第五話 皇帝とラグマ
―――今、ラグマは皇城謁見の間で、跪いていた。ガルスは、向かって右側、一段高くなったフロアに、ラグマを見下ろすように立っている。どうやらそこが、この部屋における彼の定位置らしかった。そこからさらに一段高いフロアには、金銀で装飾された玉座が設えられており、そこがギルラゼア帝国の至高者、皇帝のためのフロアであることを示していた。玉座には、その主たる皇帝の姿はない。
と。よく通る声が謁見の間に響いた。
「皇帝陛下、ご出座!」
玉座の奥の扉が開き、そして閉じる、重い音が起こり、続いて硬い床を踏む靴音がゆっくりとしたリズムでラグマに近づいてきた。彼の心臓は、靴音の一つごとに鼓動を早め、今や早鐘を打つがごとく、であった。靴音のリズムは、ラグマの少し手前で止まった。
「面を上げよ」
威厳に満ちた、しかし優しさと親しみを含んだ声が、ラグマの耳に届く。彼は、石になってしまったかと思うほど固くなった首を何とか動かし、声の主へと顔を向けた。視界に、一人の男が入ってきた。まず目に入ったのは、金糸装飾の施された黒い革ブーツ。そして、動きやすそうな絹服、肩から腰下あたりまでの短いマント。頭には冠等はつけておらず、髪も特別撫でつけたような様子がない。右手に持っている、金銀宝石で豪奢に彩られた杖と比して、少々不釣り合いなほどの軽装である。だがその眼には、やはり至高者たる強い光を宿している。
第5代ギルラゼア皇帝・リルモンド=ダニス=ギルラゼア。齢三十七の若き皇帝は、かすかな笑みを浮かべて、ラグマを見下ろしていた。
「ラグマ=ウォニスだな?」
「はっ・・・ハイっ!ご、御前を拝します!」
ラグマが、裏返りそうになる声を必死に抑えながら答えると、皇帝は軽く笑いを発した。
「はっはっ・・そんなに固くならずともよい、今は儀礼抜きだ。ガルス・・・ヴァルフィリット司令にも聞かされておろう?・・・ふむ、良い眼をしている。ガトゥールの教えを受けただけのことはある」
ラグマは、皇帝の口から養父の名が出たことに驚き、緊張も忘れて問うていた。
「陛下は・・父のことを?」
皇帝は、うむ、と頷いてから、優しげな表情のまま語り始めた。
「もちろん、よく知っておる。そなたのこともな。もっとも、こうして顔を合わせるのは初めてではあるが。・・・何も聞かされておらんようだな。まったく、あやつらしいことだ。」
皇帝は、ふう、と一息つくと、再び口を開いた。
「そなたの養父、ガトゥール=フェンザは、ハルシーザの惨状を最初に私に知らせてくれた男だ―――」
―――5年前、この謁見の間で。皇帝の前に跪いた男が、報告を終えようとしていた。
「・・・ハルシーザは陥落いたしました。魔動騎士の生き残りは、私めを含め10名。住民の避難も、組織だった行動は叶わず・・私が救助した二人の子供以外は、自力で脱出できた50余名をヴェノールまで送り届けられたのみ・・。私からは、以上でございます・・・」
疲れ切った顔に悔しさをにじませながら、中年の男はゆっくりと俯いた。報告の途中から、玉座を蹴って立ち上がっていた皇帝リルモンドは、燃えたぎるような瞳で宙を睨み据えていたが、やがて首を左へ巡らし、鋭く発した。
「ガルス!直ちに国内の戦力を集約し、ハルシーザの奪還作戦を展開せよ!同時に、ラブラの住民に避難準備をさせよ!具体的な計画については軍部と町長に任せよう。・・・もう一つ!ヴェノール行政局に指示し、ハルシーザからの避難民に当座の住居を確保させよ!」
「御意!」
皇帝とともに報告を聞いていた総司令ガルスは、これも鋭く答えると、すぐさま謁見の間を出ていった。その背を見送った皇帝は、身じろぎもせず跪いたままの男へ視線を戻した。
「ガトゥール=フェンザ・・・であったな。報告、大儀であった」
その声には、真実いたわりと労いの心情が込められていたが、その男、ガトゥールはそれに感ずることなく、絞り出すように発した。
