ルークのコーヒーバカ一代 その1
第一話 赤い実の謎 〜はじまりの一杯を求めて〜
――グランフィード家の朝は早い。
霧の残る空の下、畑の脇に佇むルークは、眠たげな目をこすりながら大きなあくびをひとつ。
「……ああ、前の世界の“あれ”が恋しい……」
“あれ”とは、そう――コーヒーである。
コクと苦味、鼻を抜ける香ばしい香り。
頭の中で思い出すだけで、体が目覚めるような気がした。
「一杯……一杯だけでいいんだ……頼む、異世界……!」
ルークは切実に願った。だが、この異世界に“コーヒー”なるものは存在しない。
彼がいくら「カフェ」や「珈琲豆」と言っても、周囲の反応は「それって食べられるの?」止まりだった。
だが――運命は、思いがけないところから訪れた。
その日、グランフィード家に優雅な馬車がやってきた。
降りてきたのは銀髪の令嬢、セレナ・フォン・レーヴェンクロイツである。
「ルークさん、これ、珍しい実が手に入ったの。見てくださる?」
箱を開けたセレナが取り出したのは、小さな赤い果実。
表面はツヤツヤしていて、ほのかに甘酸っぱい香りがする。
「ちょっとだけチェリーっぽい香りがして、口に入れると酸味が広がるの。でも、果肉はとても薄いのよ」
セレナが差し出した一粒を口に入れたルークは、ハッと息を呑んだ。
「この感じ……どこかで……!」
薄い果肉の中に、小さな種が二つ。
なめらかで、中央にわずかな筋がある――
「……コーヒー……だ!」
ルークは叫んだ。
「セレナ! これ、コーヒーだよ! たぶんだけど!」
「コーヒー……?」
「この実の中の“種”! これがコーヒー豆なんだ!!」
驚くセレナの横で、ルークは一人テンションMAX。
「ああ、思い出したぞ……前世のオレが読んだ知識……! そうだ、まずはこの赤い実の果肉を取って、種を……発酵させて、乾燥させて……焙煎して……!」
「る、ルークさん!? いきなり何を言っているの……?」
「ありがとうセレナ! この実……いくつか譲ってもらえないか!?」
「え? ええ、もちろん構わないけど……これ、そんなにすごいものなの?」
ルークはぐっと拳を握った。
「俺は……この異世界でもう一度、コーヒーを飲む!!」
セレナは少し呆れ顔だったが、ルークの真剣な目を見て、思わず笑ってしまった。
「ふふ……ルークさんがそこまで言うのなら、応援してあげるわ」
◆◆◆
調理小屋に戻ったルークは、さっそく赤い実の果肉を剥き始めた。
「これが……ドリップの第一歩……!」
だが、その様子を、テーブルの下から熱い視線で見つめる影があった。
「にゃ……」 「にゃにゃ?」
猫たちである。
「お、おい、これは食べ物じゃないからな!? まだ“豆”にする段階なんだからな!?」
ミーナまでやってきて、首をかしげる。
「にぃにぃ、それ……食べられるの?」
「いや、今はまだ無理。けど……これをちゃんと処理すれば、すっごく美味しい“飲み物”になるんだ!」
「のみもの? 甘いの?」
「うーん、ちょっと苦いかも……でも、大人の味ってやつかな」
ミーナは眉をひそめる。
「ミーナ、あまいのがいいのです……」
「はは、まあまあ。これはおにぃの夢だから、付き合ってくれよ」
そう言ってルークは、取り出した実の果肉を水で洗い、日陰に並べ始めた。
「さぁ、次は乾燥だ。晴れの日が続けば……数日でいける」
猫たちは列をなして、順番に豆を眺めたり、匂いをかいだり。
「にゃー(これは食えない)」 「にゃっ(でも気になる)」
「おい、鼻水とか垂らすなよ!? 一粒一粒が貴重なんだからな!?」
ルークの真剣な叫びが、秋の農村に響き渡る。
◆◆◆
そして数日後。
天日干しの結果、豆はカラカラに乾燥し、茶色っぽく色づいていた。
「これが……生豆……!」
触ってみると、ほんのりと固く、芯まで水分が抜けている。
「やった……やったぞ、俺……! ここまで来れば、あと少し……!」
ルークの胸に、異世界初の“マイ・ブレンド”への情熱が灯る。
「ふふ……“コーヒーバカ一代”、いよいよ始まるな……!」
――こうして、ルークの異世界コーヒー道は幕を開けたのだった。
(第一話:完)