王都のマダムを救え! 〜野菜が世界を変えるのです〜 その一
【第1話】王都の不調とイザベル嬢のため息
王都エルデン──
石畳が整えられ、噴水が奏でる音と香水の匂いが漂う、貴婦人たちの社交の街。
だが今、その華やかな一角に、どこか陰りが差していた。
「最近、どうにも疲れが抜けなくて……」
「ええ。わたくしも。お肌の調子が優れなくて、朝の化粧が乗らないのよ」
「それに……あの、言いづらいのだけど、お通じの方も……」
声を潜めた会話が、ティーサロンの白磁のカップの間を飛び交っていた。
美しい装いの奥に、不調を抱える令嬢や奥方がちらほら。
まるで季節の流れとともに、目に見えぬ倦怠が街全体に広がっているかのようだった。
その中心にいる一人──レーヴェンクロイツ分家の令嬢、イザベル。
豪奢な金糸の椅子にもたれかかり、サロンの隅に座るその姿は、いつもの気品を保っていた。
だが、よく見れば、その指先はわずかに震え、紅茶の湯気に目を細めるその横顔には、深いため息が混じっていた。
「……ギャリソン」
「はっ、いかがなさいました、イザベル様」
傍らに控えていたのは、忠実なる執事ギャリソン。
白手袋に包まれた手でさっとナプキンを整えながら、イザベルのわずかな表情の変化を見逃さない。
「このところ、体の重さが抜けなくて。鏡を見るたびに、肌がくすんでいるような気がして……」
「お疲れが溜まっているのでございましょうか。いっそ、しばらく療養にでも」
「療養だなんて。そう見られたら、また何かと噂されるわ。……でも本当に、なんだか変なのよ」
ギャリソンは静かにうなずいた。
この数日、イザベルだけでなく、王都の貴婦人たちの間で同じような訴えが相次いでいた。
名医を呼んでも「疲労」「気のせい」程度で済まされ、決定打はなし。
(──これは、何かおかしい)
ギャリソンは胸の内でそう思っていた。
「少し、調べてみます。何か手がかりがあるかもしれません」
「お願いね、ギャリソン」
イザベルはふと窓の外に目を向けた。
秋の光に照らされた街並みは穏やかだったが、どこか沈んだ空気を帯びているようにも見えた。
◆
王都の市場──
ギャリソンは、ふだんは足を踏み入れない庶民の市場へと足を運んでいた。
婦人たちの不調の原因が、医者にもわからないなら……日常の中にこそ、鍵があると考えたのだ。
「最近、野菜の出が悪くなったな」
「葉物がねぇ。夏の終わりからずっと値が高くて、買う人も減ってるよ」
「お金持ちだって、みんなパンばっか買ってくんだ。肉と菓子でお腹満たせるならってね」
──そうか。
ギャリソンは確信した。
この国の、特に貴族たちは美食を好む。だが、野菜の摂取は後回しになりがちだ。
味気ないと思われがちで、食卓には彩り程度にしか載らない。
加えて、ここ最近の高温と日照不足で野菜の流通が減っている。
つまり──
(野菜不足による、慢性的な栄養失調……か)
確証はまだないが、彼の中でそれは強い仮説となった。
◆
その夜、ギャリソンは一本の手紙をしたためた。
宛名は、かの田舎に暮らす青年──ルーク・グランフィード。
彼は、過去に“例の調味料”を生み出し、王都の料理人たちに静かな衝撃を与えた人物である。
ギャリソン自身、以前ルークの元を訪れた経験がある。
(今、必要なのは医者ではなく、知恵と野菜……)
イザベル様の不調を癒すため、
そしてこの国の婦人たちを救うため──
再び、あの田舎の青年の力を借りる時だ。
封を閉じた手紙は、黒羽の鷹によって、静かに空へと放たれた。
◆
そのころ、グランフィード家の裏庭では──
「おにぃ~、このキャベツの芯、カタいのですぅ……」
「ミーナ、収穫するときは下から包丁を入れるんだってば」
「ふぇぇ……むずかしいのですー……!」
まだ、何も知らぬルークとミーナが、のんびりと野菜の世話をしていた。
彼らの手元に、運命を変える一通の手紙が届くのは──
もう間もなくだった。