ギャリソン外伝 ―若かりし日の記録―
「波乱万丈との出会い」
◆◆◆
かつての王都は、今よりも少しだけ素朴で、少しだけ混沌としていた。
その街角に、無口で生真面目な若者がひとり、丁寧に帽子を直しながら立っていた。名をギャリソン・ハイドフェルド。若干十九歳。王都の執事育成学院を優秀な成績で卒業し、就職先を探していた青年だった。
「……“波乱万丈”様、ねえ」
王都の片隅にある石造りの館。その主の名前を聞いたギャリソンは、眉ひとつ動かさず門を叩いた。
◆「すべては波乱から始まった」
波乱万丈――
名ではない。仇名だった。本名は不明。戸籍上は存在するが、実態を知る者はいない。かつては軍属、貴族、商人、旅人……噂が多すぎて、何が本当なのか誰にもわからなかった。
だがただひとつ、“王都の裏路地に屋敷を構え、何かと面倒事を引き寄せる人物”という点だけは、すべての証言が一致していた。
「ギャリソン君か。真面目そうで何よりだ。ちょうど、前の執事が逃げてしまってな」
開口一番、波乱万丈は笑って言った。年齢は四十代前半。緑髪を後ろで結び、細身のスーツをくたびれた雰囲気で着ている。目つきは鋭いが、どこか楽しげで、何よりも“嘘がつけない顔”をしていた。
「まずは茶でも」
「……失礼します」
案内された応接間は、なぜか天井からロープがぶら下がっていた。隅の壁には弓と盾、棚には鱗付きの未知の果実が詰まった瓶が並んでいる。
「ここは……?」
「趣味だよ。いや、人生そのものと言ってもいいな!」
ギャリソンは静かに茶を淹れながら、「この人物には関わってはいけない」と心で唱えていた。
が、その直後――
「……さて。君には、今夜の逃走計画の補佐をしてもらいたい」
「……は?」
◆「王都・裏路地にて」
波乱万丈は、“王都の地下地図”を開いて言った。
「地下に流れてる旧水道管を通れば、南門の見張りを避けて外に出られる。いや、私が逃げるんじゃない。彼女がだ。彼女って言っても、ドラゴンのことだが」
「ドラゴン……?」
「小型だが火を吐く。今は裏庭で静かにしているが、気性が荒くてね。護符を噛ませてるが、あまり長くは保たん」
ギャリソンはふと思った。
──これは試されているのかもしれない。王都のすべてを見渡し、裏を知り、奇人変人を従える者の補佐。それは執事としての究極の試練であると。
「承知しました。案内いたします」
◆「さようなら、波乱の夜」
その夜、ギャリソンと波乱万丈と小型ドラゴンは、王都の地下を抜けた。
地図はところどころ改修されておらず、ギャリソンは真っ黒になりながらも道を切り開いた。
そして、明け方。
「……ありがとうよ、ギャリソン君。やっぱり、あんたに頼んで正解だった」
「どちらへ?」
「どこでもないよ。どこへでも、だ」
そう言って、波乱万丈は街の靄に溶けていった。
ギャリソンの手には、一枚の銀貨と、黒い羽根のような護符だけが残されていた。
◆「現在──そして猫たちの視線」
時は流れ、ギャリソンはグランフィード家に仕え、今や完璧無比の執事と称されるようになっていた。
だが──猫たちは見ている。
時折、ギャリソンが夕暮れの空を見上げて、静かに銀貨を指で転がす姿を。
「……にゃ(あれ、なんか過去あるな)」
「にゃにゃ(あれは、過去に“波乱”を抱えてる顔です)」
そして、今日もギャリソンは語らない。
なぜ完璧なのか。
なぜ笑わないのか。
なぜ誰よりも“人を支える”ことに長けているのか。
ただ、ひとつだけ分かることがある。
彼の中には、“波乱”がずっと息づいているのだ。