歩くトウモロコシ
リンリンと鈴菜が歌って踊った騒動から、しばらく日が経った。村はすっかり元の静けさを取り戻し、誰もが「今度こそ落ち着いた」と胸を撫でおろしていた――はずだった。
ところが。
「ねえ聞いた? 夜の畑でね、足の生えたトウモロコシが歩き回ってるんだって!」
「まさかあ。誰かの見間違いでしょ」
「でも、猫たちが追いかけてたってよ?」
そんな噂が流れ始めたのは、晩夏の涼しい風が吹くころだった。子どもたちの寝物語のように囁かれ、やがて本当にあったらしいという証言まで飛び出す。
「ほら、わたし見たんだよ。背丈くらいあるトウモロコシが、ぴょんぴょん跳ねてたの!」
「おばけじゃなくて?」
「おばけじゃないよ! だってちゃんと根っこが足になってたもん!」
子どもたちの目は真剣で、作り話のそれとは違っていた。
◆
「……ねぇ、にぃに」
夕暮れ時の農園で、ルークの隣にちょこんと座り込んでいたミーナが、不安げに声を落とす。
「また……へんなの、できちゃったみたいなのです?」
「……」
ルークは黙ったまま畑のトウモロコシを見渡した。風にざわめく葉音。見慣れた夏の畑の風景だが――妙に“ざわついている”ようにも感じられる。
「気のせいだといいんだが……」
額を押さえるルーク。鈴菜騒ぎで散々苦労したばかりだというのに、またしても農園は平穏を与えてくれそうにない。
「とりあえず夜、見回りをするしかないな」
「じゃあ、わたしも!」とミーナ。
「ダメだ。おまえは危ないことになるとすぐ突っ込むだろ」
「ええええ、そんなことないのです! でも……あるかもしれないのですぅ」
そのやりとりを聞きつけたのか、近くでひなたぼっこしていた猫たちが、一斉に耳をぴくりと動かした。
「にゃー……(鬼ごっこか?)」
「にゃにゃっ(参加する!)」
「みゃあ(もぎ取りだー!)」
猫たちの瞳は、すでに戦闘――いや、遊戯の光に輝いていた。
◆
そして夜。
畑の中から――ごそり。
音がした。
「……っ!」
ルークは身を固め、月明かりに目を凝らす。
見えたのは。
――ひょこっ。
背の高いトウモロコシが、土の上に足を生やして立ち上がったのだ。
根っこが器用に絡み合い、二本足のように大地を踏みしめる。
そして「ふすっ」と葉を鳴らし、よろよろと歩き出す。
「……本当に歩いてる……」
ルークの隣で、ミーナがごくりと唾を飲む。
すると。
「にゃにゃにゃにゃーーっ!!」
待ち構えていた猫軍団が一斉に飛び出した。
「うわああっ、始まっちゃった!」
「にゃにゃーーーっ! 捕まえろーーー!」
「にゃっにゃっにゃっ、もぎ取れもぎ取れーっ!」
村中に響き渡る猫たちの雄叫び。
それに応えるかのように、畑から次々とトウモロコシが立ち上がり、逃げ出した。
――こうして、「歩くトウモロコシ vs 猫たち」の大捕り物が始まったのだ。
◆
村の広場。
猫が飛びかかり、トウモロコシが跳ね逃げる。
「もぎ取り鬼ごっこ大会」は瞬く間に祭りのような熱気となり、子どもたちまで駆け出して参加し始めた。
「ほら、あそこ! 黄色いの逃げた!」
「わたしがもぐーっ!」
「待て待て、にゃーっ!」
村人たちも笑いながら声をかけ合い、夜中なのににぎやかさは昼祭りのようだ。
「おやまあ……これはまた……」
人々の背後で、ため息をついたのは――イザベルだった。
煌びやかな外套を羽織り、扇子を片手に、彼女は呆れたようにルークへ歩み寄る。
「あなたの村に来れば必ず騒ぎに巻き込まれるのは、もう宿命かしらね」
「俺に聞かないでください……!それと、夜中に何をしに来たんですかぁw」
ルークは頭を抱えた。
「退屈なのよ…だから楽しそうだわ。わたくしも――」
イザベルはにっこりと扇子を閉じ、裾を翻す。
「参加する!」
その一言で周囲がどよめいた。
だがイザベルはすでに走り出していた。
「待ちなさい、そこのトウモロコシ! 貴族令嬢の名にかけて、もぎ取ってみせるわ!」
「お嬢様、そのままではドレスが」
ギャリソンは落ち着いて、軽いステップで後をついていく。
◆
村中を駆け巡る大捕物。
トウモロコシが跳ねるたび、猫が飛び、子どもが笑い、イザベルが叫ぶ。
「やあっ! 捕まえたわ!」
もぎ取ったトウモロコシを高々と掲げ、得意満面のイザベル。
「どう、見た? わたくしの華麗なる動き!」
「……お嬢様、泥だらけでございます……馬車でお着替えを」とギャリソンは想定内のようだ。
ルークは遠巻きにその光景を見て、ただひとこと。
「……やっぱり俺は静かに暮らせない運命なんだな」
◆
その晩、鬼ごっこは夜明け近くまで続き――
最終的に、畑のトウモロコシはほとんど「もぎ取り」されてしまった。
「ま、まあ……食べごろだったからいいか」
ルークは収穫籠に山盛りのトウモロコシを見下ろし、乾いた笑いをもらした。
「にゃーっ(勝利!)」
「にゃにゃっ(ごちそう!)」
「みゃー(焼きもろこしにしよ!)」
猫たちは満足そうに喉を鳴らし、村人たちは夜明けの宴を開く。
炭火で焼かれた香ばしい匂いが漂い、誰もが笑顔でトウモロコシをかじりついた。
◆
「ルーク」
トウモロコシを手にしたイザベルが、艶やかな笑みで近づく。
「この村は、退屈しないわね。……わたくし、嫌いじゃないわ」
その言葉にルークは、少しだけ肩の力を抜いた。
静かさは得られないが――こうして笑う人々を見られるなら、それも悪くない。
月が沈み、朝日が昇る。
村の夏の夜は、またしても賑やかな騒ぎの記録をひとつ増やしたのだった。