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鈴菜が鳴るとき──イザベル嬢とギャリソン、畑で合唱騒動に巻き込まれる

◆出立


領都レーヴェンクロイツ本家の車寄せに、馭者の手綱を握る音が乾いた朝を区切った。

軽やかな靴音で階段を降りたイザベルは、裾を払って振り返る。


「ギャリソン、準備はいい? セレナの様子を見に行くわよ。あの人、また面白いことの渦中にいる気がするの」


「承知いたしました。御身の安全を第一に」


「退屈は身体に毒なの。安全だけの一日なんて、もったいないでしょう?」


小首をかしげ、瑠璃色の羽帽子を傾ける。ギャリソンは苦笑にも似た薄い息を吐き、扉を開けた。二人を乗せた馬車は、王都の石畳を軽やかに離れ、やがて畑の広がる村道へと出る。


◆到着


長い街道を揺られて数刻。王都の華やかさが遠ざかり、緑と土の匂いが濃くなる。

やがて馬車は、森の並木道を抜けた先に建つレーヴェンクロイツ本家の門前で停まった。

広い前庭には夏の花が並び、噴水が涼やかに水を跳ねている。


扉を開けた執事が深々と頭を垂れた。

「ようこそお越しくださいました、イザベル様。長旅でお疲れでしょう」


イザベルは片手で裾を払って降り立つ。

「お久しぶりね、ハロルド。セレナは? 案内をお願いしたいのだけれど」


執事の眉がわずかに曇る。

「――お嬢様は、今朝早くから馬車でお出かけになられました。ルーク様の村へ視察に、と。昼過ぎまではお戻りにならぬかと存じます」


「まあ!」イザベルはぱちりと瞬いた。

「やっぱり面白いことをしているのね、あの人。待っているなんて退屈だわ」


ギャリソンがすかさず口を挟む。

「イザベル様、道のりはさらに一時間ほどございます。お身体に障りが――」


「いいの、行きましょう。せっかくここまで来たのに、すれ違いだなんてつまらないもの」

イザベルは踵を返し、再び馬車へと乗り込んだ。羽帽子の飾り羽根が揺れ、朝の光を受けて瑠璃色にきらめく。


「退屈より、少しの危険の方がまし。ギャリソン、もう一度出発よ」


「……かしこまりました」

執事ハロルドが慌てて見送る中、馬車は再び石畳を叩いて走り出す。


向かう先は、ルークとミーナの暮らす村――。

イザベルの期待に満ちた瞳は、すでに小さな騒動の気配を嗅ぎつけていた。



◆道中


道端のヤナギが風に揺れ、どこまでも続く畝の縞模様が、波のように馬車の窓を流れていく。

イザベルは顎に指をあて、視線を落とした。


「セレナの手紙、読んだわ。“少しの間、グランフィード家の畑で実地見聞を”ですって。忙しそうじゃない」


「はい。先行して様子を確かめた者の報告では、例の新奇な作物“鈴菜”が季節外れに生り、収穫のたびに……」


ギャリソンは言いよどんだ。


「なに? 火でも噴くの?」


「いえ、音がする、と。しかも心地よい鈴の音で、周囲の者の気分に作用するやもしれぬ、と」


「心地よい音で、気分に作用? 上等じゃない。退屈しないわ」


イザベルは目を細め、窓の外に遠く見える林の端を見やった。そこから、薄く、風鈴のような音色が届いた気がした。


――リン……リン……。


◆到着


昼前、馬車はグランフィード家の畑の縁で止まった。

青空の下、整えられた畝と、そこに立つ見張りの案山子。風が渡るたび、畑の一角に群れた淡い銀緑の葉が、光のうねりを作る。鈴菜だ。葉脈のどこかに、細かな晶が宿っているのか、揺れるたびに涼やかな音が鳴る。


