ルーク、学園か?畑か? セレナ嬢再登場とミーナのお祭り騒ぎ
――その日の午後、グランフィード家の畑には、夏の終わりを告げる柔らかな風が吹いていた。
空は高く、青く澄んでいる。雲はゆっくりと流れ、どこかへ旅立っていくようだった。
畑の端に腰を下ろし、ルークは額の汗を手の甲で拭った。耕した土から立ち上る土の匂いが、胸の奥をすっと落ち着かせる。
だが、その胸の奥底には、ふとした瞬間に刺すような問いが残っていた。
(――俺は、このままでいいのか?)
農作業は好きだ。ミーナと猫たちと過ごす時間も大切だ。
でも、父や母、そしてあのセレナ嬢が言うように――もっと世界を知るべきなのではないか。
学園に行くという道を選ぶべきなのか。
答えはまだ出せずにいる。
「にぃにぃぃぃぃ――――っっ!!!」
耳をつんざくほどの声が空に響いた。
「……うおっ!?」
ルークが顔を上げると、視界に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべて走ってくるミーナ。
その後ろには、ぞろぞろと猫たちが行列を作り、土煙を上げてついてくる。
「にぃにっ、にぃにっ、今日も畑で遊んでくれるんでしょ!? じゃなくて! お手伝いしてくれるんでしょっ!」
「お、おう……遊びじゃなくて、手伝いな。手伝い」
「えへへへっ! おんなじだよぉっ!」
ミーナはスキップするように畑へ飛び込み、勢い余って畝に足を取られ、前につんのめった。
「わぷっ!」
「ミーナ! こら、転ぶぞ――」
ルークが慌てて手を伸ばしたが、その瞬間――ミーナを囲むように三匹の猫がふわりと舞い上がった。
白猫のシロ、黒猫のクロ、縞模様のトラ。
彼らはありえない高さまでひらりと跳ね、ふわっと浮遊するようにミーナを受け止め、くるりと回転して安全に地面へ着地させた。
「ふっふーん! ミーナ、空飛ぶにゃんこ部隊に守られてるから、無敵なんだよーっ!」
「お、おまえらなぁ……」
ルークは額に手を当て、思わずため息をついた。
その瞬間、背後から柔らかな声が届く。
「――まあ、本当に……猫って空を飛べるんですのね」
ルークが振り返ると、そこにはセレナが立っていた。
白いドレスに薄いブルーの羽織をまとい、涼やかな笑みを浮かべている。
長い金髪が陽光を反射し、風に揺れるたびにきらめいた。
「セ、セレナ嬢!? なぜここに……」
「もちろん、ルークさんの勉強の進捗を確認に……と言いたいところですけれど」
セレナはくすっと微笑む。
「今日はただ……あなたの顔を見に来ただけですわ」
ルークは思わず言葉を失った。
だがミーナは違った。
「セレナおねえちゃぁぁぁぁぁんっっ!!!」
叫びながら、ミーナは勢いよく飛びついた。
セレナはよろめきながらも、しっかりと両腕でミーナを受け止める。
「まあまあ……本当に、元気いっぱいですわね」
「だってね、だってねっ! にぃにがね、にぃにがね! ずっと一緒にいてくれるのっ! 遠くに行かないんだよぉぉ!!」
「……えっ?」
セレナはミーナの言葉に目を瞬かせ、そして静かにルークを見た。
ルークは視線を逸らし、土の上に置いた鍬を握りしめる。
「……学園に行きたくないわけじゃない」
「ただ、今は……まだ、ここにいたいんだ。畑にいて、ミーナや猫たちと一緒に過ごしたい」
その言葉には迷いもあったが、確かな想いが宿っていた。
セレナはしばしルークを見つめ、そしてふっと優しい笑みを浮かべる。
「――ええ。そうだと思っていましたわ」
「え?」
「あなたは、きっとそう答えるだろうと。だから……焦る必要はありませんの。ただ」
セレナはミーナの頭を撫でながら、少しだけ真剣な声色を混ぜる。
「いつでもおっしゃってくださいな。学園へ、王都へ行く準備は……すでに整えてありますから」
ルークの胸に、熱いものがこみ上げる。
彼女は信じてくれている。彼が選ぶ時が来ることを。
「セレナおねえちゃんっ! にぃにはずーっとここにいるんだもん! だからずーっと一緒なんだもん!」
「……ふふっ。そうかもしれませんわね」
ミーナの歓声が畑に響き、猫たちが輪を描くように飛び回る。
ミーナは手を広げて走り、猫たちは空を舞う。
それはまるで、小さなお祭りのような光景だった。
「にぃにっ! 今日のお祭りはね! “にぃにが遠くへ行かない記念祭”なんだよーっ!」
「はぁ!? 勝手に祭りを開くな!」
「にゃーっ!」「にゃにゃーっ!」
猫たちも鳴き声で賛同する。
セレナはそんな光景を見て、思わず吹き出した。
「本当に……にぎやかで、幸せな畑ですこと」
ルークは苦笑しながらも、その言葉に心が和らぐのを感じた。
――そうだ。
俺はまだ、この場所にいたい。
だが、いつかきっと。もっと広い世界を知らなければならない。
そう思いながらも、いまはただ。
ミーナの笑顔と猫たちの舞い、そしてセレナの優しい眼差しに包まれて――。
ルークは鍬を置き、肩の力を抜いた。
「……今日も悪くないな」
つぶやいた声は、風に溶けて、青空へと消えていった。