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気分転換!ルークの全力農作業デー

 朝の空気は、どこか清々しく澄んでいた。夜露を含んだ葉が陽光を浴びてきらめき、風がそよぐたびにさわさわと音を立てる。小鳥たちが小さな声で鳴き交わし、遠くからは牛ののんびりした声。――そんな、田舎の平和な朝。


 その静けさを打ち破るように、ルークが勢いよく家の扉を開け放った。


「よし! 今日は一日、全部農作業にかけるぞ!!」


 やけに力強い宣言だった。しかもまだ朝ごはん前である。


 母レイナが台所から顔を出して、ぱちぱちと瞬きをする。金色の髪が朝日を受けて輝き、その美貌はさながら絵画のようだが、言葉は極めて素朴だった。


「……ルーク? 急にどうしたの?」


「気分転換だよ! 勉強ばっかりじゃ頭が固くなる。俺は農家だ! 畑に出て、土と太陽と作物に向き合わないと!」


 その声はやけに張りがある。……昨晩、父アベルに「本当に自分が何になりたいか、考えてみろ」と真剣に言われたことが、ルークの心にじんわり効いていたのだ。

 しかし、それを正直に言うのは照れくさい。だから「気分転換」と強調している。


「にぃに~~っっ!」


 そのとき、階段をどたばたと駆け下りる足音が響き、ミーナが勢いよくルークに飛びついた。顔をぱぁっと輝かせ、目をキラキラとさせている。


「にぃに、畑行くの!? わぁぁぁ~~~、ミーナもいくっ! ぜったい一緒にいくっ!」


「おい、ちょっ……ミーナ、まだ朝ごはん――」


「ごはんあとで! 今いくの! にぃにと畑っ! はたけっ!」


 ルークは、わけがわからないくらいにテンションの高い妹に押され、押され……気づけば玄関先で長靴を履かされていた。


「……おい、俺の気分転換が早くも騒音に包まれてる気がするんだが」


「えへへ~! にぃにと畑だぁぁぁ! ねこたちも、いくっ!」


 呼ばれた猫たち――茶トラのバオア、黒猫のクー、三毛のミュウ、白猫のシロ――が、ぞろぞろと庭先に集合した。どの子も「当たり前だろう」と言わんばかりの顔をしている。

 しかもバオアは、なぜか畑用の小さな帽子を被っていた。いったいどこから持ってきたのか。


「……猫まで気合い入ってるな」


「にぃにのためにゃ!」「畑はぼくらの遊び場にゃ!」「土! 虫! とりゃぁ~~!」「まぶしいにゃ~~!」


 四匹四様に鳴き、もうすでにカオスである。


畑に到着!


 ルークが鍬を肩に担ぎ、ミーナが水桶を両手で抱え、猫たちがわらわらとついて行く。

 畑にたどり着くと、夏の日差しが広がっていた。まだ朝なのに、青空は鮮やかで、ひまわりのように伸びるトマトの苗や、瑞々しく葉を広げるキュウリたちがまぶしいほど。


「……やっぱり畑はいいな。勉強も大事だけど、俺はこの光景が好きだ」


 ルークは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

 しかし次の瞬間――


「にぃに! ミーナも鍬するっ!」


「え? お前に鍬はまだ早い――」


「えいっ! えいやぁっ! ……あっ!」


 鍬の柄を振り回したミーナは、見事に自分の長靴の先をガツンと打ち、しりもちをついた。


「いったぁぁぁぁ!! ミーナのあしがぁぁぁ~~!」


「だから言っただろ!!」


「えへへへ……でも、たのしいっ!」


 痛みより楽しさが勝っているらしい。にぃにと同じことをする――その事実が、彼女には何より嬉しい。


 その隙に猫たちは勝手に耕した土に飛び込み、ゴロゴロ転がり始めた。

 黒猫クーは虫を追いかけて飛び跳ね、バオアは土を掘り返し、シロは苗の陰で昼寝を開始。ミュウは……なぜかスイカのつるをかじっていた。


「こらーーーっ! 苗を食うな!!」


「にぃに、大丈夫だよ! スイカはおっきくなるから、ちょっとかじってもいっぱいあるよ!」


「そういう問題じゃねぇ!!」


水まき大作戦?


「じゃあ、ミーナは水まきするっ!」


 ミーナは張り切って桶を持ち上げる。だが重すぎて、ふらふらと前後に揺れる。


「おい、危ないから半分にして――」


「だいじょうぶ~~! ミーナはちからもちぃぃぃっ!」


 叫んだ瞬間、バシャアァァァッ!!

