1話
あらすじ
『拷問官』の天賦を持って転生した主人公ハバキの物語は、ここから始まる。
目の前に顔面蒼白の少女が椅子に縛り付けられている。
少女の罪状は『禁書の所持』。
彼女を告発したのはその実の妹。
「君に禁書を預けた男の名前を教えて下さい」
少女は求めている答えを口にできない。記憶を手繰り、本を自分に渡したという男の容姿や背格好、服装を必死に説明する。
「欲しいのは名前です」
テーブルの上、整然と並ぶ器具の中から、小振りなペンチを取り、それを見せつけるように一歩、また一歩と少女に近付く。
近付くに連れ、少女が話す速度が上がり始める。
洗濯の帰りに話しかけられたこと。感じのいい初老の男が駄賃と共に本を預かるよう依頼してきたこと。いずれ取りに来るとだけ言い残して名乗らず去っていったこと。滔々と口から溢れる言葉から情報を纏めつつ、再び問う。
「情報提供感謝します、それでは名前を教えて下さい」
その言葉の数々も、顎門を開いたペンチがその細指に噛みつこうとする頃には、悲鳴のような「待って」の連呼に代わっていた。
ーー コチッ ーー
「ノリス!そう、ノリスよ!!」
小指の爪にペンチが噛み付くのと同時に、少女が泣き叫ぶ。
「フルネームをお願いします」
ペンチを握る力は緩めず、涙目の少女を真っ直ぐに見つめる。
「ノリス!……ムーア•ノリス!!」
大粒の涙が溢れる少女の眼を覗き込みながら、男はペンチを握る腕に力を込め、小さく呟く。
「嘘つきめ」
*
目が覚める。悪くない夢だった。流血も絶叫も、呪詛の言葉もない。あの娘、その後はどうなったんだろうか。
屋根に打ち付けられている雨音を聴きながら、洗面器に溜めた水で顔を洗う。
この中世の東欧に似た世界に転生して30年、職を失い自由を手にした俺、ハバキは冒険者として日銭を稼ぐ生活を送っていた。
「この土砂降りならギルドも空いてる筈、稼げる時に稼いでおかないとな」
数枚の銅貨と糸屑の入った財布に危機感を覚えつつ街に繰り出す。晩秋の雨は冷たく、元から大して賑わいのない大通りは、更に閑散としていた。
だからだろうか、路地の入り口に出来た人だかりに、俺は余計に注意を引かれてしまった。
「この子、物乞いのミアじゃないかい」
聞き覚えのある名前だ。物乞いをしながらモノ好き相手に身売りをしていた少女だ。
殴打によって陥没した後頭部、両腕に残った防御創に乱れた衣服、絶望に曇る見開いた瞳。襲撃当時の光景を想像しつつ、野次馬の話に耳を傾ける。
「可哀想に……こんな『天賦』を持って生まれてなけりゃ」
亡くなった少女の天賦は、確か『小説家』。
もし読み書きの教育が受けられる環境で育ったのなら、そして文芸の明るい師に出会えたのなら、彼女は一世一代の文豪になっていたやもしれない。
しかし彼女が産まれたのは識字率がおそらく10%未満の辺境の街、『クオータ』。
文化的な生活など望めもしない此処では、肉体面のステータスが貧弱な天賦を活かせる者は殆どいない。
「滅多なことを言うんじゃないよ、教会の連中に聞かれたらどうすんだい」
『天賦』は神が与えた賜うた定めであり、人はそれに逆らわずに生きるべし。
俺の元職場、方教会の教えだ。
天賦で定められた職業に関連する技能は習熟が速く、さらに習熟の過程で天賦に沿った特殊なスキルが発現する可能性が大いに上昇する。
産まれ持った才能は最大限利用せよというのが教えだが、以前まではそれに逆らったところで罰則などは無かった。
「そうだな、俺も『天賦』と教会の采配のお陰で何とかやっていけてるんだ、神様に感謝しないと」
この世界の教会には産所が必ず付随しており、助産師の資格を持つ修道女が常駐している。