――チリン、リン……。


「まあ……綺麗ね」


イザベルの感嘆に、ギャリソンがわずかに口元を緩める。

だがそのとき、畝のさらに奥から、別の音が重なった。


――ポロン♪ タタン♪ ポポポン♪


「……今のは、鈴ではないな」


「楽器? いいえ……あれ、歌声じゃない?」


二人が見やる先で、トマトの籠が、わずかに弾む。

その隣のナスの籠が揺れ、ズッキーニが“くねっ”と体をしならせたように見える。錯覚だろうか。

いや、錯覚ではなかった。鈴菜の音に合わせるように、収穫済みの野菜たちが、葉や蔓やヘタをふるわせ、節をつけて鳴り出したのだ。


♪「トマトまっかに、はじけて甘い~」

♪「ナスはつややか、夜のしじまに~」

♪「ズッキーニ、ズッキュン、恋のビート~」


「ズッキュンって誰が教えたのよ!!」


イザベルのつっこみが青空にはじけた。


◆猫、踊る


さらに悪い(そして愉快な)ことに、鈴菜の輪の手前でごそごそしていた猫たち――白、黒、ぶち、縞――が、音に合わせて踊り始めた。

白猫が前足でトントンと踏み、黒猫が尻尾をメトロノームのように揺らす。ぶちは畝と畝のあいだをスライドし、縞は案山子の足元で回転してフィニッシュ。

「にゃっ、にゃっ」と短く鳴いて合図しあい、四匹は見事なカノンでステップを踏んでいく。


「あれは……即興群舞、ですな」


「“ですな”じゃないのよ、ギャリソン! 止めなさい!」


「はい」


ギャリソンが一歩、土を踏みしめる。が、土の弾力が足裏から膝、腰へと心地よく伝わり――


――チリン……リン……♪


(……足が……勝手に……)