「陛下・・・ハルシーザ守備大隊長の任にありながら街を守れず・・・状況をお伝えするためとはいえ、おめおめと逃げ戻りましたこと・・・誠に申し開きのしようもございませぬ。どのような責めも、甘んじてお受けいたします・・・」
それは、騎士として、武人としての誇り、責任感から出た謝罪だった。
皇帝は、眼を閉じてその言葉を聞いていたが、軽くため息をついた。
「ガトゥールよ。心得違いも甚だしいぞ。確かに、ハルシーザの陥落は由々しき事態だ。しかしだからとて、勝ち目のなくなった戦いを無理に続けて、そなたらが無駄に命を散らすことなど、私は望んではおらぬ!」
それを聞いてもなお、安堵の息をつかぬガトゥール。皇帝は、ゆっくりと玉座へ向かい、その身を座に預けた。
「ガトゥール=フェンザにギルラゼア皇帝が命じる。ヴェノール駐留部隊に転属せよ。そこでのそなたの任務は、ハルシーザの避難民たちの相談役となることだ」
「へ、陛下・・・!」
予想もしていなかった皇帝の下命に、ガトゥールは思わず顔を上げたが、皇帝はかまわず続けた。
「避難民たちは、これからの暮らしに少なからず不安を抱えておるはず。具体的な助力はヴェノール行政局の職務ではあるが・・・様々な心配事の相談は、及ばぬまでも街を守り、帝都までの脱出行をともにしたそなたのほうが持ちかけやすかろう。両者の橋渡しをせよ」
厳しさも険もない表情で、自分に新しい任務を与える皇帝に、ガトゥールはようやくの安堵と、深い感謝を覚え、自らの主への忠誠を新たにした。
「御意のままに・・・慈悲深きお言葉とご処置、誠にありがたく存じます・・・」
皇帝は、満足気に頷いた。
「新しい任務を始めるまでにはしばし間があろう。さあ、もうよい。退って、今は休め」
「―――その後、任務の報告に来たガトゥールから、自ら救出した二人の子供、つまりはそなたらを家に迎えたことを聞き及んだ。特にラグマよ、そなたについては13歳にして魔動騎士を志したこと、そのために剣の教えを求めたこと・・・報告に来るたびにあやつは楽しげに話しておった。・・・一昨年まではな」
懐かしげに話していた皇帝の声が、急に沈んだ。
「ガレンスの戦いで、私とこの国は、失ってはならぬ騎士を失った。・・・ラグマよ。そなたの養父を死地へ差し向けた私を、この国を、恨んではおらぬか?」
皇帝の寂しげな言葉に、ラグマはゆっくりと首を振り、答えた。
「いいえ、そのようなことは決して・・・。もしそうなら、私は試験など受けず、今ここにもいないでしょう。・・それに、養父は、ガトゥール=フェンザは、自ら望んでガレンスへ向かいました。養父は言っていました。ヴェノールでなすべきはなした、ハルシーザで傷つけられた自分の誇りを取り戻すためにも、今度こそ街を守ってみせるのだ、と・・・」
皇帝は、感じ入ったようにうむ、と深く頷くと、声を励まして話題を変えた。
「さて、本題だ。本日の試験でのことはすでに報告を受けておる。よもやあのクラスの試験機でオーバーフローを起こす者が現れるとはな。しかもそれがラグマ、他ならぬそなたであったことには、本当に驚かされたぞ」
「まだ・・信じられない思いです。自分にそれほどの力が眠っていたとは・・・」
ラグマは、ガトゥールの話を聞いたおかげか、幾分緊張の解けた口ぶりになっていた。
皇帝はそれを聞いてにやりとした。先程のガルスと似たような表情だ。
「ならば、試してみよ」
「ガルスより聞いておろう?そなたのマーグ力を受け止められるであろう唯一の機体。それを起動できるか、挑んでみせよ。機体は皇城の裏庭に保管されている。これより共に参るぞ!」
皇帝は嬉しそうにマントを翻した。ラグマはその時、この跪いた姿勢からどうやって立ち上がるのが作法であったか、ガルスの教えを必死に思い出そうとしていた。