子供の取り上げ、『天賦』の鑑定と師事する先への紹介は全て教会が無償で行っており、大抵の人の人生はそこで決定されてしまうのだ。
「やっと首都への通行料が貯まったと喜んでいたのに、可哀想にな」
それが理由だろう。
その情報が噂になっている時点で、このミアという名の少女の人生は詰んだと言っても過言ではない。
物乞いの少女が人生を変える為に金を貯めている。それを素直に賞賛し祝福できるほどの余裕を持った人間が、この辺境にどれだけ居るだろうか。
下手人はおおかたこの噂を聞きつけた金目当ての悪党か乞食仲間だろうが、結局は自身の財産を守り抜けないこの少女自身が原因なのだ。
「来世はもうちったぁマシな『天賦』を授かれると良いな」
先に来たであろう誰かが呼び寄せた墓掘りが少女の骸を引き取るのを見送った後、それぞれの日常へと戻る町民達に紛れ、俺はギルド会館へと向かうのだった。
*
「初級が受けられる依頼はないか?」
かつて国境付近の要衝として賑わっていた会館の面影は既になく、ギルドにいるのは草臥れた受付の婆さんと、過去の栄光に浸りながら酒に溺れる元冒険者が数人のみ。
「いつもの野良仕事の依頼が数件、それと狩猟関係のが一つ。どれもあんた向きじゃないねぇ」
かつては掲示板一面を埋めていた依頼書は、今や一枚を残して新たに追加されることも無くなった。
それもそのはず、依頼書の内容が解せぬ文盲が大半を占める現在のギルドでは受付が口頭で依頼を伝える方がよほど効率がいいのだ。
「あ、ついさっき舞い込んできた人探しの依頼はどうかしら?」
「詳しく頼む」
「依頼人は農場主のパブロ、捜索対象は使用人のノラ。昨晩辺りからパブロの金庫の中身と共に行方をくらましているとのことよ。等級、天賦に関する制限は無し、報酬は金貨2枚」
それで、引き受けるのかい。頬杖をついて面倒臭そうに依頼書をカウンターに広げ、婆さんは羽ペンにインクを染み込ませる。
「この依頼、初級冒険者ハバキが引き受けた」
この国の銅貨1枚は日本円に換算すると10円相当の価値であり、銀貨はその100倍、金貨は更にその100倍。
初級が受注できる依頼で金貨2枚はかなり高額な部類に入る。一月は住むところと食事には困らないだろう。
「知ってるだろうけど街の東門を出てすぐの所にある建物が農場。デカい水車が目印よ。詳しい話はパウロ本人に聞きな」
「ありがとう、そうさせて貰おう。それと、黒パンを一つ」
銅貨を受け取ると、慣れた手つきでトレイから見るからに固そうな黒ずんだパンを手渡してくる。
「はいよ。毎朝飽きないものだね」
この国は救貧政策として各地のギルドで販売される黒パンの値段を一律銅貨3枚と定めており、給与が不安定な俺はほぼ毎朝、これで済ませている。
「飽きと言うのは贅沢ができる人間の発想だよ。朝から満腹になれるだけで満足さ」
「けっ。そんな神父みたいな考え方じゃいつまで経っても初級のままだよ」
「はは、そう言われてしまうと耳が痛いな、精進するよ」
依頼書を懐に収め、パンを齧りながらギルドを出る。濡れた衣服のせいか、妙に体が重い。フードを被り、一つ深呼吸をする。
雨が止む気配は、未だに無い。
*
農場主パブロに対する第一印象は、好色で懐深いというものだった。
天賦に恵まれぬ者を使用人として招き入れているのは事実だが、母屋への出入りが許されるのは女性のみ。更に女性達の服装は皆妙に露出度が高く目のやり場に困る。
「つまり、連れ戻すのが目的じゃないと」
茶葉が古いのか、あまり香りの立たない紅茶を一口啜り、依頼内容の確認をする。
