黒百合商会の影 ―猫たちの潜入調査―
王都の空は、どこか張り詰めた気配をまとっていた。街路を行き交う人々は日常を過ごしているように見えたが、その奥に潜む不穏なざわめきは敏感な者ならすぐに察せられる。
クラウスが掴んだ「黒百合商会」の名は、やはりただの噂ではなかった。
その日の朝、グランフィード家王都邸の庭先。ミーナは麦わら帽子をかぶって畑に向かっていた。両手には大きな籠を抱え、後ろから猫たちがぞろぞろと行列を作ってついてくる。
「よーし、今日はにんじんを収穫するのです!」
にこにこと声を弾ませるミーナに、猫たちは「にゃーっ」と揃って返事。実に統率が取れている。――いや、統率が取れているというより、ミーナの調子に引きずられているようなものだ。
そこへ、厳めしい表情をしたギャリソンが現れた。いつもながら背筋は真っ直ぐ、靴音も軍靴のように規則正しい。
「お嬢様」
「にゃ?」(※ミーナの返事)
「……お嬢様ではなく、ミーナ様」
「なぁに、ギャリソンさん?」
ミーナが振り返ると、ギャリソンは深刻そうに眉を寄せた。
「実は……猫たちを、お借りしたく参りました」
「えっ!? 猫を!?」
ミーナは思わず麦わら帽子を落としかける。猫たちも「え、今なんつった?」「貸し出し?レンタルか?」とざわめきだした。
「にゃ、にゃー!?(労働組合通してないぞ!?)」
「にゃにゃっ!(残業代でる?)」
「みゃー……(なんか嫌な予感しかしない)」
「にゃにゃん!!(最低時給はいやなのにゃぁぁ)」
ギャリソンは咳払いして、その場のざわつきを収める。
「心配ご無用。決して危険に晒すつもりはありません。ただ、黒百合商会の調査において……人間では近づきづらい場所に潜り込む必要がありまして」
猫たちの耳がぴくぴく動いた。なるほど、影の仕事に猫の機動力を使うというわけか。
「でも……」ミーナは不安そうに猫たちを見回した。「うちの子たちに危ないことさせるのは……」
「危険は最小限に抑えます。むしろ猫たちの力があれば、事態は早く収束するはず。……どうか、王都の子供たちのためにも」
ギャリソンの真剣な眼差しに、ミーナは口をつぐんだ。猫たちはざわめきながらも、やがて一匹、二匹と前に出る。
「にゃっ!(俺たち、やるぜ)」
「にゃにゃ!(情報収集は猫の得意分野だし)」
「ふにゃ~(まぁ、帰ってきたら魚くれるよな?)」
ミーナは少し唇を噛んでから、ぎゅっと拳を握った。
「……わかったのです。でも、絶対に無茶はさせないでほしいの! 猫たちは、みんな私の大事な仲間なんだから!」
「承知いたしました」
ギャリソンは恭しく頭を下げた。
◆
その日の夜。
黒百合商会が所有する倉庫街に、ひっそりと忍び寄る影があった。
猫たちである。
路地を抜け、屋根を渡り、隙間からするりと潜入。人間の目には映らない高さや角度から、内部を覗き込む。
「にゃっ……(怪しい箱があるぞ)」
「にゃー……(中身は布?いや、麻袋だ……)」
「にゃにゃにゃ!(こっちには帳簿らしきもの!)」
「にやんにゃぁぁんにゃん(食い物は無いのか?)」
猫たちの観察を、別の場所に控えるギャリソンが小型の合図灯で受け取る。暗闇に瞬く光は、人間にはただの光の反射にしか見えない。
「……やはり動いていたか」
ギャリソンは低く呟く。
倉庫の中には、麻袋に詰められた大量の薬草や鉱石。それらは合法の取引品にも見えたが、猫たちの鋭い嗅覚が別の異臭を嗅ぎ分けていた。
「にゃ……!(麻薬の匂いだ!)」
「にゃにゃっ!(これはただの商会じゃないぞ!)」
さらに猫たちは奥の部屋で、密かに隠された木箱を発見する。木箱の蓋には、黒百合の刻印。そして、その横に――ある貴族家の紋章が並んで刻まれていた。
「……っ!」
ギャリソンは猫たちからの報告を受け取ると、血の気が引くのを感じた。
「やはり……背後にいるのは、あの家か」
彼の瞳は鋭く細められた。黒百合商会はただの商会ではない。王都の秩序を揺るがす陰謀の一端を担う組織であり、しかもそこには高位貴族の影が確かに差していた。
◆
翌朝。
ギャリソンは猫たちを伴って屋敷に戻った。猫たちはどこか得意げに「にゃー!」「みゃっ!」と鳴いている。
「ただいま!」と駆け寄ったミーナに、一斉に飛びつく猫たち。
「おかえりっ! みんな無事でよかったぁ……!」
ミーナが泣きそうな顔で抱きしめると、猫たちは「任務成功!」と胸を張るように尻尾をピンと立てる。
「ふふっ……さすがミーナの友達なのです!」
「にゃっ!」
そんな温かいやり取りを横目に、ギャリソンはクラウスの待つ部屋へと向かう。
猫たちが見つけた紋章。それは――王国でも有数の権力を持つ貴族のもの。
事態は、想像以上に深く、そして危険な闇へと続いている。
クラウスが口を開く。
「ギャリソン……確証を得たというのか」
「はい。黒百合商会と、グランデール伯爵の繋がりは、もはや疑いようがありません」
重苦しい沈黙が落ちる。
それは、新たな戦いの幕開けを告げる沈黙だった。
―――――