ルークとミーナ 帰郷と“ジャングル畑”事件
王都での騒動も落ち着き、黒百合商会を巡る陰謀も終息を迎えた頃。
ようやくルークの心に、ひとつの不安が芽生えていた。
「……畑、大丈夫かな」
夜会に出たり、王都の屋敷に滞在したりと、随分長い間農園を留守にしていた。もちろん全てを放り出してきたわけではなく、アニーと弟のリックに最低限の世話を頼んである。二人とも真面目で働き者だし、何より猫たちも一緒に留守番をしてくれているはずだ。
しかし、胸騒ぎは消えない。
その不安を猫たちがさらに煽る。
「にゃあああ、帰るにゃあああ!」
「畑が泣いてるにゃ!」
「草が草が……草がぁぁ!」
どうやら、猫たちも一様に“帰宅”を主張しているらしい。
ルークは叔父のクラウスと相談した。
「ふむ……確かに長く空けすぎたな。農は生き物、手を抜けばすぐに荒れる」
「父さんも、そろそろ戻りたい頃合いでは?」
「ああ。王都の用も一段落したしな」
かくしてルークは父アベルと共に、ミーナや猫たちを連れて村へ帰ることとなった。
◆◇◆◇
道中はいたって平穏。強いて言えば、猫たちが王都の屋台にちょっかいを出し、焼き魚を咥えて逃げようとしたくらいである。
「ちょっ、こら! 人様の商売の邪魔しない!」
「にゃはは! でも美味しそうだったんだにゃ!」
そんな小さな騒ぎを経つつも、無事に帰郷した一行は、久方ぶりに農園へと足を踏み入れた。
――その瞬間。
「……なんだ、これ」
ルークは絶句した。
畑一面に、背丈を越えるほどの雑草がうねりを上げていた。
トマトの畝も、きゅうりの支柱も、とうに姿を隠し、まるで“森”と化している。もはや雑草というより、ジャングル。
その手前で、アニーとリック姉弟が呆然と立ち尽くしていた。
「お、おかえりなさい……ルークぅ」
「…………」
アニーが涙目で声をかける横で、リックは完全に生気を失っていた。虚ろな目をし、ひたすら遠くを見つめている。
ルークは慌てて声をかけた。
「リック!? 大丈夫か、おい!」
肩を揺さぶると、リックはかすれた声で答えた。
「……む、無理……草が……草が……」
その言葉に、アニーが泣き出した。
「最初は普通だったの! ちゃんとお世話できてたのよ! でも、ある日を境に、雑草が急に……! 抜いても抜いても、次の日には倍になって生えてくるんだもの!」
「にゃあああああ!」
猫たちが一斉に叫んだ。
「やっぱり畑が泣いてたにゃ!」
「呪いだにゃ!」
「いやいや、精霊かもにゃ!」
ルークは猫たちを見やった。
「……で、お前たち、何か知ってるのか?」
「にゃ、にゃんにも!」
「知らないふりだにゃ!」
「でも確かに夜な夜な、畑の奥で“ざわざわ”って音が……」
猫たちは慌てて口を閉ざしたが、ルークはすでに確信していた。
――どう考えても普通じゃない。
◆◇◆◇
翌朝。ルークは父アベルと共に畑を調査することにした。もちろんミーナも猫たちも総出である。
「ひゃー! ほんとに森みたいなのです!」
ミーナは半ば楽しげに雑草のトンネルを駆け回る。
「待てミーナ! 迷子になるぞ!」
「大丈夫! 猫さんたちが道案内してくれるもん!」
「にゃふん!」
「まかせろにゃ!」
猫たちが頼もしく先導していくが、ルークはどうにも不安だった。
進めば進むほど、雑草は不思議な形をしていた。葉が夜光のように光っていたり、蔓が勝手に動いているように見えたり。
「ルーク」
アベルが低く言った。
「これはただの草ではない。魔力を帯びている」
「やはり、そうですか」
「どうも“畑の地脈”が刺激されて暴走しているようだな。お前が丹精込めた畑だからこそ、余計に力を吸って育ってしまったのだろう」
「つまり……。」
アベルは腕を組んで唸った。
「つまり……ルークの愛情のせいか」
「父さん、言い方!」
だが確かに、ただ放置されただけでこんな異常な成長を見せるはずはない。ルークの育成スキル、あるいは土地そのものの性質が絡んでいるのだろう。
その時――。
「にゃ! 動いたにゃ!」
猫の一匹が叫んだ。
ルークたちの目の前で、雑草の束が蠢き、人型のような影を形作っていた。
緑の髪、蔓の腕、花を冠にしたような姿。
「……グリーンマン?」
ミーナが目を丸くする。
その“草の精”は、声なき声でうめいた。
『……もっと……育つ……もっと……』
「ちょっ……これ、まさか僕の肥料や水やりが影響して?」
「にゃ! ルークの愛情が暴走したにゃ!」
「やっぱり呪いだにゃ!」
コミカルな叫び声の中、ルークは苦笑いを浮かべる。
「……まあ、どっちにせよ解決しないと」
◆◇◆◇
――そこからが本当の戦いだった。
雑草精霊は抜いても抜いても再生し、しかも嬉々としてミーナにまとわりつく。
「きゃー! くすぐったいのですぅ!」
「もっと成長させろって言ってるみたいだぞ!」
アベルは真剣に魔力を制御し、ルークは必死に自分の“育成”の力を抑制しようとした。
「ルーク、心を落ち着けろ!」
「畑に“休んでいい”と伝えるんだ!」
「はい!」
そして、ルークが土に手を当て、優しく語りかけた。
「……ありがとう。もう十分育ったよ。だから、少し休もう」
すると――。
暴走していた草の精霊が、ふっと力を失い、風に溶けるように消えていった。
雑草の森も次第に萎れ、元の畑が姿を取り戻していく。
◆◇◆◇
こうして“ジャングル畑事件”は解決した。
アニーは涙ぐみ、リックは魂が帰ってきたように地面に突っ伏していた。
「……や、やっと終わった……もう草は嫌だ……」
猫たちは一斉に胸を張る。
「にゃふん! ぼくらの活躍のおかげだにゃ!」
「草を追い払ったのはぼくらにゃ!」
「にゃんにゃん!」
「……いや、僕が頑張ったんだと思うけど」
ルークが小さく呟いたのを、誰も聞いてはいなかった。
こうして村に平穏が戻る――はずだったが、猫たちはまた勝手に次の事件の匂いを嗅ぎつけていたのである。
――つづく