「うむ、できれば戻ってきて欲しい。だがもし戻る気が無いなら、金庫の中身は餞別として渡すつもりだ。額もへそくり程度のものだしね」
恰幅の良い男はやれやれとため息を吐き、干し芋を齧る。紅茶にはクッキーを合わせたいところだが、田舎の農場主がありつける甘味など案外限られているものらしい。
それでも戦争続きで国府に納める税も増えている中この豊満な(?)体格を保持できるのは、彼の農場が成功している証なのだろう。
「彼女の行き先の心当たりなどは?」
「うむ、それが1番の心配なんだ。あの子が持って行った額は丁度首都への通行料が払えるくらいでな」
首都へ通づる山道はそれほど険しいものではない。しかし4年前、この国の勝利で終結した戦争は、主戦場に近いクオータ周辺に多くの敗残兵を残した。
帰るべき故郷を失った彼らの一部はそのまま野盗となって山道を通る馬車を襲い、治安を脅かしている。
「しかしパブロ氏、ただの山賊ならともかく、敗残兵とは言いデリアンの古兵どもが相手となれば私一人では力不足です」
デリアン、この辺境の街の更に西にある山岳国家。4年前この国が仕掛けた侵略戦争に敗北し今はこの国の属国となっている。山地の過酷な環境に鍛えられた彼の地の戦士は皆長身にして勇猛と評判である。
「問題ない、これを見せてパブロの家の者であると伝えればこちらに危害は加えんはずだ」
そう言ってパブロから手渡されたのは、血印が二つ刻まれた、亀甲を削って作った札。
おそらくパブロと山賊達は何らかの取引をしているのだろう。荷車を見逃してもらう代わりに物資を融通する、と言ったところか。
「了解しました、詳しい事情は尋ねないでおきます」
ただの人探しのつもりが、結構ややこしい事態に発展してしまいそうだ。
「ほほ、そうしてくれると助かるよ。さて、肝心の人相なんだが……」
ーー バタン ーー
勢いよく扉を押し開いた人物に、パウロと俺の視線が集中する。
「旦那、クオータの街中は満遍なく探した。やっぱあのバカ首都へ向かうつもりだよ!」
パブロを旦那と呼ぶのは、身長2メートルはあるだろう大女。長く筋肉質な四肢、浅黒い肌、鋭い目付き、そして小振りな胸部。雨に濡れた服の生地が肌に張り付き、その肉体美を更に強調している。
「客人の前だぞ、落ち着かんかシエラ」
全身びしょ濡れのままパブロの隣に座ったかと思えば、シエラと呼ばれた女がいきなり前のめりに俺の顔を覗き込んできた。
「こいつが今回の依頼を受けてくれた人?なんか冴えないなぁ。あんた冒険者の等級と天賦は?」
「初級冒険者のハバキです。天賦は『拷問官』。よろしくお願いします」
「無礼を許してくれ。紹介しよう、妻のシエラだ。見ての通りデリアン人だが、国に対する反意はない」
妻か。ここまで見事な凸凹夫婦はなかなか珍しい。良いものが見れた。
妻にタオルを渡しながらパブロは一つ咳払いする。
「それで、その拷問官というのはどの様な天賦なのかね?名前からして生産系よりは戦闘系寄りなのかな?」
やはり気になってしまうか。依頼主に訊かれては答えない訳にもいかない。
「字面通り、拷問を用いて肉体と精神的な苦痛を与えて情報を聞き出す、あるいは要望を通すことに長けた天賦です」
場の空気が一瞬凍りつく。よくある反応だ。
「ご、業が深い天賦を与えられたものですな。ははは」
「でも思ったより使えそうじゃねぇか!情報聞き出し放題じゃん!」
「ハハハ……まあ、そうですね。ではそろそろ行って参ります。ノラさんの人相をお願いします」
相槌を打って筆を取ったパブロを制止し、シエラが口を開く。
「俺が付いていけば良いじゃんか!俺がお願いすりゃノラもきっと帰ってきてくれるさ」
