ。
「だから、ルーク……あなたは、隣国の王の血と、畑の土の両方を引いてるのよ」
「畑の土って(笑)」
父さんも貴族って言ってあげてよと思いながら母レイナを見ると
月光が照らすその瞳は、優しくて、どこか懐かしい光を帯びていた。
ルークは、しばらく黙っていた。
自分の中で何かが静かに広がっていくのを感じながら。
──自分は、知らなかった。
妹のこと、畑のこと、この村のことだけを見ていた。
でも今、この土の下には、“語られなかった物語”がある。
「母さん……ありがとう」
その言葉に、レイナは静かに微笑んだ。
そして、そっとルークの頭に手を置いた。
「どこにいても、何を選んでもいいの。でも、忘れないで。
あなたは“好きなように生きていい”子なのよ。私も、お父さんも……それだけは、守ってあげたいと思ってるの」
その夜、ルークは眠れなかった。
けれど、少しだけ、心があたたかかった。




