第七話 御前試合
ガイアの起動実験を終えた3人は、皇帝を先頭に皇城へと戻りつつあった。皇帝は、明らかに上機嫌な様子が見て取れた。
「ほぼ間違いないとはわかってはおったが…実際に起動が確認されたというのはやはり嬉しいものよな」
「陛下御自らご尽力なされましたからな。お喜びもひとしおでございましょう」
ガルスはそう相槌を打つと、今度はラグマに向かって話し始めた。
「陛下はな、魔動戦機の開発や整備に非常に深い造詣をお持ちでいらっしゃる。ガイアの開発にも直接関わっておられる」
それを聞いて驚くラグマに、皇帝は笑いながら付け足す。
「なに、本当は魔動戦機を操って自ら戦いたかったのだが…。残念ながら天は私に力を授けてくれなかったようでな。代わりに魔動戦機をいじりだしただけのことよ」
皇帝がそこまで話した時、3人は橋をわたり終え、皇城へと入った。と、皇帝とガルスが突然立ち止まり、ラグマに向き直った。
「さて…ラグマよ。これでそなたのマーグ力は証明され、それを活かせる機体も決まった。だが…そなたはまだ、選抜試験には合格しておらぬ」
皇帝の言葉に一瞬戸惑ったラグマだったが、続くガルスの言葉で、すぐに状況を悟った。
「選抜試験の後半を、君はまだ受けておらんからな」
謁見の間。ラグマは、修練用のデミソード(模擬剣)を右手に、ガルスと向き合っていた。彼の右手にも、同じ剣が握られている。デミソードは、弾力に富むが強靭な種類の木枝を束ねて布で巻き上げたもので、我々の世で言うところの袋竹刀に似ている。デミソードによる剣撃は、大きな怪我こそしにくいものの相当な痛みを伴うため、剣術の修練に都合が良く、広く使われている。
選抜試験の後半、それは受験者の戦闘能力、特に剣技の巧拙に関する審査であった。魔動戦機の操縦は、機体が登場者の動作意思を感知して再現する、いわゆる「シンクロ操縦」である。このため、魔動戦機の戦闘では機体性能だけでなく、登場者自身の戦闘能力がその勝敗に大きく影響を及ぼす。つまり魔動騎士には、機体を起動するに足るマーグ力に加えて、一定以上の戦闘能力が要求される。魔動戦機同士の戦闘は、その多くがフォースセイバーと呼ばれる「光剣」での近接戦闘になることから、魔動騎士に求められる戦闘能力とは、すなわち剣技と言っても過言ではなかった。
ラグマは、試験の前半であるマーグ力検査の時点で気絶し、医務室に担ぎ込まれたため、剣技の試験を受けていなかった。この時点で選抜試験そのものは終了してしまっていたため、彼の剣技については、何と総司令ガルスを相手に、さらにはこともあろうに謁見の間で御前試合を行う、という形で審査されることになってしまった。あまりの成り行きに、驚きを通り越して唖然としているラグマに、皇帝は楽しげに言った。
「そなたのこともよく知っていると言ったであろう?ガトゥールは帝国内でも屈指の剣技を持っておった。その教えを受けたそなたであればガルスとしても相手に不足はなかろう。我が前で、その技と力、存分に振るってみせよ!」
ガルスも、侍従に命じてデミソードを用意させていた。こちらはより楽しげだ。
「若者と剣を交えることなど久しくなかったことだが…まだまだ腕は鈍ってはおらんつもりだ。フェンザ殿より受け継いだ剣、楽しませてもらおう!」
立合の覚悟もままならないラグマであったが、ガルスが準備を整えると、皇帝はお構いなしに鋭く発した。
「始めよ!」
その一言で、謁見の間に静寂とともに張り詰めた空気が充満した。わずか5年とはいえ剣を修めてきたラグマの心は、その瞬間、スイッチが入ったように眼の前の闘いに対処しはじめた。反射的に身体が動き、右脚を引いて半身の姿勢を取る。左手を軽く前に出し、右手のデミソードは脱力したように右脚前に垂れている。養父ガトゥールに仕込まれた基本の構えである。
対するガルスは、正面を向いたまま、何の力みもなく立っている。デミソードも、右手に軽く握られたままだ。しかしその眼には、久しぶりの闘いに高揚する、紛れもない剣士の色がありありと浮かんでいた。
「さあ、どこからなりと打ち込んでくるがいい」
そう言われたものの、ラグマは、泰然と佇む白髪交じりの男に、明らかに気圧されていた。
(……強い!)
構えらしい構えも見せずにいる相手に、間合いを詰めることすらできない。全身から汗が吹き出すのを感じながら、しかし彼は、このままじっと睨み合っているわけにもいかない、と考えていた。これは試験なのだ。
(俺は…魔動騎士になるんだ…!)