「やれやれ、こうなると止めても聞かんからな。でもシエラよ、無理強いはするんじゃないぞ?あの子が『天賦』を活かす生き方を選ぶのなら、ボクらにそれを止める権利はない」
ノラが逃げたのは丁度収穫が終わり農場が暇になるタイミングで、金庫から取ったのも関所越えに必要な金銭だけ。
状況から推察するにノラはパブロに対して多少なりとも恩義を感じていた筈。
しかし、ならば何故ノラは面と向かって暇を請わず夜逃げ同然にして消えたのか。この違和感を拭い切れないまま、俺とシエラは雨具を羽織り農場を立った。
*
「これは……どういう状況んだ?」
豪雨に打たれて、山道のど真ん中で、二人の少女が殴り合っている。近くの地面に散らばった紅白の礫は砕けた歯のかけらだろうか。
声にもならない絶叫をあげながら、殴り倒された少女にもう一人が組み付く。泥濘に塗れた二人は、遠目から見たら獣同士の死闘にも似た迫力を醸し出していた。
「俺ぁ頭が悪いんだ、聞かないでくれ。ただ、今馬乗りになって殴りつけてる方がノラだ。間違いない」
「…となんだぞ!……妹なんだぞ!あんたがゴミ溜めの中で不貞腐れてる時!必死こいて!金貯めてた!妹なんだぞ!!」
半ば枯れかけた声を喉から絞り出しながら、少女は拳を次から次へと振り下ろす。そして腕を上げる力すら残らなくなった時を見計らい、俺は少女のそばに近寄る。
「非力でよかったな君、危うく人殺しになるところだったんだぞ」
放心状態のノラに上着を被せ、気を失ったもう一人の少女に目をやる。
素人目からすればいつ死んでもおかしくない状態だが、長年の経験から得た答えは、すぐに治せる程度の『軽傷』。
人間の頭部の最も強い骨は下顎、その次が前頭部にあると言われている。
鼻骨は砕かれ顔面を破壊されてはいるが、雨で柔らかくなった山道の泥がクッションとして作用し、頭蓋骨に守られた脳への損傷は微々たるものだった。
「この出血だと気道を塞ぎかねないか……仕方ない」
心を落ち着かせて掌印を結び、詠唱を始める。
「南南西の星 山楂の花 四方の背理 願うは愛撫 《ヒール》」
立ちくらみに似た急激な虚脱感に襲われるのと同時に、少女の傷はみるみる治癒されていく。
「拷問官の癖に《ヒール》なんて使えるのか!すごいな、あんた」
シエラに抱きつかれたまま微動だにしていないが、ノラの方も平静を取り戻しつつある。
正直なところ、この少女の顔よりも、まともに拳骨を作らず力任せに殴りつけていたノラの手の方が心配になる。
「実は最初に叩き込まれた魔術がこれなんですよ。ほら、傷つけるのは道具でも出来るけど、手早く治すには魔術が必須でしょ?」
「言われてみればその通りだけどよ、また傷つけるために治すってのはあんまり気持ちのいい話じゃないな」
同感である。しかしこうでもしないと口を割らない者が大半なのだ。大義の為、名誉の為、国家の為、家族の為、この世界の人間は当然のように命を擲つし、死よりも残忍な拷問に耐える。それゆえ拷問官の方が囚人の執念に恐れを抱くことも少なくはない。
「と言っても、魔力の総量が少ない俺ではインターバールを設けても《ヒール》は1日に2回使うのが関の山なんだけどね」
意識が戻らぬ少女を俵のように片手で抱えると、シエラはノラの頭を優しく叩いた。
「しかしこんな雨の中で立ち話もアレだな。近くに狩猟小屋があった筈だ、そこで話を聞こうじゃないか」
激昂が齎す熱りが冷めたのか、雨に濡れたノラはこちらから見ても分かるくらい、カタカタと震えていた。
「そうだな、流石に体が冷えてきた」
シエラに導かれるまま、一行の姿は雑木林の中へと吸い込まれて行った。
*
小屋の中、白湯を啜りながらノラはぽつぽつと話し始めた。
