2話
(あの大雨だ、足跡は流石に残らないか)
山賊を追うと意気込んだのはいいが、手掛かりはノラから聞いた二人の面相と背格好だけ。国軍のハーフプレートを身につけた、長髪の男女二人組。まだ若く顔はかなり似ていた様で兄妹の可能性がある。
「仕方ない、力を借りよう」
ぬかるんだ地面に石灰で不恰好な陣を描いて墓土と屍蝋の入った瓶を中心に置き、魔術発動の準備を始める。
「墓所の夜霧 柳の老樹 虚淵の巡礼 還るは先触れ《コールエンヴォイ》」
俄かに光を帯びた魔術陣の中心にある瓶の中身が黒い粒子となって霧散したかと思えば、その下にある地面が突如盛り上がった。
その中から現れたのは、様々な骨によって組み立てられた、人の上半身を模った浮遊する構造物。
「要件を」
死と、大地より下にある全てを司る神、『ユド』。それを模したとされる老人の嗄れた声で『屍の先触れ』が口を開いた。
「この地にて朽ちた弔われぬ屍達に質問を願いたい」
先触れは神とその領域、そして召喚者を仲介する精霊に近い存在であり、召喚に費やした代償に応じてこちらの要望を聞き入れてくれる。
「よかろう。問うが良い」
今回捧げたのは召喚を成功させる最低限の代償、幾つかの質問に答えてくれるのが精々だろう。
「元拷問官、ハバキが問う。今日この山道で、少女二人に詐欺を働いた長髪の男女が居る。彼らの現在地と向かう先、想定される移動経路を知りたい」
暫くの沈黙の後、先触れは両手をこちらに向けながら、屍の目と耳から得た情報の伝播を始めた。
「山賊が使う獣道で、北西にある隠し酒場に向かっている。詳細は地図に記す」
地図を手渡しながら、発覚した新事実について考える。冒険者になってから半年、クオータを拠点に活動してきたが、付近に隠し酒場があるのは初耳だった。
「要件は、聞き届けられた」
情報が記された地図を返すと、抜け殻となった先触れの体はがらがらと崩れ、あっという間に小さな骨の山に戻った。
それを確認して思わず胸を撫で下ろす。寛大のユドに仕える存在だからか、屍の先触れは後払いができる。代償に見合わない要望でも、叶えた後に不足分の徴収を行うのだ。
(これは……町外れにある廃坑じゃないか)
地図を確認すると、黒ずんだ印が付けられたのは落盤が続き10年以上前に閉山した古い炭坑だった。その中に酒場が隠されていたということだ。
そして賊の二人組と炭坑を繋ぐ予測ルートはかなり入り組んでおり、見たところ衛兵を避けて森を移動するための獣道らしい。
山道を使って一直線で向かえば、賊が目的地に到着する前に余裕で追いつき待ち伏せを仕掛けられるはずだ。
(馬でも借りておけば楽ができたのにな)
今更考えても仕方のない事だが、それでも後悔せずには居られないほどに、雨水の染み込んだ上着は嫌気がさすほど重かった。
*
雲の切れ間から差した光は、既に夜を迎える直前に見る深橙の夕日だった。
待ち伏せに適した岩場を見つけ身を隠して機会を窺っていると、色んな不安が湧き上がってくる。
(よく考えたら山の中って向こうのホームグラウンドじゃないか、俺みたいな素人の待ち伏せが通用するのか?)
(この半年の間、殆ど人間を相手に戦っていないぞ)
(そもそも俺より先にここを通っていたらどうするんだ?例の酒場まで追いかけるのか?)
