王城執務室の密議
王城の奥深く、執務室の重い扉が閉ざされた。
そこに集ったのは、王、宰相、クラウス、アベル、そして執事ギャリソンのみ。護衛すら退けられた場は、異様な緊張感に包まれていた。
「……黒百合商会の背後に、グランデール伯爵がいると?」
王の低い声が静寂を破った。
クラウスは机の上に証拠品を整然と並べる。猫たちが拾った帳簿の断片、紋章入りの木箱の破片、商会の隠れ家から押収した取引記録。
「確証には至らぬまでも、繋がりはほぼ間違いありません」
王の眉間に深い皺が刻まれる。
「グランデール家は、代々王家を支えてきた大貴族だ。もし事実ならば……王国の信義そのものを揺るがす」
アベルが一歩前に出る。
「陛下、放置すればさらなる犠牲が出ましょう。子供たちを利用し、人攫いまでも……。これは一刻を争う事態です」
だが王は即答しない。重く深い沈黙が流れた。
ギャリソンが低く口を開く。
「陛下。殿下方が摘み取られた子供たちの救出、その現場には黒百合商会の証跡が残されていました。王都の治安を維持するためにも、いずれ表沙汰になるのは必定。ならば早期に対処するほうが傷は浅いかと存じます」
「……ふむ」
王は椅子に深く腰掛け、手を組んだ。
クラウスは静かに言葉を重ねる。
「しかし陛下。大貴族の一角を摘発するとなれば、対立勢力が動きます。証拠不十分のまま動けば、王家が不当な権力行使をしたと糾弾されかねません」
「ではどうする?」
王の鋭い眼光がクラウスを射抜く。
クラウスは一瞬目を閉じ、深呼吸した。
「……まずは、黒百合商会を徹底的に炙り出すべきです。表向きは商会の不正取引に対する摘発とし、その背後をさらに洗えば……伯爵の名が浮かび上がるでしょう」
アベルが頷く。
「なるほど。いきなり貴族を糾弾するのではなく、あくまで“商会の調査”という大義で」
ギャリソンが冷静に補足する。
「このやり方なら、反発も抑えられましょう。何より……猫たちの探索能力を借りられれば、証拠集めにおいて大きな戦力となる」
王の唇がわずかに動いた。
「……猫たち、か。聞けば、あの子供――ミーナ嬢の傍にいる存在だというな」
クラウスは口元をわずかに引き締める。
「はい。猫たちは偶然にも、我らが追う道筋を先んじて掴んでいました。今回の件、彼らなしではここまで進展しなかったでしょう」
王は目を伏せ、苦笑に似た吐息を漏らす。
「……王都の未来が猫の手にかかるとはな」
だがその声はすぐに真剣な響きへと戻る。
「よかろう。クラウス、そなたに黒百合商会の徹底調査を命じる。アベルも同行し、補佐せよ」
「御意」
「承知しました」
二人の兄弟が同時に頭を垂れた。
王はさらに声を潜め、重く言葉を落とす。
「ただし……グランデール伯爵の名は、決して軽々しく口にしてはならぬ。いかなる証拠が揃うまではな」
「……心得ております」
クラウスの返答は静かだが、その瞳には鋼の決意が宿っていた。
やがて会議は終わり、執務室を後にする。
長い石造りの廊下を歩くクラウスに、アベルが小声で問いかけた。
「兄上……あえてお伺いします。なぜルークとミーナを王都へ呼ばれたのです?」
クラウスの足がわずかに止まる。
しばし沈黙ののち、彼は答えた。
「……二人の存在が、いずれ王都の行く末を左右する予感がある」
アベルの目が細められる。
「予感、ですか」
「理屈ではない。ただ……あの子らの笑顔を守れねば、この国に未来はない。そう思うのだ」
弟は何も言わず、ただ頷いた。
『てっきり、ミーナに会いたいだけかと思っていたが……』
廊下の窓から差し込む光が、二人の背を照らす。
その影は長く伸び、王都に忍び寄る暗雲と交差するかのようだった。