 ――水は見事にルークの頭から降り注いだ。


「……俺は畑じゃなくて水やりされてるんだな?」


「にぃにが、しゅるしゅる~~ってなったぁぁ! わぁぁ! おもしろいっ!」


 ミーナはお腹を抱えて笑い、猫たちはびしょ濡れのルークを見て大合唱した。


「にゃははは!」「ずぶぬれにゃ!」「ぴっちょぴちょにゃ!」「お魚みたいにゃ!」


「お前ら……ほんっとに容赦ねぇな……」


 それでも、ルークの顔は怒っていなかった。むしろ少しだけ、肩の重荷が外れたように見える。


ひと休み


 昼前には、ミーナも猫たちも泥だらけになっていた。ルークも髪がぐしゃぐしゃ、服も泥と水に染まっている。

 大惨事のようで――でも、どこか心地よい。


 ミーナが土の上に寝転び、青空を見上げて言った。


「にぃに~……たのしいねぇ……」


「……そうだな。すげぇ疲れたけど……悪くない」


 その言葉に猫たちがぴょんと飛びつき、全員でルークの胸や腹の上に陣取る。

 重たいが、温かい。


「にぃに、ずっといっしょに、畑しよっ!」


「お前……将来は農家じゃなくて、ただの泥んこ遊び名人になりそうだな」


「えへへへ! でも、にぃにといっしょが、いちばんだもん!」


 その無邪気な笑顔に、ルークは思わず目を細めた。

 勉強も将来も悩むことは多い。だが――こうして妹と猫たちと畑にいる時間が、何よりも自分を支えていることだけは確かだった。



『畑と夕暮れと、みんなのごはん』


 陽が傾き始め、畑の上には金色の光が差し込んでいた。昼の熱気を吸い込んだ大地はまだ温かく、葉の一枚一枚が鈍い光を返す。昼間、夢中になって耕した土には新しい畝が伸び、そこには朝よりも深い影が落ちている。


「にぃにー! 見てー! おっきいにんじんがとれたぁ!」

 ミーナが泥だらけの手を掲げ、誇らしげに叫んだ。腕ほどもあるにんじんは、まるで宝物のように彼女の小さな掌に収まっている。


「おお、本当に大きいな」

 ルークも思わず目を丸くする。昼から無心で畑を耕し、雑草を抜き、肥料を撒いた。その甲斐あってか、収穫も心なしか鮮やかだ。


「にんじん、にんじーん♪ にぃにと食べるにんじーん♪」

 鼻歌を歌いながら踊り出すミーナ。その足元では猫たちがぞろぞろとついていき、にんじんにちょっかいを出しては転がそうとする。


「こら、かじるな! それは晩ご飯だぞ!」

 ルークの声も空しく、茶トラ猫がガブリと葉先に噛みつき、黒猫はごろんと転がって葉を引っ張る。やれやれと肩を落としながらも、ルークの頬はゆるんでいた。


 ふと空を見上げると、茜色のグラデーションが広がっている。昼間の気負いが少しずつほどけていくような、やわらかな色だった。


 そのとき。


「まあまあ、今日はずいぶん畑がにぎやかね」

 背後から聞き慣れた声がした。振り返れば、アベルとレイナが並んで立っている。アベルは腕を組み、いつもの無骨な笑みを浮かべ、レイナは薄衣の裾を押さえながら優しくこちらを見ていた。


「父さん、母さん!」

「おかえりなさいーっ!」

 ミーナが駆け寄り、両親の手を取る。アベルは娘を抱き上げ、ぐるんと一回転させてから下ろした。


「おまえら、いい汗かいてるな。ほら、その土だらけの顔……まるで戦場から帰ってきたみたいだぞ」

「た、戦場って……父さん」

「ふふ、でも誇らしげで、とても良い顔をしているわ」

 レイナは微笑み、ミーナの額についた泥をそっと拭った。


「今日は俺が主導で作業したんだ。ほら、見ろよ。畝もきれいに揃えたし、雑草も抜いた」

 ルークが胸を張ると、アベルはうんうんと頷いた。

「そうか、やるじゃないか。農夫の姿も、戦士の姿も悪くない。大事なのは、自分の力で汗を流し、得るべきものを得ることだ」


「お父様、それに……」

 レイナは穏やかに畑を眺めながら続ける。

「この土の匂い、夕暮れの風……どんな学問にも勝る、尊い学びがここにはあるわね」


 ルークの胸にじんわりと温かさが広がった。昼間はただ必死に「何かをしなければ」と焦っていた。けれど今は、手の中の野菜の重みや、泥だらけの妹の笑顔、両親の視線の温もりが、確かな答えのように思えた。


 その日の夕餉。


 食卓には、今日収穫したばかりの野菜が並んだ。にんじんのグラッセ、瑞々しいレタスのサラダ、香ばしく焼かれたトマト、そしてルークが自ら掘り起こしたじゃがいもを使ったシチュー。

 湯気が立ちのぼり、香りが部屋いっぱいに広がる。


「いただきまーすっ!」

 真っ先に声をあげたのはミーナだった。両頬をふくらませてサラダをほおばる姿は、見ているだけでこちらの心まで満たされる。


「うん、甘い! このにんじん、すっごくあまいよ!」

「本当だな。市で買うやつより、ずっと味が濃い」

 ルークもシチューを口に運び、思わず笑みがこぼれた。


「お前が手をかけたからだ。作物は正直だからな」

 アベルはそう言って、息子の皿に肉をひと切れ添えてやる。

「父さん……」


「ええ、きっとこれからも迷うことはあるでしょう。でも今日みたいに、家族と共に汗を流し、喜びを分け合えたら……それは何よりの力になるわ」

 レイナの声は、焚き火のように柔らかく響いた。


 その言葉にルークは深く息を吸い込み、少し照れたように笑った。

「……ああ。今日も、悪くなかったな」


 ミーナが「にぃに、にぃに!」と無邪気に頷き、猫たちは足元で丸くなりながら、のんびりと喉を鳴らしていた。

 窓の外では、夜の帳がゆっくりと降りていく。家族の笑い声は、星の瞬きよりも温かく、静かに家を包んでいった。

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