……
(楽しくなってきた)
「でも兄貴、本当に通行料だけでよかったのかよ?絶対もっと溜め込んでたぞあのガキども」
薄闇の中、茂みを掻き分けて現れた二つのシルエットを視界に捉える。この時間に松明を無しに山を歩けるってことは、暗視系のスキルでも身に付けているのだろう。
「必死な形相した子供にあれ以上のことをする気にはなれないよ、それにこれだけあれば薬代を払っても多少は残る。久々に美味しいものでも食べよう」
かろうじて両方とも長髪であることは確認できた。あとは奴らが罠にかかるのを待つだけだ。
「もー、そんなだからいつまで経っても稼げないんだよ!母さんのためにもしっかりしてよ!でも美味いもん食うのはさんせー」
妹と思われる女、続いて兄の顔が沈む夕日の残光に照らし出される。二人とも山賊や野盗とは思えぬ端正な顔立ちをしている。
「そうだね、次は今日みたいにすんなり行くとは思えないんだけど……ッ!」
罠に気付いたのだろう、即座に陣から距離を取る兄に続いて、妹の方も臨戦体制をとる。
「《ブロウ》!」
詠唱を省略しても一部の魔術は発動するが、威力や射程の低下などデメリットが発生する。
(だがいい判断だ)
弟(仮)が発動したの魔術は強風で目の前の標的を吹き飛ばすという単純なものだが、詠唱を省略すると風力が分散し周囲に強風を巻き起こすだけになる。
カモフラージュ用の枯葉を飛ばし、石灰で描かれた陣を無力化するには、十分に効果的だ。
(なるほどこれはマズいな)
罠は消え去り、退路も確保しされた。このタイミングで、相手が逃げないわけがない。
ハーフプレートとは言え金属鎧の重さを全く感じさせない動きで、二人は森を目掛けて駆け出す。それも飛び道具を警戒した軌道の読めない軽快なステップで。
こうなってしまったら、プランBだ。
「あー!困ったなあ!詐欺で稼いだ金が欲しいだけなんだけどなあ!二人に逃げられちゃあ、お袋さんのところにお邪魔するしかなくなっちゃうなあ!」
大声を張り上げながら、松明をつけ岩陰から姿を晒す。
「っ!!」
お袋というワードに反応を示し、妹の方は思わず立ち止まる。しかしそれを確認しても尚、兄はそのまま茂みの中へと姿を消した。
「話を聞くんじゃない、ブラフだ!」
木立の合間から兄の声がする。視界から離れてはいるが、妹を置いていけるほど冷淡な男でもないらしい。
「知ってるぞ?お袋が病気なんだってなぁ!今日盗った金も教会の布施に回して薬貰うんだってえ?年端もいかないガキ殺して稼いだ金だと知ったらお袋どう思うんだろうなああ?!」
妹が完全にこちらに向き直った。担いでいたクロスボウをこちらに向け、怒りに顔を歪ませている。
「こ、殺してなんかいない!あたし達はただ!」
「ばああああか!関所前で立ち往生してたんで話を聞いた後二人ともぶち殺したぜえ?!元はと言えばてめぇらが通行料を騙し取った所為だよなああぁ?!」
「う、うわあああ!!」
堪えきれなくなった妹が弩を放つが、動揺の只中で打ち出したボルトが、こちらに命中するわけがない。それでも驚いた様に、俺は岩陰に身を隠した。
「ウル!!まずは身を隠せ!」
「でも!あいつを、あいつをヤらないと母さんが!」
「載せられるな!僕らがこの岩場に踏み込む直前の会話から得た情報で脅してるだけだ!ペテン師なんだ!!」
その通りである。頭がキレる良くできた兄だ。俺とは、大違いで……
「出来るもんなら母さんの居場所を言ってみろよ!ゲス野郎!!」
ゲス野郎か。あながち間違いでもない。
「あ〜何処だっけなあ!いちいち覚えてねぇや!」
「やっぱりな、ウル、行くぞ!こんな奴もう相手にするな」
納得した妹は、岩陰の俺をキッと睨むと森の方に駆け出した。
(仕方ない、最後の賭けと行くか。これがダメだったらパブロから報酬貰って浴場にでも行こう)
「参ったなあ!『ボーロのおっさん』にまた案内して貰うしかねぇなあ!!」
左腕に力を入れ、懐から取り出した小瓶の封を開ける。
頼むぜ、兄貴。
母親のために盗みまで犯す優しくて頭も回る兄貴なら、こうするだろ?