その内容をまとめると、こうなる。
ノラに殴られていた少女はミアの姉で、名前をユミという。3人は天賦に恵まれず捨てられた孤児で、いつか金を貯めて才能を活かせる首都に行くことを約束した仲だった。
ノラが運良くパブロに拾われ、薄給ながらも着実に金を貯め続けてた。
そしてミアは乞食や身売り、時にはポーションの実験台までこなして着実に金を貯め、決行の日に向けて備えていた。
しかしユミは二人とは違った。最初の頃はミアと一緒に乞食や身売りに励んでいたものの、客に酷い扱いをされてからは自分の運命を嘆いて薬物に手を出すようになり、妹から金を無心するその日暮らしな生活を続けていた。
そしてやっと目標金額に辿り着けそうだったある日、ミアの身に不幸が降りかかった。ポーションの実験中、酩酊状態となったミアは、金を貯めていると口を滑らしてしまったのだ。噂は瞬く間に街中に広まり、焦りを覚えたミアはノラに連絡をとり、狙われる前に街から出ようと持ちかけた。
「ええ、それでクズのあたしを捨てて二人で逃げようって魂胆だったんでしょ?!知ってるわよそんなこと!」
「ふざけるな!ミアはね!ミアはそれでもあんたを!!」
今にもユミに飛びかかりそうなノラを、シエラはガッチリと抱きかかえている。
「ここからは俺の推測も入れて話をする。間違いがあったら訂正してくれ」
その晩、確かにミアとノラは予定を推し進めて出発を決意していた。ユミも含めた3人で、である。
先述した目標金額とは、路銀と通行料を含めた3人分の旅費のことだったが、出発が早まったことで関所越えに必要な金額には届かず、ノラは最終手段としてパブロの金庫に手を出した。
しかし薬物に依存しているユミが貯蓄を使い込むのを危惧した二人が出発ギリギリまで計画を共有していなかったことが、この後最大の悲劇を起こした。
ユミの耳に入ってきた情報は『ミアがやっと首都への通行料が貯まったと喜んでいた』という噂だけ。
それをミアに確認したユミは何らかの理由で自分は捨てられると誤解したミアを背後から殴打し、所持金を奪いそのまま関所を目指し逃走した。
その後、必要な金額を集めて合流地点に到着したノラはミアの亡骸を発見、警戒心の強いミアを背後から襲えるのは姉のユミであると断定し、そのあと追った。
「それで追いつかれたユミと道のど真ん中で殴り合い、か」
「気になるのは出発前のユミの問いに対し、あの時ミアはなんて答えたか、だな」
真相を知り自責の念に駆られているのか、薬物の禁断症状が現れたのか、あるいはその両方か。視線も定まらぬユミは震えた声で呟いた。
「だ……だって、だってミアが『そうよ、私達ついに首都に行くのよ』って。あたしをす、捨てて行っちゃうって!」
確かに、その答えならユミの暴走にもある程度納得できる。
「なるほど。君は妹の言う『私達』に自分は含まれていないと思っていた訳か」
「……ぇ?」
腑抜けた声が漏れ出た数秒後、大粒の涙がユミの両頬から滑り落ちた。
「あ……ぁ… あ…あっ」
あまりにも激しい感情に支配された時、人は叫び方すら忘れるという。限界まで開かれた口の奥から漏れる喘ぐような呼吸音、俺にはそれが、長い長い慟哭のように聞こえた。
「そんな、でも、こんなのって……!じゃあ何?!ミアが悪いの?!この薬中に洗いざらい話して散財でもさせればよかったの?!一生二人でこのクソみたいな街でユミ面倒見ればよかったの?!ミアは誰のせいで死んだのよ!!」
開いた口を、すんでのところで閉じる。拷問官としての悪癖が出ている。俺は言葉で人を傷つける術を熟知しているが、慰める術は知らない。だから気の利いたセリフが出てこない時は、ただこうして沈黙を貫くことにしている。
