『旅する案山子』
むかしむかし、
ひとりぼっちの案山子がいました。
赤いマントをひらりとはおって、
広い麦畑のまんなかに、ずっと立っていました。
風がふくたび、案山子は言いました。
「ぼくも、どこかへ行ってみたいなぁ。旅がしてみたいなぁ」
でも、案山子は、足がありません。
だから、鳥たちに話しかけました。
「こんにちは、ツバメさん。ぼくを、どこか遠くへ連れていってくれませんか?」
ツバメは首をふって、こう言いました。
「あなたの体は、わらでできてる。風にのれば、こわれちゃう。
でも、風の話を届けてあげるよ」
ツバメは空にとびたって、風のにおいをたくさん持ち帰ってきました。
南の島のココナツの香り。
北の国の氷のきらめき。
砂漠の夕焼けの、赤いひかり。
案山子は目を閉じて、耳をすませました。
「ありがとう、ツバメさん。なんだか、すこし旅した気分です」
つぎに、ねずみがやってきました。
「案山子さん、ぼく、街に行くんだよ。チーズのお店がいっぱいあるんだ」
「いいなぁ……ぼくも街、見てみたいなぁ」
「うーん……カバンに入れたら、ぎゅうぎゅうになっちゃうし……」
ねずみは頭をかきかき。
「じゃあ、街のうた、持ってくるよ。ぴかぴか光る看板のうた!」
案山子はうれしそうに笑って、
その日から、風のにおいと、街のうたを、毎日くりかえし口ずさむようになりました。
──でも。
やっぱり、旅はできません。
雨の日も、風の日も、案山子は畑に立ちっぱなし。
ある晩。
ぽつんと、つぶやきました。
「……やっぱり、ぼくは、ただの案山子だなぁ」
そのとき。
「そうかなぁ?」
やさしい声がしました。
麦畑のはしっこに、小さな女の子が立っていました。
「あなたのおはなし、毎日きいてたよ。ツバメさんとおしゃべりしてるのも、うたをうたってるのも」
「……きみ、見てたの?」
「うん」
女の子は、てのひらをひろげて、
案山子の手にそっと、赤いリボンをむすびました。
「旅ってね、足がなくても、できるんだよ。だって、ここに、あなたのうたがあるもん」
案山子は、ふしぎと、ぽかぽかした気持ちになりました。
「ぼく、旅……してたのかな」
「してたよ。風にのって、うたって、ここで出会った。旅して、たどりついた」
「ありがとう」
案山子の目が、うっすらと光った気がしました。
その夜から。
案山子は、まいにち、旅のうたをうたいます。
風のうた。
街のうた。
そして、女の子と出会った日のうた。
誰かが迷ったとき、
さびしくなったとき。
麦畑のなかに行ってみてください。
赤いマントを着た案山子が、
そっと、あなたをむかえてくれるでしょう。
「ようこそ。旅人さん──」
--- おしまい ---