フゥ、とラグマが息を吐いた。次の瞬間、彼は床を蹴り、ガルスとの間合いを一気に詰めた。右下に構えたデミソードが、ガルスの左腕めがけて一閃される。だがその一撃は、ガルスが瞬時に合わせた剣で弾かれた。体勢を崩されたかに見えたラグマだったが、しかし彼は初撃を弾かれた勢いをそのまま利用し、身体を半回転させた。ラグマの初撃を弾くために左半身の体勢になっていたガルスの頭部へ、回転の勢いをのせた渾身の斬撃が繰り出される。…だが。それも素早く身体をひねったガルスに受け流される。しかも彼は、斬撃を受け流しながら腰を落として、剣の下を潜るように右、今やガラ空きとなったラグマの正面へ移動した。ラグマは息を呑みつつ、かろうじてガルスの剣が繰り出される前に跳び退り、間合いを保った。
「ふむ…なかなかどうして…。こちらもうかうかと手を抜いているわけにはいかぬようだ」
ガルスはそう呟くと、ニヤリと笑った。そして彼はようやく、構えをとった。左手は開いたまま脇腹に添えられ、右手は胸の前。剣が顔の前を斜めに横切っている。
「攻めについては充分に鋭いが…守りはどうかな?」
次の瞬間。ガルスの膝がわずかに沈んだかと思うと、彼の身体が弾かれたように前に進んだ。間合いが詰まると同時に、剣が横薙ぎにされる。
(!はやいッ!?)
その踏み込みの疾さに、ラグマの反応が半瞬遅れた。受けが間に合わないことを反射的に悟った彼は、小さく後ろにステップを踏んで切先をかわす。だが、それはガルスの術中であった。横薙ぎの剣の軌道は滑らかに大上段へ駆け上がり、同時に彼の左脚は、ラグマが後退した分を埋めるように踏み出され、間合いが詰まる。
「――シァッ!!」
鋭い気合とともに、ガルスの斬撃がラグマの左肩へ襲いかかる。基本の構えのままであったラグマの剣は、振り下ろされる剣からは最も遠い、右下段にある。
玉座で二人の攻防を見守っていた皇帝は、これまでか、と目を細めた。しかし次の瞬間、謁見の間に響いたのは、またもデミソード同士がぶつかる音だった。再び見開かれた皇帝の目には、必殺の一撃を受け流され、あろうことか体勢を崩されてしまったガルスが映った。
「む…!?」
ラグマは、ガルスの剣が迫る瞬間、右に体重を移しながら右脚を「前に」運び、同時に自らの剣をガルスの斬撃に合わせ、受け流したのであった。
「!?なっ…!」
驚愕の表情がガルスに浮かぶ。視界の端で、次の一撃へ向けたラグマの影が動く。負けるわけにはいかない。騎士の意地が、ガルスの身体を間一髪の反応へと突き動かした。右脚を踏ん張って体勢を立て直し、迫りくるラグマの一撃を、見極める余裕もなく剣を振るう。そのがむしゃらな動作が、試合を決着へと導いた。
「ぅあッ!」
デミソードが宙を舞い、床に転がった。剣を失い、右手首を押さえて顔をしかめているのは、ラグマであった。
皇帝の声が、始まりと同じく謁見の間に鋭く響いた。
「そこまで!」
ラグマは、再び皇帝の前に跪いていた。皇帝は悠然と玉座におり、ガルスもまた、定位置に戻っていた。
「よい立合であった!よもやガルスと互角以上に渡り合うとはな。ガトゥールの剣、確かにそなたの中に息づいておるようだ」
皇帝はそこまで言うと、一息ついてから声色を皇帝としてのそれに変えた。
「ラグマ=ウォニスよ。ギルラゼア皇帝の名において、そなたを今期の魔動騎士選抜試験、最後の候補生として認めよう。半年の養成期間の後、見事正式な魔動騎士として戻って来るがよい!」
皇帝直々の合格通知であった。ラグマは、込み上げてくる喜びと興奮で上ずった声で応えた。
「ありがとうございます!必ずや、ご期待にお応えいたします!」
「うむ。ではこれにて試験は終了としよう。退ってよいぞ。部屋の外に侍従が控えておる故、あとはその者に従えばよい」
ラグマは、立ち上がると恭しく頭を垂れた。
「陛下、本日は誠にありがとうございました!私のこと、ガイアのこと…。すべて身に余る光栄でございました。そして総司令閣下、お手合わせありがとうございました!騎士の強さ、身をもって味わいました。それでは、失礼いたします!」
そう言うと彼は、ガルスに教わった通り3歩下がってから踵を返し、謁見の間を後にした。
扉が閉まってから、皇帝はガルスをちらと見やると、ニヤリと笑いながら言った。
「ガルスよ、さしものお主も、歳には勝てぬということかな?」
ガルスは憮然とした面持ちだ。
「否定はいたしませぬが…そこまで衰えているわけではございませんぞ。…彼の技と気迫、本物のようですな。最後のあれは、まぐれ当たりのようなもの。立合にはかろうじて勝てはしましたが…勝負としては私の負けでございますよ」
「フフフ…そう悔しがるな。よい騎士がまた一人増えるのだ。半年後を楽しみにするとしよう。」
皇帝は玉座から立ち上がると、言葉を続ける。
「しかし、今日はなんという日だ。ガイアを駆れる者が現れただけでも充分というのに、それがガトゥールの遺児、しかもお主と渡り合えるほどの剣を修めておったとは…僥倖にもほどがあるというものだ」
そして彼は、再び皇帝としての声を発する。
「ガルスよ。―――例の作戦、今期の養成終了後に発動とする。抜かりなく準備を」
「!…御意!」
ガルスは顔を引き締め、短く答えた。