「……」
ーー シュトン ーー
左肩に走る激痛を合図に、一気に水薬を飲み干す。
そして間髪入れず、目一杯に息を吸い込む。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
悲鳴を上げながら、矢を受けた左肩を押さえ、身を隠していた岩陰から転げ落ちる。
違和感を感じさせない程度には受け身を取ったが、それ何本か肋骨がイった感覚はある。
(さて、もう一押しだ)
「いてぇ!!いてぇおぉ…!!あ……あえ?かあだが、うおあええ」
その機を逃さず、茂みからすでに次の矢をつがえた兄が飛び出した。
「毒が回った筈だ!ウル、トドメを!!」
「はあああああ!!」
矢に塗られた麻痺毒によって無防備に晒された頸動脈、そこに魔力の籠った匕首が精確に襲いかかる。
しかし。
ーー カキン パシッ ーー
刃が肉に滑り込む嫌な感触、生臭い返り血と呪いの言葉。その予想を全て裏切り、代わりにウルに襲いかかったのは、弾き返されたナイフの振動と、頸部への強烈な圧迫。
「え……?」
「ウルッ!!!」
*
嘘八百で自分と妹を脅すだけのチンピラが、突如母のため教会が引き合わせてくれた訪問医、ボーロの名を口にした。
家族の脅威になり得る者を排除する。父が亡くなった日から、コール家最年長の男として、アルはその使命を忘れることはなかった。
だが今、想定し得る最悪な状況が、目の前で発生していた。
「あー、良いところ蹴ってくるね。そこの肋骨多分ヒビ入ってるんけど」
必死に妹が手足をばたつかせ、チンピラの掌握から逃れようともがいている。
死角から放ち、可能な限り心臓近くを狙った麻痺毒の矢。それが命中したのはこの目で確かめている。だから妹にとどめを任せた。
しかし、いったい何故。
「色々考えてる所悪いんだけどさ。詐欺で稼いだ分置いてってよ。そうしたら妹さん解放するから」
妹を矢避けにしている中年男の話し方が、粗野なチンピラのそれから、異様に落ち着いたものへと変化していた。
あの話し方は、僕らの足を止めるためだったのか?
「待ってください!布施の期限が明日なんです!金を納めないと母さんが!」
「それはそっちの都合だ、俺には関係ない。今持ってる分を寄越せ、あと多分道中に半分隠してるだろ、大体の場所で良いから地図に書いてくれ、後で取りに行く」
「コール家の名に誓って必ず渡します!少しだけ時間をいただきたいだけなのです!なんならこれから貴方のために働いても良い、僕はともかく妹は『鑑定』のスキルを持っています!必ず役に立ちます!!」
何故金の半分を隠していたことまで知ってるんだ?!妹か母さん、どっちかなのか?両方救う手立てはないのか?!
「埒が開かないな。一回くらい薬抜けても死なないだろ」
こいつ、母さんの病状も知らないで。そもそもなんでこれ程までに金が欲しいんだ、この野盗は。命を賭けたペテンをしてまでこの金が欲しいのか?!
理解できない。何なのだこの男は。
「私に構わず行って!!」
妹の必死な叫びによって、僅かに落ち着きを取り戻す。
妹が自己犠牲なんて高尚なことが出来る子じゃないのは、兄である自分が一番良く知っている。
では何故ここで、こんなセリフを……
(まさか、首を締め上げられて状態で『鑑定』を……!)
「心配しないでアル兄!こいつ、『不殺の縛り』を持ってるんだ!」
『縛り』とは、自身に制約を課すことで強力なスキルを取得したり、身体能力を向上させる祝福の一種。言葉通り同族を殺害できなくなる『不殺の縛り』は、高位の聖職者や医療従事者が授かることが多い。
「なにっ!」
おそらく初めて、男は狼狽に似た表情を顔に浮かべた。絶対に殺せないと分かった時点で人質はその意味を失う。それが露呈した今、僕がすべきことは。
「分かった!すぐに助けを呼んでくる!」
金は当然差し出せないし、この男も生きては帰せない。
二人とも顔を見られてしまったし、『不殺の縛り』を授かるほどの者なら、方教会でもなんらかの影響力がある筈。彼に告発されるだけで、コール家は破滅する。
(僕はコール家の男だ、何があろうとこの家を守ってみせる!)
もてる限り全ての力を振り絞って、コール家の長男は仲間が待つ隠し酒場へと風を纏い疾走するのであった。
*
酸欠で回らない頭でどうにか鑑定を終わらせ、兄を離脱させた私はの意識は既に限界を迎えていた。
「な、なっ……」
突如呼吸が楽になり、脳へと新鮮な血流が一気に流れ込む。
どうやらこの『拷問官』、あの状況で不殺の縛りが露見したことがよほどショックだったらしい。
「ゲホッ、い、いい気味だぜ!あとは援軍来るまで遊んでやりゃあいいんだろ?」
『不殺の縛り』以外の鑑定結果を兄貴に伏せたのは、この男が直視すら憚られるスキルを持つ『拷問官』だからだ。
もし私が拷問されると知れば、優しい兄貴は母さんの命に関わる金を差し出してしまうかも知れない。
そしてきっと後悔する。当主である自分が家長を守れなかったと。そんな兄貴を、私は見たくない。
「さ!やる事やれよクソ拷問官!いつまで惚けてんだ?もちろん抵抗するがな!」
まだ笑っている脚に無理やり力を込め、臨戦体制をとる。
「お、おい、嬢ちゃん。お兄さん、アルって言うのか?コール家のアル?」
何だ、その顔は。もしかしてこいつ、コール家に関わりのある人物?もうしそうなら話し合いの余地があるかも知れない。
「ああ、彼こそコール家7代目当主のアル・コールだ。あんたコール家に縁のある人なのかい?」
「……っっっ」
「……そうなんだな?!じゃあ…!!」
ーー プッ ーー
何かが破裂したような音。放屁?このタイミングで?
「ぷあああああああああああああああああああああっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃははははぁははははははははあはははははははははwwwwwwwww!!!!!!!!」
盛大に。
それはもう盛大に。
何の脈絡もなく。
目の前の『拷問官』は。
吹き出した。
「あ あぁ、はひゃはははひゃひひwwwwwwwww あるっっっ ぶっアルコールwwwwwwwww!!!!!!」
笑い転げる男を横目に、私の頭はハテナに埋め尽くされていた。
「つwww つっ ぶひゃははは。ツボにwwwwwwwwwドツボにwww アルコールwwwwwwwww いぃぃいひぃっひひひ、名家コール家のアル氏www、アル•コール様ああぁぁっっああはひゃひゃひゃひゃwww!うっウォエッ!!ゲホッゲホッき……気管支に唾がっwwwwwwゴッフォッwww」
全身で喜びを表すこの中年に対する困惑が、徐々に憤怒へと変わっていくことが分かる。
自然と自分の手は、ブーツに忍ばせたもう一本の匕首へと伸びていた。
(今なら、やれるっ!)
ーー パシッ ーー
「……」
あの狂ったような笑いから一転した、完全なる静寂。自分の心臓の音さえもうるさくて堪らない。
「久々に笑えたよ。でも切り替えは大事だ。確かに俺はお前を殺せないし、殺すつもりもない。でも兄さんを呼び戻すために、痛い目には遭ってもらうぞ」
何となく、こうなる気はしていた。
でも大丈夫、殺されなきゃ魔法でいくらでも治せる。
兄貴もよく言ってた。命さえあればどうとでもなるって。
あと10分もすれば仲間たちが……
「手加減はしておくが、あんま暴れるなよ」
「《ペイン》」
……。
「イギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
吠えていた。吠えながら、嘔吐していた。
下半身の違和感は、失禁かも知れない。
そんなことはどうでもいい。今はただ。
痛い。
「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃいいぃいいぃぃぃ!!!!!!!!!」
なぜ気を失えない。意識が澄み渡っている。そのせいか痛みもずっと鮮烈なままだ。
子供の頃、虫歯の痛みで意識が飛んだことがある。あの思い出をこれほどにも羨ましいと思ったことがない。
痛みの根源は右腕の前腕部。それは分かる。
野良仕事や兄貴との稽古で、タコや古傷だらけだ。
この腕が、これほど憎いと思ったことはない。
「お前のせいだ。お前のせいで痛い。あたしを痛くするなら、いらない」
試しに切り取ってみる。骨が邪魔。
岩肌の叩きつける。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何ども何どもなんどもなんどもなんどモナンドモ。
そして、右手は、変な形になってしまった。
変な形になってからは、すぐに切り落とせた。
清々した。でも痛いの全く変わらない。ずっと痛いまま。右手、ないのに、あった場所が、ずっと痛い。
右手ころしたら、右手のユウレイが、また痛くする。
むかし、あたま痛い時、にいちゃんがほっぺたつねってくれた。なんかほっぺが気になって、ちょっとあたま痛くなくなった。
「あたま痛くしたら、ユウレイ痛くなくなる?」
壁。あたまうちつける。
ーー ごつっ ーー
「いたい」
もう一回。
ーー ごつっ ーー
「いたい」
もう一回。
ーー ごつっ ーー
「いたい」
もう一かい。
ーー ごつっ ーー
「いたい」
もう一かい。
ーー ごつっ ーー
「いたい」
もういっかい。
ーー ごつっ ーー
「いたい」
もういっかい。
ーー ごつっ ーー
「いたい」
もういっかい。
ーー ごちゅっ ーー
「いあい」
もういっかい。
ーー ぐちゅ ーー
「いぁぁ」
なんだっけ。
ーー ぐちゃ ーー
「あぁ」
ごめんね。
みぎて。ころしちゃってごめんね。
いたいから。いらないっていって、ごめんね。
ユウレイごめんね。
いっぱいごめんね。
ーー ぐちょっ ーー
あ、あったかい。
おかえり……にいちゃ。
……。
タフ営業はしていないです。そのようなセリフがあっても偶然なのです。