ギャリソン外伝・第三話
「ギャリソンとアベル、若き日の語られぬ誓い」
◆冒頭──静かな再会
午後の風が、軒先に吊された干し草をやさしく揺らしていた。
アベルは井戸端で手桶の水を汲みながら、ふと気配に振り返った。
「……よく来たな、ギャリソン」
小道の向こうから歩いてきたのは、旅装を崩さぬままのギャリソンだった。
王都から数日ぶりに戻ったその姿は、どこかほっとしたようでもあり、疲れの色もわずかに浮かんでいた。
「ご無沙汰しております。突然の訪問、失礼いたします。アベル様」
「よせよ。今さら“様”づけなんて水くさい」
アベルは笑いながら、そばの桶に手を突っ込んで手を洗った。
「――まあ、顔を見せてくれて嬉しい。入っていけ。夕方には飯も炊ける」
「では、お言葉に甘えて。……ミーナ様は、お元気ですか?」
「元気すぎて、猫と一緒にスイカを転がしてるよ。もう少しで納屋が潰れるところだった」
「……それは実に、想像が容易ですね」
ふたりは顔を見合わせて小さく笑った。
かつての主従でもなく、ただ古い付き合いの男同士として、風の吹く夕暮れの土間に立っていた。
◆回想──あの頃のふたり
十数年前。
王都のグランフィード本邸。貴族の子息たちが社交と政治を学ぶ場で、ふたりは出会った。
アベルは常に“後ろ”にいた。
完璧すぎる兄、クラウスの影。
嫡男ではない、次男という立場。
優しく、聡明で、しかし“野心”を語らぬ男。
一方で、ギャリソンは使用人の家系出身。だが若くして宮廷仕官に推挙されるほどの才を持っていた。
ふたりは、いつしか自然と共にいるようになった。
「クラウス兄上のようにはなれないよ。僕は、ああいう風に“自分の正義”で人を導けない」
「正義など、そうたやすく語れるものではありません。ですが、“自分にしかできない役割”というものはあるはずです」
「たとえば?」
「“黙って耐える者”がいるから、“声を上げられる者”が存在できるのです」
「……君ってさ、言葉の選び方がいちいちずるいよな」
「しばしば言われます」
アベルは静かに笑い、ギャリソンもわずかに口元を緩めた。
それは、貴族と仕官という立場を超えて、互いに「支え合う」関係だった。
◆沈黙の時──決裂
だが、ふたりの間にはやがて避けがたい「溝」が生まれた。
それは、とある政治的事件――王都で起きた、“ある貴族家の粛清”だった。
王命を受けてその任に就いたギャリソン。
その裏で、アベルは密かに、粛清対象となった貴族の娘を庇っていたのだ。
「どうして……あんなことを」
「彼女は罪人じゃない。家が悪いからって、すべてを焼き払うのは間違ってる」
「それは“正義”ですか? “情”ですか?」
「両方さ。君にはできないことだっただろう? 君は“王命”に従うしかない立場だから」
ギャリソンは答えなかった。
その日を境に、ふたりは互いに言葉を交わすことなく、別々の道を歩むようになった。
◆現在──“かつての誓い”を超えて
「……クラウス兄上は元気かい?」
「王都ではお忙しいようです。なにぶん、グランフィード家の柱ですから」
「……そうか。あの人に、僕は何一つ返せてないな。家名も、役職も、兄上に任せきりで、僕は辺境で農夫まがいの生活だ」
「そうは仰いますが、“ここ”を守るということは、何より価値のある選択です。私には、それがわかる」
「君も、ここに来てくれてるんだもんな。……なんだかんだで、“昔の約束”は、まだ残ってるのかな?」
ギャリソンは、その問いにゆっくりと頷いた。
「“どちらかが倒れたとき、もう一方が立つ”。あの誓い、私は忘れておりません」
「なら、お願いしてもいいかな。……僕の代わりに、ルークとミーナを見てやってくれ」
「もちろんです。すでに過保護気味に見守っておりますので」
「ははっ、それは安心だな」
◆ギャリソンの本音
夜、屋敷の一室にて。
ギャリソンは一人、書き物をしながら小さく呟いた。
「……“忠義”とは何か」
それは、かつてギャリソンが王命に従い、アベルと袂を分かったときから、彼の胸にずっと刺さっていた問いだった。
「私が守ったものは、正しかったのか。“あの時”、黙ってアベル様に手を貸すという選択肢も……なかったわけではない」
けれど、今。
アベルがこの村で家族を守り、土を耕し、誰よりも「優しく、たくましく」在る姿を見て、ギャリソンはこう思う。
(正義とは、時に後悔にまみれる。だが、誓いは、悔いを超える力を持つ)
◆エピローグ──変わらぬ距離、変わったもの
「ギャリソン、明日はミーナと畑仕事頼んでもいいか?」
「はい。……ただし、ミーナ嬢が“剣を振り回す時間”は、少しだけ控えめにお願いしたいですね」
「まったく、誰に似たんだか……」
ふたりは、いつものように短いやり取りを交わす。
その関係は、昔と違って“完全な対等”ではない。だが、だからこそ、互いの背中を預けられる。
ギャリソンは、ふと胸元にある古びた小さなメダルを見つめた。
それは、若き日にアベルと交換した「誓いの印」。
今も静かに――ギャリソンの胸に、灯っていた。