彼の右足が四分、左足が八分、背筋がわずかにしなり、肩が拍を刻む。

完璧なワルツの導入だった。


「踊ってる場合!?」


イザベルがギャリソンの腕をつかんだ――その瞬間、両者の足が同時に“くるり”。

鈴菜の音に引かれて、見事な回転。

イザベルのスカートがひるがえり、陽をつかんだ鈴菜の葉がきらりと笑った。


◆セレナ、涼しく現る


「まあ。来てたのね、イザベル」


鈴菜の輪の向こうから、涼やかな声。

白い日傘を肩に、セレナが歩いてくる。

その後ろで、麦わら帽子のミーナが「セレナおねえさまぁああ!」と両手をぶんぶん振っていた。ミーナの足元には猫の列。リズムに合わせて“ぴょん、ぴょん”。


「セレナ、これはどういうこと?」


「わたくしにもわかりませんの。最初はただ、鈴菜の収穫を見にきただけでしてよ。ところが、この子たちが音に反応して……ふふ」


「笑ってる場合じゃ――」


「イザベルー! きいてきいて! すずな、きれいな音するのですっ!」


ミーナが両手で葉束を持ち上げ、軽く振る。

――チリン、リン。

透明な糸が空に張られ、そこへ雫が落ちるみたいに、音が広がる。

猫たちが一斉に体を弓なりにして、背中の毛がぽふっとふくらんだ。


「可愛い……」


イザベルの声が、ほんの少しやわらぐ。


◆そして、ルーク


畝の向こうから、手拭いで汗をぬぐいながらルークが姿を見せる。

「ごめん、ミーナ。鈴菜はそっと持つんだ。強く振ると――」


――ポロン♪ タタン♪ ポポポン♪


遅かった。

鈴菜の音がひと段階、合奏の主旋律に切り替わる。

さっきまで気ままに鳴いていたトマトやナスの合唱が、一斉に調律された。

ハモリが生まれ、ベースのような低い響きが畑の地面から立ち上がる。

猫たちは四列横隊をつくり、前足を肩にかけ合って――


「にゃーにゃーにゃっ♪」


「コーラスになってるわよ猫が!!」


イザベルの悲鳴に、セレナが口元を袖で隠してくすくす笑う。

ギャリソンは片方の袖をまくり、ぐっと息を吸いこんだ。


「制御に移ります」


「制御って、どうやって――」


ギャリソンは鈴菜の中心へ進み出ると、静かに片膝をつき、葉の影に集まっていた蜂たちへ掌を向けた。

「お騒がせしている。すまないね。こちらへ」


柔らかな声。蜂は刺さず、ふわりと列をつくって離れる。

次に、鈴菜の根元に絡みつきつつあった蔓を解き、葉の重なりを軽くほどく。

「音の“共鳴点”はここだ。葉脈の接触角を少しずらせば、音は鎮まる」


ルークが目を丸くした。

「ギャリソンさん、それ……」


「若い頃、楽師の運搬も少々」


「何者なんだあなたは……」


手際は淀みがなく、まるで長年の庭師のようでも、舞台裏の大道具のようでもあった。

やがて、鈴菜の輪は過度な共鳴をやめ、風鈴のような穏やかな音だけが残る。


――リン……リン……。


猫たちは最後のターンを回って、ぱたりと座り込み、息を整えながら毛づくろいを始めた。

トマトの合唱も“ふぅ”と息を吐くみたいに静まる。


「……助かったわ、ギャリソン。あなた本当に、便利ね」


「過分なお言葉です」


◆小休止と、ちょっとだけ優雅


木陰に簡易の卓が据えられ、セレナが持参していた茶箱が開かれた。

酸味のある爽やかな香りのハーブティーが注がれ、蜂蜜の薄いトーストが並ぶ。

ミーナは膝をぱたぱた揺らしながら、鈴菜をそっと撫でた。揺れないよう、猫が両側で支える――つもりで、ただ寄り添っている。


「イザベル、あなたもどう?」


「……ええ。さっきの野良舞踏会よりは、ずっと優雅だもの」


イザベルがカップを持ち上げたとき、ふと思い出したようにルークへ顔を向ける。


「ところで、鈴菜の音――市場で“癒やしの菜”として売り出すのはどうかしら。音の効能をうまく言葉にすれば、王都の婦人方に受けるわ」


ルークは苦笑した。

「うちのはまず、家で無事に扱えるかどうか、ですね。今日みたいに合唱が起きると……」


「それ、それ!」ミーナがぐいっと乗り出す。「きょうは、“にゃんにゃん合唱団”がすごかったのです!」


白猫が“にゃっ”と短く鳴き、胸を張る。

黒猫は尻尾で“ドドン”と二拍を刻み、ぶちと縞が“にゃにゃ”と小さく相槌。

イザベルは肩を震わせ、カップの縁を唇に押し当てて笑いを飲み込んだ。


「……結論。退屈しない一日になったわ。連れてきてくれてありがとう、ギャリソン」


「いえ。お嬢様のご判断の賜物で」


そのとき、畑の端で風が向きを変えた。

鈴菜が一度だけ、短く、澄み切った音で鳴る。


――チン。


まるで幕引きの合図のように。


◆帰路


夕方、馬車が畑を離れると、背後の野が黄金色の綾になって遠ざかっていく。

イザベルは窓枠に肘を預け、目を細めた。


「セレナも、ルークも、よくやっているわね。あのミーナも」


「はい。猫たちも――」


「猫の話はいいの。あれはもう、あの家の“音楽隊”として認めるわ」


「はっ」


風が頬を撫で、鈴菜の名残りの音が、どこかでまだ、ひとつ鳴った気がした。

イザベルは満足げに息をつき、羽帽子を指で押さえる。


「さて――次は、あの鈴をどう“品よく”王都へ運ぶか、考えましょう。ねえ、ギャリソン?」


「承りました。共鳴を抑える梱包と、搬送中の“猫対策”を含めて、手配しておきます」


「……猫対策、重要ね」


ふたりの短い会話のあと、車輪は軽やかに夕映えの道を進む。

今日もまた、レーヴェンクロイツ分家の一日が、少しだけ喧噪と、少しだけ音楽で彩られて終わっていくのだった。


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