小屋に漂う重苦しい空気をよそに、雨はあいも変わらず無神経に降り続けていた。
*
「はぁ?!もう関所に支払っただと?!」
ユミは殺人の罪で衛兵に差し出すから連れ帰る運びとなった。
しかしノラの今後について聞いたところ、『せっかく関所も超えたのでそのまま首都を目指します』などと世迷言を言い始めたのだ。
「あのな、関所はクオータから馬でも3日はかかる距離なんだぞ?何で半日も歩いてないお前らが辿り着けるんだ?」
「えっ、でも二人とも国軍の鎧を着てましたし……」
国軍の鎧なんて兵士から剥げばいくらでも手に入る。そしてそれを着込んでしまえば、看破系のスキルでも持っていないと正直賊かどうかの区別は難しい。
「山賊が作った偽の関所を通ったんだろう。街から出たこともない小娘だ、引っかかっても不思議じゃない」
いや、むしろ大人しく騙し取られていて命拾いをしたと言っても良いだろう。山賊の嘘を見抜いていたら、二人は身ぐるみを剥がされた死体として発見されるところだった。
「ったく、パブロが聞いたらどんな顔をするのか見ものだな」
とりあえず農場へ帰ることとなったノラの小さな背中を見送り、シエラは俺に向き直る。
「依頼達成だな、冒険者ハバキ。報酬はパブロが直に渡す手筈になっているけど、一緒に戻るかい?」
「いや、先に帰っていてくれ。賊に奪われた通行料に興味がある」
「ほう?意外とがめついんだな。まあ既に奪われた金だ、好きにしなよ。パブロには事情を伝えておく、例の札は報酬受け取りの時に返してくれ」
手を振りながら帰路に着こうとするシエラが、不意に立ち止まった。
「そういえばさ」
振り返りもせず、シエラはさりげなく尋ねる。
「ミアは誰のせいで死んだって話の時、何か言いかけたよな」
「……一件落着って事にしては、貰えないか?」
シエラは振り返らない。かと言ってこのまま歩き出す気配もない。その物言わぬ背中は、ただ俺の次の言葉を待つのみであった。
「今朝、ミアの死体を確認している。瞳孔の開き具合からして彼女が亡くなったのは夜明けの後。そして死因は、後頭部への殴打ではない」
大女の筋肉が、一気に強張るを感じる。
「夜の闇の中、それも後頭部が陥没するほどの重傷を負って気絶をしていたとなれば、死んだと勘違いしても仕方ないとは思う」
「じゃあ、あいつがユミを追ってなかったら……」
「ああ、諦めずに介抱を続けていたのなら、いや、隣に居てやるだけでも良かったんだ。そうすれば少なくとも噂を聞きつけた他の乞食やならず者に嬲り殺されることはなかったはずだ」
そして《ヒール》が使える俺はギルドに向かう途中、まだ息があるミアに出逢えていたのかも知れない。
「今話したのは全部もしもの話だ。ミアの状態だって寝ぼけ眼で野次馬に紛れて眺めただけ。ノラのことを大切に思うなら、冗談として聞き流してくれ」
「……ッ!」
「今のノラにとって、憎しみをぶつけられる相手がいることは救いなんだ」
他人への憎しみは大抵の場合時間と共に変質し、風化する。しかし。
「自分を憎むよりずっとマシだ」
自分への憎しみは違う。澱のように、ゆっくりとどす黒いものが、腹の底に溜まり続ける。
その憎しみに狂い、破滅した拷問官を何人も見てきた。
「話せるわけ、ねぇだろ」
震えているのは担がれている心神喪失の少女か、それとも少女を担ぐ大女なのか。
その答えが出ないうちに、シエラは歩き出した。
「胸糞悪い」
吐き捨てられた言葉を背に、俺はシトシトと降り続ける曇天を、意味もなく仰いだ。
予告
少女達から通行料を騙し取った山賊は、果たして拷問官の魔の手から逃れることはできるのだろうか。